古来より幾度も噴火を繰り返し、宝永噴火(1707年)を最後に、現在の美しい富士山が形成された。
その景観の美しさとは裏腹に、先人達にとって度重なる富士山の噴火は脅威であり、これを鎮めるために富士山をご神体として浅間大神(あさまのおおかみ)を祀ったのが、浅間信仰の始まりである。
静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社は全国に1300あまりある浅間神社の総本宮である。この浅間信仰が修験道・富士講へ繋がっていく。また各地に見られる富士塚もその名残である。
頂上には、富士宮口側に頂上浅間大社奥宮、吉田口側に奥宮の末社である東北奥宮久須志神社がある。
ところで、富士山は、以前は「浅間山」と呼ばれていたという。
「あさま」とは、アイヌのことばで、九州の阿蘇(あそ)、青森の浅虫(あさむし)温泉、伊豆の熱海(あたみ)などと同じ語源といわれる。「あさ」とか「あそ」は火山を意味することばであったのだ。
In the days when it was emitting smoke and flame, Mt. Fuji posed a threat to those who lived around it.
Prayers for it to subside evolved gradually into religious belief.
This is the origin of the present Fujisan Hongu Sengen Taisha shrine, located in Fujinomiya, Shizuoka prefecture, head of the approximately 1300 Asama shrines found all over Japan.
The Edo period, from the 17th to the 19th centuries, saw the formation of ‘Fuji congregations’ who would climb in groups that eventually grew into huge‘808 congregations.
The original meaning of the word “Asama” appears to be connected with volcanoes or volcanic eruptions.