ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

上品な本

2011-10-16 20:06:04 | Weblog
さっさと仕事を終わらせるつもりだったのに、
結局『ロシアのオリエンタリズム』を読み終わるまで、仕事を始めなかった。
この軟弱な性格をどうにかしたいと、小学生の頃から思っている。
が、一向になおらない。

机に向かっている時間は長いのに、
そのほとんどが読書に費やされているため、
しかも高校生までは、宿題をやるといって読書をしていたから、
勉強時間に比べて成績が悪いと、母がいつも不思議がっていた。
そりゃそうだ。勉強していなかったのだから。

それにしても、『ロシアのオリエンタリズム』は、
内容もさることながら、紙質や書体など、たいへん上品な本だった。
お値段も少々高めながら、
「でも、このクオリティだったら、しょうがないか」という感じ。
ページ数も多いし、持って、手にずっしりくるというか、
「本です」という本だった。

これは「消費する本」ではなくて、
ロシアによって奪われた中央アジアの言葉を、再び紡ぎ始めるための本。
アイヌや沖縄の言葉が失われつつある日本を、振り返る本。

先日、若い上海人が、こんなことを言っていた。
「中国には、56の民族がいると言われているけれど、
自分たちの文化や言葉を失った民族も結構多いと思う。
実際には、もう、56もいないんじゃないか」と。

彼女は、ウイグル自治区に旅行に行って、
ウイグルの都市部の漢化が進んでいる様を目の当たりにし、
非常に疑問を持ったと言う。

いま、沿岸部の若い人たちはお金を持ち、内陸に旅行に出掛けるになった。
チベットや雲南、ウイグル、モンゴルなど、漢民族以外の人たちが多く住む土地は人気だ。
彼女は、普通語が通じるのは便利だけれど、テーマパークのようになっていて、
なかには、漢民族が少数民族の衣裳を着て、
観光客向けのパフォーマンスをしていることすらあって、
正直ガッカリしたらしい。

そして「民族の自治」が、
どうやら発表されているとおりではないらしい、と気づいてしまった。
こんな話が上海の一角で交わされる。
そんな時代なんだな。

アジア

2011-10-16 11:30:38 | Weblog
今日も朝から洗濯機をまわし、
日本から持ってきたドリップ式のコーヒーをいれ、食パンをかじり、
まずはAmazonで本、次にiPhoneのアプリを巡回して、
さて、残りの仕事をやっつけるか!というところで、止まってしまった。

仕事は静かな環境のほうがはかどるから、
会社よりも自宅のほうがやりやすいことも多いけれど、
家には、誘惑もたくさんある。

いま読んでいるのは『ロシアのオリエンタリズム 民族迫害の思想と歴史』

上海にいると、あまり「ソビエト」を感じることがないけれど、
北京は、街全体の共産党っぽさが上海より強いし、ロシア人も上海より多いような気がする。

むかし北京に留学していた当時は、ソビエトが崩壊した直後だった。
ある日、ロシア人男性と韓国人男性がケンカをした。
私は両方と友だちだったけれど、韓国人のほうが同級生で仲が良かった。
ロシア人から、その韓国人と縁をきるように言われたので、
「なんで、あなたにそんな指図をされるの? 私が誰と友人になるかは私が決める」と言ったら、
ロシア人の男性に「俺たちの側に立つようなら、白人の仲間に入れてやってもよかったんだけど、
おまえはしょせん、アジアだな」と、侮蔑のこもった言葉を吐かれた。

それをフランス人の友だちに言ったら、
「ロシアだってヨーロッパじゃないわよ。なに言ってるの。あの人たちはアジアとの混血」と、
これまた反応に困る言葉が返ってきて、「こりゃ~、根が深いわ」と思った。

韓国人の友人に後から聞いた話だと、そのロシア人は酒癖が悪く、
酔った勢いで、韓国人の女性に手を出そうとしたので、思わず殴った、ということだった。
そういうとき、日本の男性は決して相手に歯向かわず、傍観者を決め込むか、
たとえ歯向かったとしても、グループでないと行動しないので、
いきなり顔面パンチをくらわせた韓国の男性はすごいなあ、と思った記憶がある。
しかも、その韓国人は、いつもは非常にやさしく、身体も細く、女性のような物腰の人だった。
人は見かけによらない。

と、過去に逃避している場合ではなく、仕事をしなければいけないのだが、
まずは昨日買いそびれた洗剤を買いに、違うスーパーまで足をのばすかどうか考えている。