ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

読書2冊

2011-10-07 15:53:41 | Weblog
朝食に、日本から持ってきたレトルトのしじみ味噌汁を飲んだ。
身体の中があたたかくなって、すごくホッとした。
上海に100%馴染むには、もう歳をとりすぎているのだと実感。

そうはいっても、お腹はすく。
カルフールに行って、思わずお粥を手にし、
やっぱり、結構上海に馴染んでるかも、と思った。

さて、国慶節のお休みに、本を2冊読んだ。
1冊目は日本で。
『科学の扉をノックする』(小川洋子著、集英社文庫)

小川さんが、科学分野の著名人を訪ね、インタビューして、
私のような科学オンチにも伝わるように、初歩的な感動を記してくれている本。
インタビューするということは、ある程度の知識がある、ということだし、
それに、改めて、ある程度の予習はしていくだろう。

ましてや、どの分野をどんな切り口で、というコンセプトを考え、
誰にインタビューするかを決めていくわけだから、
小川さんは、きっと素養があって、「こんなの当たり前」という人だろうに、
初めて顕微鏡をのぞいたときのような驚きを、
ちゃんと覚えていて、文字にしてくれる。すごい。

女性の作家は苦手なことが多い私だけれど、小川さんの文章は大好きだ。
というのも、数年前、天文のイベントでいらしていた小川さんの話しを聞いた。
その話し方があまりにも素敵だったので、いつか機会があったら、
ぜひ講演会をお願いしたいと思っている。
私が、上海でただの会社員をやっている限り、そんな機会はこないと思うけど。

もう1冊は、『聖ツォンカパ伝』(石濱裕美子・福田洋一著、大東出版社)
活仏や宗教的なヴィジョンを、迷信だ、まやかしだと言う人も多いけれど、
そう言い切ることも迷信で、まやかしなんじゃないかと思う。
だって、どちらにせよ、確信はなくて、
自分に見えないからと言ってないとは限らず、
自分に見えるからと言ってあるとも限らない。

例えば、銀行の預金は、確かにあるはずの自分のお金だけれど、
お金という実体をもって銀行に置かれているわけではない。
だから、銀行が破綻したら、消えてなくなる可能性もある。
また、実際に手に持っているお金も、国家が財政破綻したら、紙くずになることもある。

あるかもしれないし、ないかもしれない。
そういう解釈もあるのかもしれないし、違う解釈もあるのかもしれない。
興味があったら、自分なりにもっと考えてみればいいこと。
ということで、
バブル経済を信じることができる人は、宗教を信じる素質があると思っている。

さて、この本を読んで一番面白かったのは、
ツォンカパは、もちろんチベット仏教の祖とも言えるすごい人なんだけど、
そんな彼でも、文殊さまのヴィジョンを見ることができなかったときに、
他の人の助けを借りて、そのヴィジョンを見て会話していること。
しかも、自分よりも低い段階にいたのであろう仲間の僧侶の助けを借りている。

なんとなく、密教は、チームプレーなんだろうな、と思っていたけれど、
ツォンカパもそうだったなんて、なんだか嬉しい驚きだ。

14世紀のチベットで、仏教を再興した人がいたのなら、
いまチベットはさんざん弾圧を受けているけれども、
いつかちゃんと、もとにおさまるような気がする。