ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

参加しない

2011-04-02 15:43:11 | Weblog
きっといまこんなことを書くと「人」と言われるのだろうけれど、
私は、のらないなあ、と思う。
会社での義援金集め。

確かに、個人からの寄付が殺到して、銀行のシステムがダウンしたり、
欲しいものかどうかもわからない物資を送って、ミスマッチになったりしている。
私は、神戸の震災のとき友人が言った言葉のとおり、
こういうことがあると、きちんと使ってくれそうな団体にお金を寄付している。
今回も、寄付した。
そのために、銀行のシステムダウンの遠因となったかもしれない。

いまいる会社で義援金を集めている。
「これだけ寄付します」と金額だけ言ったら、給料から天引きになるらしい。
あとは、いま購入していただくと、売上の一部を寄付します、と、うたっている企業もある。
大きいところから小さいところまで、なんだか右へならえでやっている。
たしかに、個人で小さいお金をちまちまと寄付するよりも、
集めてある程度の金額にして渡した方が、受け取る方も楽だろうな、とも思う。

でも、それには、参加したくない。
買うのをやめて、その分全額、個人で勝手に寄付しようと思う。
確かに、ひどい災害だから胸が痛む。
なにか力になれることはないか、とも思う。

だから、ずっと企業での義援金集めに、なんで参加したくないのかを考えていた。
で、なんとなくだけれど、
他人を介すことによって、美談にされるのがイヤなんだ、と思った。

まず、会社は「寄付者」の欄に名前をのこしたいのでは、と思ってしまう。
社会貢献している会社です。イメージアップ!のような感じ。
うへ~と思う。

「こんな贅沢しちゃったけれど、でも売上の一部が寄付になったからいい買い物だったんだよ」
と、自分を甘やかしたい「消費者」の気持ちは、よ~くわかる。
「こんなときだから、みんな助け合いましょう」と、
企業がスローガンをうちたくなる気持ちもわかる。
ただ、そんなのと関係なく、お金や労力や物を動かすこと、
いつもどおり働いて、いつもどおり消費することをしたい。

私の生活は、震災があったから特別な買い物をするわけでもなんでもない。
震災があったことをふくめて、すでに私にとっては「日常」なんだから、
自分で必要なものを買い、自分の身の丈にあった寄付をする。
その時々で、寄付する先は、日本国内のこともあれば、海外のこともある。
何も、企業様の好意に甘える必要はない。
一部利益を寄付するなら、その分安くしてくれ、自分で寄付するわい、と思う。

どうしても罪悪感がつのり、「私もやってる!」と言いたいのなら、
もともと税金を払わなくてもいいように利益操作している会社だったら、
さっさと税金が優遇される寄付をしてしまえばいい。
本当に利益がない会社は、無理して寄付する必要はない。
まずは健全な会社にして、誰か1人でも多く雇えるようにしたらいい。

なぜ企業が「寄付」をうたいたくなるのかが、ま~ったくわからない。
そうやって「寄付」に走っている人も、
災害支援のために消費税を上げることは、反対なのかなあ。

連想

2011-04-02 01:34:17 | Weblog
今日というか昨日、仕事で、ある作家さんにメールをした。
非常に事務的な内容だったのだけれど、
偶然にもその人の本を読み始めようとしていたところだったので、
勢いで「これこれの本を、今日から読み始めます!」とメールの追伸に書いた。

私はその人のナルシストっぷりと、
それを文章にしちゃうセンスが大好きなのだけれど、
帰り道に読み始めて、ふと思った。
きっとシャイな作家さんとしては、
私のコメントを見て、「僕の本を読んでくれるんだ」という喜びより、
「やばい。読まれちゃうんだ」が先に立ったのではないかと思う。
そしてまた、勝手にファンになった。

こんなもん垂れ流してていいんだろうか、
でも、僕、自分が嫌いでやっぱり好きなんです、くらいの人のほうが、
面白いものを出す。
ねえねえ見て見て、僕ってスゴいでしょ、と言われると、
反射的に「どこが?」と冷たく言い放ちたくなる。
この意地悪な気持ちは、どこから来るのだろう。
嫉妬のようなものではない。
それは、その無邪気さに対する怒りのようなものだ。

震災の影響とか、まあ、自分を甘やかしたい気持ちなどがあって、
ここのところ、読書が進んでいなかった。
久しぶりに読み終わった一冊。『ブッダとそのダンマ』光文社新書(アンベードカル著)

一言で言うと、こりゃすげえ、という本だった。
お釈迦様のお言葉はありがたい、仏教に帰依しなさい、ではなくて、
人間ゴータマはこんな人、という内容。比較的、客観的。
そして、人間だからこそ、この人すごい、と、ひしひしと感じる。

リトル・ブッダのキアヌ・リーブスは美しかったけれど、
本物は、もっとスゴくて美しかったに違いない!と、確信をもちつつ、
今日、とても久しぶりに会った友人は、ネパールにも行ってみたい、と言っていた。
リトル・ブッダのロケ地になったあそこ、地名を忘れたけど、あそこ行ってくれ。
というか、私もまた行きたい。

ネパールのバスに乗って、
カタコトの英語で運転手さんに、着いたら教えて、とお願いしたら、そこが終点だった。

ネパールで、初めてその土地の火葬を見た。
薪を積み上げ、その上に遺体を安置し、最後灰になると、前の川にさっと掃いて流した。
そしてそんな火葬を、白とオレンジに顔を塗った、見知らぬ現地のおじさんと並んで眺めた。
いろんなことが思い出される。

そして、何年かぶりに会って、普通に話が再開できる友人。
歳をとったせいか、最近、そんな友人だけがのこってきた。