今日というか昨日、仕事で、ある作家さんにメールをした。
非常に事務的な内容だったのだけれど、
偶然にもその人の本を読み始めようとしていたところだったので、
勢いで「これこれの本を、今日から読み始めます!」とメールの追伸に書いた。
私はその人のナルシストっぷりと、
それを文章にしちゃうセンスが大好きなのだけれど、
帰り道に読み始めて、ふと思った。
きっとシャイな作家さんとしては、
私のコメントを見て、「僕の本を読んでくれるんだ」という喜びより、
「やばい。読まれちゃうんだ」が先に立ったのではないかと思う。
そしてまた、勝手にファンになった。
こんなもん垂れ流してていいんだろうか、
でも、僕、自分が嫌いでやっぱり好きなんです、くらいの人のほうが、
面白いものを出す。
ねえねえ見て見て、僕ってスゴいでしょ、と言われると、
反射的に「どこが?」と冷たく言い放ちたくなる。
この意地悪な気持ちは、どこから来るのだろう。
嫉妬のようなものではない。
それは、その無邪気さに対する怒りのようなものだ。
震災の影響とか、まあ、自分を甘やかしたい気持ちなどがあって、
ここのところ、読書が進んでいなかった。
久しぶりに読み終わった一冊。『ブッダとそのダンマ』光文社新書(アンベードカル著)
一言で言うと、こりゃすげえ、という本だった。
お釈迦様のお言葉はありがたい、仏教に帰依しなさい、ではなくて、
人間ゴータマはこんな人、という内容。比較的、客観的。
そして、人間だからこそ、この人すごい、と、ひしひしと感じる。
リトル・ブッダのキアヌ・リーブスは美しかったけれど、
本物は、もっとスゴくて美しかったに違いない!と、確信をもちつつ、
今日、とても久しぶりに会った友人は、ネパールにも行ってみたい、と言っていた。
リトル・ブッダのロケ地になったあそこ、地名を忘れたけど、あそこ行ってくれ。
というか、私もまた行きたい。
ネパールのバスに乗って、
カタコトの英語で運転手さんに、着いたら教えて、とお願いしたら、そこが終点だった。
ネパールで、初めてその土地の火葬を見た。
薪を積み上げ、その上に遺体を安置し、最後灰になると、前の川にさっと掃いて流した。
そしてそんな火葬を、白とオレンジに顔を塗った、見知らぬ現地のおじさんと並んで眺めた。
いろんなことが思い出される。
そして、何年かぶりに会って、普通に話が再開できる友人。
歳をとったせいか、最近、そんな友人だけがのこってきた。
非常に事務的な内容だったのだけれど、
偶然にもその人の本を読み始めようとしていたところだったので、
勢いで「これこれの本を、今日から読み始めます!」とメールの追伸に書いた。
私はその人のナルシストっぷりと、
それを文章にしちゃうセンスが大好きなのだけれど、
帰り道に読み始めて、ふと思った。
きっとシャイな作家さんとしては、
私のコメントを見て、「僕の本を読んでくれるんだ」という喜びより、
「やばい。読まれちゃうんだ」が先に立ったのではないかと思う。
そしてまた、勝手にファンになった。
こんなもん垂れ流してていいんだろうか、
でも、僕、自分が嫌いでやっぱり好きなんです、くらいの人のほうが、
面白いものを出す。
ねえねえ見て見て、僕ってスゴいでしょ、と言われると、
反射的に「どこが?」と冷たく言い放ちたくなる。
この意地悪な気持ちは、どこから来るのだろう。
嫉妬のようなものではない。
それは、その無邪気さに対する怒りのようなものだ。
震災の影響とか、まあ、自分を甘やかしたい気持ちなどがあって、
ここのところ、読書が進んでいなかった。
久しぶりに読み終わった一冊。『ブッダとそのダンマ』光文社新書(アンベードカル著)
一言で言うと、こりゃすげえ、という本だった。
お釈迦様のお言葉はありがたい、仏教に帰依しなさい、ではなくて、
人間ゴータマはこんな人、という内容。比較的、客観的。
そして、人間だからこそ、この人すごい、と、ひしひしと感じる。
リトル・ブッダのキアヌ・リーブスは美しかったけれど、
本物は、もっとスゴくて美しかったに違いない!と、確信をもちつつ、
今日、とても久しぶりに会った友人は、ネパールにも行ってみたい、と言っていた。
リトル・ブッダのロケ地になったあそこ、地名を忘れたけど、あそこ行ってくれ。
というか、私もまた行きたい。
ネパールのバスに乗って、
カタコトの英語で運転手さんに、着いたら教えて、とお願いしたら、そこが終点だった。
ネパールで、初めてその土地の火葬を見た。
薪を積み上げ、その上に遺体を安置し、最後灰になると、前の川にさっと掃いて流した。
そしてそんな火葬を、白とオレンジに顔を塗った、見知らぬ現地のおじさんと並んで眺めた。
いろんなことが思い出される。
そして、何年かぶりに会って、普通に話が再開できる友人。
歳をとったせいか、最近、そんな友人だけがのこってきた。