こんにちは、ゆうこです
続きです。
1月の移植を見送ることに決めた12月の年末、10年ぶりにインフルエンザになり高熱で寝込みました
年末に帰省した時母からもらってしまったのですが、同じ部屋で過ごしていた祖母、父ともうつっていないので、それだけ今までの治療で体にダメージがきていたのだと思いました。
本当は2月に移植しようと思っていたものの、こんなに弱っている自分の体で、妊娠できるわけがないと思い、2月は採卵だけして移植は来年度に回すことにしました。(移植NGが続いていたので、次だめだったらどうしよう、と怖くなっていた気持ちもありました。)
同時に、
「このままの生活を続けていくら不妊治療しても、結果が出るわけない。担任を下ろしてもらおう。」
と初めて思いました。
自分の中では、以前どれだけ意欲があっても、正規の職員でなければ責任ある仕事は任せてもらえない、悔しい!という思いを痛感していたので、学級担任をもってこその小学校教諭、という思いがありました。実際、今までどんなに大変なことがあってもやり遂げてきた、という自負もあり、学級担任を降りる=仕事をやめるくらいの気持ちでした。
でも!もう背に腹は代えられない!
実際この状態を続けるのは時間の無駄だとわかっていました。
自分の治療をしながら、学級担任としてクラスを運営していくのは、いろいろなことを並行して器用にこなせない私にとって至難の業。常にいっぱいいっぱいで、ストレスがかかっていたなあ、と今ならわかります。
また、不妊治療はお金もものすごくかかります幸い私の住んでいる自治体では42歳までに治療を始めれば、その後何歳まででも6回分の補助が出るという規定があったので、6回分の補助が出るうちは続けようと思っていました。
でも、1年ですでに4回も補助を使ってしまい、残るはあと2回のみ。
その2回分の補助が出るうちに、なんとか結果を出したい、という思いがありました。
そして、意を決して校長先生に直談判に行きました。
返ってきた答えは・・・
「治療を頑張っているのは知っているし、今年あなたにはものすごく無理させてしまったから級外にしてあげたい気持ちはある。
でも、人手が足りないんです。だから、来年も3年生を担任して下さい。」
仕事をやめるぐらいの意気込みで話に行ったのに、それは無理、と言われて
拍子抜けしたような、ほっとしたような、変な気持ちでした。
そうこうしているうちに2月の採卵が終わり、その時の結果が
受精卵4個中胚盤胞3個
胚盤胞のグレードも、なんと過去一番状態がよかった
振り返ってみると、
・裕美ちゃんの栄養分析を受けて食事の改善を半年近く続けていた
・妊活に特化した鍼治療とよもぎ蒸しを毎月受けるようになった
・年末のインフルエンザの高熱で、細胞が危機感をもって活発になった?
・12~2月は大きな学校行事もなく、ゆったりすごせた
・毎年夏に比べて、冬は1~2キロ太る=冬の方が体が元気
これらのことが組み合わさって、今回の結果になったのかな、と思いますが
もしかしたら、自分の中で心の底から仕事<妊活と腹をくくれたのが一番効いたのかもしれない、と思いました。
来年度も担任なのは、しょうがない。
でも、今年みたく周りに悪いからと思って、たとえ校内の仕事でも引き受けるのはもうやめよう。
がんばればできるからがんばろう、じゃなくて
出来ません、私の今の状態では難しいですって、はっきり言おう。
今年みたいな働き方は、絶対もうしない
そう心に決めて、新年度準備をしていた時
担任発表の1日前に校長から呼び出しがありました。
「講師で担任を持ちたいっていう子が、たった今応募してきたので、あなたを級外に回します。」
びっくり
続きます