こんにちは、ゆうこです
ずっと間があいてしまいましたが、妊娠振り返り記事の続きです。
前回までの記事はこちら
ゆうこわんこの妊活振り返り日記③~自分の心が不妊治療を受け入れるまで~
ゆうこわんこの妊娠振り返り日記②~仕事漬け毎日のレールを降りたきっかけ~
ゆうこわんこの妊活振り返り日記①~妊娠が嫌だった新婚時代~
ゆうこわんこの 妊活振り返り日記 ⓪
35歳くらいから、冷え取りなどに取り組んで体には気を使っていましたが、私が病院に通っていた期間は40~42歳まででした。
知らないって怖い・・・と思うのですが、不妊治療を始めた当時は
「医療の力で妊娠の手助けをするんだから、自分の体に問題がなければ100パーセント妊娠するでしょう!」
と、根拠のない自信がありました。
治療1回目ですぐ妊娠して、今年度中にお休みに入っちゃうかも。クラスの子を最後まで見られないのが残念だなあ。なんて思っていたのです。
いや~~、無知って恐ろしい
今なら、
「このおバカ~~ そんなに簡単なもんじゃないんだよ
もっと真剣に、慎重になりなさ~~い」
と過去の自分に活を入れてやりたい気持ちでいっぱいです
でも、その時の自分は治療に取り組む新しい道に踏み出してるという思いで、気持ちだけはとってもすがすがしく、前向きでした。
(その後、いろんな辛さを味わうとも知らずに・・・・)
そんなふうに体外受精の難しさを本当にはわかっていなかった自分は、(大きな異動の話を断った手前、学校内の人事で迷惑をかけないように、
できることなんでもやろう!大きな役を外してもらったんだし、迷惑かけないようにしなきゃ!)と、思っていました。
そういう気持ちもあり、いつもの悪い癖で校内や学年での大きな仕事を、
「お願い!できるよね!」と言われるままに引き受けてしまいました。(←これが大きな間違いのもとでした)
4,5月は始業式、クラス開き、各種検診、家庭訪問、春の遠足、運動会、と行事が目白押しなので、5月の運動会後に治療を始めました。
体外受精は大まかに
採卵→培養→移植→着床判定という流れです。
最初に説明を聞いた時には(検査の結果が問題なかったこともあり。)
「痛い思いをする採卵と移植を頑張れば、妊娠できるんだな。まあ、がんばるか。」
ぐらいにしか思っていませんでした
でも、治療が始まってすぐに
「これは、不妊治療なめてた思っていた以上に大変だ・・・」と痛感しました。
まず、採卵するためには、卵子を育ててたくさん取らなきゃいけないということで、
毎日間違えないように薬を飲み続けなければなりません。
かつ、私の通ったところは注射は必ず病院で受けなければならなかったので、2日に1回病院に行かねばならず、採卵までの1か月間はてんてこ舞いになりました。
1年目の治療はこんな感じです。
6 月 採卵(受精卵7個中胚盤胞1個)
9 月 移植→NG
10月 採卵(受精卵2個中胚盤胞1個)
11月 移植→NG
12月 採卵(受精卵3個中胚盤胞1個)
まず、6月の初めての採卵で受精卵は7個もあるのに、移植に使える胚盤胞まで育ったのがたった1個ということにびっくりしました。
採卵=とった卵が全部使えるわけじゃないということを初めて知りました。
そして、最初の移植がNGだった後、病院の先生に言われるまま急かされるように(実際急かされていました)採卵・移植を繰り返しましたが、
今思うとこれはよくなかったな、と思います。
採卵も移植も人によっては痛みがほとんどないといいますが、私は(採卵は麻酔ありだったにしても)とても痛かったです。
手術の後は1日ずっと寝て、体力を回復させていましたが、毎回ヘロヘロでした。
いくら1日でも早い方がいい、といわれても、忙しい担任業務をこなしながらの病院通いで普段よりさらに忙しい毎日を過ごしているのに、こんな日常で本当に妊娠できるのかなと心の底ではうっすら思っていた気がします。
(実際3時から早退して病院に行った日は、5時過ぎに学校に戻り、8時近くまで残った仕事を片付ける、という日々でした。)
でも、そんな自分の声を無視して、(私は不妊治療を頑張っている!こんなに病院にも行ってるんだし!)と間違った方向に突っ走っていました。(今振り返ると、ここでは業務量を減らすということを一番にやらなきゃいけなかったと思います。)
でも、12月の採卵で、受精卵3個のうち胚盤胞が1つしか育たなかったとき、さすがに危機感を覚えました。
(お医者さんに言われるがままに毎月移植と採卵繰り返してきたけど、私の体がもう無理!って言ってる・・・・)
看護師さんには「受精卵自体が1個も取れない人もいるんですよ。3個も取れてるんだから、すごいです!それに毎回胚盤胞までちゃんと育っているんだから、大丈夫です。」と言われていましたが、
1月の移植は見送りにしました。
続く