貴の一文 あの日から一年
はりきり企画部より~
今日 「磐城壽」 鈴木 大介君がマチダヤを訪ねてくれました。
久しぶりにゆっくり話ができました。
彼の前向きの姿勢、その強さに驚きそして安心しました。 必ずやってくれます。
酒造りを再開する決意の節目はいくつかあったようですが、
その一つに会津若松「鶴ヶ城」で取材も兼ねた蔵元同士の花見の会も「磐城壽」を再び醸したいという思いを強くしたきっかけになったそうです。
ちょうど「貴」たあぼがその時の画像を」送ってくれました。
以下 久々の「貴の一文」です。
※写真は2011年4月20日に会津若松の鶴ヶ城で撮った一枚です。
3月11日です。
東日本大震災からちょうど丸一年です。
あの日の2時46分、ちょうど瓶詰めをしている時でした。
交代で休憩を取るため、休憩室に入ると震災のニュースが流れ、そして、あの津波が押し寄せました。
あの津波の後、石巻にある日高見の平井さんと連絡が取れず、
ただ、私よりも酒屋さんにまず知らせが入るだろうと、酒屋さんのブログを片っ端から見て安否確認をしたのを覚えています。
あれから1年が経ちました。
蔵が壊滅的ダメージを受けた蔵、磐城寿さんのように津波で流されてしまった蔵
いろいろありますが、そのほとんどの蔵が今年も造りをされています。
その精神力たるや並大抵の事では無いと思います。
今年一年で一番考えた事。それは、もし私が蔵を失った時、私は何を心の拠り所に酒造りを復活させるだろうかという事です。
数年前、群馬泉さんの蔵が全焼した時は「山廃酒母用の乳酸菌」が残っており、それを酒母室に振り掛ける事から酒造りを再開されました。
磐城壽さんは、福島県ハイテクプラザに保管されていた山廃酵母により、となりの山形県に蔵は移っても浪江の酒蔵の魂は引き継がれています。
私達造り手は、常に更なる高みを目指して日々精進しなければなりません。
酵母、酒米、造りの技術、そのすべてをより高いものにする、
それはある意味当たり前の事です。
ただそれ以上に酒蔵にとって、そしてものつくり企業にとって大事な事、それは「ブランドアイデンティティ」だとつくづく思いました。
「水」「米」「酵母」「乳酸菌」・・・100年の歴史を背負う大事な宝です。
私達蔵元は同時に大震災が起きた時にはライフラインである水を届け、米を炊き出しに使い、お酒で地域の人達に勇気と希望を届けなければならない。
そういう使命も同時に果たす責任があるのだと思いました。
地域の人達と共にお米を育て、そしてその地下にきれいな湧き水が生まれ、それらを使って米の味のする素直なお酒を造る。
当たり前の事に思える事を心から感謝する、そんな3.11からの一年だったか思います。
私も、そろそろ落ち着かなきゃ~。
to be continue...
近々きっと「たあぼ」より明るいニュースが届くと思います。
震災より1年後の「春」はもうすぐです。
本日は多くの方に東北・北関東のお酒をご購入いただき本当にありがとうございます。
「磐城壽」も純米、本醸造共に完売 入荷待ちとなりました。 ありがとうございます。
2年後も3年後も もっともっと・・・・・ 日本人として同じ気持ちを持ち続けましょう。