「磐城壽」 鈴木 大ちゃん
震災後、やっとゆっくりと膝を突き合わせて話ができました。
地震の後の津波の様子、最初の警報は3メートル
浪江町 請戸の防波堤は5メートルまでを想定していたので最初はお父さんと蔵に残るつもりでいたそうです。
それが5メートルの警報となり、そして先に到達した岩手・三陸沿岸では10メートルの津波が来たとの情報に
これまでの想定を超えたものであるその時はじめて意識したそうです。
消防団である大ちゃんは最後まで避難の呼びかけをしていたそうです。
しかし中には避難しない方も多く、波が来た時の光景が忘れられないそうです。
本人も松の木をなぎ倒しながらやってくる津波より命からがら高台まで逃げたそうです。
懸命に避難を呼びかけつつも、3人の幼なじみが亡くなったと聞きました。
その時蔵から持ち出せたのは避難所で着るための防寒具だけだったそうです。
津波より1日目 全壊した蔵を目の前にもう酒造りはできないとおもったそうですが、
2日目の避難所で浪江町の方々から「磐城壽」をまた飲みたいとたくさんの声に
「もう一度 磐城壽を造りたい」と気持ちに変わったそうです。
その日(3.13)はちょうど「若手の会」をシダックスホールを行っていた日、夕方大ちゃんより無事との連絡を受け電話を通してお互い号泣したことを覚えています。
ただ原発のこともありその「思い」だけで八方ふさがりの状態であったことは間違いなく、進む方向は全く見えていませんでした。
持病のあるおばあちゃんのため避難所離れを農大同級生であった米沢の蔵元のお世話で山形の地に移りました。
進む方向が見えない中、気晴らしに訪れた上杉神社の雪に埋もれた石柱に米沢藩主「上杉鷹山」が読んだ「為せば成る」の一文を見て
「蔵再建への思い」をさらに強くしたそうです。
そして「貴の一文」に書かれた会津若松「鶴ヶ城」での県内外の蔵元との交流。
「國権」 細井さんから「うちの蔵人みんな手伝うから1本酒を仕込みなよ」の一言で実現した「地縁復興純米酒」
山形の小関先生の紹介で現「鈴木酒造店 長井蔵」となった蔵元との出会い。
いろんな方々の協力と応援、ご縁があって福島の地を一時離れるにしても「磐城壽」を一日も早く仕込む決断をしました。
あまり感情を表に出さない大ちゃんですが、話しているだけで気持ちはびんびん伝わってきます。
私もできるだけの応援を行動に移したいと思います。
今季は総仕込み700石(内100石程度が銘柄を引き継いだ地元用「一生幸福」となります。)を目指し頑張っております。
幸いに3期醸造が可能な冷蔵設備があるため、手直ししながら6月の甑倒しまで浪江町から避難された方々を思いつつ酒造りを続けます。
来月には「山廃純米 生」が出荷予定。 「とろとろおやじ」をイメージした活性濁りと純米酒をベースにしながら取り組んでいます。
熟成 「土耕ん醸」は米作りから始める決意ですので早くて3年後の予定。、
できたお酒を持って味ノマチダヤ試飲会にもどんどん参加してもらいたいますのでまずは「磐城壽」飲んで応援!!!
仲間はたくさんいます。 安心して仕込みを続けてください。
4月8日(日)は「並木橋 なかむら」さんの花見の会に参加してくれます。