つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

揺籃の地は異界。

2024年01月14日 17時17分17秒 | 手すさびにて候。
                             
中国大陸の奥、遥かチベット高原の氷河に源を発し、
6000kmもの旅を経て東シナ海へそそぐ「長江」。
その大河の最下流「黄浦江」沿いに位置する大都会が「上海」。
20世紀初頭のそこは一種のブラックホール。
世界中から人と富を呑み込み、妖しい魅力を放っていた。

川沿いに立ち並ぶ堂々とした欧風建築。
摩天楼の灯りが濁った水面に揺らめく。
陸に上がれば、人の海。
鞭髪、黒髪、金髪、赤毛、ブルネット。
丈の長い中国服、白いリネンのスーツ、チャイナドレス。
人種も服装も多彩。
乗用車やトロリーバスの間を縫って走る人力車や馬車、大八車に移動式屋台。
それらが混ざり合う混沌が表の顔だとすれば、裏側はさらに複雑怪奇。
渦巻く権謀術数、生と死、欲望が醸す臭気が漂い、あらゆる快楽がひしめいていた。

美酒、美食、美女、阿片、賭博。
--- そして「ジャズ(Jazz)」。
“魔都”は“楽都”でもあったのだ。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第二百三十三弾「ジャズシンガー(1924年/上海)」。



19世紀半ば「阿片戦争」でイギリスに敗れて以降、アジアの黄龍・大清国の斜陽は明らか。
列強との不平等条約に甘んじ譲歩・割譲が進んだ。
その1つで象徴的な存在が上海。

戦前、上海には「租界(そかい)」と呼ばれる「外国の飛び地」があった。
本来は単なる土地貸与に過ぎなかったが、
支配者が治外法権・行政自治権を持つ事実上の「領土」。
イギリスとアメリカなどが一緒に管理する「共同租界」。
フランスが単独で管理する「仏租界」があった。
それぞれ母国の生活様式・文化を持ち込んだそこから、上海は国際都市へと変容。
経済的な繁栄を背景に、欧米スタイルのショービズも盛んになる。
取り分けアメリカからは、大恐慌と禁酒法にあえぐ一流ミュージシャンが、
本国よりも景気が良い上海を目指し始めた。

--- やがて、日本の同業者の耳にも噂が届く。
『上海なら、ギャラがいいうえに本場の技術やセンスを学べるらしい』
『ジャズを演るなら上海だ』
渡航気運が盛り上がったという。

当時、長崎から上海へはわずか26時間あまりの船旅。
船賃1等客席45円、三等客席18円(現在の価値に置き換えれば3万円~1万円)。
パスポートなしで行ける一番近い異国・上海行はブームになる。
学生や会社員、技術者、軍属、商売人、官吏、アウトロー。
種々雑多な輩が共同租界の一角に日本人コミュニティを作り上げ、
外国人最大勢力となっていた。

そんな背景もあって、上海を訪れた邦人ジャズマンは多い。
現地のナイトクラブで腕を磨いた彼らが持ち込んだ“最先端のサウンド”は、
成長の途について間もない日本の音楽ビジネスに取り込まれていく。
ジャズを筆頭に、タンゴ、シャンソンなど、
洋楽のエッセンスを取り入れたヒットの花が開いた。
(代表作:ディック・ミネ-ダイナ/淡谷のり子-別れのブルース/笠置シヅ子-ラッパと娘 )

しかし、戦火が激しくなると状況は一変。
“退廃的な敵性音楽”への風当たりは強くなる一方。
太平洋戦争開戦直後、内務省が米英文化排除を打ち出し、
ジャズミュージシャンたちは目の敵にされ、職を失った。

そして、敗戦を機に歴史はまたも掌を返す。
進駐軍のための演奏需要が急増するのである。
アメリカは、日本各地の焼け残った土地建物を接収。
軍用施設や軍人用住宅に作り替えた。
フェンスの看板には「Japanese Off Limits」の文字。
入国を許され米兵キャンプ・クラブ回りからキャリアを築いたビッグネームを挙げてみよう。

ジョージ川口(ドラムス)。
中村八大(ピアノ/作曲家)。
渡辺晋(ベース/芸能事務所経営)。
原信夫(サックス/シャープス&フラッツのマスター)。
渡辺貞夫(サックス)。
松本英彦(サックス)。
穐吉敏子(ピアノ)。
江利チエミ、雪村いづみ、ペギー葉山、フランク永井、松尾和子ら歌い手も輩出している。

戦前は「上海租界」。
戦後は「東京租界」。
中国に在りながら中国ではない処。
日本に在りながら日本ではない処。
2つの“異界”が音楽の揺りかごになった。

(※文中敬称略)
                                   

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