つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ジュブナイル・フィクション。~ エマニエル夫人。

2017年02月11日 10時47分42秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第三十四弾は、映画「エマニエル夫人」。

■フィリピンのルパング島で、旧・日本兵が終戦から30年ぶりに救出。
■紅茶きのこブーム。
■ゲイラカイトが大ヒット。
■「サーキットの狼」連載スタート。
■私は今日引退をいたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です。
■♪ 折れた煙草の 吸いがらで あなたの嘘が わかるのよ
 ♪ 北の街ではもう 悲しみを暖炉で 燃やしはじめているらしい
 ♪ うらみっこなしで 別れましょうね さらりと水に すべて流して
 ♪ あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
 ♪ 貧しさに負けた いいえ 世間に負けた
 ♪ あなたのために 守り通した 女の操

そんな諸々が日本を覆っていた昭和49年(1974年)。
映画「エマニエル夫人」が公開された。

外交官の夫の赴任先、タイ・バンコクを訪れた主人公が恋の遍歴を重ね、
清楚な若妻から妖艶に変貌を遂げていくエロティックストーリーは、
一般映画館で全国ロードショー公開され、異例のヒットを記録した。
既に、メジャー製作会社が「ロマンポルノ」路線を打ち出し数年が経っていたが、
それは主に男たちの領分。
対して「エマニエル」人気を支えたのが、良妻賢母の呪縛から逃れた女性だったのは、
一種のエポックメイキングとして知られている。

公開当時、小学生だった僕はスクリーンで作品を観ていない。
しかし、ワイドショーで同作を取り上げ性のモラルを論じたり、
街頭インタビューの意見取材を紹介したりする一幕を目撃した。
「ドリフターズ」が演じた、パロディ版「イモニエル(芋煮える)夫人」のコントに笑った。
鼻に抜けるボーカルが耳に残るテーマ曲を、何度も繰り返し耳にした。
なんとなく、世の中が騒いでいたことは覚えている。

ようやく作品を観覧できたのは、確か中学生になってから。
独り毛布にくるまってブラウン管を見つめた記憶があるから、季節は冬。
たぶん正月編成の深夜枠だったかもしれない。
血気盛んなガキだから、官能シーンは大コーフンした。
瞬きを忘れ、文字通り食い入るように観ていたに違いない。

また、霞がかかったようなソフトタッチの画質で撮ったパリの街並みや、
大きな夕日が落ちる平原での乗馬、外国のアパートの室内、
陽光に包まれ大きなソファでくつろぐ様子など、実に美しいと思った。
何より、主演の「シルビア・クリステル」が、可愛くて、大胆で。
瑞々しい裸体は、問答無用の魅力に溢れていた。

(※2012年10月19日に関連投稿アリ)
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過日の幻として。~ ジュブナイル・フィクション。

2017年02月09日 08時14分43秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第三十三弾は、空想のワンシーン。

まだ世界が西と東に分かれていた頃。
南イタリアの眩しい夏の昼下がり。
煙草を燻らせながら思案に耽る女が気付いたのは、三口目あたり。
熱情を湛えた瞳に見詰められていた。


「少年」。

この言葉にノスタルジーを覚えるのは僕だけではないはずだ。

活動範囲は家と隣近所に、学校と校下。
交際範囲は親兄弟と親戚に、友人と隣人。
生活に腐心せず、夢を食べ、娯楽を享受する。
吸収するのは、新しい知識と新鮮な経験ばかり。
世間知らずで、ひたむきで、純粋で、我儘。
多少の悩みはあったと思うが、大人のそれとは比ぶべくもない。
ごく狭い世界で生きる、ごく短い、幸せな日々。
どこか甘やかな香りを放つ少年時代は、郷愁を誘う。
だから、少年成長譚…いわゆる「ジュブナイル・フィクション」は、後を絶たない。

例えば「スタンド・バイ・ミー」や「銀河鉄道999」。
あるいは「個人授業」や「マレーナ」。
他にも「愛を読む人」や「君がいた夏」。
等々、多種多彩。

個人的な好みを言えば、
物語の季節は夏だと嬉しい。
鮮烈で儚いから。
時代は少々古い方が嬉しい。
便利すぎるのは、情緒に欠ける。
年増盛りの美しい女性が登場してくれると嬉しい。
通過儀礼の神々しい司祭だ。
そして、ハッピーエンドはいらない。

思い出は人それぞれ。
たとえそれが作中のエピソードと違っていても、
過日を重ね合わせてしまうのは僕だけではないはずだ。
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上を向いて歩こう。

2017年02月05日 20時21分08秒 | 日記
きのう(2017年2月4日)は、穏やかな一日。
お陰で、久しぶりの散歩を楽しんだ。
愛犬「りくすけ」も嬉しそう。

フン!フン!と鼻を鳴らしつつ、2時間近い道のりを元気に踏破した。

その途中「ゲオ津幡店」近くに差し掛かった時、
チュン!チュン!チュン!チュン!
突如、喧しい鳴き声が聞こえてきた。
歩きながら空を見上げ、声の主を探すことしばし。
…いた!

スズメの群れだ。
遠目で判りづらいかもしれないが、
画像中央、電柱奥の立木に目測100羽以上が留まっている。
僕が近づくと一斉に飛び立ち、別の木へ。
また近づくと、電線へ。
一定の距離を保ったまま、群れ動いている。

スズメは人の身近に暮らしている鳥だ。
人家の屋根の隙間などに巣を作り、
稲や残飯など人の営みから出たものを啄む。
こうした生態を「寄り添っている」と言っては、スズメに失礼だろう。
彼らは、人を「利用している」のだ。
だから、いつも警戒を怠らない。
お馴染みさんだが、野生なのである。

さて、自宅に向けて歩を進め、住吉公園内に入った時、
キャッ!キャッ!キャッ!
今度は、甲高く楽しそうな歓声が耳に届いた。
辺りを見渡すと、状況はすぐに判明。

祖父母らしい保護者に付き添われた男の子が、凧揚げに興じていた。
こちらも対象が小さく見辛くて恐縮だが、赤い丸で囲ってみた。
向かって右下が糸を握る少年。
左上が空を泳ぐ三連凧である。

暦の上で春が始まる時期、屋外に出て空を見上げるのは健康的だから、
「立春の季に空に向くは養生の一つ」と言われる。
スズメと凧のお陰で、2度も空を仰ぎ見た散歩。
『…あ、こいつぁ春から縁起がいいわい』(笑)
コメント (2)
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Sushi、Tenpura、Sukiyaki、TSUBATA。

2017年02月04日 08時47分46秒 | 日記
僕が子供だった頃、「外国」に接する機会はごく限られていた。
朝の報道番組でアナウンサーが伝える、ニュース映像。
「兼高かおる」さんナビゲートによる、珍しい風物。
インクの匂いに包まれながら眺めた、目の粗い白黒ドット印刷の街角。
生家にうず高く積み上げられていた、女性誌の特集記事。
半島や大陸から飛んできた、ラジオの電波。
…せいぜい、そんなところだった。
生身の「ガイジン」さんとの遭遇は、宇宙人目撃と同様の驚き。
(※2010年9月16日に、関連投稿アリ)
北陸の片田舎に暮らす昭和の少年にとって、
「海外」は、実際の距離以上に遠く離れた「別世界」だった。

しかし、時代は変わった。
アメリカ合衆国大統領のつぶやきが即座に閲覧できるほど、
24時間いつでもオンタイムに情報が伝播する。
大都市圏に限らず、地方都市でも異国の方をお見掛けする。
英語、韓国語、中国語(北京/広東)などによる、案内や注意書きは珍しくない。
北陸の片田舎に暮らす平成のオッサンにも解る。
「海外」は、実際の距離を問わない「ご近所」になった。

…とは言え、新しい時代になってまだ間がない。
否応なく他国の動きと連動する政治経済。
国境のない仮想現実であるインターネット。
早くから進出を果たしている外食産業(和食)。
大きな組織が束ね、交流が盛んなスポーツなど、
幾つかの分野は別にして、一般の感覚は困惑の只中。
技術の進歩によって急速に接近してしまった事に戸惑いながら、
ようやく親近感を育み始めたのが現状だろう。
ちなみに、わが津幡町では、こんな取り組みを予定しているそうだ。

「寿し体験 in 津幡町(Sushi Making Class in Tsubata-machi)」
石川県内在住の外国人・15名を対象にした催しだ。

主催は、津幡町商工会青年部。
2017年2月12日(日)、午前10時より「井上コミュニティプラザ(井上公民館)」にて開催。
カツオ出汁を取り、茶碗蒸しとハマグリのお吸い物を調理する他、
天ぷら、花柄の太巻き、寿司7貫を作って、食べて、楽しむのだそうだ。
当日、参加者を指導するのは、津幡町の寿司店「美満寿(みます)」の若き3代目。
大阪の日本料理店にて修業後、家業を継いで板場に立つ。
個店の存続・繁盛は、町の活気につながる。
今後も益々の活躍を期待したい。

上記掲載した募集チラシに、次の一文を発見。
海外観光客向けの体験型観光商品創出を目的とした実験的イベント』。
…ナルホド。
満員御礼の盛会と、目的の成果獲得を願っています。
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