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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

地蔵物語。

2017年02月18日 19時00分21秒 | 日記
津幡小学校や清水八幡神社(しみずはちまんじんじゃ)近く、
津幡町・清水(しみず)に小さな「地蔵堂」がある。
今朝、散歩中に立ち寄ってみたところ、正面が樹脂製の波板で覆われていた。

隙間からご尊顔を拝見。

素朴で優しい顔立ち。
石はキレイに保たれ、頭巾と涎掛けが整い、千羽鶴やお飾に囲まれるなど、
行き届いた手入れは、地域住民の方々の努力の賜物である。

ところで、このお地蔵様は変遷を経て現在の場所に落ち着いた。
「清水区瓦版」より引用して紹介したい。

『このお地蔵さんは、明治の初め頃まで、大西山の北のふもとにあった
 清水村の火葬場(サンマイ)の参拝像として「サンマイ地蔵」と呼ばれていた。』
※作注:サンマイとは「三昧」と書く。
     語源はサンスクリット語の「SAMADHI」。
     精神を集中し、雑念を捨て去る事を指す。
     サンマイは、主に西日本で墓所や葬場の呼び名として使われていた。

『明治二〇年 簡易科津幡小学校の建設に伴い、「しょうず」裏山(墓地)あたりに移転したが、
 その後 昭和三〇年頃、参拝の便宜を考え現在の地に移し、お堂を建て、今の姿になった。
 伝えられる話によると、当時地蔵の世話をしていた×××さんの夢枕にお地蔵さんが現れ
 「寒い、寒い。雪囲いをしてほしい」とお告げになった。
 そこで××さんは区長と相談し、自分の畑のあった今の場所に移し、お堂を建てたのだという。
 そんな由来があって、××さんの子息の××さんをはじめ、
 歴代の区の役員が、引き続きお世話にあたっている。
 真ん中の大きな仏様は阿弥陀如来で、高さ135センチ。
 左右の三体の六地蔵は64センチ。
 右わきの小さな一体は「水子地蔵」ではないかという。』
※作注:「しょうず」は清水に沸く泉の事。
     ××伏字は個人名。
     『  』内、清水区瓦版 ワクワクしみず第3号より引用、ほぼ原文ママ。


雪囲い前の控えめな立て看板によれば、冬支度はお彼岸までが目安との事。
扉が解放されると、春到来だ。
帰り道で、次の季節の兆しに出会った。

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