つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡のタイムカプセル。

2010年12月23日 23時22分12秒 | 日記
1988年の夏。
僕は病院のベッドの上にいた。
愛車のSUZUKIサベージというバイクで荷物を配達中に事故に遭い、
右足首を骨折。
ソウルオリンピックをモニター越しに観戦していた。

「カール・ルイス」と「ベン・ジョンソン」の世界最速争い。
「フローレンス・ジョイナー」が奇抜な衣装。
「セルゲイ・ブブカ」が鳥人の異名に恥じない大ジャンプで世界記録を更新。
日本人では「鈴木大地」がバサロスタートで世界の頂点に輝いた。

ちょうど時代は昭和終末期。
バブルは頂点を極めようとしていた。
ブラウン管に映る人の顔を眺めて
やれ「しょうゆ」だ、いや「ソース」だなどと言い、
オタクとオバタリアンに眉を顰める。
青函トンネルと瀬戸大橋、2大公共事業に豊かさを実感。
小腹がすいたらカウチポテト。
東京で「J-Wave」が開局し時間でプログラムを区切らない、
斬新な編成に驚いたりした。

僕を含めた当時の20代がそんな日々を送っていた頃、
津幡町の町制100周年を記念して設置されたタイムカプセルを発見。
「今日の一枚」がそれだ。
撮影場所は「ふれあい広場」。
細い道を挟んだ向かい側では「津幡小学校」の新校舎が建設中である。

タイムカプセルは50年後へのメッセージ。
現在22年、もうすぐ年が変わるから23年目になる。
封印を解くまで、ようやく半ば。
一体中には何が入っているんだろう?
それが明らかになる時、僕はまだ生きているだろうか?
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ひっそりと瞬く津幡のイルミネーション。

2010年12月20日 19時10分53秒 | 日記
きのうは久しぶりに、好天に恵まれた。
何とか仕事も一区切りついたので、散歩へ出発。
ただ日暮前のタイミングだったため、
刻々と増す寒さと少なくなる光に追い立てられるように短時間の街歩きとなった。

そこで撮影したのが「今日の一枚」。
近所の民家に設置されたクリスマス・イルミネーションである。

ちょうどこの時期、日本各地からイルミネーションの話題が届く。
神戸ルミナリエ、東京・表参道に青山通り…。
近くでは金沢・香林坊~武蔵が辻にかけて…。
規模も期間も様々だが、津幡の電飾は慎ましい。
しかし、辺りに明るい光源がないので、結構目立つ。
そして、ポツンと瞬いているだけに哀愁が漂う。
…ま、昔はイルミネーションの「イ」の字もなかったのだから、
多少は華やかになったということだ。

そんな僕がまだ子供だった頃のクリスマス。
やはり一番の楽しみは「ケーキ」だ。
但し、こいつに辿りつくまでには、乗り越えなければならない壁があった。
それは「チキン」だ。
ケンタなどなかった頃、テーブルに並ぶのは「カジマート」で買ってきた鶏もも肉の丸焼き。
こいつが曲者だった。

第一に「ちったい」(⇒石川県の方言で「冷たい」の意)。
電子レンジもないので、冷たくなったコールドチキン状態で供される。
しかも、やや生焼けのケースが多かった。
銀ホイルが巻かれた間接部を掴んで肉を噛み千切ると、
そこに血が滲み、錆びた鉄のような匂いがした。
勿論、食品として不備がある訳ではないし、オッサンになった今ならレアは大歓迎だが、
少年の頃は抵抗を感じた。

第二に「しょんない」(⇒石川県の方言で「味が薄い」の意)。
鶏もも肉は、とりあえず焼いてあるだけ。
ハーブとかソースとかチーズとかのアレンジはなかった。
また、30年以上前の家庭に岩塩や粒胡椒など常備してあるはずはなく、
仕方がないので専売公社の「食卓塩」を振りかけて食べた。
たまに分量を誤って、塩辛くしてしまった。

…さぁ、そんなハードルをクリアすると、シャンメリーの弾ける音と共に、
台所からお茶の間へと「ホールケーキ」がうやうやしく登場!
クリスマスか誕生日でもなければ、滅多にお目にかかれない代物を前に、
僕の興奮はMAXレベル!
切り分けてもらったブロックにがっぱになってかぶり付く。
(※がっぱ⇒石川県の方言で「一心不乱」の意)

当時のケーキは生クリームではない。
僕の口の周りはバタークリームでテカテカに光っていた。

縁にはバラを模ったクリームの装飾が並び、花の中心には銀玉チョコ。
マジパンのサンタクロースに、プラスチックのツリー。
Xmasと書かれたチョコプレート。
思えば、今と比べてデコレーションはとってもシンプルで、
油っぽく妙に甘かった。
でも、美味かった。

ここ10年来ケーキの褒め言葉として「甘すぎない」とか「サッパリ」が横行しているが、
僕はこの表現に異を唱える。
こってりしていて、くどいくらいに甘いのがケーキの醍醐味なのだ。
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津幡町教室のほろ苦い思い出。

2010年12月18日 23時17分23秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡小学校の近くにある「公文式 津幡町教室」の看板。

公文式のHPを見てみたところ、2010年現在で40近い教室があり、
散歩中にも度々看板を見かける。
しかし、こんな木製の、ある種「道場」を思わせる趣は、
ここ以外に記憶がない。
看板の上に鎮座する蛍光灯もカバーが茶色くなっていて、
時の流れを感じさせる。
おそらく「津幡町教室」の名前からして、この町での初開塾なのかもしれない。
僕はかつてここに通っていた。
…ということは、少なくとも30年以上の歴史があるという事だ。

当時、僕は決して優秀な生徒ではなかった。
成績がではなく「意気込み」がである。

読書は好きだった。
歴史も好きだった。
地理も好きだった。
理科も好きだった。
美術も、技術も好きだった。
しかし、算数は嫌いだった。
数式が無味乾燥に思えて、そこに何のドラマも見い出せず、
興味の対象外だったのだ。
そうした現状を打開すべく、僕は公文に行くよう命じられた。

学ぶのにタダではなかった。
学費の金額は覚えていないが、月末になると、
僕はいくばくかの現金が入った封筒を手にした。
…ここで「意気込みのない」僕は、その金を勉強以外に使った。

消えた先は、津幡町にあったショッピングセンター「スカール」。
ある時はゲームセンターのピンボールに費やし、
ある時は「十時屋」のソフトクリームになり、
また「寿がきや」のラーメンに化けたりした…。

少年にとって、豪遊は楽しい時間だったが、
正直、後ろめたい気持ちも払拭できなかった。
そのほろ苦い思い出は、今も変わらず心の襞の奥に隠れていて、
何かの拍子に顔を出し、大人になった僕の胸に軽いしこりを作る。
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津幡の謎の看板。

2010年12月16日 23時59分36秒 | 日記
散歩をしていると、時折、謎めいた景観に出くわす事がある。

例えば「今日の一枚」がそれ。
撮影場所は津幡町・加茂の住宅街の一角。
民家の敷地の中に、道路案内看板が突き出ていた。

向って左側が「川北大橋有料(道)」。
加賀の川北町に今でも存在する有料の橋…通称「100円橋」である。
向って右側が逆さになった「(門前)MONZEN」。
能登半島の日本海海側・外浦、いわゆる奥能登の入口の地名である。
どちらも津幡町からはかなり離れているため、
用事でもなければ、そうそう訪れる機会は少ない。

一体、どうやって運ばれてきたのだろう?
そもそも、何故、そんな看板があるのだろう?
…謎である。

そして、この看板もまた、首をひねりたくなるのだ。

自(転)車?
自(動)車?
自車???

散歩中の謎めいた遭遇である。
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A Shadow On The 津幡。

2010年12月15日 23時40分28秒 | 日記
分かっていたことだが、やはり北陸の冬は散歩に不向きだ。
12月も半ばを過ぎて、すっかり霙混じりの冷たい雨ばかり。
気温も上がらず、気の滅入る日々が続いている。

また、この辺り独特の冬の風物詩としては「雷」だ。
ぶ厚い雲が空を覆い、強い風が吹き始めれば、轟く雷鳴。走る稲光。

本来、雷は夏の季語なのだが、北陸は季節を超えて現れる。
以前、ラジオで『冬の雷が見られるのは、世界的に珍しい』
…と聞いたことがある。
北陸を含む日本列島の日本海側、北欧の一部、北米の五大湖の周辺くらいらしい。
ポジティブに考えれば、ここは貴重な土地なのかもしれない。

北陸では、雷のピークと冬の魚…ブリ漁のピークが重なることから、
この時期の雷を「鰤起こし」と呼ぶ。
また、大陸から南下してきた寒気の影響で鳴るため、
「雪起こし」とも呼ばれる。

騒がしい音と光が静まれば、次は白い雪の出番である。
しんしんと降る雪は、下界の音を吸収し、文字通りの静寂をもたらす。
こうなっては出歩く事は叶わない。
天気とケンカをしても勝ち目はないのだ。

早く晴れ間が訪れて欲しい。
「今日の一枚」のような、長い影を眺めながら散歩がしたい。
僕も犬も、そう祈るばかりである。
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