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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町教室のほろ苦い思い出。

2010年12月18日 23時17分23秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡小学校の近くにある「公文式 津幡町教室」の看板。

公文式のHPを見てみたところ、2010年現在で40近い教室があり、
散歩中にも度々看板を見かける。
しかし、こんな木製の、ある種「道場」を思わせる趣は、
ここ以外に記憶がない。
看板の上に鎮座する蛍光灯もカバーが茶色くなっていて、
時の流れを感じさせる。
おそらく「津幡町教室」の名前からして、この町での初開塾なのかもしれない。
僕はかつてここに通っていた。
…ということは、少なくとも30年以上の歴史があるという事だ。

当時、僕は決して優秀な生徒ではなかった。
成績がではなく「意気込み」がである。

読書は好きだった。
歴史も好きだった。
地理も好きだった。
理科も好きだった。
美術も、技術も好きだった。
しかし、算数は嫌いだった。
数式が無味乾燥に思えて、そこに何のドラマも見い出せず、
興味の対象外だったのだ。
そうした現状を打開すべく、僕は公文に行くよう命じられた。

学ぶのにタダではなかった。
学費の金額は覚えていないが、月末になると、
僕はいくばくかの現金が入った封筒を手にした。
…ここで「意気込みのない」僕は、その金を勉強以外に使った。

消えた先は、津幡町にあったショッピングセンター「スカール」。
ある時はゲームセンターのピンボールに費やし、
ある時は「十時屋」のソフトクリームになり、
また「寿がきや」のラーメンに化けたりした…。

少年にとって、豪遊は楽しい時間だったが、
正直、後ろめたい気持ちも払拭できなかった。
そのほろ苦い思い出は、今も変わらず心の襞の奥に隠れていて、
何かの拍子に顔を出し、大人になった僕の胸に軽いしこりを作る。
コメント
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