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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡の町木、冬支度。

2010年11月22日 23時31分13秒 | 日記
高度経済成長期に生まれ、バブル期に青春を送った世代にとって、
昨今の様相は何だか悪夢のよう。
僕の仕事も、景気低迷が影響してか例年にない忙しさ。
もちろん攻めではなく防戦一方である。
また、聞くところによると大変な就職氷河期だとか。
そして、現実の冬がすぐそこまで近づいてきた。

このブログを開設して間もなく200日。
風薫る初夏に始まり、記録的な猛暑を越して、駆け足の秋も早や終盤。
…事実「今日の一枚」、
津幡小学校の前庭に立つ松の木に「雪吊り」が施されている。

樹木の高さより、かなり上まで延びた心棒から、
等間隔で放射状に張られた縄は、なかなかバランスが美しい。
これなら風雪にも耐えられるだろう。
職人の技術によって形作られた一種の芸術である。
きのう、秋晴れの日中に散歩に出かけて
この冬の風物詩を見つけた時は、とても嬉しかった。
何故なら、僕が小学校に通っていた30数年前と同じ景観だから。

眺めているうちに色々と思い出が甦ってきた。

例えば、松葉を集めた記憶。
秋、常緑樹の松といえど葉を落とす。
拾い上げた細い葉は、ツンと鼻を突く松脂の匂いがした。

また「松ぼっくり」も拾った。
夏の間、青くて固かった松ぼっくりも、
すっかり乾いて黒ずんで、地面に落ちる。
その実を持ち上げてみると妙に軽くて乾いていたっけ。

ここで写生もした。
松の根元を囲んだ礎石に腰掛け、木を見上げた僕は、
まず画用紙の上に2Bの鉛筆で当たりをつけた。
水彩絵の具で画用紙に色をのせると、
黒い線が滲んで紙の繊維に吸い込まれていった。
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津幡の「宮殿」跡。

2010年11月21日 10時49分51秒 | 日記
「今日の一枚」…画面奥に写っているのは葬祭場「セレモニーつばた」。
狙ったのは、菊花と民家の間のスペースである。
かつて、僕がまだ小学校の低学年だった当時、ここには「宮殿」が建っていた。
名前は「パチンコ パレス」という。(パレス/palace=宮殿)

小さなパチンコ屋だった。
登校途中、朝はひっそりと静まりかえっていたパチンコ屋が、
午後、下校時間になると賑やかに変貌。
看板の電飾が輝き、玉が跳ねる音、台が発する効果音と共に、
勇ましい軍艦マーチが聞こえた。

中から大きな紙袋を抱え嬉しそうな顔をしたオジサンに出くわした事がある。
よっぽど機嫌が良かったのだろう。
袋の中からガーナチョコレートを取り出し、僕にくれた。
逆に、押し黙ったまま溜息を突き、ガラスのドアを開ける人もいた。
大人たちが独りでやってきて店内に吸い込まれていく。
入る時は、皆、概ね楽しそうだ。
それが出てくる時は悲喜交々。
子供心に、何だか妖しい所だなと思ったものである。

やがて、小学校高学年になると、いつの間にか「宮殿」は閉鎖されていた。
行進曲も喧噪も聞こえない。
出入り口には木の板が打ちつけられ、侵入を拒む意志がありありと見て取れる。
四角い建物の外、輝きを失った看板が掲げられたまま。
人気はなく、漂い始めたうらぶれた空気は、時間が経つにつれ濃密になっていく。
そして、ある秋にやって来た台風が大きなダメージを与えた。
看板の一部が壊れたのである。

看板は長方形で、横4~5メートル、縦1.5~2メートル程度あっただろうか。
黄色い電球がグルリと取り囲む中に、大きくカタカナで一文字づつ
「パチンコ パレス」と据え付けてあった。
台風によって、その「パチンコ」の文字から「パ」が欠落した。
…男子小学生の大好きな「下ネタ看板」になってしまったのだ。
小学校への行き帰り、僕達は「チンコ パレス」を見上げて笑った。

そんな場所も、もう跡形もなくなってしまった。
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煙たなびく、津幡の空に。

2010年11月20日 14時30分00秒 | 日記
『あんまり晴れてる 秋の空  赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
 淡(あは)い夕陽を 浴びながら  僕は野原に 立つてゐる
 遠くに工場の 煙突が  夕陽にかすんで みえてゐる
 大きな溜息 一つついて  僕は蹲(しやが)んで石を拾ふ
 その石くれの 冷たさが  漸く手中(しゆちゆう)で ぬくもると
 僕は放(ほか)して 今度は草を  夕陽を浴びてる 草を抜く
 抜かれた草は 土の上で  ほのかほのかに 萎(な)えてゆく
 遠くに工場の 煙突は  夕陽に霞(かす)んで みえてゐる』

若干30歳で世を去った近代詩人「中原中也」の作品…「蜻蛉に寄す」。
現在の津幡町は、もう赤トンボが飛ぶ時期は過ぎてしまった。
また、写真を撮影した時間も朝早くだし、煙突も工場のそれではないが、
「今日の一枚」…家電ショップの煙突からひっそりと秋空にたなびく煙を見ていたら、
ふと、この詩を思い出した。

最近は、薪ストーブのあるお宅は別にして、
煙突を備えた住宅にはあまりお目にかかれない。
また、環境への配慮が高まり、煙突の性能も向上したのだろう。
たまに見かける煙の勢いは、昔に比べて遠慮がちである。

昔、家庭で火を熾し、煮焚きをしていた頃、
煙を上げる煙突は、自然と目についた風景だった。
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パラレルワールド、津幡川。

2010年11月19日 11時00分31秒 | 自然
最近は、携帯電話でFMラジオを聴きながら散歩に出かける事が多い。
だが、イヤホンやヘッドホンは使わない。
孤独になるのが嫌だからだ。
耳を塞ぎ周囲の音を遮断すると、取り残されたような気分になる。
眼に映る景色が、とても非現実的に感じてしまうのだ。

何より、危ない。
背後から自動車・自転車・歩行者が接近してきても
気づかなくなってしまいがちだ。
だから、音量を抑えスピーカーに聞き耳を立てつつ歩く。これがいい。
久しぶりにスッキリ晴れた今朝もそうして歩いた。

ラジオでは、ちょうど天気予報の時間。
可愛らしい声の女性気象予報士が、気象動向を伝えた後
「お天気コラム」を始める。…その概要はこうだった。

『昨日、九州の○×■(地名は覚えていない)でも、紅葉が観測されました。
 季節が進んで気温が下がり、紅葉前線も南下中ですね。
 ところで、街中では美しい黄色の銀杏並木を見かけますが、
 どうして銀杏は街路樹になっていることが多いんでしょう?
 …それは、銀杏は水分を多く含んでいる樹なので、
 火事が起こったとき延焼を防いでくれると言われているからなんですね。
 火が迫ってきても、銀杏並木のところでブロックしてくれるんです。
 ま、だから、落ち葉を集めて、焼き芋などを焼くのに落ち葉焚きをする際、
 銀杏の葉は、水分が多いので向いていないようです。』

なるほど。
銀杏並木は外観だけでなく、生活の中で役目を負った景観なのか。
…と、納得しながら歩を進めていたら「今日の一枚」に出逢う。

画面中央、美しく色づいた銀杏の大木が、逆さになって川面に映る。
並びの家々も、秋晴れの空も切り取った鏡のような津幡川。
まるでもう一つの世界…一種のパラレルワールドのようだ。
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津幡の住宅街、変わったものと変わらないもの。

2010年11月18日 23時54分31秒 | 日記
今日は目まぐるしい一日だった。

晴れたかと思うと雨が落ち、雨が降ったかと思えば光が射す。
傘を閉じたり開いたりしているうちに夜になり、
亥の刻(夜10時)を過ぎた辺りから、霧が街を覆った。
コロコロと変わり続けるお天気では、散歩に出るのも空とにらめっこ。

卯の刻・六つ半(朝7時半)、晴れ間に恵まれた時を逃さず、
慌てて支度を整えて外に出たところ、
ちょうど「今日の一枚」と出くわし、思わずシャッターを切る。
濡れたアスファルトの上を津幡小学校へ向かう登校途中の女子たちだ。

写真を見ているうちに、改めて「道幅が狭いな」と認識。
子供が4人も並べばいっぱいになってしまう。
何しろ昭和39年に完成した住宅街なので、
自動車の通行を前提にしていない。

思えば、僕の子ども時代から同じだった。
だが違う点もある。
以前にも書いたとおり、昔は砂利道だった。
また、銀杏の手前に写るソテツらしき緑は、もっと小さかった。
家々の壁の色も、もっと鮮やかだった気がする。

そして、写真には写っていないが、
見覚えのある近所の人たちの顔には皺が増えた。
改めて「時の流れ」を感じる。
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