つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

侍たちの挽歌 其の弐。

2023年10月12日 23時44分44秒 | 旅行
                        
近代日本最大の内戦・戊辰戦争(ぼしんせんそう)ゆかりの地を訪ねる旅。
前回投稿の続篇。

東は磐梯山・猪苗代湖を含む奥羽山脈、西は越後山脈。
南は会津高原。北は飯豊山地に囲まれた、
南北34キロメートル、東西13キロメートルの縦長な楕円形の「会津盆地」。
その中核となる町が「会津若松」。
そこを象徴するのが「鶴ヶ城(会津若松城)」である。





城郭の屋根瓦は赤褐色の赤瓦。
現在、赤瓦を用いた天守閣は、国内ではここ鶴ヶ城だけだ。
17世紀の建造当初は西日本で発達した黒瓦が葺かれていたが、
北国・雪国ならではの低温や積雪に耐えられ、強度が高まるように、
鉄分を多く含む釉薬を用いた瓦が会津で開発され、それに代わる。



天守台の石垣は「野面(のづら)積み」。
鎌倉後期に始まる自然石をそのまま積み上げるやり方。
石の形状は均一性に乏しく、角度も緩やかだが地震などの影響を受けにくいという。

築城600年を超える鶴ヶ城では場所によって時代の違う積み方が混在し、
日本の城郭に於ける石垣の変遷を窺うことができる。



上掲画像中央、立ち木の左右を見比べると分かりやすいかもしれない。
関が原合戦以降盛んに用いられた手法が「打込み接ぎ(はぎ)」。
表面側の石の角や面を平たく加工して、隙間にくさびとなる薄い石を打ちこんだ。
江戸時代初期から多用されたのは「切込み接ぎ(はぎ)」。
方形に整形した石が密着させて仕上げ、急角度で高い石垣ができるようになった。

堅固な石垣と強い瓦で鎧(よろう)会津の城は、
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では激戦の舞台となる。
多い時は1日2500発もの砲撃を浴びたが、
1か月に及ぶ猛攻に耐え抜き、最期まで瓦解せず難攻不落の名城として知られた。



しかし、生身の人間はそうはいかない。
多くの血が流れ、数々の悲劇が生まれた。
最も有名なエピソードは「白虎隊(びゃっこたい)」である。



戦端が開く直前、会津藩は以下の組織編成を行った。

・白虎隊…16~17歳の武家男子で構成。予備隊。
・朱雀隊…18~35歳の武家男子で構成。主力となる実戦部隊。
・青龍隊…36~49歳の武家男子で構成。国境予備隊。
・玄武隊…50歳以上の武家男子で構成。予備隊。

それぞれの隊名の由来となっているのは、古代中国から伝わる守護神獣。
勇ましく、決死の心情が伝わるネーミングだが、戦力構成は苦しい。
精鋭は朱雀・青龍の2000名あまりのみ。
火器装備の性能は新政府軍に遠く及ばない。
戦況は会津劣勢に陥り、城下防衛に当たっていた予備隊も最前線に投入された。
そして敗走。
「白虎士中二番隊(びゃっこ しちゅうにばんたい)」は、
水路を這い、飯盛山(いいもりやま)へ落ち延びる。
そこは標高314メートルの小高い所で、市街が一望できた。



燃え盛る火炎に覆われた会津の町。
煙に遮られ御城の天守が見えない。
途切れない銃声、砲声が耳を打つ。
土砂降りが濡れた身体から体温を奪い、睡眠不足、疲労、空腹が重なる。
心が折れた。
『もはやこれまで---』
絶望した少年たちは自刃の道を選んだ。



飯盛山には、自刃した 16人とその前の戦闘で死んだ3人、
併せて19の墓石が並んでいる。



「白虎隊」に最前線出撃を命じた場所が「滝沢本陣」。
参勤交代や領内巡視で、殿様の休息所として使われたここに、
戊辰戦争の際は陣が敷かれた。
城下に侵入した新政府軍との交戦地にもなり、室内には多くの弾痕、刀傷が残る。
155年前の生々しい痕跡が戦いの激しさを物語っていた。





そして会津娘子隊(じょうしたい)である。

夫や父、兄弟の無念を晴らさんと武器を手にした女性たちは、志願兵。
中心人物が薙刀の名手「中野竹子(なかの たけこ)」。
会津と新潟を結ぶ越後街道の川に架かる橋の上で、
ついに仇敵と遭遇した「娘子隊」一行。
「竹子」も薙刀を血に染め奮闘するが、頭を撃たれ重傷を負った。
今わの際(きわ)妹に介錯を頼み、事切れたという。



彼女は薙刀の柄に次の一句を書いた短冊を括り付けていた。

『もののふの 猛き心にくらぶれば
   数にも入らぬ 我が身ながらも』


「会津娘子隊」と「白虎隊」。
正直、どちらもさほど戦功を挙げた訳ではない。
しかし、藩のために戦い、主君に忠義を尽くし命を散らした彼らは美化され、
一時期、軍国主義教育に利用されたのはよく知られるところである。
                
〈次回へ続く〉
          

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