つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

学びとふれあう広場の小径、紹介。

2016年12月03日 19時17分00秒 | 日記
今回は、前々回(11月20日)投稿の続編。
津幡銀座中央商店街中ほど、
「ふれあい広場」入口に設置された案内看板のガイドの一つ
「科学の小径」を取り上げたい。

これが全容。

津幡小学校前「ふれあい広場」を縦断する、およそ10メートルの短い径には、
幾つかの仕掛けが施してある。
例えば「日時計」。
『大きな数字は「月」。小さな数字は「日」を示しています。
 今日の月日の上に立って下さい。
 だ円形に並んでいる数字に映るみなさんの影が時刻を示しています。』
…との説明プレートに従って立ってみた。

ちなみに撮影時間は、午前8時半頃。
12月3日に合わせるには、もう数センチ下がるべきだったが、
影のラインから推測するに、大体合っている。
太陽を利用し時を計るのは、紀元前からの試み。
自然を観察・研究しうまく利用した、古代の「科学人工造作物」である。

他にも、酸素と水の分子構造を座面にしたベンチ。
目の錯覚を誘うトリックアート。
音が空気を伝導する事を教える伝声管。
シーソーを使った「てこの原理」などが見聞・体験できる。

また「科学の柱」と銘打ったコンクリート柱には、
偉大な先達たちの肖像と言葉を掲載してある。

『今日成し得るだけのことに全力を尽くせ。
 そうすれば明日は一段の進歩があろう。(アイザック・ニュートン)』
『前進あるのみだ。
 全力でやれるだけのことをやってみなさい。(トーマス・エジソン)』
『間違いを犯したことの無い人というのは、
 何も新しいことをしていない人のことだ。(アルベルト・アインシュタイン)』
『チャンスは、それに備えているモノに微笑むものだ。(マリア・キュリー)』

さて、ここで1つ整理しておこう。
そもそも「科学」って何だろう?
辞書で引くと概ねこうなる。
『一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。
 また、その成果としての体系的知識。
 研究対象によって幾つかに分類される。
 哲学・宗教・芸術などと区別して用いられ、
 広義には学・学問と同じ意味に(学問全体を指す)、
 狭義では自然科学だけを指すことがある。』

「科学の小径」には、物理にジャンル分けされる展示もある。
…となると、わが津幡町が標榜する「科学のまち」とは広義の意、
学問を追求しようという姿勢なのかもしれない。

近々イベントも開催。

入場無料「科学の祭典」は、一週間後だ。
興味がありご都合の許す方は、参加してみてはいかがだろうか。

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