つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

古(いにしえ)の芸能界。~ アメノウズメと白拍子。

2021年07月01日 08時08分08秒 | 手すさびにて候。
              
【音楽などに合わせてからだを動かす。】

「踊る」を辞書で引くと、そんな記述がある。
地球上に「生まれてから死ぬまで一度も踊ったことがない人」は、
誰一人いないのではないだろうか。
もちろん、僕もある。
但し50数年の人生における頻度は、きわめて低い。

踊る行為は誰でもできるが、踊りで娯楽を提供するとなれば話は別。
--- ここ日本での「芸能としての踊り」の起源は「天岩戸伝説」にあるらしい。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十七弾は「アメノウズメと白拍子」。



昔々その昔。
空の上に、高天原(たかまがはら)という神々の世界がありました。

太陽の神「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」は、
弟「須佐之男命(スサノオノミコト)」の度重なる暴れっぷりに業を煮やし、
「天の岩戸」という岩屋に隠れてしまいました。
世界は闇に閉ざされ、作物が育たなくなったり、病気になったり、
大変なことが次々と起こります。

困りはてた神々は一計を案じ、岩戸前でパーティーを開催。
座を盛り上げたのが、踊りの名手「天宇受売命(アメノウズメノミコト)」でした。

足でリズムを取りながら身をくねらせるうち、衣服ははだけ、
身体を覆うのは汗のベールだけ。
ホットでセクシーなダンスに触発された神々は、
手を叩いたり、笑ったり、歌を唄ったり。
やんやの喝采は岩戸の中にも伝わります。

「外は真っ暗で、皆、困っているはずなのに?」

不思議に思った「アマテラス」が外を覗き見た瞬間でした。
待ち構える「天手力男(タヂカラオ)」が、自慢の剛力でこじ開け、
光と平和が戻ってきました。

天岩戸伝説/りくすけ脚色


「アメノウズメ」を始祖とする黎明期の芸能は、神をもてなし楽しませるもの。
祭祀の一環、畏敬や感謝を込めた祈りの表現だったといわれる。
やがて、仏教と一緒に大陸由来の舞楽・雅楽などが伝わり、
既存の芸能と混じり合い、広まっていく。

時は流れ、平安時代に流行した一つが「今様歌(いまよううた)」。
主に七五四句でワンコーラス。
近代でも「荒城の月」や「蛍の光」「我は海の子」などに受け継がれる形式である。
今様とは今日風・現代風の意。
それまでとは一線を画する新しい歌謡芸能は、
「紫式部」や「清少納言」の随筆にも取り上げられた。

ここで登場するのが「白拍子(しらびょうし)」。

集団で各地を巡遊し、行く先々で芸を披露し糧を得る女子芸能ユニットだ。
また、占いや口寄せ(※)などを行う霊能者の側面もあったという。
頭には立烏帽子(たてえぼし)。
現代のカッターシャツのような水干(すいかん)をまとい、
緋袴をはき、刀を帯びて今様歌を歌い踊る。
蠱惑的な男装スタイルの「白拍子」は、平安のアイドルになった。

平清盛に寵愛された「妓王(ぎおう)」や「仏御前(ほとけごぜん)」。
源義経の愛妾「静御前(しずかごぜん)」。
後鳥羽上皇に仕えた「亀菊(かめぎく)」など、
歴史に名を残す白拍子も少なからず。

古今東西、人は芸能に熱を上げている。
何故だろう?
「芸能」と「本能」。
並べてみると、字面はよく似ている。

(※呼び寄せた生者/死者の霊に代わり意志を言葉で語ること。
  東北地方のイタコ、奄美 ・沖縄のユタなど)
          

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2 コメント

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りくすけさんへ (Unknown)
2021-07-01 23:05:52
こんばんは。

ギリシャ神話の神様もそうですが、古来の神様って人間以上に人間臭いものですね。りくすけさんのブログを拝読、あらためて感じました。

その辺が、多神教の神々と一神教の神の違いなのでしょうか。クリスチャンの僕には、多神教の神様たちには馴染めませんね。

では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-07-01 23:49:33
コメントありがとうございます。

感じ入る対象は、それぞれ。
今回は信仰ではなく「芸能」について、
絵を描き、文を書いてみました。

これに懲りず、
また付き合ってやって下さいませ。

では、また。
返信する

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