つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ボレロ誕生。~ イダ・ルビンシュタイン。

2021年05月29日 22時33分33秒 | 手すさびにて候。
            
「英語は世界共通語」だと言われる。
英語を母国語とする人、または、英語を第二言語とする人は5億人に達する。
--- 確かに多い。
しかし、僕のように不得手な人からすると「共通」の現実感は乏しい。

言葉の通じない者同士が、何らかの意思疎通する方法の1つは、
やはり音楽ではないだろうか。
たとえ日本語が理解できなくても、津軽三味線の哀切、祭囃子が持つ楽しさは伝わる。
たとえロシア語が分からなくても、ロシア民謡の叙情性は感じられるし、
はじめて英語に接したとしても、ブルースが秘めた悲哀は窺い知れる。

もう一つ、舞踊(ダンス)も然り。
そもそも肉体で喜怒哀楽を表現するため、言語を必要としない。
ベリーダンス、フラメンコ、タンゴ、ケチャ、ハカ、神楽舞、阿波踊り 等々--- 。
それらは、必ずと言っていいほど音楽と共にある。
音楽とダンスは、人種の別なく、有史以前から受け継がれてきた共通の要素だ。

前々回は、バレエ音楽「ボレロ」から着想を得て昭和の事件を取り上げたが、
今回はその曲の誕生に目を向け、耳を傾けてみたい。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十三弾は「イダ・ルビンシュタイン」。



同じリズムとメロディを繰り返しながら、楽器がバトンを渡すように旋律を受け継いでゆき、
やがて重なり合って高揚し、全てが一体となり、まるで爆発するかのように終曲。
構成は単純明快ながら、聴感は極めて豊かな作品--- 「ボレロ」。

スコアを書いたのは「モーリス・ラヴェル」。
“オーケストレーションの天才” あるいは“管弦楽の魔術師”と呼ばれる作曲家の故郷は、
イベリア半島の付け根・バスク地方。
スペインとフランスの国境をまたぐ一帯は、両者の影響を受けつつ育んだ独自の文化を持つ。
1875年、フランス・バスクに生まれた「ラヴェル」もまた、
スペインの香りを愛し、自らの作品に取り込む。
その白眉が「ボレロ」。
3拍子のリズムで叩くカスタネットとギターによる民族舞曲を、
オーケストラで演奏しようという野心作だ。

彼に曲の制作を依頼した人物は、「イダ・ルビンシュタイン」という。

1885年、ロシア・サンクトペテルブルクのユダヤ系の家庭に生まれ、
ダンスをやり始めたのは20歳の時。
テクニックは稚拙だったが、美しさと天性の演技力を持ち合わせていたお陰で、
バレエ史に名を残す劇団に採用された。
同団、初のパリ公演最終日の演目『クレオパトラ』で主役を張り、
薄物(ベール)を1枚ずつ脱いでゆき、一糸まとわぬ姿になるパフォーマンスを披露。
パリにセンセーションを巻き起こした。

客席に陣取るのは、詩人「ジャン・コクトー」、デザイナー「ココ・シャネル」、
小説家「プルースト」、天才「パブロ・ピカソ」ら著名人たち。
皆スポットライトの下のプリマドンナが、いかに艶っぽかったかを語りあったという。

痩身にして長身、スラリと伸びた手足。
引き締まった身体は、贅肉がなく、厚みと曲線美には欠ける。
大きな瞳も、ウェーブがかかった髪も、濡れたような黒で、肌の白さを引きたてた。
性別不詳のようにも見える印象そのまま、私生活ではバイセクシャルだったという。
ミステリアスで、どこか倒錯的な美女を称える者は後を絶たず、
多くの画家からモデルの依頼が舞い込み、社交界の名士たちから声がかかった。
--- 文字通り時代の寵児になった「イダ・ルビンシュタイン」は、自身のバレエ団を設立。
「ラヴェル」に制作を依頼したのは、このころである。

1928年、「ボレロ」はパリ・オペラ座にて初演を迎えた。
作品の舞台はスペインの小さな酒場。
その片隅で「イダ」扮する一人の踊り子がゆっくりと躍り始める。
曲の盛り上がりに合わせ、次第に熱を帯びるダンス。
酒場に居合わせた人々も引き込まれ、クライマックスは全員の群舞へと発展。
そして、訪れる突然の幕切れ。
観客は拍手喝采を惜しまなかった。

Boléro- Ravel/Béjart- Maïa Plissetskaïa /1974 (Complet 20 min)

     

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2 コメント

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りくすけさんへ (Zhen)
2021-05-30 14:52:31
こんにちは

言語に「共通」を感じられないのは、言語が脳を通して、心に到達するからじゃないでしょうか。
一方、音楽やダンスは、心にダイレクトにアクセスするものですから人類共通なんだと思います。

だからと言って、文学より音楽が、上だとかとは思いませんが。

今後とも、勉強させてください。宜しくお願い致します。
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Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-05-30 17:03:45
コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり「考える」のではなく、
「感じられる」からこその共通性。
真面目なハナシ、セックスアピールも、
スポーツもその1つだと思います。

ですが、それらをより理解する為には、
より深く意思疎通を行うには、
言語が必要不可欠。
「人間は考える葦である」ですね。

文学と音楽の間に優劣はなく、
単に訴え方の違う手法だと思います。

では、また。
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