つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町・加賀から江戸へ、夢を託したおやど橋。

2011年04月29日 22時47分19秒 | 日記
黄金週間である。
石川県内で「他県ナンバー」を見かけるようになった。
姫路、京都、多摩、飛騨など、僕が目撃しただけでも10種類はくだらない。
自家用車・単車だけではない。
JR、飛行機、バスなど、様々な手段と文明の利器を駆使して、
色んな地域から、多くの旅行者がやって来るだろう。

しかし、エンジンのなかった頃はそうは手軽にいかない。
人は自らの足で歩き、時間と労力と財力を費やして旅をした。
天下に泰平が訪れ、五街道をはじめインフラが整った江戸時代。
旅とはレジャーに留まらない、一大イベントであった。
特に、世界でもインカ帝国の他は類を見ない「参勤交代」。
加賀藩のそれは、数千人が移動し、
片道・数億円余りを費したグレートジャーニー。
それはそれは大変なものだったであろうと察する。

「今日の一枚」は、
そんな江戸期の津幡町を偲ぶお菓子…「おやど煎餅」である。
典型的な甘食煎餅だ。

大名行列の到着を周囲に知らせる毛槍を持った「髭奴」と
橋の欄干が描かれ、何やら唄らしき言葉が踊る。
『桜ちらちら 毛ヤリが踊る
 江戸へいき来れ おやど橋
 ホイトコ オヤンサ ヤットコセ
 トコ おやど橋』
ちょうど今頃…春の終わりから初夏にかけてが参勤交代の実施時期。
金沢を立った前田家の行列は、唄のように津幡を通り、
江戸までの長い道のりを進んでいったのだろう。

津幡は参勤交代の際の第一の宿。
殿様と側近には立派な本陣・脇本陣が用意され、
その他の供人たちは町家に分宿した。
津幡宿はさぞ賑わった事だろう。

それから400年余りが経った2011年の初夏。
 
津幡町とおやど橋の上には静かな時間が流れている。
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