つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

褪せない輝き。~夏目雅子。

2016年06月18日 18時01分28秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載第五弾は「夏目雅子」さん。

僕が、初めてその存在を知ったのは、
昭和52年(1977年)の「カネボウ化粧品」のCMだと思う。
同じカテゴリーの前回投稿で取り上げた通り、当時は小麦色が夏の代名詞。
彼女のビジュアルも、典型的なサーファースタイルだった。
よく焼けた肌、ブルーのアイシャドー、パールオレンジのリップ。
青い空と海を背景に、ビキニのブラを外して横たわり、
大きく両手を振って砂浜を走る。
“OH!クッキーフェイス!”のキャッチと共に、
大胆で、躍動的な印象を与えた。

ところが翌年、今度は「西遊記」の「玄奘三蔵」として、ブラウン管に登場!
全身をすっぽりと法衣に包み、白馬に跨って、
三人の弟子(三匹の妖怪?)を引き連れ、
「ゴダイゴ」の歌と共に砂漠を越え、唐の都から天竺へと向かうのである。

女優が男性を、しかも、僧侶を演じる配役に驚き、
更に、その可憐さ、美しさに2度ビックリ。
また、女性のスキンヘッドが意外にセクシーだと気付いて激しく狼狽。
『こんな坊さんいねーよ!…でも、いたらいいな。』
心を千々に乱しながら、毎回、片時も目を離す事が出来なかった。

「夏目雅子」の活躍は「西遊記」以降も続く。
@二百三高地(1980年公開)。
@鬼龍院花子の生涯(1982年公開)。
@時代屋の女房(1983年公開)。
@南極物語(1985年公開)。
@魚影の群れ(1983年公開)。
@瀬戸内少年野球団(1984年公開)。

数々の映画作品でスクリーンを彩ってきたが、幕引きは突然だった。
急性骨髄性白血病を発症し、昭和60年(1985年)9月11日、他界。
わずか27年の生涯、たった10年の女優生活だった。

闘病中、抗がん剤の副作用で抜ける髪を心配する母にこう言ったそうだ。
「私、西遊記で以前に坊主頭を演じたこともあるし、坊主頭はけっこう似合うの」。
美しい人の心は、やはり美しく、強く、優しかった。
彼女の姿は、作品の中に遺り、今も褪せない。

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