つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

電波は時空を超えて。

2024年08月06日 08時45分45秒 | これは昭和と言えるだろう。
                        
津幡ふるさと歴史館「れきしる」に於いて、企画展「あこがれの電化製品」が始まった。



<電化製品は明治時代の末期に登場しましたが、
 高価であったため家庭で使用されるものは少なかったようです。
 家庭への電化製品の普及が一般化した昭和30年頃から
 日常生活の中に深くかかわってきました。
 戦後の高度成長期を象徴する電化製品ですが、
 それまで電灯やラジオなど限られた物しかなかった人々の生活様式は大きく変わり、
 昭和30年代には「三種の神器」(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)があこがれの製品として、
 急速に広まりました。
 昭和40年代になると「3C」(カラーテレビ・クーラー・自動車)が
 あこがれの対象となりました。
 これらの時代の電化製品は高価で月賦で購入する人もいたようですが、
 それ以上に手に入れられる喜びが大きかったのです。
 サラリーマンの平均年収は、昭和25年の12.2万円から経済成長に伴い徐々に上がり、
 昭和35年には30.1万円、昭和46年には101.3万円となり、
 100万円を超えたのです。
 そして、その後も急激に年収が伸び、平成9年の年収は500万円を超えるまでになりました。
 今回の展示では、以前に開催した「なつかしい家電」での展示品に加え、
 時代背景と共に昭和時代を彩る製品から平成時代に至る電化製品を紹介します。>

※<   >内企画展リーフレットより引用、原文ママ
赤文字下線箇所、リンクあり

確かに手元にある印刷物には、電化製品の写真とその時代背景を時系列に沿って記載。
移り変わりの様子が分かりやすく、興味深く鑑賞できる。
物言わぬはずの道具が、雄弁に語りかけてくれるようだ。
企画展の詳細は、是非、れきしるに足を運んでご覧いただきたいと思う。
今投稿では、3つの展示品を取り上げ、個人的な記憶と思い出を書いてみたい。





日本国内に於いて家庭にテレビが普及し始めたのは、昭和30年代。
僕が幼かった頃、生家のテレビは白黒だった。
上掲画像のように木箱に収められ、うやうやしい趣き。
現在の薄い構造のモニターとは違い、奥行きの長いブラウン管である。
やや高い位置に据え置かれ、ずい分目線を上げて見ていた気がするのは、
自身の背丈が低かったからかもしれない。
チャンネルは3つ。
NHK、NHK教育、MRO(北陸放送/TBS系列)だ。
番組の記憶は朧気。
「どろろ」「ゲゲゲの鬼太郎」「オバケのQ太郎」「ウルトラQ」。
人形劇「ひょっこりひょうたん島」といったところが印象に残る。
日本国内に於いてテレビが普及し始めたのは、1959年~1961年にかけて。
設置率9割を超えたのは、昭和40年(1965年)と言われる。
つまり、僕が生まれた頃だ。



生家に於いてテレビのカラー映像が常態になったのはいつだったか?
明確には覚えていないが、1970年代初期だと思う。

導入間もない当時、心に残る旧い映像の1つは「あさま山荘事件」。
昭和47年(1972年)2月、長野県・軽井沢町にある河合楽器保養所に、
連合赤軍が人質をとって立てこもり警察と銃撃戦を繰り広げた。
突入作戦時、NHKと民放各社が犯人連行まで生中継。
全局の視聴率を足すと、89.7%。
ほゞ国中が見ていたと言っていいだろう。
お茶の間のテレビが報道のど真ん中いたのは、今や昔日の感がある。

もう1つ「オリンピック・モントリオール大会」も忘れ難い。
特に女子体操史上初の10点満点には目を奪われた。
ブラウン管の中で力強く跳び、美しく舞う“白い妖精”。
鉄のカーテンに閉ざされた国・ルーマニアのミステリアスな美少女、
「ナディア・コマネチ」に恋をしたのである。



カセットテープレコーダーにラジオチューナー。
アンプとスピーカーを備えたオールインワン音響機器。
ラジオカセットレコーダー、略称「ラジカセ」である。
この決して大きくない機械は、僕に世界への目を開いてくれた。

日本海側は電波の伸びがよくなる夜間を中心に、海外からAM波が届く。
チューナーのダイヤルを回していると、
半島から、大陸から、ソ連極東からの放送を受信できた。
もちろん何を言っているのかはさっぱり分からないが、
しばし耳を傾け、まだ見ぬ異国を思い浮かべるひと時が好きだった。

そして、時折それらが発信する「日本語放送」にもチューンイン。
ちょうどこんな時期の事---『こちらは北京放送・中国国際放送局です』と
アナウンスが聴こえた時はコーフンした。
その番組内容は忘れてしまったが“夏らしい音”を聞かせる一幕はよく覚えている。

ポンッ!(瓶ビールの王冠を抜く音)
トクトクトク、シュワシュワ~(コップに注ぎ泡立つ音)

たっぷりとエコーを利かせて納涼感を演出する様子は実に微笑ましい。
1000km余り彼方ではためく五星紅旗の向う側が透けて見え、
僕たちと変わらない“人の顔”が見えた気がした。



「れきしる」企画展「あこがれの電化製品」は10月6日(日)まで開催。
大正時代の扇風機をはじめ、昭和30年代から40年代のものを中心に、
平成までの新旧様々な電化製品が並んでいる。
お隣では民俗資料展示「夏のくらし」も併催。
機会と時間が許せば、足を運んでみてはいかがだろうか。
                           
コメント (2)
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