怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

話を聞かない高齢者

2017年02月27日 | カテゴリー分けするのに飽き
家庭と学校では違う言語を使って育った、あるいは現在育っている人が多いドイツ。
そうした教育についての講演会があった。
私は興味が無かったのだけれど、近所の中国人に誘われたんだ。彼女の配偶者はドイツ人。
二人の娘をドイツ語と中国語を操るバイリンガルにしたがっているようだが、現在のところ(7歳と3歳)難航しているらしい。
お母さんが中国語で話しかけて理解はしているけれど返事はドイツ語になってしまう。
「中国語を聞き取っているのだから、まだ可能性はあるではないですか」と私はいつも慰めている。

講演を聴きに来た人たちは、そうした国際結婚の人たち、一家で外国から移住してきた人たちのようだった。
アジア人は4人だけ。彼女と私、そして、もう二人いた。彼女らはすぐに我々に話しかけてきた。
いずれも、ここで教師や秘書として働いている中国人だった。中国人は比較的すぐ初対面の中国人と親しくなる印象だが、どうだろう?
私たち四人は並んで席に座った。

市立図書館の蔵書が展示されていた。
中国語の絵本はたくさんあったのに、日本語はたった一冊だけだったのが印象的。

義父の母語はポーランド語だ。
ところが、夫も義姉もポーランド語を一言も知らない。
義両親たちはバイリンガル教育を初めから放棄していたのだろう。母語、と言われるのは、主に母親から子供に伝えられる言葉というニュアンスがあるのだろう。
自身の子供三人を立派なバイリンガル(彼らは英語もできる)に育てたポーランド人女性が私の夫に「お父さんからはなかなか学べないのよね」と言っていたことを思い出す。

私たち夫婦に子供がいたとしたら、おそらく、義両親たちは日本語を教えることに大反対しただろう。
こんな講演会にまったく興味を示さないだろう。
私が何を言っても、聴く耳を持たなかっただろう、持たないだろう。(現在進行形っ)

義母は今日も「昼は何にする、午後のケーキは何にする?」と尋ねてきたが、私が意見を言っても「それはああだからだめ、こうだからだめ」と反対する。
まれに何気に言った一言が、数日後に実現したりするけれど、それは例外。

あれれ・・・話が脱線。

昔、通訳になりたいという19歳のロシア人女性がホームステイしていたそうな。
彼女はひと月でドイツ語がペラペラになり、その後二年間を楽しく義両親と過ごしたらしい。
私が来た当初、義両親たちはそれが再現されると期待をしていたのだ。語学にもセンスがあまりない私は見事に彼らの期待を裏切った。
義両親たちは、その後、私のアジア人知人友人を観察して、皆、そのロシア人女性のようにペラペラでない傾向にあるのを認めざるを得なかったようだ。
ロシア語母語とアジア各国語母語では、ドイツ語習得の速さに違いがでる。(もちろん、例外は数知れず)
逆に、日本語習得でもどちらかというと、日本に近い国の言語母語の人たちの方が速く習得する傾向に感じる。(これも例外はたくさんあるだろう)
以前、こういった内容を私が説明したのだけれど、義母は真っ向から反対したものだ。「ロシア語もドイツ語とは全く違う言語ですっ」
今じゃあ、私の言ったことを私に説いている。
義両親説得には数年かかる。