リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

9. 今から警察に行く!

2015年06月03日 | 旅行

旅行記 No.7

 個人旅行の怖さ その1 スリに狙われた夫

 この2000年の旅行は、1999年に引き続き、自分たちで回りたいところを組んで回った2度目の個人旅行でした。いろいろなツァーのコースはほぼ似たような所を回ります。まぁそれがポピュラーなのでしょう。私たちも行きたい都市をピックアップして順番に並べてみたら、ほとんどツァーと同じようになりました。ただ多少ゆっくり計画できるところが個人旅行の良さ。一般的には10日前後でまわるツァーが多いのですが、ユーレイルパスを使って好きな都市にはちょっと長く滞在して…と組んでみました。またせっかくお金をかけ、長時間のフライトを辛抱してやってきた国に、できる限り長く滞在していたいのは当然の願いです。そういう思いから、ここ数年は3週間ぐらいの旅をするようになっていました。この年も3週間の予定でベルリン→ドレスデン→プラハ→ブタペスト→ウィーン→ヴュルツブルク→ローテンブルク→デンハーグ→デルフト→アムステルダムと回ることにしました。

 さて、予定を組んでみてから気がついたのです。私は中学生の頃にはウィーン少年合唱団の大ファンでしたから、彼らの歌声を生で聞けるものなら聞きたいと思っていました。彼らも夏休みかなと思っていたのですが、「夏休みでも残ったグループが日曜日のミサでは天使の歌声を聞かせてくれる」というような記事を何かで読んだのです。(実際は聞けませんでしたけれど。)ところがウィーンに着くのは土曜日、ブダペストが日曜日になってしまいました。ウィーンとその後回ろうと思っていたブタペストを入れ替えるとちょうどうまくいきます。いずれもチェコのプラハからは三角形のような場所に位置します。私としては単純に入れ替えただけだったのですが、これがとんでもない大騒動を引き起こしてしまったのです。

 ドレスデン、プラハと、美しい町を堪能し、プラハから8:37の列車に乗るときのことでした。まだEUに入っていないスロヴァキアの列車にはユーレイルパスが使えないと思い、切符売り場に並びました。刻々と発車時間が迫るのに列はなかなか進みません。仕方なく夫と私は隣同士の列に別れて並びました。こういうときに3人いると一人荷物番ができるので動きが楽です。娘がホームで荷物を見てくれています。何とか時間に間に合うように切符を買い、娘の待つホームに向かったときに、どうも夫の様子がおかしいのです。青ざめた顔でポケットやらデイパックを探し回ってから言いました。
「やっぱりやられた!」
ジーンズの後ろポッケに財布を入れておいてすられたようです。そんなところに入れておくと危ないと何回言っても「平気、平気」と受け付けなかった我が夫。おまけに「せめて誕生日の暗証番号は変えて」といっても「平気、平気」とあしらっていた彼は、いまやようやくその重大さに気づいたのです。盗まれた財布には現金、私と夫のカードが1枚ずつ、夫の免許証と身分証明書もちゃんと一緒に入れてあったのですから。しかし朝のこの時間に警察に行っていたら今日の予定は流れてしまいます。とにかく日本のカード会社に電話をしてストップをかけてもらうしかありません。でも悪いことは重なるものですね。1年前までは几帳面に持って歩いていた盗難にあったときの電話番号を、2000年はメモしてきていないことに気づきました。カードが使われてしまったらどうしよう…。大きな心配で胃に穴が開きそうでした。幸い息子が日本に残っているので、とにかく少しでも早く息子に連絡をして被害を食い止めるしかないという結論に達したのでした。


個人旅行の怖さ その2 今から警察に行く!

 こんな重たい気持ちをかかえながらも旅は続きます。列車はスロヴァキアとの国境の手前に止まりました。(念のため、この旅は2000年の話です。スロヴァキアはまだEUに入っていませんでした。)チェコの警官が入ってきてパスポートをチェック。すんなりOKでした。一駅走ってスロヴァキアに入り、再びパスポートの提示を求められました。浅はかなことに私は通り過ぎるだけならビザは必要ないと思いこんでいましたから、若くてハンサムなその警官が怪訝な顔をして3人分のパスポートを集め、
「今から警察に行く! 荷物を持ってすぐに下りなさい。」
と言ったときには、似せ警官かもしれないと思って大声で、
「パスポートを返してください!」
と叫んでしまいました。
すると彼は、
「あなた方はビザを持っていないから、今から警察に行く。」
と言うばかり。頭にあるったけの英語で「助けてください!」「彼がパスポートを返してくれないんです!!」とまわりにも応援を求めると、警官は気分を害したのでしょう、パスポートを持ったままさっさと出て行ってしまうのです。娘に「トランクを見ていてね」と言い置いて警官を追いかけると、夫と数人の助っ人がすぐにかけつけてくれました。一人の女性は英語の本を私に見せ、
「ほら、スロヴァキアは通り抜けるだけでもビザが必要だと書いてあるでしょう?」
と教えてくれるし、別の若者が怒る警官をまぁ、まぁとなだめてくれています。私がミスをしていたのだとわかるまでそんなに時間はかかりませんでした。これは謝るしかありません。私は慌ててその警官に頭を下げながら「ごめんなさい」と心を込めて謝りました。
すると、さすがにその警官もわかってくれたようで、
「一駅前に戻ってブタペストにいけば見逃してあげよう。」
と言ったかどうかわかりませんが、態度と顔つきがそんな感じで柔らかくなりました。夫と私はほっとして座席に戻り、荷物を持って列車を降りました。列車内にいた人々にも謝りました。そのあと我ながら図々しいとあきれることろなのですが、線路に下りてから、その警官に、
「ではどこまで行ってどう回ったらいいのか教えて頂けませんか。」
と、メモを書いてもらったのです。娘と夫もトランクを持って下りて待っていたのですが、あまりの出来事に目がウルウルしていた娘は、何とその警官とのやりとりをこっそり写真に写していました。恐ろしさからか、興奮からか、ピントはずれていましたが…。これにはびっくり。母娘ともたいしたものです。

 ※このときの写真を探してみましたが、あいにくアルバムには入れてありませんでした。

 こうして1日のうちに2回も大変な目に遭い、もうぐったり。ウィーンへの迂回の列車はなかなか来ないし、宿に連絡したくても電話もないし、疲れたってレストランもなければ、喉が渇いても日本のように自動販売機があるわけでもないのですから…。
 夜10時半頃、ようやくブタペストのホテルに着くまでに小さな苦労をどれだけくぐりぬけなくてはならなかったことか…。全部書いているととんでもなく長くなるので、この辺で止めておくことにします。
 なにはともあれ、ホテルの電話で息子にカード2枚の件を頼んだら快く「わかった」と返事をもらい、肩の荷が下りた気がしました。
 翌日、息子に確認の電話を入れたら、まだどちらのカードも不正使用はされていないことがわかりました。これでようやく旅の続きを楽しむことができるようになったのでした。

でも、個人旅行の楽しさ 思いがけないプレゼント!                                           

  このブダペストには、ホーソー駅の近くに大きな博物館が二つ、隣り合わせに立っていました。まずは開館直後の西洋美術館です。エジプトのミイラやクラナッハの作品が多く展示されていました。ちょっと疲れてカフェに入り、次の美術館に行こうかと立ち上がったとき、ふと隣の部屋が気になりました。そこに彫刻が見えたのです。私が、
「あれ? あの部屋見たっけ?」
と言うと、夫も娘もまだだったというので、ちょっと寄っていくことにしました。
「リーメンシュナイダーの作品があったりしてね。」
と軽口を叩きながら入ると、何と本当に聖母子像があったのです! 着色されてはいましたが、リーメンシュナイダーの作品です!! ここのところの嫌な体験がすっとびました。あわてて娘が持っていたカメラで写してもらいました。(ここにはオリジナルは載せられないのでコピーとして元の教会に戻された聖母子像の写真を載せておきます。)

                                                                 

                                                                   <作品写真20> シュバインツドルフの聖母子像

                                               Schweinsdorfer Madonna, Evang.-Luth. Kirche, Schweinsdorf

                                                                                                                  Kopie von der Madonna auf der Mondsichel in Budapest

                                                                                                                          Tilman Riemenschneider   1510-1520

                                            

     帰国してから『リーメンシュナイダーの世界』(恒文社)を書かれた植田重雄氏にもこの写真をお送りしてみました。すると、
「この聖母子像のことは全く知りませんでした。小生も一度見てみたいものです。」
というお返事が届きました。

 ツアーではない個人旅行だからこその喜びと怖さをたっぷり味わった2000年の旅でした。

 次回は、この間の留学について、また、2000年の旅の続きで、ブダペストから回ったヴュルツブルクの旅の様子を載せます。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA


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