リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

314. 17回目のドイツ旅行(42) ザルツブルクからインスブルックへ

2023年02月25日 | 旅行

▶今日はインスブルックへの移動日。



インスブルック、宮廷教会(美術館・博物館㉘)「Elisabeth von Gärz-Tirol」
  Leonhard Magt 作  Sesselschreiberとその工房鋳造 1516年(写真:緑)

 

▶今日からインスブルックに3泊します。

 今日の目的はインスブルックのチロル州立博物館フェルディナンデウムで
  9)ミヒャエル・パッハーの祭壇画「聖ラウレンティウス教会」の部分を見ること
  10)エラスムス・グラッサーの「祈る10人のシスター」を見ること
でした。


◆2022年10月13日(木曜日)8656歩
 朝起きると、三津夫が「昨日は暑くて気分が悪くなっちゃって…。ソファーに移ってみたりしたけど全然眠れなかったよ」と疲れた顔で言います。私は眠れないほどではありませんでしたが、確かに暑めではあったので、部屋が暑すぎて温度調整ができなかったのだと考えて調べたらお風呂場の前の壁にエアコンのスイッチがあるのがわかりました。「今度から暑かったり寒かったりしたときはこれで調節するといいのよ」「そうか、気が付かなかった」と話しながら朝食を食べました。

 8時56分発の RJX に乗ってからも三津夫はずっと眠っています。相当疲れているようです。2時間弱でインスブルック駅に到着。ホテルがどの方向か確認するまでトランク番をして待っていてもらいました。今日は Ibis ホテルなので駅に直結しているはずなのですが、位置がわかりにくくてようやく見つけられました。受付でトランクを預け、三津夫にはソファーで待っていてもらい、私はオーストリアに来てから書きためていた絵はがきを出したくて切手を買いに出ました。今回は古い『地球の歩き方』(オーストリア版)を持って来ていたため、駅から500mほど歩いたところにあるはずの郵便局はすでに無く、歩いて戻ってきたらなんとホテルの真ん前に大きな郵便局があったのでした。ほんの少し角度が違って全然気がつきませんでした。ここでやっと葉書を出すことができました。

 ホテルに戻ってから二人で町へ。通りから見える景色はやはりひと味違って山の近くだと感じます(写真・上)。三津夫はまだ足取りが重い感じです。最初にお昼を食べにパン屋さんに入り、シュニッツェルサンドを取ったのですが、食欲が湧かないようでほんの少ししか食べませんでした。何だか心配です。

 その後、今日の第一の目的、チロル州立博物館フェルディナンデウム(美術館・博物館㉘)に入館しました。これがガッカリだったのです。館内修復中とかで、0階と3階しか鑑賞できず、そこには私たちが見たかった後期ゴシック彫刻はなかったのでした。しかも三津夫の疲れもますますひどくなって足取りの重いこと。残念だったけど帰ろうと歩き出して、私は「この人がこんなにゆっくり重い足取りで歩く姿を見たことがない」と危機感を持ちました。しかもどんどん小幅になっていくのです。今にも倒れてしまいそう。「熱でもあるんじゃないの?」とおでこを触ってみたら熱いのです。ホテルの部屋に戻って体温計を渡したら37度~38度台を行ったり来たり。「これはもしかしたらコロナ?」と不安になって2人で抗原検査をしてみました。以前一度試しにやっていたので検査の仕方はわかっていました。でも2人とも陰性の結果が出てまずはホッとしました。とりあえず熱が出たときに飲むと良いと言ってかかりつけの先生からいただいていたカロナールを1錠飲んでもらうとすぐに寝てしまいました。
 私は万が一彼が陽性となったらどうすれば良いのかと気になって、出国前に加入した旅行保険の文章を調べてみました。病院を探してくれたり緊急の場合は入院の手配をしてくれたりするのかと期待したのですが、どうもそういう項目は見当たらず、必要な場合には間に立って通訳をしてくれると書いてあったように思います(今、こう書きながら私の読み方が足りなかったのかと思い始めましたが、もう冊子を処分してしまって手許になく、確かめられません。もし違っているよという方は教えてください)。今日は取りあえず様子を見ていて病院に連絡する必要まではないだろうとは思いましたけれど、高いお金を払った割りにあまり頼りになりそうもないなという印象だけが残りました。

 夕方5時ごろ、ときどき目を覚ましながらも始終ウトウトしている三津夫が食べられそうなものを買い出しに行きました。こんな時は冷たくて喉ごしの良いプリントやゼリー、アイスクリームなどが良いのですが、なかなか程よいボリュームのものが見つかりません。仕方なくバニラアイスクリームの大カップ(日本のインスタントラーメンぐらいの)とバナナ、ミニトマト、ブドウを買って部屋に戻りました。この頃は部屋から駅まで最短コースで出るルートもわかってわりと楽でしたが、途中の階段なども食べ散らかした跡があったりして町の印象はあまり良くありませんでした。
 三津夫の目が覚めたときにアイスクリームを3分の一ほど食べ、少しテレビを付けたりし始めたのでホッとしましたが、冷蔵庫のないこの部屋でアイスクリームの残りは捨てるには忍びないので私が食べるしかなく、日本のように小さなカップが何で売られていないのだろうと恨めしく思いました。三津夫も「さっきの薬を飲んだら楽になった」というので8時ごろにもう1錠カロナールを飲んでもらい、私も念のため早くシャワーを浴びて床に就きました。


▶今日は動けるかしら?

◆2022年10月14日(金曜日)4271歩
    三津夫が少しでも元気になったら市内をゆっくり回ろうと思っていたのですが、朝はまだ38.6度あったので諦めました。7時ごろにバナナを1本食べ、皮をゴミ箱めがけて投げて「はずれた」と苦笑し、カロナールの3錠目を服用。8時ごろはまたすやすやと眠っていました。本来の計画では今日の目的は、
 11)宮廷教会にある28体のブロンズ彫刻を見ること
だったのですが、無理かもしれません。無理だったらこちらを明日に回して、元々明日に予定していた
 12)イタリアのシュテアツィングまで出かけてハンスムルチャーの「聖ウルスラと聖母子像」を見ること
という目的は次回の旅行に計画し直すしかないだろうと考えていました。

 私も昨夜は寝苦しい気がして心配でしたが、朝、熱を測ったら36度台だったのでホッとしました。このまま2人とも落ちつくことを祈ります。二度目に彼が目覚めたときにもう一度抗原検査をしてもらったところ、また陰性でした。やはり風邪だったのか疲れが出たのかと思えるようになりました。ところが私も何となく頭や肩が重い感じがし始めました。熱は36度台と37度台を行ったり来たり。それでも動くことはできたのでパンを買いに行って朝食を食べました。お昼頃になると三津夫も少し気分が良くなったようで「宮廷教会に行ってみようか」と言い出しました。それならと2人で出かけたのです。

 
▶宮廷教会の彫刻群は圧巻でした。

 いよいよ今回の旅でもマウホ作品の次に大きな目的だった宮廷教会(美術館・博物館㉙ ここは教会の建物の美術館と数えました)の彫刻群を見られます。28体の中にはファイト・シュトース、ハンス・ラインベルガー、そしてペーター・フィッシャー(父)が関わった作品があるとわかっていたので楽しみでした。私はある女性像が特に見たかったのです。それがトップの写真エリザベートです。パンフレットによると彼女の名前は Elisabeth von Gärz-Tirol (日本のウィキペディアでは「エリーザベト・フォン・ケルンテン・ゲルツ・ウント・ティロル」と書かれています)。1313年に没した彼女を彫刻したのはレオンハルト・マークト、鋳造したのは ギルク・ゼッセルシュライバーとその工房だそうです。何とも若々しく、気品のある王妃です。夫はアルブレヒト1世。




インスブルック、宮廷教会(美術館・博物館㉙)「Elisabeth von Gärz-Tirol」
  Leonhard Magt 作  Gilg Sesselschreiber とその工房鋳造 1516年
(上の2枚の写真:緑)






「Graf Albrecht Ⅳ. von Habsburg」  ハンス・ラインベルガー作 Godl 鋳造  1517/1518年


Theoderich, König der Ostgoten」 Artusmeister 作  ペーター・フィッシャー(父)鋳造  1513年


「Zimburgis von Masowien」  ファイト・シュトースとSesselschreiber 作・鋳造 1516年


インスブルック、宮廷教会 「皇帝マクシミリアンⅠ世の墓廟」 Ludovico del Duca 作  Hans Lendenstreich 鋳造
 (ここまでの6枚の写真:三津夫)

 この彫刻群はマクシミリアンⅠ世の墓廟を囲むように設計され作られたそうですが、皇帝には相当な借金があってインスブルックの滞在を拒否されていたとかで、ウィーナー・ノイシュタットの聖ゲオルク教会で母親エレオノーレのもとに埋葬されたそうです。ウィーナー・ノイシュタットに行った時にマクシミリアンⅠ世の墓碑を見た記憶がなく、もっと歴史を勉強してから行くべきだったと今頃反省しています。


▶今日は私が寝込みました。

 宮廷教会からの帰り道、今度は私の足が重くなり、頭も肩も痛いほどで参りました。28体の彫刻群を一眼レフカメラを高めに持ち上げて三脚無しで写すうちに腕もふるふると震え始めたので、その筋肉痛なのか、風邪の症状なのかわかりませんでした。辛うじて残っている体力で昼食兼夕食を買って帰り、ホテルに戻って体温を測ったところ37度台から38度台を行ったり来たり。ちょうど三津夫の後を追いかけるように同じ症状に悩まされました。加えて咳が出始め、喉が痛くて辛くなりました。私も1回目のカロナールを飲んで一眠り。夕方には37度台に落ち着いてホッとしました。今日は私が2度目の抗原検査、やはり陰性でした。この状態では明日も遠出は無理だと観念してゆっくり過ごすことにしました。

 こんな時に帰国時の手続きを見てみたらMy SOSは既に使えなくなっていました。これをインストールして入力するのに大変な時間と労力を費やしたのに腹立たしいことです。ただ三津夫が使っているタブレットは古く、インストールすらできませんでしたが。そして新たに厚労省が用意したアプリをインストールしようと試みたところ、メールアドレスのパスワードが「英大文字+小文字+数字+記号で10桁以上必要」だと受け付けてくれません。「そんな面倒なパスワードに今さら変えられるもんですか!」と腹が立ち、もう対面でやるしかないと投げ出しました。

 明日はゆっくり過ごして2人の体調を取り戻し、せめてフライブルクでは予定通りに動けたらと願います。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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