梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

いじめ

2015-09-02 03:42:57 | 日記
   昨日Facebook上に私が登校した文章です。いつもより反響がありました。

 「9月1日は、日本全国で毎年何人かの子供たちが自殺する日だ。理由?決まってるじゃないか。今日から大嫌いな学校が始まるからだ。
 私は教員として定年まで勤めを全うした人間だ。しかし、学校へは行きたい人間だけが行けば良い世の中ができたら、その方が良いと思っている。
 ジーちゃんに技を習いながら職人の道まっしぐらだっていいじゃないか。学校に行く代わりに父ちゃんと漁船に乗ったっていいじゃないか。
 いじめ殺されるよりその方がはるかに幸せな人生じゃないか。」

   いじめ問題については、さまざまな人が様々な意見を述べていますが、それぞれに正しく、しかしそれぞれに勝手なことを言ってるなあ・・・と感じています。「・・・・すべきだ。」というのは簡単なのですが、絶対にそうはならないという大前提があるのに、そんなことにはお構いなく、「・・・すべきだ。」というお題目を繰り返すばかりなのが、それで飯を食っている評論家たちの限界です。
   
   ところで、私立麻布中学・高校という学校があります。高校の部は現在でも私立男子校御三家のひとつであり、中学も、その偏差値は72、都内の中学校では第三位の優秀さを誇っています。その麻布中学をはるか昔に卒業した人が誇らしげに語ったという語録を見つけました。

   「私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけていて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓から投げるようなことをよくやっていました。脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。」

   こう語ったのは、麻布中学・高校→東大→大蔵省→環境省→参議院議員二期目という経歴を持つ中川雅治氏。スーパー・エリートですね。

   もう一人は、偏差値はわかりませんが、公立の小中学校から神奈川大学法学部へ進み、愛知県議を経て衆議院議員二期目の熊田裕通氏。こう語っています。

   「産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって(中略)・・・放課後先生がトイレ掃除の点検にやって来ました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを抑えて閉じ込めたんです。そして天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんです。はじめは開けなさいと命令していた先生も、そのうち開けてくださいとお願い調になり、最後は涙声で開けてー!と絶叫調に変わってきた。やったー!と快感でしたね。」

   このご両人、このエピソードを得意げに自分のホーム・ページに載せていたのだそうです。今年の8月、この内容が問題になり、あわててこの部分は削除してしまったそうなので、もう読むことはできませんが、いじめをする側の人間の意識というものがはっきりと読み取れるという意味で、貴重な書き込みでした。

   スーパー・エリート校だろうと、普通の公立だろうと、いじめをはたらく側の心理は共通していますね。自分より弱い人間をいじめて快感を味わう、これがいじめのすべてです。ただ楽しいからいじめるのです。とある高校の教頭先生は、子供のころ、両手両足をつかまれて、二階の窓から外に向かって放り投げられたと言っていました。雪国の冬のことなので、怪我はしなかったそうですが、地位のある大人になっても、その時の屈辱感は忘れていないということです。

   そして、いじめをはたらいた方は、義務教育の段階であれば、停学も退学もありませんから、厳しく口頭注意をされておしまい。やられた方は死ぬまで心の傷を抱えて生きていくことになるのに、なんとも不公平な話ではありませんか。
  
   いじめられるタイプは、なんとなく決まっていますね。多様な選択肢を持たない現代社会においては、いじめられことを前提に学校に通わなければならない子供たちがたくさんいます。人はさまざまです。私のようにいじられ続けても無事に生きて来た人間もいますが、いじめも度を越せば子供たちは死を選びます。しかし、いじめは過激にやればやるほど楽しいという側面があることもまた事実です。そして、いじめっ子がいつの日か心底改心することなどなさそうであることも・・・・・・。

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