雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

FMみっきいのラジオ番組に出演

2023-10-18 05:15:08 | 発想$感想

★ 昨日は7時から三木のFMみっきいのラジオ番組に出演してきた。
 FMみっきいは、三木市役所の建物の中にある、こんな放送局である。
 
 


  テーマは『粟生線の未来を考える市民の会』の
  発足当時の経緯などについて話して欲しいというご依頼だった。

  粟生線というのは神戸電鉄の支線で、
  三木を通って粟生まで行っているのだが、
  ちょっと旧い話だが、2011年ごろに経営難でその廃線が検討されたことがあったのである。


  


 その当時に、三木の市会議員の板東しょうごさんに誘われて、
 『粟生線を残す』ような運動を展開しようとお誘いを受けたのである。
 そんな会合に出席してその後の展開を考えたのだが、
 『残そう会』などにすると賛成する人も勿論いるが、
 逆に廃線賛成の方も出てくるので、
 『粟生線問題を考える会』ということでスタートしメンバーを集めることとして
 その会長に山本篤先生を推したのである。
 すぐに快諾して頂いたのだが、その時、ネーミングを
 『粟生線の未来を考える市民の会』と決められたのだが、
 昨夜はそのことをご本人はすっかり忘れておられたようだった。

★ そのFMみっきいの番組は、私がゲストで、こんなメンバーでスタートした。

 ジーン景虎さんが総合司会で、
 山本篤先生といい音楽@みきのリーダー小巻健さんが質問役で

 私がそれに答えるという30分番組だったのである。

  

  
★番組の間には私の推薦曲・石原裕次郎の『勇者たち』が流れたりした。

 
  

  『なぜこの曲を』というご質問もあったのだが、
  石原慎太郎が私の1つ上、裕次郎が一つ下で、
  私の大学時代のデビュウーなのだが、そんな同じ年代だったので、
  何となく推薦曲としたのである。
  
  
★ 何の予行演習もなく、ぶっつけ本番だったのだが、
 私は、こんなことには結構慣れていて、
 何の問題もなくあっという間の30分だったのである。

 話の中心は『粟生線の未来を考える市民の会』がどんな経緯でスタートしたのか、ということだったのだが、
 2011年当時の日記で一応は調べていたので、
 先ずは、間違いない話が出来て
 『バッチリでした』と言って頂いたのである。

 ほんとは板東しょうごさんがこの話の発起人なのだが、
 市会議員という立場なので、出演がムツカシイのかなと思ったりした。

 2011年当時は私も結構三木市のいろんなことに関わっていて、
 板東さんも、小巻さんもその頃の仲間だったし、井上省二さんなども顔をだされていた。

 『粟生線の未来を考える市民の会』の新年会が翌2012年の1月に
 開催されているのだが、こんな写真が残っている。


  


  15名のメンバーが集まるのだが、

 



  勿論、私も参加させていただいた。


 


 あれからもう10年以上の歳月が流れているのである。
 ブログも重宝で、こんな写真が直ぐに現れるのである。
 私にとってもなかなかいい30分だったのである。

★ところでこの放送、昨夜のうちに流れてしまったのかと思ったら
 放送は11月3日夜7時が本放送。
  再放送は11月5日の夕方5時だそうで、まだ先のことのようである。
 それなら私も聞けそうだから、その日に合せてもう一度アップすることにしたい。
 FMみっきい、どの地域まで聞けるのだろうか?

 三木周辺の方は是非お聞きになってみて下さい。


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