《 2018・1・18 掲載記事 》
今日、また北公次の葬儀の様子や、生前取材した時の想い出などを詳しく書いた記事が読まれている。
ああ、こういう偶然もあるんだなあ・・・・・と、少し、想い出にふける。
というのも、昨晩というより深夜。
熱燗をクチにしながら、何も内容が書かれていなかったカセットテープをかけてみた。
ナニを録音していたんだろう?
そう想いつつ、呑んでいたら、なんと、それは「フォーリーブス」特集だった。
青山の死。次いで、北の死についても曲の間に語られていた。
そうかあ・・・・2月に亡くなっていたんだったなあ・・・・・。
しばし、取材時の想い出と、映画のシーンも甦った。
それで、今日また読まれていた偶然、奇縁。
この記事を目にして、彼のふるさとにまで墓参に行くファンもいるかもしれないなあと、100日ぶりに、再掲載を思い立った。
で、再掲載に関して、彼が通った当時の「東陽中学校」の、木造校舎。
今も、残してくれているだろうか?
新入生、わずか108人。少子化は、三重県田辺市も、か。
中学校に電話を入れてみた。
要領を得ない返事の中、何度も聞き直す。
・・・・・校舎は、壊され、今は見ることが出来ないことが分かった。
この記事で、彼の、松下公次の在りし日の元気な、校舎を駆け回った姿を想像してくだされば、掲載した意味があったと想いたい。
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《 2017・10・6 掲載 》
また、今朝もふっとパソコンを見ると、「北公次のお墓は、どこ?」という、問い合わせにも似た、短文が目に留まった。
ん? 創価学会などに、問い合わせなど、しなかったんだろうか・・・・・。
コレで、同じ人達であろうか? 3度目かな。
じゃあ、期待に応えねばならないだろうなあ・・・・・。
仕方ない。
今までの取材体験からして、嫌だけれど、学会に聞くほかないか・・・・・。
聞いた。危惧してた通り、ひどい、冷ややかな、対応ぶりに終始された。
以前載せた、学会所有の関東各地に買い込んだ土地に、バンバン墓地おったてているので、ソコのドコかな?と。
用件を話して、その担当部署に電話をつないでもらう。
ところが!
どの部署なのか、聞いても言わず。名前も名乗らない、中年の男。
さらに、用件はまったく伝わっていないザマ。
仕方ない。また説明した。
ところが、聞き終わるや、「知らない」「分からない」の、繰り返し。
創価学会員、信者が死んだところで、一切学会本部は、タッチせず。
どこの墓に入ろうが、知ったこっちゃねえ!という、口振り。死んだあとは、ど~ぞ、御勝手に!という印象。
没後、入る墓などは、各人信者の遺族が判断することであって、依頼や申請が無い限り、先の墓地・墓苑への案内も何もしない。
「なので、名簿も何も無い」と言い切る。
学会所有の墓地に入った信者の名簿も、一切無いとのこと。
・・・・・・・ひでえなあ・・・・・・あまりの冷ややかさに、背中が凍りつく。
公称、あくまで公称でしかないが、約700万人もの会員がいるようだ。そんな大勢の死に、いちいち関わってなんかいられねえ、ということか・・・・・。
北公次の、生前。
かつて、他界したその夜であったろうか、記事化したが、スチュワーデス(当時の一般的呼称)をしていた彼女との住まいが、大田区の幹線道路前にあった。
まだ、男女の子、1人づつ、産まれる前のこと。
当時でも珍しい、木造長屋の造り。その奥まったところが、映画「竜二」の出演を必死で掴む前の、彼の住まい。
12畳くらいの広い一間の壁際に、ドーンと、まるでそびえ立つようにチン座していたのが、創価学会員の証明を示す、ドデカイ祭壇。
さながら大きな箪笥(たんす)。
「彼女に頼んで、大金はたいて購入してもらったんです」と、苦笑しながら打ち明けていた北公次。そばに、美人の彼女。
葛飾区であったろうか、5年7か月半前の葬儀も、2階は地域の学会員が、総がかりで執り行なっていた。
その一方、1階の駐車場に備え付けられた祭壇は、ファンたちがボランティアで丹念に造り、全国から来た大勢のファンを迎えていた。
本当に、これ以上ない、心のこもった祭壇であったと、今も鮮やかに記憶している。
その彼の墓について、こんな答えが返ってこようとは・・・・・。
ひどい所だなあ、今もって・・・・・・・。
死んだら、カネになんねえからか・・・・。
確かに、この先、いずれ間違いなく死ぬ、公称700万人もの骨を入れられる700万墓は用意出来ねえもんなあ・・・・・・・。
そんな想いを、私に問い合わせてきた「公ちゃん」ないし、「コーちゃん」ファンも、痛感したのであろうか・・・・・・。だから、再び、三たびか・・・・・、
では、と。根性かけて、調べた。
分かりました!
北公次こと、松下公次の魂と骨は、生まれ育った故郷に帰っておりました。
彼の墓地は、和歌山県の「田辺(たなべ)市 市営 神子浜(みこのはま)墓地」のなかにある「松下家の墓」に、父母ら家族と共に、入っておりました。
このような墓地のなかに「松下家の墓」が、あります。
住所は、和歌山県 田辺市 文里2丁目32番44号。
JRきのくに線、紀伊田辺駅下車、徒歩28分の所にあります。
もしくは、もう一駅先の、「紀伊新庄駅」(左写真)で下車し、徒歩25分。
ただし、紀伊田辺駅前には、タクシーが何台も客を待ち構えていますので、足腰の弱くなり始めた方は、そちらへどうぞ。
で、想い出を込めて、心ゆくまで墓を参ったあと。
松下公次少年が、当時通った「田辺第二小学校」は、
なんと! その近くにある、次に通って卒業した「市立 東陽(とうよう)中学校」当時の校舎の写真や、動画が残っており、以下、並べてみます。
同じ時代を生きてきたであろう、女性ファンは、自らの青春時代も含め、深い感慨をもってご覧なれると思います。
きれいに、ピカピカに磨き込まれた廊下といい、見事な歴史ある木造校舎に、毎日、公次少年は、元気に通っていたんだなあ・・・・・・。
それが・・・・・まだ松下公次が、病を抱えながらも、ライブハウスなどで歌っていた2007年の春。
映画のロケなどでも撮影が検討されたことのある、この伝統ある木造校舎が使用されなくなった。
「和歌山県 田辺市立 東陽中学校」と検索すると、youtubeが1本あり、そこでも校舎のなかの模様が、想い出を込めて撮影されているので、ファンの方たちには必見です。
校舎の住所は、田辺市神子浜(みこのはま)1-4-66.
現在の校舎は、味気のない、こんなになってますが、どこかに管理棟など、面影が残っている・・・・かも知れません。
彼の父が興(おこ)して、潰れた「清定(せいてい)菓子(株)」の跡地や、彼の生家跡など、青春期を訪ね歩くには、狭い範囲を歩くだけなので、想い出の旅になる・・・のではないでしょうか。
要望に応えられているか、どうか、分かりませんが・・・・。
10月1日、三越劇場。
1.2階合わせて514席の、そこで、かなりのファンが全国各地から詰め掛けたようですが、この北公次ら、故人の想い出話しは、あまり出なかったらしい。
カツラを着用しているあのゴーマンフソン男は、黒柳徹子に似せて、さらにカツラをかぶって舞台に出てたようです。
では・・・・・・これにて
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《 2018・2・22 追記 》
現在、写真の木造校舎は壊してしまい、跡形も無い・・・・ 壊して、巨額のカネを無駄に使い
残して、地域の住民に利用してもらい、墓参りに来た、北公次のファンにも、当時をしのんでもらうこと
どちらが、良いか
分からないのかなあ・・・・・・
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≪ 2020・2・22 追記 ≫
そうかあ・・・・・・・
今日で、彼が他界して、8年目なんですねえ・・・・。
忘れずにいる、ファンが、いまだ、多いこと。
敬服すると同時に、彼、幸せな、スターだったんだなあ、と、痛感しています。
この前、テレビ番組で、純烈と並んで、カツラかぶって、リード・ヴォーカルを取っていた、江木俊夫。
やつが、死んでも、誰が、長く、偲び続けるであろうか・・・・・・・、
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彼が、出演し、好演した、映画「竜二」。
今夜も、動画、検索すると、今でも、見られますよ。
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2022/2/22
今日で、亡くなって、丸10年目
ファンは、忘れずに、覚えていてくれる
しかも、多くの人が
スターですね
唯一無二の
「竜二」は、全編観られなくなりましたが、北公次
カッコ良かったなあ、ホントに
永久に、ファンの胸の中で、今も,生き続いています