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《 リアル 皇室 ルポ 》 新・第3弾。一般国民の黒田慶樹の下に嫁いだ、現天皇と国母の娘の「さ~や」こと、清子。義母とは今、胸熱くなる、礼節極まる関係に。「女性自身」の誤報に添えて

2023-04-26 10:53:21 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 ん? 黒田清子の夫、黒田慶樹が、都庁で異例の「スピー出世」という、「女性自身」のネット上の記事に目がいった

 とんでもない、誤報です

 まあ、古い記事ですが、yoくお読みください

 ただ、黒田慶樹の母,壽美子の今が、気になっております

 元気であればいいのですが・・・・・

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《 2018・3・5 掲載記事 》

 さて、小室圭との、結婚延期公式記者発表から、ほぼ1カ月が過ぎようとしているが、依然、暗い表情が消え去ることの無い、眞子(まこ)。

 まだ、まさに「熱愛」のアタマは冷えていないようだ。男を見る目が無いことにも、26歳にもなって、愚かにも自分自身、気付いてもいない。

  丸の内にある、国民、都民にとって、無くても良い、ど~でも良い、恐竜など大動物の骨格などの博物館勤務による稼ぎ高は、アルバイト女性より格段に少ないが、黒塗りの高級送迎車に乗り、運転手に護衛付きの御通勤という、ぬくぬく好待遇の日々。

 1日、1万円も稼いでいないのに、送迎車付き。苦労知らず。

 若いのに、歩かない、走らない。足腰、弱るよなあ。ぶくぶく太ってきてるよなあ・・・・・・。

  そんな毎日も、皇族の娘として、生まれた。自分が望んでいなくても、生まれてしまったからこそ。

 良いにつけ、悪いにつけ、国民の視線を浴び、このように記事化されるのも、甘受せねばならない身分。その引き換えに、遊んでいても、喰っていける。

   その行きつく先は、日本最悪の甲斐性無しのうえ、すっぽりと、上からカツラかぶった夫。

 ほらほら、面白い、髪が白いよ。良く見てごらん。

 白髪が分かるのが嫌で、今年からかぶり始めた、

 すっぱり、耳上の横線からの上と下が、分かれているのが、子どもでも見破れる。

 弟の秋篠宮のように、自分で全頭髪を黒く染めりゃ、良いのにさ。

 もしくは、全部、首の上まで覆うカツラを着用すればマシなものを、58歳にもなった、この男は・・・・。

 妻子の言うがままに、あやつられる、日本一、だらしない、ぶざまな夫。このカツラの代金も、我々の税金でいくつか購入されている。

 愚妻悪妻、鷲鼻ブス高校生の母子である、雅子&愛子タッグは、この夫ゆえに、誕生してしまったのだが・・・・・。

 尊敬もされていないはずの、子どもの時から、なぜか儀礼的にせよ、「眞子さま」と、さま付けされる、おかしな身。

 ワガママなうえに、性格も顔も,きわめつきブスな、愛子や、彬子(あきこ)や、渦中の典子ほど無礼、非常識では無いことが、少し、救われる。

 「わたし、ブスだもん」と、小室圭に、東横線の車中でもらすほど、容姿を自覚もしている。

 にしても、今回の騒動。彼女が嫁ぐ時の、いわば「持参金」、1億6000万円。1円残らず、我々の税金なのだから。そこが、記事化する際、切り離せない、大きな背景。

  そんな今、この問題に関心のある読者ならば、誰もが想い起こす、あの皇室の女性の今。それを、記事化せざるを得ない。

 皇后というより、日本国民の母と言う、文字通り「国母」のイメージ。

 本来あるべき、日本女性の持つ、良い部分のみの気質を代表する、慈愛に満ちた母と言って良い、美智子さんの長女、清子(さやこ)が、黒田慶樹(よしき)のもとに嫁いで、すでに12年3か月が過ぎた。

  元々、黒田慶樹は、小学1年生の時から、今の秋篠宮と同級生。

 それも、学習院大学を卒業するまで、最も気の合った仲間の一人として、16年間に渡って友達つきあい。公私どころか、裏も表も、良い所も悪い所も、互いに全部知り尽くしていた親友。愛称「クロちゃん」。

 おまけに、秋篠宮の妻は、黒田と大学のサークル仲間で、一緒。

 このクロちゃんならば、清子と結婚させたい。絶対に、添い遂げて、うまくいく、と踏んで、2人が、キューピット役を担っていたコトは、秘かに知られたハナシだ。

 そんな黒田慶樹の性格の一端は、私が昨年記事化したが、電話取材した言葉の端々で、読者も感じてくれたのではないか?

 挙式したのは、2005年11月25日。

 小室母子にとっては、大学卒業記念写真の撮影代金まで、とある男性に支払わせた帝国ホテルで、この結婚式と披露宴があわせて、大々的に行なわれた。

 その時に、「乾杯!」の音頭を取ったのが、その当時、東京都都知事を勤めていた、石原慎太郎。

 黒田は、都庁勤務の、一般職員。

 いわば、ひらの社員の結婚式に、社長が出張って来たようなもの。

 そのワンマンぶりは、超有名。自らは週に一回開かれる、「都知事定例会見」にだけ出るために都庁に来る週もあったくらい。

 雑事、陳情などの処理と仕事は、副知事2人に全面的に任せていた。

 そのため、今も根深い問題を残したままの、豊洲市場移転事件では、その土地を所有していた「東京ガス」とも、異常な高額で購入契約する交渉を水面下で行なわれていたなどの弊害をうんだ。

 そんな背景の中の、乾杯、である。

 石原からの声掛け、もしくは、その御礼に伺った際に、一言言えば、電話たった1本で、いとも簡単に、閑職にして、高給を手に出来る、東京都の公然たる「天下り団体、(株)会社、公益法人」などに、スルリと年度替わりに、それも通う必要のない「非常勤幹部」に就けた、もしくは、ありつけたものを、この黒田慶樹は、一切していない!

 いまだにだ。石原のもと、おそらく、言葉だけはありがたく受け止め、推挙などを、ハッキリと辞したのだろう。

 なにしろ、この外郭団体と言う、都税を食いものにしているところ。現在だって、35もあるのだから。その、どこにだって1人くらい、押し込めたはず。

 それなのに・・・・・・。

 黒田慶樹という人間の持つ、驚くほどの、身ぎれいさ、実直さ、清冽さに・・・・・電話取材の際に、改めて、感じ入っていた。

 これが、もし、小室圭であったなら・・・・・・・。ねえ、おわかりに、なるでしょう。

 それどころか、この黒田慶樹。

 西新宿にそびえ立つ、都庁の2大庁舎で勤務どころか、都内下町にある東京都の出先機関の「出張所」や、「現場」でも、地道に、不平不満ひとつ漏らさず、定期券の行き先を新宿とは逆方向の都内下町地域に変えて、朝の通勤ラッシュにもまれていた人。

 新宿、ないし西新宿に通うのに比べ、電車とバスに乗りついで、約3倍かかった。

 車で通勤しても、渋滞に巻き込まれると、やはり3倍前後要する。

 さすがに、妻の清子も、近所の顔見知りの親しい人に、「御主人、今は?」と、聞かれた際、正直にこぼしていた。

 そんな時でも、皇室に連なる「威力」は、一切出さず、滲ませもせず、クチにせず。

 いわば、出世コースから縁遠い歩みにも関わらず、実直に与えられた仕事を、コツコツとマジメにこなしてきた。

 現在、課長職。

 都立の大小の公園にも出向き、現場の園芸工夫と交渉し、作業着に着替えて、汗も流す。

 妻である、清子も、挙式の約1か月前の10月21日。

  オートマチック車限定ではあるものの「東京都 府中運転免許試験場」で、このように真剣なまなざしで、受験。

 普通免許を1発で、取得した。

 これが、のちに書く、義母との関係に深くつながり、役立つことになる。

 結婚後は、それまで時折り行っていた鳥類の研究所にも行かなくなり、専業主婦に。

  住まいは、都心のJRの駅にほど近い、高級高額、基本は分譲マンションの最上階フロア。寒く、空澄み渡った朝は、富士山も、見渡せる。むろん、ベランダにはフトンは干せない。

  黒田夫妻の部屋には、そのマンションに住居している人間・家族でさえ行けない。

  独自のカード・キーを、エレベーターの指定箇所に差し込まないと、その階では扉が開かず、決して降りられないシステム。

 セキュリティーは確かなうえ、管理人が、異常に厳しく、うるさい。外部からの訪問者は、応接スペースが、1階にあるにもかかわらず、追い立てる。

 黒田慶樹は、来月の4月17日で53歳になる。

 また、妻の清子も、1日違いの4月18日で49歳を迎える。

 奇遇だが、誕生日は、そのいずれかで済ませていると、きく。

 そんな、清貧な心の持ち主の夫妻のもとに、現・天皇夫妻が、10年前の4月10日、この部屋を訪問して、楽しく、心開いて、心ゆくまで過ごしている。

 実は、4月10日という日。

 現天皇と、国母の「結婚記念日」だったのだ。その日に、娘の家で、くつろぎ、ひとときを過ごした。心おきなく・・・・・・・・。

 清子が手にした皇籍離脱金、1億5250万円。

 その1億円前後が、このマンション購入に充てられた。

 そののちは、住居は豪華、便利なれど、生活は身の丈に合ったつつましやかなもの。ぜいたくは、していない。

 食料も、車を走らせて、高額食材店などには行かず、ごく普通の主婦が利用する、ゆっくり歩いて10分もかからないスーパーに行っており、その姿は、近所の主婦にいつも見かけられている。

 黒田慶樹の父・慶次郎は、実は、彼が学習院大学3年生の時に、ガンで死亡。

 秋篠宮夫妻も、そのことは、友人として、いきさつも知っていた。葬儀にも、友人として、目立たぬように参列した。小室家と違い、不明朗さ、カケラも無し。 

 慶樹の弟は、結婚相手の漁師の家に、養子縁組で嫁ぐカタチになったために、残った母の壽美子(すみこ)は、長らく独り暮らしをしていた。

 生活資金の基盤は、亡き夫の慶次郎が、生前勤めていたトヨタ自動車からの年金や、遺族年金など。

  「さ~や」こと、清子と婚約が決まった際、「この子(慶樹)は、子どもの頃から手が掛からない子だったんですよ」と、コメントしたくらいで、出しゃばらない、節操感豊かな母だった。

 夫婦になって、12年以上。子どもが、出来・・・・・ない2人にとって、手のかかる子育ての苦労も無く、義母の壽美子を引き取り、共に暮らすことは、そんなに難しい問題では無かったはず。

 さほど使わぬ部屋も、空いている。

 ほぼ10年前に、天皇と国母が、黒田夫妻のもとを訪ねた際に、国母のクチから、出た・・・・のではなかろうか?

 「あのう・・・・・失礼ですけれどお義母様のこと、この先、どうなさるおつもり、なんですの?」

 気遣う黒田夫妻の説得に、何とか同意した、義母の壽美子。

 だが、コレが古き良き、昭和の母、・・・・とでも言おうか。

 自ら、同居は拒否、自ら、望まず。

 細やかな気遣い、配慮、遠慮。夫や子どもとの想い出の家を去る決断にも、数年を要した。

 結果、先の息子夫婦が住むマンションから、歩いて数分のところに、今から7年ほど前に、賃貸マンションを借りた。

 それも、角部屋を。

 ソコは、黒田夫妻の窓から、すぐ見える位置にあり、カーテンが閉じたままだと変化に気付き、電灯が部屋に夜になっても灯らなければ、すぐ壽美子の携帯電話に電話。

 呼び出し音が長く続くようだと、すぐ飛んでいき、合鍵で開ける手はず。

 食事は、引っ越してきた当初は、壽美子は自分で造り、自分で食べていた。

 スーパーには、数日に1回、共に買い物に来ている姿が、見受けられた。

 大量に買い込むと、車に積み込み、義母も乗せて車を走らせ、義母のもとに届けて、冷蔵庫に入れて去る。

 それが、義母を、車いすに乗せて来るようにもなり・・・・・・・。

 昨年後半になってからは、清子が独りで来て、義母のために弁当や、惣菜コーナーにも行き、義母の好みに合いそうなものを、選んでいる光景が、時折り、見掛けられるようになってきた。

 予測される小室の母子と違う、真反対に位置する、この互いに、心配りや気配りと節度ある義理の関係。

 心や胸の熱くなる、礼節極まる関係に、取材を終えて帰路の途中、良いなあ・・・・と、深い想いが湧きあがった。

 この先、壽美子に老いが迫り、足腰がさらに弱り、痴呆がのぞき始め、さまざまな病が積み重なってきた場合、ついに同居に至るか、病院に伴うことになるのか。

 国民のひとりとして、節度を保ちつつ、まさに遠くから、見守りたい。

 まるで、映画の小津安二郎監督の描く世界にも通じて、国母の教育の良さががしのばれた取材だった。

 眞子は、このような関係があやなす心模様を、どう受け止めるだろうか・・・・・・

 

 

 

 

 



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