≪ 2019・12・8 掲載記事 ≫
う~ん・・・やっぱり、かあ・・・・。
すでに、記事化していた「令和 歌の祭典 2019」、東京国際フォーラムAでの、11月12日公演の模様が、ダイジェストで、12月7日の夜、BS-TBSで放送されたのだが、観た読者や、気になる人達がいたようで、私の以前の記事に、検索が、多く、一気に寄せられていた。
この12月7日。早朝。BSテレビ東京の、「サブちゃんと歌仲間」を、タイマー録画しておいて、このように、画面撮りしつつ、視聴。
やはり、御手付き台に右手を付けて、片時も離さず、歌い挙げた。
声は・・・・・変わらなく出ているのだが・・・・CDを流しているのではないか?という、疑念が、完全に消え去らない。少し、声と、口の動きに、数秒のズレを感じるからだ。
この日の放送でも、「俺は、83歳にもなった」
レコードデビューして、58年。
「歌い続けられる間は、歌い続けたい」
ゲスト歌手たちとの会話で、クリスマスを祝い、七面鳥を食べ、クリスマスツリーを飾って楽しむ・・という、話題になるものの、
日本人、本名の大野穣(みのる)としては、キリスト教のお祝い事でもあり、違和感残るようであり、
なによりも、今年の台風15号に続く、19号や、地震、極地豪雨などで、いまだ、被災生活を送っている人達に、想いが、どうしても、大きく、及ぶ。
「クリスマスも何も、それどころじゃないんだよね。いまだに、家に入り、流れ込んできた泥とかを、かき出して、必死に、毎日、掃除してる人達の事を想うとねえ・・・・・」
いかにも、大野穣らしい、深い想い。
あの、3・11のあと、東北3県の、三陸沖沿岸に多く住む漁師たちが、落ち込みから、立ち上がり、やっと、少しでも一歩、踏み出そうとし始めた、5月上旬。
大野穣は、自分の事務所の所属演歌歌手だけでなく、多くの歌手たちに声を掛け、大挙して、港町を巡り歩き、
「なにも出来ないけどよ、歌で少しでも励ますことが出来たらさ」と、
長靴に、ねじり鉢巻きに、ゴムのカッパの漁師姿で、登場し、心からの、拍手喝さいを受けていた姿を私は、決して、忘れない。
無償、持ち出しで、沿岸を、数日かけて、巡った、その熱い心意気。
他方、被害が無かった仙台市の大きなホールで「チャリティ」などと、称して、ごっそり稼ぎまくって帰郷したシンガー、桑田佳祐の、汚さ、偽善振りも、私は、忘れない。
そんな気持ちと裏腹に、歌手・北島三郎の肉体は、ますます、悪化の一途をたどっているのが、
この「令和 歌の祭典 2019」の、5000人収容の大きなホールでの姿から、否応なく、透けて見えてきた。
総勢、31人。有名、無名。ごった混ぜ。
前列、中央に、御手付き台と共に、立つ、北島三郎。
だが、万が一を考慮したのか、斜め後ろに建つ、吉幾三が、左腕で、北島の右腕を軽く掴んで、もしもの対策を講じていた。
この時は「令和音頭」の、大合唱。なので、声量、声の衰えなどは、分からない。
独りで立ち、右手を付いて、愛用の専用台に支えてもらいながら、
ま、声の方は、大丈夫・・・・か。
ただ、独りだけで歌う時間は、少なく、「北島兄弟」の名で歌う、娘むこの北山たけしや、大江裕とも、合唱で、しのぐシーンが、目に付く。
このパターンで、今年も、しのいできた。
とにもかくにも、83歳の老人のカラダを、常に、終始、いたわる言動。
「僕は、83歳になりまして、この分だと、100歳まで生きて、歌いたい」
CDの売り上げなど、聴いてくださる、お客さんの支えが無ければ、それも、出来ないコトを、自覚し、話してゆく。
ステージを去る時だ。
北島の腕に、北山が、腕からめ、押し出すようにして歩く・・のだが、足元が、いまだ、おぼつかないうえ、左右に大きく揺れて歩いていた。
う~ん・・・・・・
吉幾三が、その、比較的大きなカラダを活かし、このように、北島の右腕に、自分の左腕を絡め、掴んで置く心配り。
もし、もしも・・・ということを常に想定しての、ステージ。
コレが、来年の3月30日まで、多くの歌手を、ひきつれて・・・・
否、引き連れられて、こなすことになる。
右腕や、右手の感覚が、相当、しびれも加わり、無くなっているのではなかろうか。
もはや、リハビリでは、治りきらなかった、転倒による、後遺症。
100歳まで、歌いたい。
死ぬまで、歌い続けたいという、熱く、ほとばしる想いを、ただただ、見守るほか無い・・・・