北の湖。名横綱だった。そう言って、差支えないであろう。
そんな元力士が、あっけなく、この世から去った。まだ、62歳。いや、もう62歳にもなっていた。末期ガンで、抗がん剤投与も拒否。さらに、手術すらも拒否。そんな身で、ここ数年、よく持ちこたえた、とも言える。
死後、故郷・北海道有珠郡に住む5歳上の実の姉・小畑やす子の言葉が、身にしみる。
病状が、見た目以上に、かなり重いということは伝え聞いていた。
大腸から始まって、腎臓、腰痛、たびたびの貧血、そして、近年は立ったり座ったりすら、おぼつかなくなっていた。
立ち上がる際は、付け人の介助を必要としており、歩くのも容易ではなかったという。相撲のテレビ中継画面は見てはいるものの、いつでも、そのまま病院へ、駆けつけることが出来るようにと、特注の大型ベッドが備え付けられている大型ワゴン車両のなかで、観戦していたことが、多かった。
見た目からして、写真のように顔もカラダも、一回りも二回りも、小さく、やせ細っていた。
それにしても、あまりにもあっけなく早い、この世からの去り方であった。
九州場所が、福岡市で開催されていた11月20日。午前中に市内の病院に緊急搬送され、その日の、午後6時55分。他界した。
全身に痛みが回り、至る所に表われた末期ガンの症状であったという。
まだ62歳という年齢だが、多くの、若くして亡くなる力士がそうであるように、中学生のころから、一般人で言えば、暴飲暴食。
腹一杯食べまくって太るのが、いわば「仕事」。その上、カラダが大きく、重くなるゆえに、重なるケガの数々。まず、内臓がやられ、足腰が痛み出し、糖尿病を皮切りにして、ガン発症率が一般人以上に高い。
なるべくしてなった病、ともいえた。元有名力士の多くが、一般人に比べ、はるかに短命だ。
北の湖だけではない。
貴乃花親方。九重親方。せきこみ、のどを痛め、声が出にくくなっている北の富士勝昭。そして、尾車親方。
尾車親方などは、テレビで一見して分かるように、信じられないほどの激やせ振り。九州場所で歩く姿勢も、まるで類人猿のごとく、腰を深く曲げ、ヨタヨタと歩いていた。
北の湖こと、小畑敏満(おばた・としみつ)の遺体は、福岡から車に乗せて、東京の北の湖部屋に向けて急搬送。秋場所が開かれていた「九州国際センター」を通って。
そこでは、多くの相撲ファンと客が、下の写真のように、列をなして見送った。
丁度、私が北の湖部屋に電話した少し前に、遺体が部屋に到着したらしく、あわただしい声や雰囲気が伝わってきた。
女将さんの、妻・とみ子であろうか。通夜、告別式のことを、聞いた。
報道では、「密葬」「近親者のみで、執り行う」と。
しかし・・・・・・
「一般の方も、大丈夫だと思いますよ。24日と、25日だったかしら。稽古場の土俵の近くに、祭壇作りますので・・・。あっ! ちょっと、電話切ってよろしいですか? お客さんが来ましたので」
ところが、両日の時刻を確認して、一般の人の参列も可能であるとの記事化しようと、翌日、再度電話を入れると、序二段の所属力士が
「いえ、ファンの方も、一般の方も、申し訳ないんですが、受け付けてません。来月の「協会葬」の方に行ってください」
えっ!? 急いで、書かないで良かったけれど・・・それにしても、てんやわんや振りは、受話器からもうかがえた。
すでに、部屋付きの山響(やまひびき)親方が、部屋を改めて継ぐということが、理事会でほぼ正式決定していたにも関わらず、その力士は「何も知らされてません。自分たちがこれからどうなるのか、分かりません」と言う始末。
ニュース映像を見ると、キチッと黒い喪服に身を固めたタニマチや、相撲関係者や、元力士の曙などに混じって、近所の人や、熱心なファンや一般人も参列していたようにうかがえた。総勢、300人近くにのぼったのだから。
そのなかには、なんと表に顔を出せば出すほど、日本という国にとって、誤解と恥と迷惑を掛け続けている鳩山由紀夫まで、厚顔無恥にも、押しかけて来たというのには、あきれた。
常に目立ちたい、自分の存在を忘れ去られたくないという悪しき、愚かな性格が、故人と親しかったとは、耳にしたことも無い有名人の葬式にまで足を運ばせる。
所属力士は、通夜、告別式の日時は、かたくなに教えてくれなかったが、25日に通夜。翌日の午前中に告別式を、しめやかに執り行い、その後、霊きゅう車は、夫人を乗せて、両国国技館で停車。
居並ぶ協会の人間たちに、位牌を手にした、とみ子夫人が一礼して、名残惜しそうに、亡き夫の闘いの場を後にした。
それにしても・・・・名残惜しい。
いや、他界したことにだけではない。
「公益財団法人 日本相撲協会 理事長 北の湖敏満」として、やるべきこと、やらなければならなかったこと、やって欲しかったこと・・・を、何一つ手を付けぬまま死んだことが、悔やまれる。
それは、相撲をおとしめて、角界を後足で泥ぶっかけて、去った、朝青龍こと、ドルジへの叱責。
そして、そのドルジの悪い面をすべて踏襲して、いまややりたい放題、傍若無人の、白鵬こと、ダヴァジャルガル(以後、日本相撲協会の、表記に変えます)に対して、何一つ直接呼び出して、厳重注意を理事長としてしなかったことだ。
下の写真は、今から約3年7か月前のもの。
悪童・ダヴァジャルガルと、北の湖理事長。
壇上で目を合わせたり、話しかけたりすることは、一切無かった。
ただし、この時点では、ダヴァジャルガルは、ごく普通の性格。良くも悪くもなし。理事長に迷惑かけるような男ではなかった、
だが、ドルジの前例があった。
土俵上では、キチンとした立ち合いや、仕切りをしない。
対戦相手と、すでに勝負がついているのに、土俵の外へ突き出したり、叩き付けたり!
ダメ押し、ではかたずけられないケンカのごとき、阿修羅の蛮行の数々。
勝ち名乗りを受けて、懸賞金を受け取る際には、キチンと手刀を切ることもせず。横殴りに賞金の束をかっさらうようにして、ガッツポーズを、これ見よがしに観客に見せつけて土俵を降りる。
そればかりでは、無い。
土俵外では、暴行、暴力事件を起こし、刑事事件に発展。
所属していた若松部屋では、親方にまでたびたび暴行寸前までいった挙句、部屋の入口のガラス戸と、木の扉を蹴り倒した。
ガラスの割れる音と、路上へ倒れ込む、ものすごい音がして、近所の人が、何事か?と、外へ飛び出したほど。
その惨状ぶりと、いきさつは、わたしが、近所の人に取材し、詳しく分かった。
そんな天下の横綱の、「備わっていて然るべき品格」及び「身に付けねばならない品位」、その地位にふさわしくない「蛮行」「言動」「勝ち方」について、何一つ、直接呼び出すなりして、威厳ある理事長として、注意すらしなかった。
人柄の良い若松親方の言うことさえ聞かない者が、理事長からの間接伝達では、さらに聞く耳を持たないことは、北の湖だって、知っているはずなのに・・・。
さらには、相撲界を根本から揺るがした「八百長事件」。
それについても・・・・北の湖は、なにひとつ直接動くことも無く、根深い病巣にフタをして、逃げまくった。責任問題や、指導の足りなさを指摘されるのを、避け続けた。
それどころじゃない、自分のカラダの方の治療のほうが大事だった、とはいえ・・・。晩節を汚した。
死後、フリーな立場でモノが言える、北の富士勝昭が言った。
「多事多難なこともあって、気の毒だったけれど・・・・」
一方、ドルジのモンゴル人の妻も、まったく日本になじもうとしなかった。
ドルジへの愛情が消えかけていた以前に、一刻も早く、自分が産まれ育ったモンゴルへ帰りたがった。
自宅で食べる食材ですら、自分で買い物に行かず、ドルジの付き人に買いに行かせ、外出を避けていた。
総武線沿いに建っていた、賃貸マンションの最上階の全フロアに住んでいて、インターフォンを押して聞いても、片言の日本語しか話せない有り様。
「ワタシ、ニホンゴ、ヨク、ワカリマセン・・・」
象徴的だったのが、東京での本場所が終わると、錦糸町にある大きなホテルの宴会場で、タニマチや後援者を招いて、部屋の打ち上げ、慰労会、祝勝会を兼ねての催しをするのが「若松部屋」の恒例なのだが、ドルジ夫妻は、顔を出しただけで、そそくさと出ていった。
わたしも、あっけにとられた。
親方や、兄弟子が止めるのもきかず・・・・・。
部屋の後援者たちから、不評が積み重なっていったのは、当然のなりゆきだった。
あの時点で、北の湖が、直接、きつく釘を刺すなり、くさびを打ち込んでおけば、ソレをいましめとして、白鵬こと、ダヴァジャルガルも、傍若無人に振る舞うことを自制し、あらゆる言動に、二の足を踏んだはず。
だが・・・・・・何もしようとしなかった!
上記の写真の祝宴の際も、だ。
その際に、旭天鵬でさえ、「ドルジと違って、あいつは素直だから、心配はしていませんよ」と、私に言っていたくらいだった。
だが、危惧はあった。
旭天鵬に付いて来ていた、旭秀鵬が、タニマチにはアタマを下げ、敬語を使っていたが、私や、古株の女性レポーターには、タメグチや、すっかり日本人を舐め切った口調で話すサマに、ひょっとして、ダヴァジャルガルも!?と。
領収書不要の、タニマチからのカネや、モノをくれる日本人には、意図的にへつらうが、それ以外の日本人にはこんな冷ややかに態度大きく接するのではないか。
旭秀鵬のタニマチにくっ付いて歩いていって、稽古後にちゃんこを一緒に喰ったことがある男は、私の見た旭秀鵬の態度について話すと、驚いていた。
だが、もらう、もらえるを、常にあてにする乞食根性の力士の豹変ぶりと態度について実例をあげて話すと、タニマチ気分のその男も、どこか納得していた。
北の湖理事長が、いわば手付かずの野放し状態にしていたため、先輩格のドルジが、やることなすこと、警察が取り調べない限り、大手を振って許されるのなら、俺だって!と、ダヴァジャルガルが思い込んだのだろう。
ドルジは、立ち合いの際、両手付かず、片手チョン付きで、勢い付けて立ち上がっていたのだが、ダヴァジャルガルは、さらにひどく、今や、両手、両こぶし、付かず。
ダメ押し、片手でドン!と、ド突く。ケンカ腰で、張り手かます。威嚇し、モンゴルの後輩で気の弱い逸ノ城は、立ち合いから腰も気持ちも、引きっぱなし。ダヴァジャルガルにとって、戦う前に、白星を計算出来るカモは、その他にも数人いる。
その一方で、タレント・舞の海周平も言うように、明らかに、ダヴァジャルガルは、全盛期を過ぎた、堕ちゆくチカラが露見し始めている。かわす取り口。はたく、取り口。汚く、姑息な手口。
日本人の感覚で言う「品格」無し。人格も、備わっていない。ただのヤクザ的・ヒールプロレスラー。
負けた腹いせに異議を唱え、「物言い」まで付ける。
やりたい放題。北の湖は死ぬ寸前まで、ダヴァジャルガルに、異議も唱えない、物言いも付けず。呼び出して、注意もせず。
一方のダヴァジャルガルにすれば、あっ!やっても良いんだ。文句言われないんだ! だったら、したい放題、しまくってやろう、と実感する。
宮城野親方は、何も言ってこないし。親方の現役時の位が自分より低いと、力士は、日本人力士でさえ、軽視する。
ダヴァジャルガルが、たまに、負けると客席から大きな万雷の拍手が巻き起こる。
ダヴァジャルガルは、ソレを「人種差別」と、不満げに言ったが違う。ヒール、ワルだからだ。人としても、品格無いからだ。
しまいには九州場所での、猫だまし、2連発!
取組後、負けた栃煌山の肩を2度叩き、まだまだ俺の相手じゃないよ、分かったかね?とばかりに、ニヤリと土俵上で不敵にほくそ笑み、「一度はやってみたかったんだ」 「うまくいったと思う」と、控え室で本音をもらした。
「横綱の取り口としては、やるべきことではない」
北の湖の感想だが、見かねて、自分からクチにしたわけではない。番記者に問われて、言っただけのこと。
冥途の土産にではないが、呼びつけて、さとし、厳しく注意し、叱って欲しかった。「クビにするぞ!」くらい、言って欲しかった。
そんな場で言ったところで、隔靴掻痒(かっかそうよう)。何の意味も無い。
また、同じく「横綱審議委員会」の面々が、「横綱として、ふさわしくない」と言ったが、これまた、さらに何のチカラもない。
横審、は単なるお飾り。何一つ、権限は無い。爺さんたち、お歴々が感想言うだけの会でしかない。
このことは、爺さん数人、そして内館牧子・元横審メンバーにも直接聞いている。
それが何の効力も無かったからこそ、亡くなった翌日、九州場所の宿舎の外で、着崩れた浴衣姿のまま、猫だましについて「(理事長のコメントは)誤解しているようだ」と、ダヴァジャルガルの発言。
反省の、反の字も無し。むしろ、反対。開き直っていた。
やりたい放題は、土俵上だけでは無い。
場所後の1夜明け会見は、いつも酒の匂いを残して、遅刻。自分勝手な”ダヴァジャルガル時計”で、番記者を、部屋や宿舎で待たす。
年末年始の番組に多い、テレビ出演。本来は、日本相撲協会から所属部屋を通して申請・交渉しなければならないのに、ダヴァジャルガルは、まったく断りなしに、そのための事務所を設立。事後承諾すら、取らぬまま。
「住友林業」などのコマーシャル出演料のカネも、フトコロに入れてしまっている。
子供の相撲大会「白鵬杯」の、スポンサーからのカネの出入りも、極めて不明朗だ。
問い合わせても、いつもいつも留守にしてある。
さらに、まだ現役力士なのに、宮城野部屋のなかで、「内弟子」を、3人ほど、事実上持っている。
無承諾、勝手なふるまい。
将来、これまた勝手に「白鵬部屋」が開けると思い込んでいた。
ところが、つい最近、番記者たちとの会話で、「例え、横綱として、一代年寄りの資格を持っていても、日本国籍を有しないと、親方には永久になれない」ことを聞かされ、驚く。
先輩のドルジとは、ロクに話しをしない仲だったため、聞きもしなかったのだろう。しかし、不祥事続きだったとはいえ、ドルジが相撲部屋を起こそうともしなかった事実を見ていて、疑問を感じて、宮城野親方に確認も、聞きもしていない。
モンゴルのウランバートルを中心に、高層大型マンションを持ち、不動産業や興業や、大型体育施設を運営・経営。早くも、副業にいそしみ、資産は莫大だ。
引退して、モンゴルへ早々に帰国すると思いきや、日本でも親方として、稼ぎまくりたいらしい。
帰化して「ニッポンジン」になるには、出来ちゃった結婚をした日本人の妻、紗代子(さよこ。写真下の右側)の旧姓、和田を名乗って名義上、帰化する他ない。
妻の父、和田友良は徳島県で手広く仕事と、名誉職を手掛けている実業家(写真下の中央)
ちなみに、一部報道によれば、これまた手広く、未成年女子も含め、80人ほどと買春したと言われているが、真偽のほどは、不明だ。この際も、問い質す時間も無かった。
このようなダヴァジャルガルに対して、下劣な性格と行状を悔い改め、「品格」をもてるように改悛していきなさいと、進言出来るのは、妻の紗代子か、義父の和田友良しか見当たらないのだが、果たしてやれるであろうか・・・・・・。
北の湖理事長亡きあと、元力士だけの組織の「理事会」で、跡目は、元保志、北勝海(ほくとうみ)の八角親方に決まった。
名目は、理事長代行だが、来年の初場所終了後の「1月下旬か、2月上旬」(協会広報)に、理事会が開かれ、正式に八角親方が、理事長になる運びだ。
週刊誌等では、跡目を狙う九重親方との、バトル、票読みの水面下での戦いを期待しているようだが、そうはならないのではなかろうか。
さて、八角。
積み残したままの、ダヴァジャルガル問題に、くさびを打ち込んで、その土俵内外の言動に、足止めさせ、「文句あるのなら、出て行け! 規則を理事会で図って変え、横綱の地位も、はく奪するぞ!」と、厳しく規制させることが出来るだろうか?
やらなければ、土俵の権威など、地に堕ちる。やりたい放題、やられ放題が、未来永劫続く。
さらに拡大し、あとに続く力士が、間違いなく、出てくる。
客が7割5分しか入っていないのに「満員御礼」の垂れ幕を下げるデタラメ同様に。
ただ・・・・保志時代のやさしい、人の良い性格から考えるとなあ・・・・・。
ここまで、読んだ人の中には、まるで死者にムチ打つようなことを書かなくても・・・と感じた方も、いらしたかも知れない。
実は、北の湖というより、小畑敏満が理事長になった時、人知れず、期待していた。
というのも、彼が現役後半の頃、半年ほど長期取材をしていたから。2場所、付かず、しかし離れず。地方場所にも、足を運び、ロング・インタビューも行なった。
それだけに、彼が理事長になってから、問題に何ひとつ本腰を入れて取り組んでこなかったことに、心底、がっかりした。
「立場変われば、ヒト変わるか」とも、書いた。
その間に、ドルジ、ダヴァジャルガルと、まともに手を土俵に付けずに立ち上がる、いわゆる「立ち合いの乱れ」が、横行。
自ら率先して言わなければ、厳重注意しなければ、力士は理事長を舐め切って、やりたい放題する。
抗弁出来ない、動かしようのない事実だ。
九州場所。北の湖部屋の筆頭力士である「北太樹」の立ち合いは、デタラメだった。片手付きやら、片手擦りやら、両手付かずやら、ひどいもんだった。
北の湖といい、部屋の跡目を継いだ、「部屋付きの親方」だった山響(やまひびき)親方といい、一体どんな指導・教育をしていたのであろうか・・・・。
部屋付きが、速攻で正式に親方になれる?
俗に言われる「親方株」は、どうしたのであろうか?
かつて、おカネ欲しさに、輪島が「花籠親方株」を、億単位で暴力団に売り払い、問題化したこともある。
「さあ、ナニを言っているのか、まったく言っている意味が解りませんが、本来、親方株は売買の対象になるものでは、一切ありません。無償のものです。ですから、輪島さんは、角界を追放されたじゃないですか。誰でもなりたい者は、親方になれるんです!」と、いきりたって、協会広報の、「公式」発言。
いままで、さんざん、親方株については、譲渡、分割、借金などと、すんなりいかず、もめることが多かったのに・・・・臭いものにふた。知らぬ存ぜぬ、との対応。
いやはや・・・・・・。
で、正式に、江東区清澄に建っていた「北の湖部屋」は、いずれ看板だけを取りかえて、「山響部屋」として、発足する。
力士16人は、引っ越しすることなく、そのまま居住して、稽古に励む。
ちなみに、山響親方の、しこ名は「厳雄」(がんゆう)。ケガもあり、幕下まで陥落して、現役を引退したのだが、確か在日韓国人だった。
彼もまた、帰化したのであろう。でなければ、親方にはなれないのだから。給与は、協会から支給されるという。
協会によれば、この決まりは、現時点で変更はあり得ない、とのこと。
さて、最後に、女将(おかみ)さんとして北の湖を最後まで支え続けてきた、小畑とみ子は、主亡きあと、どこへ行くのであろうか?
あの部屋のあるビルは、北の湖の持ち物だったはず。
譲渡? 売買? 家賃をいただいて貸す?
「さあ、それは部屋のなかでの問題ですから、協会は知りませんし、関知しません」と、協会は突き放す。
では、と、新生「山響部屋」に電話。
出たのは、新弟子。力士たちは、現在12月13日まで九州、沖縄で、地方巡業中だった。
一時期、巡業を仕切る興行主が暴力団傘下の会社だったりが発覚。なもんで、協会自らが、自主興業を務めていたのだが・・・・・。
現在、再び、興業は丸投げ状態に戻っていた。
大丈夫ですか?
「すべて、調べたうえでおまかせしております」と、協会。
・・・・・・武家の商法は、続かなかったか。企業舎弟も、表面化しないが多い。おかしなことが、八角のもとで発覚しなければ良いのだが。
で、新弟子。
おかみさん、まだいるんですか?
「さあ、知りません」
ナニを聞いても、「分かりません」の繰り返し。
北の湖の長男は、小畑佳史(下の写真の右側)。現在、34歳。舞台俳優をしていたというが、現在は分からない。
実は、その息子さんに、大量のオモチャを持っていったことがある。
先の長期取材が完了。
改めて、記事化された際、ささやかな謝礼を差し上げたいと、北の湖に申し向けたところ、「いらないよ。そういうのは」と、きっぱり。
御車代として、タニマチから最低10万円から50万円、領収書なしで現金がもらえる横綱という身。
謝礼といっても、金額はそれより、はるかに低い。
とはいえ、金銭には、きれいな人であった。
無い知恵を絞って、銀座のオモチャ店で、いくつも限度額いっぱいに買い込み、地方場所や巡業のときには、実家に戻って、子育てをしながら、経営する「料亭」の手伝いをしていると横綱から聞いていたので、えんやこらと大きな袋2つぶら下げて、川崎市の元住吉まで行った。
女将さんは、驚きながらも、恐縮し、とても喜んでくれた。非常に折り目正しい、良い印象を与える人だった。
その料亭も、先日の電話では「もう・・・閉めたんですよ」と。
月日の流れを、痛感した。
最期に書き残しておかねばならない。
ご冥福を、お祈りします。残念で、なりません・・・・・・