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《 リアル サッカー ルポ 》 来たるW杯・ロシア大会。永久控えか? 本田圭佑の表情の激変から読み取る、クチだけ大将の行く末

2017-08-31 23:46:17 | サッカー

 一応、アジア予選試合のための召集に、所属するパチューカを離れて、来日した、本田圭佑

 すでに、31歳

 試合に出られても、出られなくとも、今大会のワールドカップ、ロシア大会を境に、日本代表からは離れる気持ちを固めていると聞く。

 23人+4人=27人枠には入ったものの、本日の、雌雄を決する大事なオーストラリア戦には、最後まで加われず。

 持ち続けていた、絶対的自信がもろくも崩れた、ベンチでの不満顔。

 居並ぶ27人の中、試合前から、何とも言えぬ淋しげな、自分だけが、かやの外に押し出されたかのような表情が、印象的だった。

  ( NHK-BS ナマ中継画像より。以下、同様 )

  見ても、分かるように、視線はうつろ。相変わらず、まるで金髪仕立ての傘かぶったかのような、特異な髪型。

 召集こそされはしたが、もはや、すでに、本田圭佑不要の日本代表チームの構成に成りつつあることを痛感させられた試合運びの流れ。

 1ゴール成功時の際の歓喜の輪にこそ加わらなかったものの、2点目が入った直後だけは、輪の中に参加。

  チームメイトの1人としての、存在は示した。

 だが・・・・試合が終わり、本大会の出場が決まったあとは、笑顔をのぞかせることすら無く、再び、独り、かやの外。

  歓喜の会場内行進の中、でも端に位置し、ぶぜんとした、得も言われぬ堅い表情のまま。

 もはや、本田圭佑不要の代表に、間違いなくなってしまっていた

 世代交代。そうも、言えるし、そうせざるを得ないチーム造りになっていた。

 首の皮一枚つながった、ハリルホジッチの監督の座。

 本田不要論が、明日の報道から相次ぐ可能性は高い。

 ワールドカップ、6大会連続出場が決まった今、今度のアウエー、日本時間9月5日の、サウジアラビア戦に起用されるかどうか?が、この先の本田の扱いの見通しが見えてくる試金石になるのではないか。

 クチにこそ、絶対的なプライドが邪魔して、出さないだろうが、今の自身の自信がもろくも崩れ、危ういポジションであることを痛感したはずの、本田圭佑。

 さらば、日本代表。

 さようなら、日本代表となる日は、案外近いかもしれない。

 そして、さらばパチューカも・・・・・・・・ 

 


《 リアル 老ピン芸人 ルポ 9 》 堺すすむ。「(自分の芸が)面白くなくても、愛と思いやりを持って、笑って下さい。いいですか?」 74歳にして、芸風変える、泣き落としの日々

2017-08-28 06:38:05 | 演芸イロモノ

 久々に聴いた、堺すすむ芸。

 誰? その芸人? と言う人は、この写真を見ると、分かるかも。

   左が、若い頃の、いわば、「使用前」。で、右が、「使用後」。

 これで、74歳。自分より若い70歳の男性にも、「だめだよ、おじいさん。答え、分かって、笑ってくんなくっちゃ。アタマ使わなきゃ、ダメよ!」と、平気で、かぶっているもんで言う

 ま、そーゆーヒト。

 知る人ぞ知る、「なーんでか、フラメンコ」が、代名詞の老ピン芸人。

 この不定期連載では、自分が練り上げたつもりでいた芸に対し、客が笑ってくれない不満と、つのるいらだちからか、観客に対する、常に見下す、上から目線芸に対して、記事化してきた。

 で、昨日、日曜日の公開生放送ラジオ番組での、舞台。

 やはり、客はなかなか、笑ってくれない。

 しかし・・・・あらら、露骨に見下さない

 なーんでか? と、なぞなぞの回答を、観客に投げかける。

 無理やり、答えを聞き出していこうという姿勢は、薄まって、昔のように、間を置いて、「怪答」をクチにする。

 わかりやすいシャレの答えの方が、はるかに受けることに、気付く

 「こんな簡単なのが、良いんだ」

 思わず、自ら言ってしまう。

 上野動物園で産まれた、子パンダのネタでは、ごはん、「ごパンダ」、パンタグラフをもじった「パンダグラフ」。

 会津磐梯山をもじって、「会津パンダい山」。

 さすがに、徐々に受けなくなる、笑いが少なくなるや、こう転じた。

 「言っている自分だって苦しいんだから」

 「少々面白く無くっても、笑うのよ」

 「先に言うね、思いやり」

 「愛と、思いやり。面白く無くても、笑うの! いいですか!」

 んん・・・・・・・

 なるほど。こーゆー手口の芸に、転じたか。

 泣き落としの芸。すがる芸。言い聞かす芸。

 その目線は、上から少し落ち始めてきた。プライド、捨て・・・・そうで、なかなか、捨て切れない。

 受けない芸は、変わりそうも無いが、引退はする気は、無い。

 晩年を迎えた、終活芸。

 どう、観客は受け取ってくれるであろうか・・・・・・・

 かぶっている物をはずして、驚かして、笑わせるような、ハゲしい奥の手だけは、出さないだろうが・・・・・・


《 リアル 高校野球 緊急ルポ 》 第99回甲子園大会、掉尾を飾る決勝戦。ラジオの実況からもはずされた、小野塚康之の、ポキリと折れゆく心に想いを馳せると、辛くて、やりきれなくって・・・・

2017-08-22 21:19:39 | アナウンサーの裏側と...

 本日の準決勝戦がすでに終わったというのに、明日の決勝戦の、ラジオの実況アナウンサーと、解説者の名前が、「らじるらじる」に出てこない、出さない。

 所用があり、外出。

 一抹の危惧を胸に、仕事場に戻って、再び「らじるらじる」の、明日の番組表を開くと・・・・・・・

 信じられぬ名前が!

 よりにもよって、豊原謙二郎の名前があった。

 これじゃ「恥じる恥じる」じゃないかよ。

 かつては、ブームに乗り遅れまいとして、軽佻浮薄の典型、玉ねぎ髪型のベッカムヘアを、長くし続け、近年は豚の様に、ブクブクと太って、実況席に座っている男だ。

 以前記事化したが、今や、NHKを代表すると言って良い、有働由美子の、ひいでたスポーツ取材能力を小馬鹿にした挙句、

 「ああ、彼女は独身貴族みたいなもんですから」と、鼻で笑った男だ。

 そのうえ、自分が好きだった、今も長年に渡って、子育てを理由に休職中の女子アナの青山を、誉めたたえた馬鹿な男。

 それが・・・・・決勝戦担当かよ! ヘドが出そうだ!

 あらかじめ、このブタが実況すると決まっていたのか、最後まで誰にするか、もめたのか?は、分からない。

 にしても・・・・・・・。

 誰もが期待し、他のマスコミも大会開幕前に記事化し、期待をそこはかとなくしていた小野塚アナを、はずすとは!

 NHKの馬鹿野郎!

 わずかに訪れた1試合を担当し、それでも心折れまいと、ふんばっていた小野塚の心の中を想うと、やりきれなさが襲う。

 大阪府大会を、顔がまっ黒になるまで、10日間、しっかり取材していた裏付けがあるからこそ、クチに出来る「名調子」。

 「真打ち」なればこその、たゆまぬ努力。心の底から好きなればこそ、ではあるが。

 これからまた、あの蝶ネクタイをさせられて、大阪のおばちゃん達を背に、週に1回、頑張ってこなす日々が、また繰り返されるのであろうか・・・・・。

 ちなみに、ベッカム豊原謙二郎ブタ。

 ウイキペディアを開くと、まったく別人のNHKのアナウンサーの顔写真が堂々と掲載されていたのにも、あきれた。

 しょせん、ウイキペディアは、そんなもんではあるけれど・・・・。

 とあるマスコミの記事には、満期定年退職後の、「シニア アナウンサー」なるもの。

 契約嘱託アナウンサーと、打ち込まれていた。

 そうだろうな。1年更新か。

 夏の甲子園大会は、「BS朝日」もナマ中継しているが、実況席には、地元大阪のABCの局アナか、東京のテレビ朝日アナが勤める。

 入り込む余地は、無い。

 いつか、フリーになったあかつきには、阪神戦を「サンテレビ」で実況、という選択肢もあるにはある。

 心折れないように、今はひそかに祈るのみである。

 とりあえず・・・・・御機嫌よう・・・・・

 

 


《 リアル 高校野球 ルポ 》 衝撃! 小野塚康之アナウンサー。今大会、決勝戦まで48試合、実況中継あるのに、「真打ち」がたったの1試合だけ、やらせただけで終わらせるつもりか。「心折れてます」

2017-08-22 10:09:00 | アナウンサーの裏側と...

 盛夏の風物詩とも言える、夏の甲子園大会。

 開幕戦から、改めて試合数を数えてみると、明日開催予定の決勝戦も含め、48試合もある。

  小野塚康之、シニアアナウンサー。

  社員アナウンサーでありながら、プロ野球も含め、高校野球の実況中継で、これほどまでに話題を集め、隠れファンがいるアナウンサーを、わたしは知らない。

 彼がマイク前に座れば、彼の名で設定されたツイッターに、一球一打のごとく、感想が投げ込まれる。

 そして、今日も私の記事に検索が絶えない。

 今、準決勝第一試合が、すでに始まっている。

 実況は、小野塚では、無い。

 48試合もありながら、小野塚が担当したのは、たったの1試合だけ!

 たった、のだ!

 放送業界のなかで、ダントツに視聴率を気にする局がだ。この歪んだ、信じられない有り様。

 聴取率も気にしているからこそ、あざといばかりのタレント起用が、日々、行なわれている。

 ならば! なんで、小野塚康之を起用せぬ!

 この段階になっても、明日の決勝戦のラジオにおける解説、実況担当アナ、共に公表されていない。

 明日、迫りくる明日だぜ!

 やっとラジオに、たったの1試合だけ出させた。

 御情けか?

 準々決勝を実況後、マイクを切る寸前、

 「わたくしも、心折れないようにしようと・・・・」

 そう、敗戦投手の心情に重ねて、自分の切なく、やりきれない心を重ねて、もらした、小野塚康之。

 このままじゃあ、あんまりだ。

 甲子園球場から、わずか、歩いて5分のマンションに移り住んだほどの、野球愛、一筋のヒト。

 球場の大歓声が、カキーン!という打撃音が、浜風に乗って、リビングルームに届くという。

 このまま、手足をもいで、身動きさせず、担当上層部は彼を日干し、陰干しにして、哀しみを胸に、去らせるつもりか・・・・・・。

 テレビ実況席は、比較的早くにアナ決定。

 が、ラジオは、明日というのに、いまだ未公表だ。

 もしかして!という、淡く、切ない希望を、潰すのか、活かすのか?

 準決勝を聴きつつ、想う。

  頑張れ、頑張れ、心折れるな、小野塚康之!と。

 


《 リアル ボクシング ルポ 》 山口翔太と、真っ向打撃戦の末、僅差で判定負けをした伊藤弘一。「ボクシングニュース」で、これで通算戦績、11勝(10KO)56敗3引き分けとの記事。ええーっ!

2017-08-20 15:10:40 | ボクシング

 《 2017・8・16 掲載記事 》

 昨夜8月15日、京都市にある「島津アリーナ京都」で行われた、ボクシング興業試合。

 メインは、WBC世界バンタム級タイトルマッチ。

 王者・山中慎介の、なんともやりきれぬ大和心トレーナーによる4ラウンド2分29秒、リング侵入タオル投げという大失態で、あまりに早期の負けばかりが、今や一気に世間の話題をさらっている。

 だが、実は、明らかにあり得ない報道が、その裏で、ひっそりと行われ、修正されないままになっている。

 その日、同じリングで、タイトルマッチに先だって行われた、「スーパー・フェザー級 8回戦」。

 試合は、大阪の真正ジム所属の山口翔太が、北九州市にある黒崎KANAOジム所属の伊藤弘一と、フルラウンド戦う、打撃戦となった。

 山口は以前、東洋・太平洋(OPBF)スーパー・フェザー級14位まで上がった過去をもつ強打者。

 一方の伊藤もまた、同フェザー級10位まで駆け上がった過去をもつKO率90パーセントの、つわもの

 試合は、互いに一歩も引かず、伊藤は右目じりを、本人いわく、偶然のバッティングにより、切った。

 結果は判定に持ち込まれ、3人のジャッジは、1ポイント差が1人、2ポイント差が2人という僅差で、山口が勝利を掴んだ。

 で、ソレを報じた「ボクシング ニュース」の、ネット上の記事。

  惜敗した、伊藤の戦績。

 接写した写真で見ても分かるように、11勝(うち10KO&レフェリーストップ)56敗3引き分けと。

 はあ?

 絶対にあり得ない、56敗もの負け数。

 というのも、北九州はそもそも、東京や大阪という大都市、及びその通勤圏にあるボクシングジムと違い、なかなか試合が組めない地域。

 興業を強行しても、良いスポンサーや広告主が現れない限り、赤字が目に見えている。

 では、と。鮮やかなノックダウンシーンを続出させたい為に、タイやインドネシアから、それなりのボクサーを招へいして、試合を組む。

 が、ボクシングを詳しく知らぬ観客は喜びはするが、目の肥えたボクシングファンには、白眼視され、しらけさせられ、酷評を浴び・・・・・・。

 そういう背景もある。

 その代わり、西日本新人王戦にノミネートすると、選手層が薄いため、すぐ頂上決戦にまで、いくぶん早く、たどり着きやすい面はある。

 そんなハンディと、現実のなか、11勝のうち、10勝が相手を打ちのめしている強打者が、いくらなんでも56敗は、無いでしょう?

 第一、まだ30歳の伊藤弘一が、70試合もこなせるわけがない

 スパーリングの相手探しにも苦労する、北九州市で。

 で、調べてみた。

  ( 黒崎KANAO ジム ブログより)

 ジムは、本日お休み。

 京都から、新幹線で帰宅し、やっとお盆休みを取れて、心ゆくまで食べたり飲んだり出来る頃、というところか。

 なお「KANAO」ボクシングジムの名前の由来は、会長が「金尾博」というところから、命名。「黒崎」は、最寄りの駅名からとった。

 正しい戦績は、19戦して、11勝(10KO&レフェリーストップ)「5敗」3引き分け。

 「6でもない」。

 「速報記事」を打ち上げたのち、当然行なうべき、見直し作業をおこたったのではなかろうか?

 同ジムのブログには、試合後の2人の写真も、このようにアップされていた。

  写真右が、伊藤弘一。左が、山口翔太だ、

 ブログには、伊藤の文であろう。こう記載されていた。

 「めっちゃいい殴り合いでした。今回は、バッティング(公式には、ヒッティングと、アナウンス)でカットしたくらいで、大きな怪我はありませんでした」

 ちなみに、昨年12月に結婚したとか。

 この試合の内容次第で、引退も考えているとのこと。

 伊藤の強打の末の、鮮やかなKOシーンは、彼のジムを検索してゆくと、観ることが出来た。

 試合でダウンして、起き上がれそうもない所属選手を見てとったセコンド陣が、そこで初めて白いタオルを、リングの中に投げ入れていた。

 ふわりと舞い上がり、空中をゆるやかに泳ぐ白いタオル。

 それが、普通なんだけどなあ・・・・・・。

 伊藤弘一。

 その名を、よろしければ記憶しておいてください

 わたし? 縁もゆかりも彼に有りませんが、いくらなんでも「56敗」が、ネット上に永遠に残るのは、あまりに忍びないもんで・・・・・。

 

 

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《 2017・8・19 追記 》

 いまだに、伊藤弘一という、プロボクサーは、56敗したことになっている。

 「ボクシングビート」は、本誌が売れず、赤字の為、引き受ける版元が変わろうと、相変わらず、「ボクシングマガジン」同様、誤記が目立つ。 

 が、ネット版の「ボクシング ニュース」ならば、気付けば、すぐに活版の記事と違い、間違いを直せるはずなのだが・・・・・・。

 「56」を「5」と。

 6でなし記者が、誤記打ちっぱなし。

 試合後、すでに4日目経過。

 記事を打ち上げて、見直しをしていないことが、分かった。

 で、本日。

 余計なことかも?とも思いつつ、所属する「黒崎KANAOボクシングジム」へ、☎。

 ---ボクシングニュースでは、そちらの伊藤さんが、56敗もしていることになっていますが

 「はあ、そうですか」

 拍子抜けするほどの、のん気な返答ぶり。

 地方のジムは、コレだからなあ・・・・・と、またも想う。

 ボクシングニュースなるものが、あることさえ、知らない、初耳の様子。

 なんだよなあ・・・・・

 誰も、気になんか、しちゃあいないんだよなあ。地方のジムは、ホントに。

 関西以南。活版で試合情報、ウソ書かれていても、抗議の電話、訂正を求める☎1本、入らないと聞いた。

 だから、選手がかわいそう・・・・・。

 伊藤弘一の試合。

 今夜、深夜。日テレG+で、丸々放送されるので、自分の目で、しっかり見定めて置こうと想う。

 むろん、もう、電話などはしないが。

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 《 2017・8・20 追記 》

 あの、タオル投入の前の「セミ・ファイナル」の、上記の試合。

 留守録画しておいた、この試合。フルに、判定が告げられて終わった8ラウンド、見つめた。

 この試合は、足を使って闘うと、言っていたという、伊藤弘一。

  (試合動画画像より。以下、同様)

 ところが、試合開始のゴングが鳴るや、もろに足を止めて、真向勝負で、2人は打ち合いっぱなし。山口も、前へ、前へ。

 早くに、右目じりを切った伊藤は、何度も試合を止めて、ドクターチェツクを受けるものの、試合は続行。

 明らかなポイント差のラウンドは見られなかった。 

  だからか、最終の8ラウンドは、相手の山口翔太がポイント差を付けようと、終始前面に出て、ラウンド後半、伊藤のコーナーに背にさせ、詰め寄って、はたまたロープを背にさせて打つ、打つ、打つ、打つ!

 がむしゃら。当たろうが、はずれようが、おかまいなし。

 明らかに伊藤、劣勢。

 ゴングが鳴り、試合、終了。

 判定は、77-75。78-77。そして、78-76。

 3-0の判定で、山口の判定勝ち。

  それを聞いた瞬間、伊藤(写真左の左側)は小さく頭を上下させて、うなずいた。

 ソレは、何を意味するものだったのか・・・・・。

 試合内容の結果には、納得するものだったようだ。

 だが、今後は・・・・・・。

 結婚をして、8か月。

 やがて父に成る30歳。 

 妻を食べさせ、ボクシングは、今後・・・・・・。

 この試合に勝てば、再び、日本ランキング入りのチャンスもあったのだが。

 ましてや、先の対応ぶりで分かった、地方のジム。 おそらく、ひっそりと辞めていくのではなかろうか・・・・・・。

 だからこそ、記憶に残したいラストファイトだったら、「56敗」は、ないよなあ・・・・・・。

 


《 リアル 高校野球 ルポ 》 ついに、満を持して、「真打ち」登場!小野塚康之・NHKシニアアナウンサー。20日、準々決勝で、実況中継の席に!

2017-08-20 04:28:58 | アナウンサーの、視聴...

 《 2017・8・20 午前4時 掲載記事 》

 このまま、名調子アナを、日干し、陰干しにしておいて、シニアならぬ、死ニア状態にするつもりかよ!

 そう、独り、イキドオッテいた。

 そう、小野塚康之の、起用方法についてだ。

 それでなくとも、今大会。誰かが、裏で脚本書いてんのかよ?と、一瞬思うくらい、「劇的」な「逆転劇」が、

  ホームラン量産に付随するかのように、バンバン出ている。

 これを、小野塚なら、どう表現するであろうか?と、思ったりもしていた。

 なかなか、公表しない、高校野球の、実況席に座る、アナウンサーの名前。

 で・・・・・・

  つ、ついに、真打ち登場!ではないが、小野塚が、

 20日(日)、準々決勝、第4試合、花咲徳栄(とくはる) 対 盛岡大附属という、特待生軍団同士の試合のマイク前に座ることをキャッチした。

 解説は、こちらもベテラン、前田正治だ。

 満を持して、ここで出る、ということは、中2日置いての、「決勝戦」での起用、再びの真打ち登場は・・・・・無いかも知れぬ。

 が、とにもかくにも、日曜の午後遅く、誰もが自宅か、帰りを急ぎ始める行楽地からの車の中で、渋滞のいらだちを、やわらげる効果も期待され、聴ける可能性があるのは、不幸中の幸い、と言うべきか。

  甲子園球場の通路での、レポートでベテランを腐らして置くのはあんまりだぜい、と痛感していた。

 さあ、皆の衆!

 聴いてやって、おくんなせえ!

 では、「ごきげんよう」

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 《 実況放送中 》

 マイク前の言葉が、甲子園球場のマウンドで、ボール以上にはずんでいます!

 コレは・・・・・決勝戦も、ラジオに出てもらわなければ、高校野球ファンは困るなあ・・・・・・・

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 《 実況放送後 》

 んん・・・・・・

 小野塚康之、60歳。

 定年を迎えたのちも、出世コースには乗れないままの、「シニア アナウンサー」としての処遇を受け、そのようにくくられたなかで、日々、ふと、我が身を振り返りつつ思うところあるんだろうなあ・・・・と、想いを重ねていた。

 金曜日の午後。

 あの、奇抜な蝶ネクタイ姿で登場し、いかにも身の置き場が無さそうななか、彼の心の中で渦巻く想いであろう、「身過ぎ世過ぎ」を、感じていた。

 関西で仕事はしているものの、自身にお笑いの素地は、まったく無い。

 にもかかわらず、スタジオに、カラダを堅くして、時が過ぎるのを、スケジュール通りにこなし、じっと待つ。

 素地が有り、目立つのが好きなだけの性格ならば、どんなにラクか・・・・。

 試合は、10-1の、スコア的にはワンサイドだったが、先発した敗戦投手は、心折れるところなく、頑張って8回まで投げていた。

 そこに、小野塚康之は、我が身の心を重ねていた・・・・ようだ。

 試合終了後、さりげなく、こう言葉をもらした。

 「私も、人生を重ねてきましたけれど、(負けた盛岡大附属の先発投手)三浦クンを見てて、心折れてはいけないなあと・・・・」

 胸が、キューンと鳴った。泣きそうになった。彼の、切ない想いに、やはりと、気付かされた。

 頑張れ! 小野塚康之、60歳。

 最期の、恒例の一言。

 「ごきげんよう」が、午後6時50分に、いつものように出た。

 と言うことは、次のマイク前がある、と信じたい!

 聴いてて、楽しい放送でした、今日もまた。

 

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《 リアル 高校野球 ルポ 》 衝撃! 小野塚康之・NHKシニアアナウンサー。今大会の甲子園球場で、実況中継させられず!

2017-08-19 10:01:42 | アナウンサーの裏側と...

 徐々に、日ごとに決勝戦に向けて、高校野球中継の試合数が、少なくなりつつある

 で、このヒトである。

 ハイテンション・名調子でなる、知る人ぞ知る、名実況アナウンサー、小野塚康之様である

     

 当然、決勝戦までに、せめて1試合、実況中継をまかせてもらえるであろう! と、想っていた。

 否、心秘かに、願っていた。

 今大会。あの特待生校として、ブイブイ言わせた挙句、その巨額経費が、徐々に学校経営をひっ迫させ・・・・・・・

 ついに、「青森山田高校」は、決断。

 青森県内の野球の上手な中学生たちを、フツーに集めて、鍛えて、甲子園に来たなどという、流れが少子化とともに変わりつつある今大会。

 是非、アノ声を! と願っていたが、どうやら調べてみたら、小野塚アナウンサーを日本放送協会幹部は、決勝戦まで、実況席に座らせて、しゃべらせることは、させないようだ。

 例え、通路での、勝利監督、勝利投手、キャプテンへのインタビュー、敗戦投手や、同監督への取材はさせたとしても、だ。

 このまま、彼を日干しにするつもりなのであろうか・・・・・・。

 なんだかなあ・・・・・・・・・・・・・・。

  こころなしか、

  淋しそうに見えてしまうのは、私だけでありましょうか?

 それでは、「ご・き・げ・ん・よ・う」・・・・・・・・・・

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 おっ!

 サヨナラヒットを打って勝った、仙台育英の選手に取材し、通路からレポートを、小野塚がしていたぞおおおおお!

 明日以降の、ラジオの実況席に座るアナウンサーが、いまだ未定、非公表。

 はたして、このまま通路レポートで終わるのか・・・・・

 

 日干しにさせて、閉幕させるつもりかよ、許せないなあ・・・・


高校 硬式野球 甲子園大会、NHK実況中継。そろそろ、小野塚康之シニア・アナウンサーの出番にならないもんかなあ・・・・・

2017-08-17 22:58:51 | アナウンサーの裏側と...

 やっぱり、小野塚康之アナウンサーの、根強いファンは、結構多くいるんだなあ・・・・・。

 私のつたない記事も、よく検索されているし。

 彼の名調子が、好きな視聴者も、聴取者も、あのハイテンションが嫌いな人も、阪神びいきが嫌いな人も、まあ、全部ひっくるめて、ツィッターをながめると、次から次ぎへと出てくる、出てくる。

 この夏の大会で、興南高校の監督インタビューをしていたとか。知らなんだあ。

 いまだ、開幕戦から、今夏の高校野球の実況中継の席には座っていないのが、残念でならない。

 定年を迎えた5月の前のセンバツでは、敗者の監督・選手のインタビューをまとめたレポートを送っていたのを、声を聴いて分かったけれど。

 「シニア・アナウンサー」の肩書きを得て、いつ、実況するのだろうか?と、検索してるが、いまだ「小野塚康之」の名前は出てこない。

  本日8月17日、2回戦で敗退した、この秀岳館高校,前監督となった、鍛治舎巧に、このように取材をすることは、もう無いであろう。

 告知記事にした、先日8月15日の、阪神 対 広島 戦

 小久保裕紀との掛け合いで、小久保が「日本代表監督」として、若手を率いていた当時のプロ野球選手達のエピソードなどを、しゃべらせていたのは面白かったし、小久保が自身全盛期の頃の逸話など披露し、引き出し、かなり楽しめた。

 で、その後のプロ野球中継の実況にも、いまだ名前無し。

 いつ出て来るのか。

 このままでは、宝の持ち腐れだぞおおおおおお

 そのうち、ひそかに楽しみにしているのが、「ラジオ深夜便」の関西発で、彼がレギュラーで出てくること。

 高校野球や、プロ野球中継をした際の想い出や、失敗談、旧知の選手や、元選手や監督をスタジオに呼んでの、インタビューなどが聴けないかなあということ。

 まずはその前に、甲子園での実況を!

 それでは、「ごきげんよう」

 


《 リアル 高校野球 ルポ 》 鍛治舎巧「第2回」。秀岳館高校野球部を去らざるを得なくなった、水面下の暗闘とその実態

2017-08-17 00:39:57 | 高校 硬式野球部の真実

 その姿が、甲子園球場のベンチ前に立っていた姿を観た時には、驚いた!

 鍛治舎巧(かじしゃ たくみ)、66歳。

 この大会の試合で負けた、その時点で彼は熊本県八代市にある、「私立 秀岳館高校 硬式野球部監督」を退任せざるを得なくなる

 ソレを惜しむ者は、実は極めて少ない。

 この7月21日には、その八代市で倒れ、救急車で病院に搬送され、緊急入院。公表された病名は「突発性不整脈」。

 突然死も有りうる重病であったものの、幸い難を逃れた

 だが、もしもを考え、そのまま入院加療をしていると思い込んでいた。

 なので、正直なところ、「第1回」でも、入院中で、甲子園では、代理として、野球部長が監督指揮を執るものだと、思い込んでいた。

 記者として、やってはいけないこと。

 なもんで、8月11日。鍛治舎の姿をテレビで見かけた時、亡霊を見た!ゾンビか!と、想ったほど。

 すぐさま、記述を直した。

 甲子園のベンチに、病状を隠して立つ。

 その「あくなき執念」に、おののいた。

 高校の監督というより、「俺の物」「俺のチームだ」「俺の最期は、俺の好きにさせろ」という意識が、その場から、匂い立って見えた。

  さらに、試合に勝って「勝利監督インタビュー」の檀上。

 ネットの一部で、「脳梗塞」までわずらっているとの誤報が出ていたせいなのか、ソレを打ち消そうとするかのように、鍛治舎は、いつも以上に饒舌だった。

 代表質問を、ひとつすると、待ってましたとばかりに、3つほど、まとめて返してきた。

 自身が指揮した作戦の詳細まで、得意げに語り始めたのは、この大会が最期だ、という意識がさせたものか。

 今までの「ベスト4」止まりではなく、「優勝」を手にして俺は監督を辞めてやる!今に見てろよ!という、怒りと共に、反骨心と、堅い意思が、その顔ににじんでいた。

 鍛治舎が秀岳館高校に、監督として就任し、プロとして高額の金銭を得ることになったのは、2014年のこと。

 実はパナソニックでは、すでに専務待遇を解かれており、失脚していた。

 自ら、リストラの刀を振るって次々と社員と重役を斬り捨てた後、今度は逆に、自分がその目にあい、冷や飯を喰っていたころに、そのハナシを持ち掛けられた。

 (学園 ホームページより)

 持ち掛けたのは、秀岳館高校や、中九州短期大学など、複数の学校を多角経営しており、自ら学長・校長、そのうえ理事長まで兼務している中川静也(写真左上)であった。

 秀岳館高校は、かつては「八代第一高校」と言う校名であった。それを、16年前、21世紀の始まりを期に、現在の校名に変更した。

 その頃から実は、野球部は、特待生を全国各地から集め、戦績強化を図っていた。

 数あるそのルートの中学生硬式野球チームのひとつで有ったのが、鍛治舎巧が指揮監督をしていた関西に拠点を置く、「オール枚方ボーイズ」だった。

 毎年、コレと言う実力のある中学生を3人ほど、関西から熊本に行かせ、入学させていた。

 だが、想うような戦績が挙げられぬままの状態が続いていた。

 生徒ひとり当たり、月額少なくとも12万円から20万円掛かる。その人数、毎年20人前後。 

 だが、「投資」が、実らないまま、むなしく年月だけが過ぎ去って行っていた。

 県内では上位にまではいくのだが、全国大会には、今一歩、出られないままの野球チーム。

 一体、何が足りないのだろうか・・・・・・・・。

 そこで、理事長は、不遇の身にいたコトを気付かぬまま、鍛治舎に持ちかけた。

 「ここに来ていただいて、是非、監督をやっていただけませんか?」

  さらに、高給を保証するために、鍛治舎に経営している学校のひとつ、「中九州短期大学」(写真左上)の、副学長のポストまで用意し、三顧の礼で迎えようとまで図った。

 ところが、鍛治舎は、三浦の予想を超える、ある特例条件を提示してきたのだった。

 ( 第2回 おわり )

 

 

 


《 リアル ボクシング ルポ 》 山中慎介防衛ならず。レフェリーストップではなく、まさか自陣営から、タオル投入負けをするとは! にしても・・・・

2017-08-15 20:59:02 | ボクシング

 10回目の防衛戦あたりから、山中慎介苦戦する流れが目についてはいた。ダウンもしていた。

 しかし、付けも付けたり、「神の左」なるキャッチフレーズ。

 まさに、形勢逆転の左ストレート気味の、フック1発! で、見るも鮮やかに相手がマットに沈む姿を見せつけられてきただけに、今度の強敵無敗1位相手にも、なんとか、しのいで、具志堅洋高に並ぶ、13回防衛を、ヒヤヒヤしながらも達成できるのではなかろうか・・・・・・。

 そう想いつつ、生中継をつぶさに、観ていた。

 結果、4ラウンド。

 ルイス・ネリの、驚くほど良く伸びてくる、スピードあるストレートとフックを連打されっ放しで、危ないな、とは想いはしたが、残り30秒。

 まさか! 帝拳ジム陣営から、タオルが飛んでくるとは!

 解説をしていた、具志堅洋高すら、驚いて

 「タオル、ちょっと早いよ! 早過ぎるよ!」

 その言葉は、ホントにうなづけた。

 レフェリーが、止めるのならともかく・・・・・。

 あと30秒しのぎ切って、1分間のインターバルを経てもなお、1度、山中がダウンした後ならともかく・・・・・。

 あのコーナーで、泣き崩れていた山中。

 あの涙は負けた悔しさ以上に、自陣営のスタッフ、トレーナーに対しての「抗議」ではなかったのか

 それも、よりにもよって、担当トレーナーの、大和心(写真上の左側)が、試合をやっているにもかかわらず、そのさなかに勝手にリングの中に入り込んでから、オレンジ色の大きなタオルを投げた。

 それも、本田会長の承諾も得ず、聞かず。

 なんという、愚!

 山中と言うボクサーの精神力も、技術も、打ち込まれていても、跳ね返せる力があり、後半勝負でポイントを取りかえせる山中と言うボクサーをまったく信じていなかったことの、裏返しに、他ならない。

 結果、同じ負けるにしても、よりにもよって、納得出来にくい「負け」となってしまった。

 にしても、13回という防衛記録は、いかに難しく、偉大なものだったのかが、改めて痛感させられる。

 あの内山高志ですら、11回止まりで、引退を決断した。

 かつて、具志堅が11回を防衛した当時、インタビューをしたことがある。 

 今でも鮮烈に記憶している、彼の答えがある。

 ---相手をダウンさせた瞬間、どんなことを考えるものですか?

 聞きつつ、「立ち上がってきたら、もう1回倒してやる! と、思うよねえ」と言うのではないか?と、ひそかに期待した。

 ところが、彼のクチから返ってきた言葉は、予想外のものだった。

 「頼むから、お願いだから、立ち上がらないでくれ。正直な気持ち、ひたすら、そう想っているんですよ」

 「相手が立って向かって来たら、それはさあ、もう、2度と立ち上がってこれないように、必死だよね、ホントに必死で、早くこのラウンド終わらせようと、頑張るしかないよね」

  カッコいい、見だしになるような言葉は、誘っても吐かない、クチにしない人だった。

 そのやさしさが、強さに転じ、やさしさ、よぎる、一瞬の弱さにもつながったのだけれど・・・・・。

 それが、積み重ねた13回。

 14回目が、故郷の沖縄県での試合だった。

 故郷に錦を飾る・・・・・はずだったのが・・・・・。

 にしても、これで彼の日本人ボクサーの世界防衛記録を破る人間は、現われそうも無い。

 良いな、と想うと、すぐさま、2階級制覇とかに走る陣営が多いし。

 山中には、落ち着いたら再起を期して欲しい。まだ、イケる可能性があるボクサーだから。

  しばらくは、大和心トレーナーやジム陣営の顔も見たくもないだろうけれど・・・・・・。

 再起しても、しばらく謹慎処分を喰らうであろう大和心とのコンビは全面解消するはずだ。信頼関係が、一方的に、崩れ去ったのだから・・・・・。

 大和心の指導力は、多くのボクサーが認めるところだが、ここは、退職を余儀なくさせる前に、他のジムへと働く場を変えて、心は、文字通り「心機一転」出直した方が良いのではないだろうか・・・・・

 

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 《 2017・8・17 追記 》

 この試合の、大和心トレーナーについて、その後、ネット上を垣間見るだけでも、さまざまな意見や、賛否が寄せられている。

 一夜明け会見では、山中慎介は、大和トレーナーに対して、極めて「大人の対応」をしている、口ぶりであった。

 試合を終え、宿泊している

 

 ( 興味深い事実も分かったので、新たに、別の記事で打ちます)


《 あの人は、今 》 4年前の夏の「死闘」。軟式高校野球全国大会決勝戦で、4日間、延長50回を投げ合った、「中京」と「崇徳」の両エースは今! あの「奇跡」は、明と暗の軌跡を描いて

2017-08-11 14:27:49 | 真偽を求めて・・・こころ旅

  あの4年前の夏の、奇跡と言い切って良い、熱闘の両投手。

   左が「崇徳」の、石岡樹輝弥(じゅきや)。右が、4日間、延長50回、709球を投げ抜いた、「中京」の松井大河(たいが)。

  負けた石岡が、勝ったエースナンバーを背負った松井に、握手を求めた一瞬。

 積極的で明るい、石岡。おとなしく、受動的な松井。

 その後を、象徴する、一瞬に見えた。

 

  ともに、高校を卒業したのち、乞われて大学の、「準硬式野球部」に入部。

 

 そして、今・・・・・・・・・・・・・・。

 

 1人は、練習グラウンドと公式戦のマウンドに、足しげく立ち、投げまくっており、もう一人は、足が完全に遠ざかり、事実上の退部をして、目標を失ったままの無為な日々を送っていた。

 

  まず、「硬式」で今日勝ち抜いた「広陵」に敬意を表して、同じ県内の「崇徳」から、「福岡大学」へと進んだ、石岡樹輝弥の今を、書こう。

 

 彼の大学1年生の時からの活躍ぶりは、すでに2年前に書いたが、それは今も順調に続いていた。

 

  この春も、北九州地区「福岡県下6大学」で戦う「春季リーグ戦」のマウンドに立っている。

 

  3月30日。「久留米大学」相手に、先発し、完投。2-1で勝ち、石岡自ら4安打を放っている。

 

 4月9日。昔、武田鉄矢が、教師になりたくて通っていた「福岡教育大学」相手に、登板。

 

 石岡が先発し、無失点で2番手に引き継ぎ、5-2で連勝。

 

 次いで、4月15日。「西南学院大学」と、対戦。先発し、2塁打も放ったものの、2-7で惨敗。

 

 翌週の4月22日。「春季リーグ」最終戦。6大学中、9勝1敗で1位の戦績を得て、3季連続優勝を果たした。

 

 5月に入っても、マウンドを任せられる日々は続く

 

 5月21日。今度は「九州 選手権大会」2回戦で、「久留米大学 医学部」と対戦。石岡が先発し、10-0と、7回コールド勝ち。

 

 翌22日の、3回戦。「日本経済大学」戦に、3番手で連投登板したが、7-9で惜敗。

 

 その「日本経済大学」に、5日後の27日に、「清瀬杯 大学選抜大会 出場決定戦」で再戦し、石岡が先発。

 

 無失点で2番手に引き継ぎ、11-2で、7回コールド勝ち!

 

 9月4日、大阪で開催される「全日本大学選抜大会」に、チームが出場決定した!

 

 九州や全国の有数最強リーグチームでは無いものの、1年生の時から、大きなケガも無く、チームメイトの信頼も得て、順調に成長してきていると言い切っていいだろう。

 

 私生活も、明るい性格もあってか、笑える「チン事」も、巻き起こっている

 

 自分の部屋に訪ねてきて、すっかり、身も心もくつろいだ2人の友達に、とんでもない染み跡を付けられていた。

 

 1人は石岡のベッドで、もだえ、こすりまくって、白濁液を残してイキ、もう一人は、トイレにこもって、壁に飛ばしてイッタという。

 

 かと思えば、別の友達が恋人を連れてきて、これ股、狭い部屋だから仕方ないとはいえ、石岡のベッドに腰掛けて、いちゃいちゃ、しまくってイッタ。

 

 まさに今も、球春と、青春と、性春の日々が、続いていた。

 

 さて、一方の、奇跡の輝ける「優勝投手」であった松井大河は・・・・・。

 

 岐阜県の山あいに建っていた中京高校を卒業して、「中京大学」へ。

 

 同名の高校と大学だが、系列でもなく、資金提供も何の関連も無い。

 

 しかし、説明しないと誤解される。ましてや、「中京大中京」という、名古屋にある高校まであるに至っては・・・・・・。

 

 そんなこともあってか、「中京高校」は、今年の4月から校名を「中京学院中京」と、校名を変えた。

 

 相変わらず、軟式野球部は強く、先の石岡の母校、「崇徳」とともに、今年の「第62回 全国高等学校 軟式野球選手権大会」に、出場する。

 

 期日は、「硬式」甲子園の熱が冷め始めた8月24日に開幕して、6日間のスケジュールが組まれている。

 

 試合会場は、あの奇跡の死闘が繰り広げられた「明石トーカロ球場」の他に、さらに甲子園から遠い、旧・姫路球場あらため、その名も「ウインク球場」の2会場を使い、全国各地からの代表、16チームが争い、日本一を決める。

 

 何か!?が起こらない限り、スポーツニュースでも報じられないであろうが・・・・・・。

 

 で、松井大河。なかば乞われるカタチで、「中京大学」の、「準硬式野球部」へ入部。

 

 ここは、名古屋を中心とした中部地区では、最強トップグループに常に入っており、投手層がめちゃくちゃ、ぶ厚い。

 

 グラウンドも、寮も、繁華街の名古屋ではなく、豊田市にあり、練習に専念出来る、ある意味、厳しい環境。

 

 1軍レギュラークラスの「Aチーム」から、4軍の「Dチーム」まであり、各チームが、他の大学とも試合を積極的に行なっている。

 

 それと併行して、選手それぞれが1軍入りを目指して、部内試合がしばしば行われていた。

 

 松井も、軟式からとはいえ、大言壮語こそ、まったくしない性格だが、上へ行けるであろうと思っていた。

 

 なにしろ、709球を投げ切ったスタミナと、キャッチャーの配球力が素晴らしかったとはいえ、ずば抜けた実力がある・・・・・と、ひそかに想っていた。

 

 それが、「どんな球を投げてみても、ガンガン打たれまくってしまいまして・・・・・」。

 

 外の大学どころか、部内で打ち込まれ、ガツンガツン打ち込まれ、気持ちや自信まで打ちこまれて・・・・・・。

 

 加わるチームは「D」から、良くて「C」。

 

 他校と試合しても、公式戦でたまに試しに中継ぎに使われ、実力も発揮出来ぬまま・・・・。

 

 私が、中野将・監督に取材したのは、松井が1年生の夏。

 

 練習にも、日が経つごとに姿を見せなくなっていることは、すでに取材して、知っていた。

 

 なにしろ、部員総勢100人前後。

 

 そのなかで、埋もれて、沈みかけて・・・・・・・。

 

 「・・・・・そうですねえ。試合には出てませんし、投げてもいません」

 

 「いえ、退部はしておりません。練習には、出てくるように言ってはいるのですが、最終的には、本人の気持ちと自覚次第ですからね、コレばかりは」

 

 「確かに、ウチの投手陣は他校に較べても層が厚いとは言えるでしょうね。その一角に松井は喰い込んでくれるんじゃないか!?と期待していたんですが。いや、今も、もちろん、期待しておりますよ。もう、このくらいで、よろしいですか?」

 

 その年の、全国一を争う「準硬式 大学選手権大会」に、松井は出場選手登録もされず、それどころか、下級生として手伝う帯同もされなかった。

 

 中京高校に聞くと、故郷の岐阜県の実家に、夏休みということで帰郷し、くつろいだ毎日をおくっているらしいとのこと。

 

 球友と会い、話し、自分の将来を模索しているらしいと、耳に入ってきた。

 

 その後、2年生、そして今、3年生の夏を迎えているが、公式戦はむろんのこと、他校との練習試合や、部内試合にも、投手として「松井大河」の名前は、見当たらないまま・・・・・・・・。

 

 「大学を卒業したら、地元で社会人の軟式野球部に入って、野球を楽しんでみたいですね

 

 そう、早くも1年生の時にクチにしていた、松井大河。

 

 気持ちまで軟式のままになっていったのだろうか。

 

 んんん・・・・・それぞれの人生。

 

 他人がアレコレ言う権利は、無論ない。

 

 無いけれど・・・・・・・・

 

 


≪ リアル 高校野球 ルポ ≫ 鍛治舎巧。熊本県・秀岳館高校、硬式野球部監督。ついに「退任」を決意。報じられない、プロ監督就任3年間の、隠され続けた真相[第1回]

2017-08-11 04:55:51 | 高校 硬式野球部の真実

 ついに、か・・・・・・・・。

 いっせいに報じられたのは、8月6日であったろうか。

  「鍛治舎巧(かじしゃ たくみ)、監督を退任の意向」

 そんなタイトルを目にした瞬間、そういう想いが胸の中をよぎった。

 何も、驚くことはなかった。なるべくしてなった退任の決意だったはずだから。

 そう、ついに、決意をせざるを得なくなったか、・・・・・・・・と。

 その決意の引きがねになったのは、左上の写真でお分かりになるように、太り過ぎの身体と、異常にぽんぽこりんと、まるでアニメのタヌキのような、せり出た腹が及ぼす影響による、数々の内臓疾患。

 そして・・・・危惧されていたことが、7月21日起こった。

 甲子園出場をめざし、陣頭指揮して戦っていた熊本県大会準々決勝戦勝利のの翌日に倒れ、救急車で八代(やつしろ)市内の病院に緊急搬送された。

 3週間過ぎた今、なんと甲子園のベンチ前に立っていた!

 その「執念」には、ただただ驚くほか無い。

 診断された病名は、「突発性不整脈」。

 突然、意識が無くなる。脈拍が速くなったり、遅くなったりし、目の前が、真っ暗になって倒れる。

 狭心症や、心不全を併発し、突然死に至ることも多い重病だ。

 不幸中の幸い、と言うべきか。鍛治舎巧は、その難だけは逃れることが出来た。

 とはいえ、診察した救急医にきつく言われ、この状態では、試合にも、練習グラウンドにも立つことすら、危険であることも厳命された。

 なのに、薬をポケットに仕舞い込み、7月27日には退院し、練習を見守り、大阪へとやって来た。

 県大会の、準決勝と決勝は、山口・野球部長に監督指揮を代行してもらうほか無かった。

 とはいえ、カラダの問題では無く、周囲の観る目が厳しく、これ以上監督を続けられる身ではないことを、鍛治舎巧自身が、この半月以上、悩みに悩んだ挙句、自覚し、決断したのであろう。

 命をとるか、野球をとるのか?

 年齢も、すでに66歳。引き際には、ふさわしい年代だ。

 だが、「退任を決意するようになったのは、この病気が原因では無い」と、鍛治舎はマスコミに言明。

 そうなのだ、本当に、このことが原因ではないのだ。起因ではあるが・・・・・。

 真の原因は、「激しい、この3年間にも渡る対立」だった 

  大阪の有力企業、パナソニックで役員専務待遇を受け、この上ない肩書きを持ちながら、全国的に知られるように鍛治舎がなったのは、高校野球ファンならば、誰もが知る「解説者」としての知名度だった。

 クチだけの弁舌では無く、自身、その昔、阪神タイガースから、ドラフト2位での指名が掛かったにもかかわらず、辞退した隠れた歴史を持ち、大学、社会人と、選手、監督としても在籍。

 それも、近年は大阪府下では知られた、中学生硬式野球チーム「オール枚方(ひらかた)ボーイズでは、あらゆる大会で優勝。5冠に輝かせた確かな指導力も併せ持っていた。

 これが、彼の後年の人生を、良くも悪くも狂わせていくものと、なっていった・・・・・・・・・・

 《 第1回 終了 》


《 リアル 芸能 ルポ 》 かつての「日活ロマンポルノ」開幕作にして名作や、「小沢昭一主演の快作」を監督した、西村昭五郎。青森県八戸市で、死す。知らされなかったままの人柄や、「秘めた艶裏話」

2017-08-09 22:39:30 | 芸能ネタ

 ネット上に、現われた「西村昭五郎」という、何とも久しぶりに目にした名前。

 それも、すでに、この8月1日に、肺炎でこの世を去っていたという

  これが若き日の、西村昭五郎だ。(日活からの、公式提供写真)

  その後、このようなアフロヘア的にしたのち、ウエーブのかかった髪型にしており、その頃の西村を、私は見かけている。

 ・・・・・・・・・そうかあ・・・・・・・。

 年齢的には、87歳。急死では無く、今回改めて取材してみると、以前から体を病んでおり、産まれ育った郷里の滋賀県の施設に入っていたものの、その後、いくつかの全国の施設や病院を転々としたのち、最後の地となった青森県の八戸市にたどり着いて、ひっそりと闘病生活を送っていた・・・・・ようだ。

 死去の一報があったのは、西村が監督をしなくなってから、もう長いが、「監督」として名簿登載され、入会金1万円の他に、月額3000円を振り込みし続けていた「日本映画監督協会」に、西村の実兄から1本の電話があって知らされたことによるもの。

 といっても、私がとりたてて、西村昭五郎と親しかったわけではない。

 かつて、「日活ロマンポルノ」について特集取材した折りも、すでに西村は表舞台からは消え去っており、直接、彼に当時の想い出を聞くことは、かなわなかった。

 ただ、彼の撮影現場に付いた、何人もの助監督や、製作担当者やプロデューサーから、逸話、秘話、その人となりを聞いていた。

 今回、人知れず、一夜にして、多くの人の記憶から消え去っていくのが忍びなく、少し、その切れハシだけでも、書き残しておこうと思い立った。

 もう、現・にっかつが昨年だったろうか、一昨年だったろうか、新たに仕掛けた「新ロマンポルノ」の新作の話題は、その出来上がりのつまらなさと、客の不入りと大赤字で、あっと言う間に、世間から消え去った。

 かつての「ロマンポルノ」の出来と、どうしたって較べてしまわれたからだ。

 ただの裸やセックスシーンを見せるだけなら、アダルトビデオや、無修正ビデオ、そして、今も細々とながら創られ、上映されている「ピンク映画」でいい。

 そこに、何か、ソレを上回る、コレ!というものが無ければ、映画ファンは一度は、物は試し、ダマされたつもりで・・・・という意識で観ても、2度は観ない。

 文字通り、そうなってしまい、あっけなく「新」は、幕を閉じた。

 そのくらい、かつての開幕作「団地妻 昼下がりの情事」からして、画期的で面白かった。

 時代背景も手伝い、ヒットした。

 今もって、「隠れた名作」といわれている。

 その監督が、西村昭五郎だった。

 主演は、白川和子。ピンク映画から転身。裸身ではなく、そのリアリティあふれる「艶技力」と「演技力」が注目を浴び、その後のヒット作につながっていった。

 以前、「アナザーストーリー」という、NHK-BSの番組で、この映画も含め、日活ロマンポルノの草創期のいきさつを語る流れで、現在の白川和子が出て、当時の自分や撮影現場の想い出を語っていた。

 だが、監督であった西村昭五郎は出ずじまい。

 ん? まだ、生きているはず。出るのが嫌だったのかなあ・・・と、その時は想っていた。

  偶然か、西村の監督デビュー作である「競輪上人行状記」のシナリオが、この8月3日発売の月刊誌「シナリオ」に、全文掲載されていた。

 書いていたのは、今平こと、今村昌平ら。

  「いやあ、おっしゃる通り、まさに偶然なんです。このシナリオは、急きょ、掲載しようということになりまして。掲載承諾や、著作権の問題など、あわただしく解決したようなもので」

  西村がこの世を去ったのは、実兄が伝えてきたところによれば、8月1日。

 発売日の3日といえば、葬儀や告別式が執り行われているさなか。

 ホントに偶然とはいえ・・・・・・・。

 「実は、急きょ決まったのも、東京都内にある「ラピュタ阿佐ヶ谷」という映画館で、今月「日活文芸映画は弾む」というイベント的映画週間がありまして」

 「その中に、この「競輪上人行状記」も、久しぶりにここで劇場公開されるということを知りまして。よし、だったら掲載して、興味をもってもらったら映画そのものも観てもらえたら、と思ったわけです」

 西村に連絡をとってみたものの、すでに滋賀県の施設を出ており、消息は定かに掴めないままに終わったという。

 この映画、主演は「怪優」小沢昭一。で、小沢の演技力を良く知る今平らが、こねくり回して「快作」にし、54年前の、西村昭五郎の監督デビュー作になったというもの。

 調べてみると、これまた偶然。本日9日から11日までの、わずか3日間のみの上映。1日、1回。ソレも、午後2時50分からと言う、観る条件の苦しさ。席数わずか48席の、ミニシアター。

 が、コレ、面白いっすよ!

 観た人の、ユーザーレビューだけでも、読むと興味を惹かれる出来栄え。

 奇遇な公開日といい・・・・・・。

 ちなみに、西村昭五郎は、軽い歌謡映画も撮っている。

 あの、日航機御巣鷹の峰、航空自衛隊撃墜墜落事件で亡くなった坂本九が歌った「涙くんさよなら」を映画化したもの。

 youtubeで、10分余り観ることが出来る。何でも撮れる、職人監督としての幅がある力量が分かるだろう。

 この脚本は、今や「先生と呼ばれるほど、バカでなし」を、日々、地でいっている虚匠」倉本聰も加わっている。

 当時、倉本は、節操無き、何でも書き屋。

 かつて大人気GSバンドであった、ザ・スパイダースを主演に押し立てた、愚にもつかない、まか不思議な歌謡映画を2本も、恥ずかしげもなく書きなぐっているので、興味ある方は、調べるといい。

 とても、「やすらぎ」なんて得られないひどさが、分かる。

 さて、「秘めた艶裏話」。

 団地妻シリーズが、大ヒットするや、西村は次々と課される上映日に間に合わせるべく、強い政治的主張や、思想も折り込まず、映画職人に成り切って、どんどん撮っていった。

 その結果、80本もの大量作を産み出すことになった。

 性娯楽映画に徹したが、脚本がつまらないと判断すると、突っ返した。

 自分で、どんどん書き加えたり、バッサリとシーンを消し去ったり、苦労して書いた脚本家が怒るような、換骨奪胎にはしなかった。

 ベットや布団の上での、前張りを付けてのよがり「艶技」はともかく、演技力が乏しい女優にも、厳しく当たらなかった。

 どんどん、こだわりを捨て去り、フイルムを回させた。

 5分に1回、裸とカラミを見せること。

 その基本原則を、ほぼ忠実に割り切って、守り、量産。粘りに粘って、徹夜、貫徹なんてことは無い。

 時間通りに終えた。

 なので、一般映画や、文芸映画や、社会映画や、石原裕次郎や、小林旭らのアクション映画を、ある種の気概とプライドを持って創っていたベテラン職人たちが、よりにもよって、会社を存続させ、社員が喰って行くために、セックスや裸かよう・・・・・・と、どことなく、仕事をこなしながらも、落ち込んでいたが、西村昭五郎は、少なくとも、嫌われはしなかった。

 とりわけ、新人裸女優には、あまたいる監督群の中でも好まれていた。

 で、ある日の朝。

 撮影開始時刻に成っても、西村昭五郎は、現われない。

 撮影、照明、録音、その他、全員が揃ってセットで待ち構えているというのに・・・・・。

 下っ端サード助監督が、プロデューサーに呼ばれた。

 「おい。監督のところに☎してみろ。どうしているんですか?ってな!」

 何かを、感付いている表情だった。

 言われるまま、新人助監督。

 撮影所の制作部のところの電話を借り、西村昭五郎の自宅へと、メモを片手に電話した。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はーい」

 寝ぼけたような、若い女の声。

 ん? どこか、撮影現場で聞き覚えのある声だった。

 寝ぼけた声相手に、いくつか、いぶかりながら質問。

 あの脇役の可愛い新人の女の子だ!

 ーーー君さ、〇〇ちゃんだろ?

 「・・・・・・・・はい。そうですが」

 あーあ・・・・・・・・。

 映画のシーンを、昨夜から自宅で、前張りせずに、やれるだけ、しこたまやっていたわけだ。

 ---悪いけどさ、そばに監督いるでしょ?

 「・・・・はい」

 ---起こしてさ、電話に出るように言ってくれる?

 「はい。分かりました」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 しばらくして、受話器を握る音と、西村昭五郎の声。

 ---監督! お願いしますよ。もう、みんなセットで待ってます。すぐ出てきてください。12時開始ということで、みんなに言って置きますが、良いですね!

 「ん? 今、何時だ? おお! 悪い、悪い、分かった。今すぐ、出るからさ」

 新人の女優と、なにやら小声でオハナシして、電話は切れた。

 撮影開始時。バツが悪そうな顔を見せながらも、西村、頑張って、いつも以上に早回しで、撮影スケジュールを消化した。

 その後も、・・・・・時々は、あったそうだ。

 もてた、西村昭五郎。

 ウエーブの掛かった髪が、どこかしら、女をそそったのか、役欲しさに自ら「提供」したのか。

 提供させる性格では、決して無かったと、皆がいう。

 当時は、助監督やプロデューサーに言わせると、西村に、妻も子も、いなかったはずという。

 だから、先の様なコトも出来たはずと。

 にしても、人生最期にたどり着いた先が、北の青森、八戸市とは。

 誰か、身寄りがあったんでしょうか?

 西村を知る人に、聞いてみた。

 「さあ・・・・・。ソコで、映画に関する仕事もしていなかったようですし、それに・・・認知症の症状も出始めていたとも、聞いてました」

 「おそらくですが・・・・奥さんの様な存在の方の故郷だったんじゃないでしょうか・・・・・・」

 人生最期の時、愛する女の見守るもと、津軽で死す。

 なにやら艶歌の世界。

 西村なら、どんな映像にまとめ終えるであろうか。

 お疲れ様でした・・・・・ゆっくりと、お休みください

 

  

 

 


浮かんでは消えてゆく「ネット記事」に対する、「コメント」順並べの怪しさと、あざとくも、意図的な操作による、恐怖の流れを暴露しておきます

2017-08-07 16:05:24 | ニュース

 あぶくの様に、浮かんでは、またたく間に消え去ってゆく、数多くの「コメント」群。

 時折り、自分が打ち込んだ記事の関連のシロモノや、興味を抱いたニュース記事に関してのコメントを、つらつら、ながめることがある。

 読む、のではない。ながめる。

 テキトーに、流し読みだ。

 1本の記事や、ジャンル別のニュースに関して、何百から、モノによっては何千と、コメントが寄せられている。

 んなの、全部読む時間的余裕も無ければ、精神的余裕は、さらに無い。

 そこで・・・・・ 気が付いたことがあり、たまに何度か、同じ操作を繰り返してみた。

 で、知った!

 コメントだからといって、送られてきた順に、並べているのではないこと。

 どこやら得体の知れない不気味な「コメント整理屋」が、そのニュースや、事象や、取り上げられた人物や、番組に対して、比較的「好意的」なコメントや、「絶賛」モノを、「1」から順に並べる。

 そして、批判的なコメントや、感想、嫌い、反日的糞味噌関連付けているシロモノは、一番最後に、どんどん送り込んでゆく。または、無視して載せない。

 その繰り返しが、日々、あらゆるすべてのジャンルにおいて、なされていることが判明した。

 そんな意図的な、あざといコメント操作に、初めて気付いたのは、かなり前。

 順繰りに「1」、「2」、・・・・・・・・「8」ぐらいまで、どこか気持ち我慢しながら眺めていき、さすがに疲れ果ててきた。

 んじゃあ、最後の例えば、「784」を見て、寝るかあ・・・・と。

 で、ソコを開くと、まあ、メチャクチャな罵詈雑言(ばりぞうごん)の類いや、マトを得た鋭い批判が、玉石混交、ズラリと並んで、せめぎ合っていた。

 その前の「783」も、飛ばして「774」も。

 ・・・・・・・・・

 打ち込んで送った時刻が、例え29分前でも、批判的だと「783」へと送り込んでおき、「好意的」なコメントは、例え6時間前でも「1」や「2」へと、意図的操作配置しているではないか!

 何度か、記事に対する、そのような流れを見て、?から「確信」に変わった。

 ホントかよ?と想われる方。

 時間に余裕のある時、やってみてください。

 余裕ない時は「1」と、「ラスト」を、眺めてみてください。

 驚くはずです。

 たかがコメント。されど、コメント。

 大概の人は、「1」から、せいぜい「4」くらいまでしか見ないもの。「ラスト」にまでたどり着き、読破する者など、いないはず。加えて、のぞき見る人は、皆無。

 この意図的な一般大衆への心象塗り付け作業操作。

 こりゃあ、ある種不気味な心象操作。

 何も知らないで、ふ-ん、日本人のなかの比較的多くの人は、こう感じているんだと「誤解」し、「納得」しがち。

 「誤解」させ、「納得」へと持ち込み、そんな流れの奥に運んでゆく、怖い「心象操作」「同一心理操作」。

 日々、毎日、365日、24時間、繰り返し、繰り返して、擦り擦り込み・・・・・・・。

 だからねえ・・・・・・。

 あとは各自、想いを抱いて、考え込んでみてください。

 震えてください。

 昨日からの、安倍第3次新内閣に対する、視聴者アンケートが、例え正しくとも、1億人ものなかの、たかだか1000人足らず前後でしかない。

 なのに、「国民の多くの受け止め方」として、とても意図的に集計、心象植え付け擦り込み報道操作させているように・・・・・・・。

 もう一度、大きく身震いして下さい!


小野塚康之・NHK野球中継名調子アナウンサー。久々に、8月15日、マイク前に座る。その後、甲子園の高校野球にも

2017-08-06 13:15:24 | アナウンサーの裏側と...

 ≪ 2017・7・29 掲載記事 ≫

  知る人ぞ知る、プロ野球、及び高校野球。そのいずれもで、名調子を響かせている、小野塚康之・NHKアナウンサー。

 5月の誕生日で、一応の定年を迎え、現在は引き続き、「シニア・アナウンサー」との肩書きで、番組に出演。

 毎週金曜日の午後。

 大阪のオバちゃんたちをバックに、蝶ネクタイを締めて、悪戦苦闘している姿は、ナリワイとして出てることは分かりつつも、哀しみの目線がにじみ、観なくなった。 

 やはり、成業というナリワイではなく、正業とも言うべき、「野球中継」でその顔、その声を聴きたいなと思いつつ、調べてみると・・・・・。

 ありました!

 8月15日、火曜日。BSで、午後6時から。

 阪神 対 広島 戦で、出ます。

 解説者は、小久保裕紀。

 試合会場は、「京セラドーム大阪」なので、雨でも中止になることは、ありません

 また、現在は未定ですが、甲子園で開幕される「夏の高校野球」のナマ中継試合にも、マイク前に座るでしょう。

 数は減りつつありますが、小野塚ファンの為にもと、記事化致しました。

 なにしろ、このヒト。野球熱がこうじて、自分の住まいを、甲子園球場から、歩いて5分のところにしている人なんですから。

 浜風に乗って、大歓声が、開け放った網戸越しの窓に連日、飛び込んでくるそうです。

 「カミさんは、苦笑いしながら、もう、あきらめているみたいです。こんな亭主をもらったのは、私の運命なんだわ、と」

 出勤は、楽です。

 それでは「ごきげんよう

 つい先日も、甲子園の昔のアイドル、荒木大輔に想い出を聞き、愛知県の東邦高校の「バンビくん」こと、坂本佳一との想い出をラジオで楽しそうに語っておりました。

  坂本君。私も取材させてもらいました。

 とっても誠実で、マジメな青年でした。

 それでは、甲子園球場で、お会いしましょう