この俳優の顔を、今も覚えていらっしゃる方は、いるのではないか?
なんと!偶然にせよ、本日11月22日、午前5時59分。福島県いわき市などで、震度5弱の大きな地震、及び余震が続き、津波警報が長時間発せられた。
深夜23時に至るも地震。津波の危険性は、消え去らない。
それが、この俳優と、何か、関連が? つながりが? いわき市に、彼が住んでいるの?
実は・・・・・・
というのは、最期に書く。
上の写真。言わずと知れた「北の国から」の、とあるシーン。
黒板純、そして、妹の蛍。その兄妹の歩む人生に、常に深く関わる、笠松正吉(しょうきち)。
幼い少年時代。そして、青年時代。
彼を演じ切ったのが、本名・中澤佳仁(なかざわ よしひと)。ドラマでは、「中沢」になっている。
その本名は、一昨日まで失礼ながら、まったく知らなかった。
昨日。何回目の再放送だったのだろうか。「北の国から」のスペシャル版を観ていて、ふっと思った。
一途に、そして秘かに惚れぬいていた蛍の「夫」になった正吉。男気、という単語が似合う顔つきに、いつの間にか、なっていた。
あれっ? そういえば、正吉。その後、どんなドラマや映画に出ていたっけ? その後の俳優人生、どうなったんだろう?・・・・・
検索してみると、芸能界から引退し、乞われて「北の国から 2002 遺言」には、声だけの出演で幕を閉じていた。
1968年産まれの、現在、元気であれば48歳の社会人。容姿も、考えも、ずいぶん変わったことであろう。
いったいどうして、芸能界から身を引いたのか?
今、どこで、何をしているのか? 芽生えて、膨らんだ記者根性。
「あの人は、今」に、関心がスライドしていった。
パソコン上で、いくつかのヒントを得た。あまり、正しくはなかったが。
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中澤佳仁は、関東のとある都市で、働いていた。
それも、会社員というより、ベテランの職人として。
ふすま張り。障子張り。カーテン選びと、その取り付け。壁紙張り。さまざまな床のフローリング仕様。ソファのカバーの張り替え。
などなど、表装一式。部屋のデザインから、リフォームまで、内装を一手に手掛けられる職人になっていた。
そして、その腕と人柄を認められ、なんと5年前に、有限会社であるその店の「代表取締役」に就任していた。
その店に、今日、連絡をとってみた。
なんと、朝から「現場」に出ていて、今日は店に戻らないと思うと、店の人。
行き先は「老人ホーム」。
「今日中に、全部、終わらせてくれって言われてますんでね」
社長といっても、デンとイスに座って、部下や社員に指示するのではなく、自ら職人を率いて、さまざまな現場に出向いて、率先垂範。
そんな社長になっていた。
店の人は言う。
「社長はこの仕事に、はたから見ていても分かりますが、熱い情熱を持って、毎日働いていますよ」
休日は、日祭日のみ。
「明日? 明日は、休みですよ!」
ああ、そうか、勤労感謝の日、か。まさに、中澤・職人社長にふさわしい休日だ。
こちらが、仕事の依頼とかではなく、中澤社長の、俳優からこの仕事に転じた経緯を聞きたがっていることを知るや、とたんに拒絶反応。
「そういう個人情報めいたことは、お話し出来ません!」
かといって、現場を探し当て、仕事中に当人に聞く・・・・わけにはいかない。
それでなくとも、今まで「あの人は、今」的な番組にもコーナーにも、記事の取材にも一切応じていないようだし・・・・。
そこまで踏み込む権利は、当方には・・・・ない、と思われ・・・・。
しかし・・・・・
聞き込むうちに、うっすらと透けて見えてきた。
この店で働きたいのなら、仕事をしたいのなら、役者をやりながら、片手間に職人もやるという気分で来られては困る。
それなら、雇えない。
どちらか、はっきりと決断してから、働いてくれ。
その決断の、決め手となったものは・・・・
「食べていけなかったからですよ、俳優では!」
社長になれなかった、先代社長の息子が、吐き出すように言った。
中澤本人に、ソレを聞いたのかどうなのかは、分からない。
ただ、そう決断したからこそ、「北の国から」の「2002 遺言」では、悩んだ末、店の許可をやっと得て、声だけの出演で終えた。
今日の老人ホームの職員や、入っている老人たちが、かつての「正吉」が、今、目の前で、ホームのリフォームを陣頭指揮して行なっている社長と同一人物と分かったか、気付いたかどうかは・・・分からない。
にしても・・・・・中澤佳仁。演技、リアルだったなあ・・・・・。良い俳優だったなあ・・・・。
キッパリと、俳優にけじめをつけ、いくつもの「一級技能士」の資格を得て、何人もの職人を率い、額に汗して働いている彼。
今、48歳。家族は? 所帯持ってるのかどうか? 答えは、店に拒絶された。
かつての時代のことは、一切話させない、応じないという姿勢の店。
キッパリと!というニュアンスが、分かって戴けるであろうか・・・・。
けじめをつけて、すでに長い年月が過ぎた。そんな人生に、今、棹さすのは、気がひけてならない。
最期に、本日、大きな津波に襲われる危険性をはらんでいた、「福島県いわき市」と、笠松正吉の関係について、書き置いておかねばならないだろう。
もう、再び制作されることは無いであろう、「北の国から」。
すでに、私が書いた、肝心の黒板五郎役の田中邦衛の病状を始め、この中澤佳仁が、例え声だけにせよ、もう出ることは無い。
その実情を踏まえながら、脚本家・倉本聰は、「2011 ~つなみ~」と題し、あらすじを書いている。
そう、「2011」年3月11日 東北沿岸を襲った「津波」が、物語のラストにくる。
蛍と息子の快とともに、福島県いわき市にほど近い浪江町に移り住んでいた、笠松正吉。
地元で消防士として働いていた。
その幸せな日々のなかで、あの3・11を迎える。
津波に襲われた児童を救助しようとした正吉は・・・・津波にのまれ、行方不明になるという、ラスト。
偶然とはいえ、この日に取材し、正吉の今、を打ち込んだことに、奇妙な縁を感じつつ、この記事を終えます。
中澤佳仁、48歳。純こと、吉岡秀隆、46歳。そして、蛍こと、中嶋朋子も、すでに45歳。
人生、まだまだ、これから。
「北の国から」は、観た人の、それぞれの心のなかに、これからも永久(とわ)に生き続けてゆく・・・
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2022/8/25
追記
上記、蛍役を演じた,中嶋朋子が、ラジオで、45分余り、
北の国から時代の思い出を、語っていました
中澤のことは、語っていませんでしたが・・・
芸能活動
彼が、し続けていないと、忘れ去られていくのか・・・・と
番組
ラジオ深夜便、8月25日、午前4時5分から
「私のアート交遊録」という、コーナーでした
聴き逃しで、再生して、聴けます