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< あの人は、今> 今も多くの人の記憶に残るテレビドラマ「北の国から」。そこで、純と蛍の人生に深く関わる笠松正吉・役を見事に演じきった俳優は、今・・・

2022-08-25 15:33:38 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

  【 2016・11・22 掲載 】

 この俳優の顔を、今も覚えていらっしゃる方は、いるのではないか?

 なんと!偶然にせよ、本日11月22日、午前5時59分。福島県いわき市などで、震度5弱の大きな地震、及び余震が続き、津波警報が長時間発せられた。

 深夜23時に至るも地震。津波の危険性は、消え去らない。

 それが、この俳優と、何か、関連が? つながりが? いわき市に、彼が住んでいるの?

 実は・・・・・・

 というのは、最期に書く。

 上の写真。言わずと知れた「北の国から」の、とあるシーン。

 黒板、そして、妹の。その兄妹の歩む人生に、常に深く関わる、笠松正吉(しょうきち)。

 幼い少年時代。そして、青年時代。

 彼を演じ切ったのが、本名・中澤佳仁(なかざわ よしひと)。ドラマでは、「中沢」になっている。

 その本名は、一昨日まで失礼ながら、まったく知らなかった。

 昨日。何回目の再放送だったのだろうか。「北の国から」のスペシャル版を観ていて、ふっと思った。

  一途に、そして秘かに惚れぬいていた蛍の「夫」になった正吉。男気、という単語が似合う顔つきに、いつの間にか、なっていた。

 あれっ? そういえば、正吉。その後、どんなドラマや映画に出ていたっけ? その後の俳優人生、どうなったんだろう?・・・・・

 検索してみると、芸能界から引退し、乞われて「北の国から 2002 遺言」には、声だけの出演で幕を閉じていた。

 1968年産まれの、現在、元気であれば48歳の社会人。容姿も、考えも、ずいぶん変わったことであろう。

 いったいどうして、芸能界から身を引いたのか?

 今、どこで、何をしているのか? 芽生えて、膨らんだ記者根性。

 「あの人は、今」に、関心がスライドしていった。

 パソコン上で、いくつかのヒントを得た。あまり、正しくはなかったが。

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 中澤佳仁は、関東のとある都市で、働いていた。

 それも、会社員というより、ベテランの職人として。

 ふすま張り。障子張り。カーテン選びと、その取り付け。壁紙張り。さまざまな床のフローリング仕様。ソファのカバーの張り替え。

 などなど、表装一式。部屋のデザインから、リフォームまで、内装を一手に手掛けられる職人になっていた。

 そして、その腕と人柄を認められ、なんと5年前に、有限会社であるその店の「代表取締役」に就任していた。

 その店に、今日、連絡をとってみた。

 なんと、朝から「現場」に出ていて、今日は店に戻らないと思うと、店の人。

 行き先は「老人ホーム」。

 「今日中に、全部、終わらせてくれって言われてますんでね」

 社長といっても、デンとイスに座って、部下や社員に指示するのではなく、自ら職人を率いて、さまざまな現場に出向いて、率先垂範。

 そんな社長になっていた。

 店の人は言う。

 「社長はこの仕事に、はたから見ていても分かりますが、熱い情熱を持って、毎日働いていますよ

 休日は、日祭日のみ。

 「明日? 明日は、休みですよ!」

 ああ、そうか、勤労感謝の日、か。まさに、中澤・職人社長にふさわしい休日だ。

 こちらが、仕事の依頼とかではなく、中澤社長の、俳優からこの仕事に転じた経緯を聞きたがっていることを知るや、とたんに拒絶反応。

 「そういう個人情報めいたことは、お話し出来ません!」

 かといって、現場を探し当て、仕事中に当人に聞く・・・・わけにはいかない。

 それでなくとも、今まで「あの人は、今」的な番組にもコーナーにも、記事の取材にも一切応じていないようだし・・・・。

 そこまで踏み込む権利は、当方には・・・・ない、と思われ・・・・。

 しかし・・・・・

 聞き込むうちに、うっすらと透けて見えてきた。

 この店で働きたいのなら、仕事をしたいのなら、役者をやりながら、片手間に職人もやるという気分で来られては困る。

 それなら、雇えない。

 どちらか、はっきりと決断してから、働いてくれ。

 その決断の、決め手となったものは・・・・

 「食べていけなかったからですよ、俳優では!」

 社長になれなかった、先代社長の息子が、吐き出すように言った。

 中澤本人に、ソレを聞いたのかどうなのかは、分からない。

 ただ、そう決断したからこそ、「北の国から」の「2002 遺言」では、悩んだ末、店の許可をやっと得て、声だけの出演で終えた。

 今日の老人ホームの職員や、入っている老人たちが、かつての「正吉」が、今、目の前で、ホームのリフォームを陣頭指揮して行なっている社長と同一人物と分かったか、気付いたかどうかは・・・分からない。

 にしても・・・・・中澤佳仁。演技、リアルだったなあ・・・・・。良い俳優だったなあ・・・・。

 キッパリと、俳優にけじめをつけ、いくつもの「一級技能士」の資格を得て、何人もの職人を率い、額に汗して働いている彼。

 今、48歳。家族は? 所帯持ってるのかどうか? 答えは、店に拒絶された。

 かつての時代のことは、一切話させない、応じないという姿勢の店。

 キッパリと!というニュアンスが、分かって戴けるであろうか・・・・

 けじめをつけて、すでに長い年月が過ぎた。そんな人生に、今、棹さすのは、気がひけてならない。

 最期に、本日、大きな津波に襲われる危険性をはらんでいた、「福島県いわき市」と、笠松正吉の関係について、書き置いておかねばならないだろう

 もう、再び制作されることは無いであろう、「北の国から」。

 すでに、私が書いた、肝心の黒板五郎役の田中邦衛の病状を始め、この中澤佳仁が、例え声だけにせよ、もう出ることは無い。

 その実情を踏まえながら、脚本家・倉本聰は、「2011 ~つなみ~」と題し、あらすじを書いている。

 そう、「2011」年3月11日 東北沿岸を襲った「津波」が、物語のラストにくる。

 蛍と息子の快とともに、福島県いわき市にほど近い浪江町に移り住んでいた、笠松正吉。

 地元で消防士として働いていた。

 その幸せな日々のなかで、あの3・11を迎える。

 津波に襲われた児童を救助しようとした正吉は・・・・津波にのまれ、行方不明になるという、ラスト。

 偶然とはいえ、この日に取材し、正吉の今、を打ち込んだことに、奇妙な縁を感じつつ、この記事を終えます。

 中澤佳仁、48歳。純こと、吉岡秀隆、46歳。そして、蛍こと、中嶋朋子も、すでに45歳。

 人生、まだまだ、これから。

 「北の国から」は、観た人の、それぞれの心のなかに、これからも永久(とわ)に生き続けてゆく・・・  

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 2022/8/25

 追記

 上記、蛍役を演じた,中嶋朋子が、ラジオで、45分余り、

 北の国から時代の思い出を、語っていました

 中澤のことは、語っていませんでしたが・・・

 芸能活動

 彼が、し続けていないと、忘れ去られていくのか・・・・と

 番組

 ラジオ深夜便、8月25日、午前4時5分から

 「私のアート交遊録」という、コーナーでした

 聴き逃しで、再生して、聴けます



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