《 2014・3・27 掲載記事 》
当たり前の事が、こんなに嬉しいとは!
本日、2014年3月27日、午前10時過ぎ、ニュース速報のテロップを目にし、「やったあ!!」と、思わず、叫んでいた。
本日、静岡地裁に出されていた「第二次再審請求」が、認められたうえ、袴田巌さん自身の身柄釈放も合わせて認められた。
左の画像は、本日、3月27日。17時20分過ぎ、東京拘置所から釈放された袴田巌(はかまだ・いわお)さん、78歳の姿。48年ぶりに、外へ拘束や壁が立ちはだかることなく出られた。
右は、姉の秀子さん(81歳)。(NHKの速報画像より)。
この事件。一家4人放火殺人とされたが、アリバイがあるうえ、逃走するときに抜け出たとされる裏木戸は、わずかな三角形のすき間しか無い。
フツーの人間でも、とても通り抜けられないすき間。ましてや、プロボクサーを引退して間もない袴田さんが、どうやったって、すり抜けられないのは、写真を見たら、子供でも分かる。
さらに、「明らかに、ねつ造された証拠品」と、今回の第二次再審請求を認めた、静岡地裁・村山浩昭裁判長が断じた、犯行時に犯人(袴田巌)が着用していたとされる5点の衣類。
これ、逮捕時にも、起訴時にも無く、その上、いざ裁判が始まっても無い無い、出てきもしない。
提示されたのは、裁判が始まって、なんと1年近くたってから。
それも、どれもがサイズが小さくて、とても袴田さんが着られるシロモノでは、なかった。
おまけに、犯行時に返り血を浴びて、衣類に付いたとされる血。
コレ、科学判定してみると、人血ではない可能性が大きかった。
それを弁護側が検察陣に問うと、みそ樽に長い間浸かっていたのでサイズが大きく縮まったのだろう。血は変質したのだろうという、デタラメ返答。
ねっ! 子供でも分かるデタラメでしょ! それでも、1審の静岡地裁は、死刑判決を出した。
ただし、3人の裁判官による合議制で、1人、反対意見を述べた若手裁判官がいたことは、のちに知られることになる。
「これは、おかしい。これで、死刑判決は、とても出せないと思った」と、私に語ったのが、その熊本典道、元・裁判官。
彼は、判決文を良心の呵責(かしゃく)にせめぎ合いながら担当者として書き上げ、その7か月後に、裁判官を辞職した。
弁護士に転じたのちも、そのことについて語らずにいた。
今から7年前。元東大生のプロボクサー・新田渉世(川崎新田ジム会長)などが尽力。
東奔西走のバックアップをしてる中で、ようやく懺悔のような気持ちで、「あの判決は、間違っていた。証拠そのものに、疑問が残ったままだったのに・・・。無罪にすべきだった」と、熊本は告白。
さまざまな冤罪支援集会に出ては、針のむしろのような中で、自らの誤りについて語り、全国を行脚していた。
第1回の再審請求の結果が、来年にも出るのではないか!? その認否に、少しでも良い方向に担当裁判官の判断が動くのでは、ないか!?との、想いからの「告白」であったと、のちに知った。
私が聞いたのも、その頃。
今日、「再審開始決定」と、「被告人・身柄釈放」の報道を受けて、すでに弁護士業も引退し、福岡県に住む熊本の、あまりの変わり様に驚いた。
しゃべり方もおぼつかなくなり、それでも、今の心境を問われると、涙を浮かべてバンザイのポーズを繰り返した。
この吉報を、心から喜んでいることが、伝わってきて、胸が熱くなった。
加えて、先月、担当裁判官あてに、「再審開始を望みます」との、上申書を郵送していたと、この日、知った。
熊本の人生もまた、「袴田事件」に関わったことによって、大きく変わったことを、改めて痛感させられた。
そして、もう1人。もし今回担当の裁判長が、村山浩昭でなかったら・・・。権力べったり、容認派の裁判官だったら・・・・。
それを考えると、ゾッとする。
不幸中の幸い、というべきか。幸運、であった。
この村山。実は、前任地の東京地裁で、あの酒井法子の、覚せい剤所持・使用事件を裁いた裁判長。
決して正義派の裁判官とは、言えない。
しかし、懇切ていねいに、証拠と事実に照らして審理し尽くして、判決に至るタイプ。
酒井の言い分の中で、「今後は介護の仕事に就きたいと思います」という、その場限りの法廷のウソ言葉には、だまされたが、初犯ということもあり、執行猶予付きの判決は妥当なところだろう。
いかにも村山らしい判決を出したのは、この静岡地裁に赴任してから。
昨年、覚せい剤を使用し、車を運転。発覚すると、他の車を盗んで逃走したという理由で、強制逮捕された事件の審理を担当。
ところが、審理を進める中で、警察は逮捕状も所持せず、被疑者の家の玄関の鍵を壊し、チェーン・カッターで、ドア・チェーンをぶった切り、そればかりか、被疑者の頭を、その重いチェーンカッターで、何度も叩いた末に、強引に身柄拘束し、暴行強制連行。
明らかに、証拠と事実に照らし合わせると、そこまでする必要に疑問を持たざるを得ない事案であった。
被疑者と弁護側は、公判廷で、覚せい剤使用は認めた。しかし、違法捜査と逮捕は、法的に、そもそもおかしい、行き過ぎだと、主張。
村山が出した判決は、「無罪」。
違法捜査の上での逮捕そのものが、法的に認めがたいというもの。
そのような、あくまで法にキチンと照らして審理する裁判官だけに、ひょっとしたら! という、淡い期待を私はひそかに抱いていた。
で、もし棄却であっても、せめて一時期にせよ、袴田さんを、身柄釈放して欲しいという、あり得ない矛盾する望みも、持ち合わせていた。
というのは、巌さんの3歳上の姉、秀子さんから、弟の痴呆が激しく進んでいるのを、何度か、直接聞いていたから。
「この3年以上、なかなか直接会って、(東京拘置所で)面会出来ていないんですよ」
「自分が、どうしてココに入っているのかも、ひょっとして弟は、分かっていないんじゃないかしら」
「会いたくないは、まだしも、秀子? そんな人、知らない、と言ってるとか、(拘置所の担当官は)言うんですよ」
「ホントなのかなあ? 会わせたくないからかなあ、なんて思ったりしてね」
「でも、ようやく会えてみると、私が姉だということが、確かによく分かってない時もあって・・・」
「自分が何者なのか、なんの罪でこんなとこにいるのかも、よく理解出来てないみたいで・・・」
「昔はね、姉ちゃん、俺、何も悪いことなんか、してないよ。信じてくれよ! 1日も早く、ココから出してくれよ! 頼むよ!と言ってたのにねえ・・・・」
「怒りだしてね、何してんだよ! 早く、出してくれよ! 本気で俺を出そうとしてくれてんのかよ! もう、それなら、来なくていいよ!と、怒ってたのに」
姉の秀子さんは、他の兄妹が、世間の冷たい視線に耐えられなくなって巌さんの救援運動から次第に離れて行く中で、ただ独り、弟の支援に、物心両面で当たってきた。
年金生活の乏しい金銭のなか、地元の静岡をあえて離れず、自腹で上京して、小菅にある東京拘置所へ通う。それだけに、「拒否」されて、会えずに帰る時の心境は、正直、辛そうだった。
本日、巌さんの足取りは、思ったよりは確かだったが、それでも弱っていることは見て取れた。ロードワークを、ボクサー時代にしていて、足腰を鍛えていたことが、老いを救った。
だが、反面、長年に渡る拘禁による心身の耗弱と、孤独と、独房に押し込めたままによる、感情がかなり狂い始めていることは、確か。
おそらく、満足に人と会話が長く通じることは、難しいはず。だから、記者会見も設定は難しいはず。
そうさせてしまった1因は、「冤罪」を作り上げた、当時のマスコミにもあることは、肝に命じて欲しい! 喜びの声を報じる前に。
こんな無実の分かりやすい事件は、無かったのに・・・。
今後のリハビリに通じる一助は、存在する。
以前面会した、新田渉世が、私に言っていた。
「・・・確かに、痴呆というか、ご自分が何をしたのか?が、よく分かってないみたいです。だけど、ボクシングの話しをすると、目の輝きが、それまでと違って見えるんですよ」
「こう、パンチを左右に繰り出して見せるとね、袴田さんも、こう、体を動かすんですよ、かすかですけどね。どこかで、自分がボクシングをやっていた、関わっていたという記憶が、甦るのか、もしくは残っているんですよねえ」
ボクシングや、ボクサーをやっていたという記憶を甦らせて、それをとっかかりに、当たり前の生活を、1日も早く取り戻して欲しいと、切に思う。
むろん、完全無罪の審理と、48年間の人生をつぶした法定賠償金と、判決。そして、取調官による証拠でっち上げの謝罪を得てだが。
今は、喧騒を避けて、ゆっくりと独房で積み重なった汗と、やりきれない無念の想いを、少しでも流し去って欲しい。
ゆっくりと、ゆっくりと、春のやわらかな陽射しを浴びて、富士山を見つめながら・・・・・・・・
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《 2018・6・7 追記 》
本日、いきなり、わずか4日後の、6月11日。
東京高裁から、再審請求を認めるか、どうか、の判断が、大島隆明・裁判長から言い渡されるとの報道が湧き出てきた。
再審が認められても、検察庁が「即時抗告」を出して・・・・この丸4年間。
そのようにして、吉報はつぶされ続けてきた。
すでに、袴田さんも、姉の秀子さんも老齢。
さらに、袴田さんの「拘禁症」の影響は重度を増し、痴呆もどんどんひどくなってきているとのこと。
1日も早く、再審が決定し、無罪を勝ち取らねば、無に帰す可能性が高い。
今年、2月24日。
都内で、「袴田巌さんの再審を開始せよ! 2・24 全国集会」が開催された。 だが、その4日前。 新田渉世・会長に逢い、袴田さんは、来れるんですか?
そう、聞いたら、「痴呆もひどくなってきて、大勢の人の前で話せる状態じゃないんです。姉の秀子さんだけが、来られます」との返答。
プログラムを見たら、江川紹子や、森達也ら、2面性の有る、デタラメなしゃべり手ばかり。
行く気も、うせた。
先程、昨年の6月と7月。相次いで放送された、袴田巌さんのドキュメンタリーを、改めて通して観た。
先の48年振りに釈放されてから、1年半後。
姉と住む、静岡県浜松市中区のマンションを出て、袴田さんが、1人で外を歩き始めた。
1日、ひたすら5時間。ソレが、月日を経るごとに、早足になり、今やジョギング程度に。
だが、かつてのボクサー時代のロードワークのごとく、体力は付いてきたものの、精神の老いは止められない。
明らかな、冤罪。
取り調べの録音テープのなかで、袴田さんは、怒りのあまり叫んでいる。
「よくも、俺を犯人だとしゃがって!」 「お前たちの方が、人殺しだよ」「一生、お前らのこと、忘れんぞ!」
11日。西嶋勝彦・弁護団長のもとに、当たり前の結果が届くことを願っている。
そして、「死刑囚」の汚名が、1分でも早く、ぬぐわれることを・・・・・
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2023・3・13
や――――――――――――――――――――――――っと、再審請求が認められた
明らかな、無罪
明らかな、えん罪
1日も早く、審理始めて欲しい
袴田さん
足腰は、丈夫だが、痴ほう状態が進んでいるし