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<北朝鮮 日本人拉致事件 ルポ> 「後篇」 曽我ひとみ一家の今と、闇深い問題点 

2014-11-29 13:59:16 | ニュース

 そんな佐渡ヶ島の海岸近くを、なんで、それも店が閉まりかけの時刻に「買い物」に行ったのだろうか?

 それも、母子2人して・・・・・。

 そんな、疑問を、その記者に告げた。

 「やはり、行ったことのある人なら、そう思いますよねえ」と、地元記者。

 「実はねえ、言いずらいことなんですが、あの当時。曽我さんの父親。茂さんとおっしゃるんですが、毎晩のように、酒を飲んでは、暴れる。家族に手を出してた。それも、手が付けられないくらいに」

 「もう、近所でも、酒癖の悪さが知れ渡っていて・・・・。酒飲んで無い時は、ごくフツーのお父さんなんですが。そうなると、もう、お母さんのミヨシさんも、ひとみさんも、ましてや、当時13歳の、ひとみさんの6つ下の妹さんの富美子さんなんか、押さえられるわけも無くて・・・」

 「まあ、それで、お父さんの茂さんが酔いつぶれて寝込んでしまうまで、母子して、しばらくの時間、外へあてども無く出て歩いていた。ほとぼりが醒める頃に、家に帰るという姿を、近所の人が、見かけていたそうなんですよ」

 そんな事を、拉致犯は、事前に知っていた?

 「まあ、そこまでは分からないんですが。偶然出くわして、標的になったのか? それとも、最初からそのことを知っていての、狙っていた、計画的犯行だったのか?までは・・・・・。何しろ、いまだに実行犯が、捕まっていないんですから」

 もし、もし、その日、母ミヨシと、妹富美子が、外に出て行っていたら・・・・。

 帰国後、ひとみは、確かにこう言っていた。

 「もし、あの日。私ではなく、妹が拉致されていたかも知れない」と。

 父の、酒癖の悪さ、アルコール中毒ぶりをかばい、隠し、「買い物」に言い換えた娘。

 

 22年振りの、感動の再会と抱擁(写真上)

 「父ちゃん、待っとった」と、父・茂。

 そして、涙にくれながらこう続けた。

 「すまんかった。あの時は、・・・すまんかった」

  だが、ひとみが「帰宅」してしばらくは、酒を断っていたが、また落ち着き始めたら酒に手が伸びたと、いうことを聞いた。

 茂は、若い時から酒浸りの生活をしており、近所で知らぬ者はいなかった。妻・ミヨシの苦労。その親の姿を見て、姉妹は育った。

 その茂も、ひとみが帰国して4年半後、食道ガンに呼吸不全を併発して、病院に入院してわずかで1週間で他界。末期であった。

 葬儀・告別式は、佐和田地区にある「黎明」(れいめい)という葬儀会場で執り行われた。

 事件を振り返る時、もしも、と、・・・たら、は、しばしば言われること。

  あんな、真野町の、四日町を通る国道350号線の歩道を歩いていてか・・・・・。

 その地元記者の話してくれたコトは、とても良く実感を伴って理解出来た。しかし、鵜呑みにしてはいけないとも、思い直した。

 疑うわけではないが、書かないまま、その翌年の夏。佐渡ヶ島を単身、再訪した。

 近所でも聴き込みをし、夜道を何十年か振りに歩いてみて、地元記者の言ってたことは、本当だったと分かった。

 あの当時より、この拉致事件があった影響からか、街灯がつけられてこそいたものの、まだまだ薄暗く、店は夜遅くまで、やはり、やっていなかった。人通りも、相変わらず少なかった。

 曽我宅へ、ダメ元で行ってみたが、やっぱり、とても気軽に近づける状況と雰囲気では無かった。

 ましてや、柏崎に戻って、スパイ指令を受けていた蓮池薫「先生」のところと言ったら、もうガチガチで・・・・・。

 その後、「改心」して、身も心も純粋な日本人に戻ったと、聞いてはいるが、はてさて・・・・・。

 一度は、拉致前、仲の決して良くなかった蓮池透との、兄弟仲も、帰還を果たし、日が経つに連れ、結局、拉致前に戻ったと聞いた。

 なにしろ、透。

 兄が参加していた、当時全国の大学に吹き荒れていた学生運動について、聞いたところ、

 「学生運動!? フン、あんなもの」と、侮蔑するかのように吐き捨てたほど。思想は、水と油であった。

 さらに、聞いた。

 柏崎原発立地の時、確か蓮池さん、表現は悪いかもしれませんが、札束で頬をひっぱたくようにして、原発敷地予定地を買いまくって行きましたよね?

 少し、眉をくもらせて「ああ、そうだよ」。

 それが何か、問題あるの?とでも、言いたげに答えた。

 血肉を分けた兄弟といえども、この考えの違いは大きい。ましてや、今度は母国を裏切って、極秘スパイ活動を兄弟がしようとしていたのだから。

 透も、論客。当時、テレビに出まくった人。ともかく、何度も徹底的に話し合い、今の日本は北朝鮮が敵対視する国では、まるで無いことを、兄というより、「洗脳されしきった愚か者」相手に、こんこんと説き伏せた。

 怪しい兄。大変であったことは、透の書いたとされる本を読んでいても、想像にかたくない。

 さて、再び、曽我ひとみと、母ミヨシの拉致の真実に戻る。

 曽我ひとみは、こう言っている。あくまで、ひとみの言い分、であるが。

 拉致事件の頃。ひとみは、佐渡高校沢根分校の定時制を卒業後、佐渡総合病院の看護婦見習いをしながら、看護学院に通い、その寮に入っていた。実家に行くのは、土曜日。翌日曜日の午後に帰っていくというスケジュール。

 その日の土曜日も、実家に戻り、夕方、母ミヨシに、一週間分の積もる話を聞いて欲しくて、「お盆も近かったので、母と買い物に行こうとしたところ、妹が、私も一緒に行くう!と言ったので、少しケンカしたのを覚えています」

 で、ミヨシと二人で、夕方過ぎ、先に書いた、国道350号線の歩道を連れだって歩き、あるお店(写真下)に行った。

 

 てっきり、お盆前の買い物ということから、線香などを購入と思ったら、「ウチでは、その日、お菓子やアイスクリ―ムや、ジュースを買いに来られたようですよ」と、お店の人。

 実は、曽我の実家も、同じ幹線道路沿いに建っている。店との距離は、何キロもあるわけでは無い。

 拉致されたのは、曽我によれば、午後7時前後。

 となれば、すぐ帰宅せずに、アイスクリームを舐め舐め。ジュースやお菓子などをクチにしながら、のんびりと心ゆくまで、どこかで座って話し込んだりして、母とおしゃべりを楽しみながら、家へ帰ろうとしていた。

 通りは、家と店が連なっているところもあれば、左右両脇に何も無いところもある。

 とりわけ、国府川など、大小の川に架かる橋の辺りは、ただ草むらが生い茂っているだけで、街灯すら無い。

 時は、うす暗がりにはなっていたが、暗闇までにはなっていなかったと、曽我は言う。

 異変に気付いたのは、帰り道。

 母子の後を尾行するように、3人の男たちが横一線になって、ついてきていた。

 振り向いた時、その姿を見たと言う、曽我ひとみ。3人は、見覚えの無い顔だったという。

 のちに、その男たちとは、「招待所」で、何度も顔を会わせている。

 おかしいから、気をつけないとと母に言いながら、足早に歩き始めた。

 その時、いきなり後ろから3人が駆けてきて、母子のクチをふさぎ、その近くに建っていた家の植え込みに引きずり込み、アタマからすっぽり大きな袋をかぶせ、手足をひもで縛られたと、言う。

 母の姿と、声を聴いたのは、ひとみによれば、その時まで。

 だが、そのあとのハナシは、いきなり小舟に乗りこむ時に代わる。

 実は、国道350号線から真野湾の海面まで、距離がある。おまけに、砂浜もあれば、ゴツゴツした岩場もある。

 ソコまで、どのようにして連れて行かれたのか? まったく詳細な説明が無い。車でか? 担がれてか? 叫びはしなかったのか? 暴れは、しなかったのか? 何の説明も無い。

 袋をかぶせられていたから、風景は見えないにしろ、そこに育って19年。見ず知らずの風景では無いはずだ。

 曽我の言うように、真っ暗で無ければ、土曜の宵闇。行き交う車や、歩行者は、皆無だったのだろうか?

 いかに「工作員」の拉致の手口が、素早かったにしろ、時間はかかるのだから。

 植え込みの有る家の人に向かって、曽我親子は、助けを求めて、叫ばなかったのであろうか?

 驚いて、声も出なかった???

 状況説明は、いきなり小舟に入る。その時の母が、どうしていたのか?の説明は無い。

 舟は、沖へ向かって、なかなか浜を離れなかったという。

 その間に、あまりに母・ミヨシが暴れるため、殺されたか? それとも、後姿からは、髪は短く、おまけにズボンを穿いていたため、男、つまり、カップルと見間違っていたのが、中年女性と知り、目的と違ったため殺したのか?

 ともかく、娘・ひとみは、声・姿を見聞きしていないと言う。

 

 やがてひとみは、船底にぶち込まれた。そして、しばらくして、彼女は、「ザブ~ン!!」と、音をたてて、何かが漆黒の日本海に投げ捨てられた音を耳にしている。

 いつ、この言葉・供述を耳にしたのか、今となっては定かではないのだが、ひとみ自身が話している。

 だから、自信を持って書いている。

  また、のちにひとみの夫となる、ジェンキンスが、北朝鮮の「招待所」での生活のなかで、工作員に妻の母の消息を尋ねた際、「舟の甲板から、海に袋ごと投げ入れた」と聞いたと、日本にきてから、インタビューで証言している。

 それでいて、「母よ、還れ」か・・・・・・。

 「夫婦生活」。2年間の空白があったにせよ、都合34年間の生活のなかで、夫から一度も聞かされていない訳が無い。

 あまりに、暴れ過ぎて、手に負えなくなったからか? それとも、支援・調査に当初から深く関わっている西岡力(つとむ)も言うように、ミヨシが当夜、ズボンを穿いていたため、カップルを標的にしていた北朝鮮拉致犯に男と勘違いされたすえの、出来事であったのか、どうか?

 ひとみは、クチと目は、テープでふさがれたままではあったが、耳だけは、ふさがれていなかった。

 そして、ひとみによれば、途中の沖合で、より大きな船に乗り換えさせられたとのこと。

 その前後も、おかしな日本語を駆使する女性工作員のキム・ミョンスクとは、平気で話しをしている。

 やがて、翌日の夕方5時か6時頃と、ひとみは言うが、北朝鮮のチョンジン(清津)港へと、陸揚げされた。

 その後、北朝鮮は、かたくなに一貫して、こう言明。

 陸に引き揚げたのは、若いオンナ、1人だけだ。あとは、いない。見ていない、と。

 2014年秋の、今に至るも、横田めぐみや、その他の日本人の動静、生き死にについては、悲喜こもごも、さまざまに報じられてきたが、こと、曽我ミヨシについては、ただの一度も浮上したことは無い。

 海に何か投げ入れられた音は、娘ひとみも、耳にしている。だが、それが、袋に詰められたままの、母であることは、絶対に信じたくないという、かたくなな想いは分からなくも無いが・・・・・。

 だが・・・・・・。

 1年後に果たしてなるのか? 汚い駆け引きと、条件付けての2年後か? 

 「第一次報告」なる、デタラメ、まがい物にでさえ、曽我ミヨシの名前は、一文字も出てこないであろう。

 それにしても、今まで報じられたことはないが、姉のひとみと、母ミヨシが、いきなり目の前から消え去ったあとの、妹・富美子の苦労たるや、大変なものであった。

 当時、わずか、13歳。残ったのは、あの父との、生活。

 父は、昼は、島内にある工場勤務。その工場に、北朝鮮関係者が、日頃から出入りしていたという裏情報があったが、確たる証拠は掴めなかった。

 父は、長年の酒浸りの影響で、東京まで行ける身体でもなく、一方で、旅費の捻出にも事欠く日々。

 やがて、富美子は、夜の父の酒浸りの姿を見たくないからか、夜のスナック勤めに出る。

 なんてことはない、よくある、場末のカラオケ・スナック。

 ところが、口さがない連中は、酒だけじゃなく、身体も売ってるらしいよ、などと、根も葉もない噂をでっち上げていたという。

 心身共に、辛かったことは、想像にかたくない。

 やがて、富美子は父の面倒を見ながらも、幸せな結婚を遂げる。

 姉のひとみが、帰還するのを待ちかねたかのように、妹は、父の世話をバトンタッチ。

 夫の転勤に伴い、対面の新潟市に当時転居して行った。ホントに、お疲れ様でしたと、一言、言いたい。

 酒にまつわるハナシは、まだ続く。

 曽我ひとみが、北朝鮮に拉致されて、38日目。引き合わされたのが、19歳も年上の、アメリカ人。

 名前は、チャールズ・ジェンキンスと言った。

 なんと、北朝鮮に進駐していた自国の軍隊の基地から、敵前逃亡脱走。そのまんま、北朝鮮に、逃げ込んだ。

 それも、その夜も、したたかに、泥酔深酒してだ。

 この外人と、結婚!? ひとみに、選択の余地は無かった。明治・大正・昭和初期の、写真1枚きりで決めさせられたお見合いでもあるまいし・・・・とは思うが、異常な拘束状況下、そのまま、結婚へ。

 また、男の大酒呑みとの、一つ屋根の下の生活・・・・・

 なんともまあ、付きまとうアル中。運命?

 取材していて、深いため息が、出てしまった。

 北朝鮮としては、さほど欲しくもない泥酔兵。欲しいのは、基地・軍事情報だけ。飛んで火にいる泥酔兵。役に立たず。

  それでも、彼女の性格なのだろう。ドの付く、従順。いわれるままに、結婚している。

 当初、キム・ミョンスクに、北朝鮮のことを言われ、そんな国は聞いたことが無い。金日成? 誰、それ? 分かりませんと、言い返したら、怒っていたと言う。

 「朝鮮語の勉強を、一生懸命すれば、日本に帰してやる」

 「お母さんのことは、心配しなくても、佐渡で元気に暮らしているから、大丈夫だ」

 そう、言われたと言い、それを信じていたようだ。

 なんともはや、これまた、従順。素直・・・・・・。

 横田めぐみとも、生活するなかで会った。

 自分の生い立ちを詳しく書かされ、朝鮮語を覚え、日々の生活に不自由しなくなると、今度は、日本に工作員として将来活動しようとする北朝鮮人に、日本語を教える仕事を、こなしていった。

 ひとみの教えた日本語を武器に、日本に素知らぬ顔で工作員たちは侵入し、次の拉致すべき日本人を狙い定めているかも知れない。

 結婚生活は、経済的には満たされてはいないものの、米は切れ目なく配給され、月給ももらえた。

 住まいは、日本人4世帯も住む、3階建てアパート。

 停電はしょつちゅう。暖房は止まり、寒くもあったが、一般の貧しく、餓死する生活をしている国民に較べれば、はるかに恵まれていたと言うべきだろう。

 美花。そして、ブリンダという、2人の娘を産み、異国の地で育てあげた。

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 Dscf8104 娘2人の風貌は、外人。

 母の母国へと来たものの、これまた、まったくマスコミの取材に肉声で、答えていない。新潟市にある「新潟大学 国際センター」へ、かつて通っていた、と伝えられている。

 娘までも、「特別待遇」。至れり尽くせりだ

 現在、美花(みか)は、もう31歳。保育士の資格を持ち、クラス担任になったばかりで、日々、奮闘中とのこと。

 また、次女のブリンダは、28歳。佐渡ヶ島の両津にあホるテルで、韓国人観光ツアー客のガイドをしたあと、ブライダルの専門学校に通った。

 かと思うと、「今は地元の酒造会社の販売員をしている」と、母のひとみ。マイペースの性格だそうな。

 ひとみ自身も、帰国した翌年、真野町の保険衛生指導員を4年勤め、今度は正規の正職員として、佐渡市の養護老人センターで、准看護師として勤めていた。

 もっか、家族4人全員が働き、まがりなりにも、収入を得ている。

 それに加えて、当初、ひとみが帰還した際、1人、月額税抜き30万円が、国から支払われていた。

 そのカネで、数年、働かないままで、のらりくらりと、日本から支給されたカネで暮らしていたジェンキンスのお酒代も、支払われていた。

 近所の目撃談では、建て直したのか、増築したのかどうか?までは、詳細に分からないが、外壁が、きれいに塗り替えられ、新築のような家になっているという。

 それでも、来年3月末で切れる「生活給付金」が、まだ継続して、引き続き「欲しい」と訴えた、曽我ひとみ。

 「この先の、将来の生活に不安がある。夫の介護にも、おカネがいる」

 すでに、丸12年。この先、どこまで、国にねだる、すがる、つもりなのであろう・・・・。なにか、この一家に、やりきれない想いがしてしまうのは、私だけであろうか・・・・・。

 苦労した、妹の富美子なら、まさに真の被害者。支払うのは分かるが・・・・。

 この結婚生活によって、命を救われただけでなく、一番、得し、ラクしたのは、ジェンキンスであろう。

 日米の特例裏交渉により、敵前逃亡・脱走罪、軍の機密情報暴露等々による死罪を免れただけではなく、アメリカの故郷を訪ねることが可能となり、母にも、ひと目会うことがかなった。

 「告白」という本には、都合の良い、自己弁護に終始した文字が綴られていた。

 帰郷した際、国だけではなく、周囲の人々に、白眼視されたのは、当然であろう。石もて追われるように実家と、故郷を、足早に発った。

 今は家族4人。故郷の、佐渡ヶ島に暮らす。

 ジェンキンスの酒好き、大酒呑みは、変わることはない。

 ひとみによれば、すでに夫は74歳。最近は、めっきり足腰が弱ってきていると言う。酒浸りが、たたっている。

 妻が、日本に帰ってしまった直後、国から再婚を勧められていたことまで、べらべら話すジェンキンス。

 もし、もし・・・・・が、曽我ひとみの人生の軌跡を追うと、どうしても想い至ってしまう。

 それにしても、拉致の真実、事実、向こうの本当の生活が見えてこない。詳細に、隠さず話して欲しい。

 話すと、いまだ30数年、残って招待所などで暮らしている人達に影響するから、これ以上、話せないとか言っている。

 日本人村での、詳細な日々の暮らしぶり。日本人被害者の誰に会い、誰の消息を聴き、どんな状況なのか?

 そこから、手がかり、安堵、失意、適切な捜査・調査方法が、相次いで得られるはずなのに、我が国から、生活費のおカネだけ得て、あとは、よくて断片的にしか話さないは、無いだろう!

 13人に向けて、徹底した聞き込みも、今だ家族会以下、全員が行なっていない。したいだろうに、してない。出来ない。

 おかしい、という他ない。

 ヒミツ、秘密、正直に、漏らさず話さない。しかし、おカネは継続して、くれ、くれ。

 もうひとつ、盛り上がらないのは、その影響も少なくない。

 後に続く人のことを、本気で考えて、助力すらしていない「特別な方々」。

 自分たちさえ、今、幸せであれば、それで良い、か・・・・。

 情報秘匿姿勢の、公安幹部。国民、被害者家族にとって、糞の役にも、立っていない。いまだに、だ。

 帰国、帰還こそしたものの、いまだ、ワラにもすがる思いで待ちわびる被害者家族にとっては、何にもなっていない。手がかりにすら、なっていない。

 洗いざらい話したら、再び拉致されるから?

 ラチも無い話しだ。

 殺される? このニッポンで?

 当時なら、いざ知らず、まだ?

 ただただ、口先三寸で、内と外に、被害者家族が,だまされ続けて17年。

 還れ、帰ってきて!の叫びだけでは、にっちもさっちも行きはしない。一歩も、進みはしない。ましてや、飯塚では・・・・・

 被害者遺族は、あと10年。確実に、日に日に他界する人達が増大してゆく。

 それが、なんとも、やりきれない。歯がゆい。今に、至っても・・・・・。

 

 

 


<ボクシング>16戦無敗の伊藤雅雪。11月25日(火)、ライアン・セルモナに勝って、日本挑戦へ

2014-11-22 16:43:16 | スポーツ

 Dscf8845 「ズバン!」

 ガードするグローブを押しつぶすかのように、スピードあふれる、伊藤雅雪(写真上の、右側)の左フックが打ち込まれた。

 スパーリング相手のパンチを見切った瞬間に、スッと放った!

 11月25日に迎える試合に備えて、この日もスパーリングを行なうと聞いたので、伊藤の所属する「伴流(ばんりゅう)ジム」へと、足を運んだ。

 到着が遅れた関係で、ジムの扉を開けるなり、伊藤のパンチが勢いよく飛んでいるのが、目に飛び込んできた。

 前回書いた、強豪、仲村正男の、ブン!と、空を切り裂いて振りまわすパンチをまるで寸止めの如く、皮膚1枚手前の、ギリギリでかわしていた、伊藤雅雪

 Dscf8846 今度は一転して、相手の右ストレートが、アゴ下に突き刺さる寸前、右ストレートを相手の顔面に叩き込んでいた。(写真上)

 0・1秒早く打ち抜けば、相手のパンチの勢いは弱まり、届かずに止まる。

 伊藤は、スーパー・フェザー級のプロボクサー。同級世界チャンピオンの内山高志が、動体視力が抜群に良いということは、知られているが、この伊藤も、かなりの良さ。

 「そうですか?」

 ソレを確認すると、笑顔を崩した。

 「自分では、そうは思わないんですが、相手の出すパンチを、見切れる自信は、まあ・・・・あります」

 「それでも、かなり相手の(パンチ)もらっちゃっているんで、まだまだ反省すべきところは多いんですけどね」

 スパーリングの相手は、協栄ジム三瓶数馬(さんぺい・かずま)(写真下)。まだ、19歳、ジムのホームページを開くと、たった1戦しか試合をしていないかのように記載されている。ひど過ぎるズサン!

 「そうなんですよねえ」と、苦笑い。

 Dscf8895

 すでに、2013年度、全日本スーパー・フェザー級新人王にも輝いており、且つ、KOで勝ち「技能賞」も手にしているというのに・・・・・。

 来年の2月くらいに、相手未定ながら、次戦が予定されている。

 「三瓶君はサウスポーで、強くって、とっても苦手なタイプなタイプなので、これまでもスパーリングの相手をさせて戴いてるんです」と、伊藤は終了後、三瓶に礼を言いつつ、答える。

 ちなみに、伊藤雅雪もまた、全日本の同級新人王を手にしている先輩だ。

 三瓶の他にも、出稽古のようなカタチで、かなり数多くのスパーリングのラウンド数をこなしてきた。

 「いくつ? さあ、僕、そ~ゆうの数えないんですよ。今までも、すいません」

 この日も見られたが、相手との距離、タイミング、ノーモーションのパンチ、大きな単打で距離をグイッと詰めて行く。

 ヒット&ウェイ。引く、出る。フェイント掛ける、回る、足を自在に使う、打ち合い。

 さまざまなことを、スパーリングを重ねながら、試している。

 今度の相手は、フィリピンのライアン・セルモナ

 戦績は、16勝5敗。うち、KOは、9勝。

 かつては、東洋・太平洋(OPBF)同級1位まで、上り詰めた実力者。現在は、東洋・太平洋こそ10位だが、何かとランキングに問題と不正を抱えているIBFでは12位。

 背は、伊藤より低く、ベタ足。それで、前へ前へ詰め寄って行き、チカラ一杯左フックを、対戦相手にぶち当てる。

 あせると、とたんに大振りとなりがち。

 そこを、伊藤が、どうさばき、どう勝つか!?

 実は、セルモナ。今年の4月14日、後楽園ホールのリングにあがっている。この日、伊藤も同じ日に、同じリングで試合。

 中野和也相手に、倒し、倒されのスリリングな展開を、繰り広げた。7ラウンド。ついに3度のダウンを奪い、1分50秒。文句無しのKO勝ちをおさめた。

 ライアン・セルモナは、江藤伸悟と戦い、偶然のバッティングで、額から出血。6ラウンドで、負傷判定に持ち込まれ、0-3のジャッジで負けた。

 その試合、自らも試合があり、残念ながら、伊藤はその目で見ていない。

 勝った江藤は、先月10月13日。日本タイトルを奪うべく、内藤律樹(りっき)と対戦。

 接戦の末、ジャッジほどの大差はない、辛くも内藤はベルトを半分だけ巻けた、負けた内容。

 むしろ、江藤の大健闘の拳闘が、目を惹いた試合であった。

 その内藤に勝つ前に、伊藤は、迫りくる11月25日に、「DANGAN116」の8試合目というメインの試合で、このライアン・セルモナに、なんとしても勝たねばならない。

 「単に勝つだけではダメなんです。完全に倒して勝たなきゃいけないし、そのつもりで試合に臨みます」

 すでに、脳裏の片隅には、打倒・内藤律樹のイメージは、組み立てられているようだ。

 さて、どうなるか?

 どう、勝つか?

 倒そうとばかりに、勢い込み、あせると、逆にセルモナの様に、ボクサーは大振りになりがち。

 その愚を、どう排除して、頭脳明晰(めいせき)に、試合を運ぶか?

 意図通りに進まず、後半のラウンドで、倒そうとばかりに大振りになった時、不意にセルモナの左フックを喰らう危険性もはらむ。

 内藤と戦う可能性は、どうなるのか?

 伊藤本人、及び、「伴流ジム」の会長兼トレーナーは、「分からないんですよ」と、苦笑。

 ならばと、内藤のジムに聞くと、いともあっさりと、答えが返ってきた。

 「伊藤クンとは、来年の2月になりますかねえ。チャンピオン・カーニバルで、チャンピオンと挑戦者として、戦うことになると思いますよ

 おおっ!

 まだ、来年の夢を見るのは早いが・・・・期待したい。

 まずは、一つ目の壁をぶっ倒してからだ。

 勝てば、世界のランキングにも、書き込まれるかもしれない。

 試合前。妻子を実家に帰し、今は、孤独。

 ストイックに、自己に厳しく、リングに向かう・・・・。

 残念ながら、テレビ中継は、無い。他の試合にも目を向けて、是非、25日、後楽園ホールに足を運んで欲しい。

 良い試合。見ごたえのある試合になると、思う。

 


<リアル 衝撃訃報 芸能 ルポ> 8日間過ぎて「映画俳優」高倉健 死去。すぐ知らせぬ秘められた裏側

2014-11-21 00:12:10 | 芸能ネタ

 やっぱり・・・・・死んだのかあ・・・・・・。この世に、別れを告げたのか・・・・

 なんとも言えない気持ちのまま、コレを打ち始めている。

 といって、死因となった「悪性リンパ腫」に至る病状を詳しく知っていたわけでは無い。

 ただ、遺作となった、映画「あなたへ」(スチール写真下)。

 その撮影時、すでに前作の公開から6年近く経っていたとはいえ、余りの老い、見た目の老け振り!

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 それには、驚くほか無かった。

 白髪混じりの髪。下の歯がかなり抜け落ちたのか、差し歯か、その影響で頬が少しこけ、今までなかったクチの曲がり具合を、否応なく気付かされた。

 「文化勲章」を受けた際の顔は、さらに老いをクッキリと際立させていた(写真上)。

 この受章によって、日本人・小田剛一(本名)は、年間350万円を亡くなるまで国からもらえることとなった。

 彼からすれば少額かも知れなかったが、我々の周りにいる老齢の庶民からすれば、生活安定額といえた。

 この折りも、高倉健は、髪を染めたりはせず。ありのままを見せていた。

  80歳を越えた老人としては、当たり前とも言うべき容姿ではあったが、なにしろ、そこは、スター、健さん。

 行きつけの、それも、奥の彼専用の個室のある理髪店で何とか工夫し、そんな姿は、見せないであろうと想像していただけに、衝撃を受けた!

 老いても、変に装わない。ありのままに、ありたい。ありのままを、見せたい。ソコが、小田剛一としての矜持(きょうじ)であったのだろう。

 中年時になっても、体を鍛えていたことは、有名だった。

 仕事が無く、人柄も悪く、コンサートの集客力もどん底だった武田鉄矢に舞い込んだ、映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」。

 そのロケ先の宿舎。健さんの部屋を武田が訪ねた際、腕立て伏せをしていたと言う。

 「武田君、役者は身体が資本だよ」

 そう言って、毎回、100回を、その身に課していた。

 すでに、スポーツジム通いは、知られていた。そんな屈強な肉体でさえ、老いと病が、否応なく忍び寄る。そして、死を迎えざるを得ない。

 分かっていることではあるが、改めて、痛感させられた・・・・・。

 死因となった悪性リンパ腫は、突然襲う病気では無い。数年前より、人知れず闘病、通院を続けていたと思われる。

 加えて、5年前には、前立腺ガンを発症。通院、手術の末、癌巣そのものは除去出来たものの、それが、悪性リンパ腫へとつながった。

 公式死去発表では、「都内の病院」でとだけ。

 まだ、直接当たってはいないが、死去した時に入院していた病院は、「慶應大学付属病院」であろう。

 というのも、爆笑問題の田中のポロリと洩らした発言を待つまでも無く、あの病院は、秘密裏に入退院の措置を、つつがなくやってくれるところ。

 加えて、医師と看護師のクチは堅い。

 そういう「教育」をされていた。

 しかし、病室に出入りする人が、実はいる。その人達に秘かに、さりげなく聞いて、入院中の状態や、日々の様子を聞いて、確証。

 かつて、[ZARD]の坂井泉水、そして、重病だった安倍晋三が、この病院に秘かに偽名を使って入院。

 しかし、人のクチに戸は立てられない。

 聞き込みをして、記事化した。

  有名な、コーヒー好き。

 だが、この病気の影響か、「あなたへ」の撮影時、ロケ地にあった行きつけのレストランで、彼は「コーヒーは、もうちょっと飲めないんだ」と、言っていた。

 コーヒーすらも、病状に影響を与えるまでに弱り始めていたのだ。

 「あなたへ」の、製作発表会見の前後。

 「もう、そろそろ仕事をしないと、カネも無くなってきたもんですから」と、苦笑しながら、6年ぶりの出演理由を、冗談半分に語っていたが、事務所維持も、社長としての責務。

 体調が良くないなか、ギリギリの、決断であったと思われる。

 だから、冒頭、やっぱりかあ・・・・と、書いた。

 そして、以下に綴っていくが、あの性格。間違いなく、亡くなって全てを終えてから、公式にそのことを発表するはず。

 実は、近所に古くからの健さんファンがおり、老いた映像を見て、「もし、亡くなった時は、どうするでしょうねえ?」と聞かれたので、長年の取材経験で、そう答えていた。

 そう想っていたし、はからずも、その通りになってしまった

 最近になって、連作4本の「原節子」に関する記事が、多くの人に読まれていることを知ったが、彼女の死も、あの家人たちによって、早くて1週間、ひょっとすると1か月ほどたってから、その死が公表されることと思う。

 さて、所属というより、個人事務所の「高倉プロモーション」。

 ダメで元々の気持ちで、時折り電話で、健さんの公私にわたって問うことがあったが、いつもいつも、キチンと答えず。

 調べた事実について、ひとつ確認したいのですが?

 そう切り出しても、一切答えず。

 「お答えできません」

 すでに公表されていることの、事実確認を求めても、

 「ソレは東宝にお聞きください」

 「失礼します!」と、一言。ガチャリ!と、切る。

 もう、そんな冷ややかで、極めて事務的な対応にも慣れた。

 だから、今回の、さながら「美文」とも言える、死に関わる表現には、驚いた。最初にして、最期のマスコミとその背後にいるファンへのサービスであったように想う。

 事務所が入っている港区赤坂のビル前に、多くの取材陣がいたが、これ以上の「サービス」は、しないであろう。

 電話は、いつも同じ女性

 それで、充分に間に合う仕事量ともいえる。映画は、数年に一本。掛け持ちは、無い。

 さまざまな企画が送られてきて、その整理が主な仕事。

 その数は、多く、内容は玉石混交。

 この女性と、会ったことは無い。まさか、かつて健さんが、どのような経緯があったのか、お世話をしていた、元スチュワーデス(現・キャビン・アテンダント)がいたが、その女性である可能性は、捨てきれない。

 我が国で、一番、ギャラ・出演料が高い高倉健という「映画俳優」。

 映画一本出て、近年は5000万円。それにプラス、ビデオ・DVD化による権利分。さらに、テレビの放映権料(基本ベース2回分)など、日本の俳優 にしては珍しく、キッチリ契約書を交わす。

 込みで、6~7000万円。

 過去には、何本か、自ら主演した映画に、「高倉プロモ-ション」として、出資していた。

 その率に応じて、興行収入から、差し引かれた儲けを受け取れる。演技にも、チカラがこもる。

 だから、代表取締役の年収も加わった個人収入が、1億円を優に超えた年もあった。

 だが、近年の作品には、まったく出資していない。先見の明があったのかどうか? 宣伝文句ほど大ヒットはしていない。

 客が、映画館に詰めかけていない。長年のファンが、来ていない。

 「あなたへ」は、まだしも、その前作「単騎、千里を走る」の興行成績は、最終的に赤字ギリギリに。

 チャン・イーモウの作品に惹かれていた高倉が、出演を快諾したコレ。

 そのチャンは、名誉欲に非常にたけた人物。

 東京映画祭で、当時最高責任者のチェアマンであった角川歴彦(つぐひこ)が、洩らしたことがある。

 「面識も無く、親しくもなかったのに、いきなり僕のところに来て、自分を東京映画祭の審査委員長にしてくれ! その任に、俺が一番ふさわしいはずだ! と言うんだよ。驚いたねえ、その押しの強さに。もちろん、やんわりと、お断りしましたがね」

 中国で、30数年前に公開されたにも関わらず、いまだ「君よ、憤怒(ふんぬ)の河を渉(わた)れ」の人気がある高倉を起用し、チャンは、自分のステータスを上げようとしたとしか、思えない。

 

 その映画。

 東北の漁港に独りで住み、自宅の固定電話に入っていた息子の入院と急変を知らせる嫁からの留守番電話を、再生して聴く操作すら、まったく出来ない武骨な健さん扮する漁師。

 それは、今まで通りのイメージであった。

 それなのに、あれっ? 息子とまったく疎遠だったはずの老漁師が、コロッと変心。

 すぐさま、東京の病院に駆けつけるわ、息子が撮影途中だった中国ロケまで、単身引き継ぐ。おまけに、時も置かずして、携帯電話を器用にあやつるし、撮影VTRカメラも、難なくあやつりまくる。

 はあ????

 ドン引きの、ファン。

 とどのつまり、 無理やり中国でのロケに引きずり込むストーリーに・・・・・。

 そのロケで、チャンお得意とも言うべき、演技未経験の素人たちを出演させ、エキストラにも大量起用。

 その計算の無い「素」の演技に、204本目にして、感激した高倉。

 この作品でも投資はしていなかったため、ある意味、難を逃れた。

 仕事をしていない時期、誰にもわずらわされない海外に、よく行くといわれる。

 実際、自署のエッセイ文のなかで、日本各地、世界各地を訪れた際の想いを、書いている。

 また、ボクシングも海外にまで出かけて、その目で観ている。

 ラスベガス、パリ、ヒューストン、はたまた、テキサス。

 自らも、中学生の時に、見よう見まねでボクシングを練習。試合も8戦ほどこなしており、俳優になってからも、ボクサーに扮して、主演をこなしている。

 「ボクシングや格闘技は、好きですね。好きなモノは、どこまでも追いかけてゆく」

 「ギリギリに、自分の肉体を磨き上げる」プロボクサーを、崇拝している。いずれ、別稿で、その想いを伝えたいが、こう話していることだけは、今、書いて置こう。

 「自分がやるなんて、想いは無いです。それほど、シビアでは無いです。自分の職業の、ずっと上の所にいる人っていうカンジですね」

 ハワイに別荘を持ち、イタリア郊外の地に、家を持っていた。

 40歳という若い時期に、すでに「鎌倉霊園」に自分の墓を他人に気付かれないようにと、変名で購入。

 父母兄の墓がすでにある、現・福岡県中間市の「小松山 正覚寺」に、妹の敏子など親族が近くでいつでも参られるようにと、分骨用の墓地も購入済み。

Dscf8971 亡くなったとの、貴重な1枚。その母については、自ら本で想いを明らかにしているので、ここでは詳しく書かない。

 かつて、いつか、まだ存命中(当時)の姉や妹らに会って、九州の故郷を訪ね歩き、かつての話しを聞こうと、嫁いだ先の住所などを、調べたりもした。

 活動も無く、表に出てこない時期にも、「高倉プロモーション」に問いあわせ。

 「企画などは、かなり届いてらっしゃるのでしょうか? 実現しそうなモノは、ございますか?」

 「答えられません」

 「・・・・・今は、日本のご自宅にいらっしゃるんですか? それとも、イタリアなど、海外に?」

 「お答え出来ません。よろしいですか? 失礼します」

 ならばと、私生活の高倉の近況、今を知りたく、世田谷区瀬田の自宅を何度か訪ねた。

 田園都市線の「二子玉川駅」。そこから、ゆっくりとした、なだらかな坂を上って行くカンジで、20分。

 そこの角地に、高倉健の自宅があった。

 表札には、「小田」とだけ。表札そばのインターフォンを押すが、「はい」とも、返事無し。

 何度も、何度も通ったが、ただの1度も返答は、無かった。

 周囲を見渡しても、訪問者を映す防犯カメラは、見えない。だから、本当に不在だったのか? それとも、知らない声と人には出ないのか?

 どちらかだったのだろう。

 200坪はあろうかという、広い敷地。外からは、2階建てと思われる、2階の上部しか見えない。

 夜になっても、室内の電灯が灯らない日もあったので、日本にいない日もあったのか、ふらりと地方に行っていたのか・・・・

 近所との親しいお付き合いは、まったく無い。

 というより、この地域そのものが、大きな邸宅がズラリと並ぶ高級住宅街。で、親しい近所付き合いも、町内会の実態も、事実上無い。

 だから、健さんが特異な訳では無い。

 インターフォンを押しても、殆んどの邸宅は、不在なのか、居留守を使っているのか、出ない。

 なので、「小田」邸の前で居ると、犬と散歩している女性や男性が行き交う。そこで聞くと、思わぬハナシが聞けた

 外出するときは、車。ガレージが、自動的に上がり、自ら運転して、出て行く。角地のため、左右を良く見て、最大徐行。

 そのせいもあり、散歩している人を見かけると、例えサングラスをしていても、必ずと言って良いくらい、ペコリと頭を下げて、車を発進させて行くという。

 言葉こそ交わさないが、好感を持って、見かけた人全員にとらえられていた。

 ああ、元気で家にいらっしゃるんだなあ、と。

 衣食住のうち、衣の凝り具合は有名だし、住は、ココ。

 健さんは、ある時、三度の食事のことを聞かれ、苦笑いしながら、こう答えている。

 「僕は、自慢じゃないですけど、自分で作ったことはありません」

 実は、オンナが通って、食事を作っていた

 いや、オンナは女だが、掃除、食事を見事にこなす、通いの家政婦さんが来ていた。

 近所の方たちも、まれに、その出入りを見かけることがあったという。交際している女性ではないことは、一見して、その風情で分かったとも言った。

 また、映画の撮影。とりわけ、ロケともなると、周囲にフアンが寄ってきてしまう。近寄りがたい凛(りん)とした雰囲気を漂わせていても、だ。

 その他、身の回りの世話をそれとなくこなす、「付け人」代わりの決まった男性がいた。

 その2人は、おそらく小田剛一の病や、体調の変化や、衰えを知っていたはず。

 密葬などには、行かれたはず。

 主のいなくなった「小田邸」の前の路上には、枯葉やゴミが、秋風に吹かれ、さわさわと、かすかな音を響かせていた。

 私が通い続けた時は、きれいに掃き清められていたというのに・・・。主のいなくなったこの屋敷は、誰の手に渡るのだろうか?

 おそらく、40年も前に、自分の眠る墓を買った男のこと。キチンと、死を覚悟しつつ、書面にしたためているはずだ。

 家政婦のことも、付き人のことも、事務所の女性は、一切、イエスともノーとも、答えなかった。

 さらに書くなら、江利チエミの前に、本気で惚れた女性がいた

 上京する前、地元で熱い想いを寄せていた年上の女性がいた。

 明治大学に入学するのは、口実で、実際には、その女性が遠い東京へと嫁いで行ったというのを耳にして、ホントかどうか、自分で確かめたい! ひと目、人妻になっていないのなら逢いたい!

 「そういう目的が主で、不純な想いがあって、実は上京したんです」と、自らかつてラジオ番組で話していた。

 ネット上では、時期も違うことが、事実であるかのように、載っているのには困ったものだ。

 で、これまた、追いかけて、すでに新妻となっていた彼女の姿を確認。失意のどん底に落ち込んだとも、懐かしそうに語っていた。

 そのヒトは、まだ存命であろうか・・・・・・・。

 明治大学時代、そして、若き俳優時代。

 遊郭にも、カネが無くても売春宿にも行ったことは、自身、話している。

 女好き、とまでは、いかないけれど。

 なのに、かつて、日本を長く不在にして、消息が芸能マスコミに分からなかった頃のこと。

 行方不明説。死亡説。女嫌い説。ホモ説などなど、流布された。

 さすがに、苦笑いして帰国し、元気な姿を現し、諸説を全否定。

 「ボクだって、ごくフツーの男です。そ~ゆう所にも、行きますよ」と、笑って答えていたのを、今でも記憶している。

 親交は、広いように見えて、心底打ち解ける人は、極めて少なく、限られている。

 石倉三郎や、「オンナ遊びが、ちょっと過ぎてるんじゃないのか!」と健さんが注意したことがある小林稔侍などは、彼らが敬愛。

 逆の立ち位置にいたのが、「山麟」(やまりん)こと、山本麟一

 明治大学時代からの、強烈な先輩。東映映画に引き入れたのも、山麟。ともかく、終生、怖いヒト。アタマが、上がらないヒト。

 主演、脇役なんて、些細な枠はまったく関係無い。

 山麟が若くして、俳優を辞めて、自分の産まれ故郷である、北海道の旭川市に定住。居酒屋を21歳も年下の美人妻と開業した際には、駆けつけている。

 その後、山麟が、わずか53歳で急死。

 その後も、健さんは、ふらりとそのお店を訪ねては、想い出話しに花を咲かせていた。

 「網走番外地」シリーズを始め、長期ロケーションも多く、知り合いもいる北海道に、先輩のように、将来、定住しようかな?と、相談したりもしていたが、山麟はあまり勧めなかったと、伝え聞いている。

 今回、死去に際して、「八甲田山」の雪中行軍のシーンが、多く流れた。

 その撮影を陣頭指揮したのが、かの「巨匠」木村大作

 見栄えの良いシーンをフイルムに焼き付けようと、木村は、何度も何度も、繰り返し雪深い所を、歩かせた。もう、必要以上、使う数十倍。

 キレた健さん。

 「誰だ!? このキャメラマンは!」

 生前、「大ちゃん」「健さん」と呼び合う仲になった2人の出会いは、このようにして始まった。

 そんな映画界の巨匠でさえ、健さんには一目も二目も、距離を置いている。

 「そりゃあ、健さんの電話番号は知ってはいるよ。でも、自分から電話を掛けたことは、ただの一度もない。そんな、恐れ多いこと、出来る訳ないよ」

 「健さんから掛かってきたら、そりゃあ出ますよ」

 「オーラというのかなあ、そうなあ・・・・、たたずまいと言うのかなあ。俳優としても、1人の人間としても、すごい、そう、スゴイ人ですよ」

 自身、監督として「剱岳(つるぎだけ) 点の記」を製作した。

 その時、健さんに出演してくれないかなあ?とは、思わなかったんですか?

 「出てくれる訳ないよ。そんな失礼なコト、頼めやしなかったよ」

 本来ならば、この秋にも撮影開始だった、健さんの最新作。

 題名は、「風に吹かれて」と、報じられている。

 父子の物語だとも、九州は阿蘇地方でも異常繁殖している野生の鹿を駆除するための老いたハンターの物語とも、伝えられている。

 体力を要する撮影だ。

 ロケハンは、とっくに完了。

 入院中だった健さんのため、来年の春に撮影開始が延期されていた

 おそらく、撮影は木村大作。

 そして、監督は、気心も知り抜いた降旗康男

 その降旗でさえ、距離を置き、深入りする事無く、礼を尽くして親交していた。

 「健さんと個人的に逢うことは、ありますよ。でも、なるべく意識して仕事のハナシは、しません」

 「映画の企画は、キチンと文書にまとめて、健さんの事務所にお送りします。それで、都合の良い時に読んで戴いて。こちらは、返事待ちです」

 ーーー電話などで、どうでしょうか?などと、感触や意向を聞くことが出来るんじゃないですか?

 「そんなことは、しません。仕事は、仕事。個人的付き合いとは、別のモノですから」

 「向こうから、やっても良いという返事を戴いてから、初めて仕事として、動き出す訳ですから。公私のけじめは、付けなければいけませんよ」

 酒に酔うと、面白くなる人ですと、生前、健さんは降旗監督を評していた。

 「いやあ、そうですか(笑)。いやいや、いやいやあ、酒には弱くなりましたねえ」

 遺作となった「あなたへ」。

 その降旗監督も、一回りやせて、病が?と、気になったものだ。

 「何人からか、そう言われたんですが、いたって元気ですよ。そりゃあ、年齢はもはや若いとは、とても言えないトシになりましたが。心配をかけられないようにしなければ、いけませんなあ」

 そう言って、笑った。

 今回の、健さんの死去。

 「無念です」「残念です」との、監督の公式コメントが、胸に迫ってきて切ない。

 最期の瞬間も、密葬にも立ち会った可能性が極めて高い。

 まだ元気でいらっしゃる、実の妹にも、自らの病のことについては、ただの一言も話さないまま、この世に別れを告げた。

 先月。亡くなる1か月前に、甥と、剛一の妹が、携帯に電話をかけたが、元気な声で、受け答えしていたと言う。

 2014年11月10日。午前3時49分。

 極秘で入院した病室に掲げられた患者名は、変名のままであった。

 ヒトは、多く、潮の満ち引きに率いられるかのように、まだ陽が昇らぬ未明に、何故か、天に召されていく。

 科学で解明できない、神秘でもある。

 小田剛一は、苦しみ、悩み、病を抱える我が身の辛さを、誰にも打ち明けぬまま、ひっそりと、凛(りん)とした、たたすまいのまま、去った。

 我が身の死すら、かん口令をさりげなく敷いて・・・・・。

 かつて、たった1度。インタビューというより、まさに直撃と言い換えていい時があった。

 旧TBS局舎で、ある取材を終えて、通りかかったスタジオ横の控え室に、憧れの高倉健が、チラリと見えた。

 「あにき

 その連続ドラマの収録の合間、だった。

 インタビューを、事前に申し込んではいなかった。記者のインタビューを容易に受けない俳優だと言うことも、身にしみて知っていた。

 しかし、まさに一期一会

 今、聞けなかったら、いつ、聞けるというんだ!?という強い想いが、控え室へと歩ませた。

 非礼を詫びつつ、想いを端的に伝えた。

 困った様な、困惑に満ちた顔。不審そうな、表情。

 しかし、ココですっぱりと断るのも出来たはずなのに、椅子に座らせてくれた。

 何を聞いたか、テープレコーダーこそ回したが、良く覚えていない。

 「・・・・・ええ」

 「・・・・・そうですね」

 「・・・・・・かも知れませんね」

 「・・・・・・でしょうか・・・・」

 言葉を慎重に選びながらも、そんな、あいまいな答えぶりだったように想う。

 詳しく、答えてくれた記憶は無い。

 初めて、上がった。舞い上がった。

 初めて、役者にオーラ、輝きを感じられた人だった。

 それ以降、そんなヒトに出会ったことは、無い。

 「そろそろ、いいでしょうか?」

 そう高倉健は切り出し、夢のようなひとときは終わりを告げた。

 記者会見で顔を見て、撮影現場でも顔を見た。

 安易に休まない。座らない俳優ということも、この目で観てきた。

 孤高の俳優で、あったように想う。

 他人が、ファンが想う、「俳優・高倉健」のイメージを、守り続けた人でもあった。

 加えて、手紙の大切さ、礼と、感謝と、プレゼントと、人知れずの墓参りの数多くの実話。

 もう、無理しない、本心から滲み出る、さりげないカッコ良さ。

 だから、誰も知らない私生活の一面も、書いた

 冷静に見ると、決して演技の上手い俳優では、無かった。むしろ、ヘタな部類に入る俳優かも知れぬ。

 しかし、その存在。画面に居て、たたずむだけで、それだけでいい俳優という、唯一無二の男だった。

 18日から、打ち始めている間に、当初書こうと思い描いていたことを、河北新報社の記事で、翌19日、書かれてしまった。

 Dscf8970一枚の写真

 高倉健の手による「日本経済新聞」デジタル版。映画「あなたへ」の宣伝も兼ねてのものではあったが、東北・三陸沖大津波による大震災の、1年後に綴られた、上記題名のもとの、この1枚の写真。

 これに胸を打たれた健さんは、この写真を、台本の裏表紙に張り付け、自分の気持ちを奮い立たせ、自らを励ましていたという。

 被災者たちの辛い日々と、想いに胸を馳せ、時として、自分の病の行く末に待ち構える恐怖と闘っていたのであろう。

 撮影当時、小学4年生であった彼は、現在、岩手県気仙沼市の中学2年生になっている。

 名前を書くのは、本意ではない。彼にマスコミの取材が行き、注目を浴びることで降りかかる迷惑を、健さんが恐れていたからだ。

 時の人とばかりに、20日には早速テレビが、少年の今を映し出していた。

 誰か、良かれと思い、調べて、健さんに教えたのだろう。

 書いた1年後の昨年、健さんは彼に手紙をしたためている。

 被災のこれ以上無い辛すぎる経験を乗り越えて、彼に羽ばたいて欲しいと切に願って、この長文を終える。

 惜しい・・・・惜しい人が、この世を去ってしまった・・・やりきれない・・・

 

 

 

 

 


劇団「離風霊船(りぶれせん)」が、11月19日(水)~24日(月・祝)まで公演

2014-11-18 12:11:00 | 芸能ネタ

 日ごとに、肌寒さを感じるひとときが、増えてまいりましたが、日本の演劇をこよなく愛する皆々様、いかがお過ごしでございましょうか?

 さて、お立合い!

 座ってパソコンや、スマホで、この記事見てても、お立ち合い。

 このたび、紹介させて戴きまするは、劇団結成32年を経てもなお、第一線で集客力を維持し続け、常にリフレッシュして、汗ほとばしり、エネルギー溢れる芝居を見せ続けてくれている「離風霊船(りぶれせん)」の、新作でやす。

 演題は、「ずんどこ」。 

 Dscf8913  そう、かの一世を風靡(ふうび)した「ドリフターズ世代」なら、知っている。

 誰でもが口ずさんだ、「ずんどこ節」の、あの、「ずんどこ」。

 あ、そら!ずんずん、ずんずん、ずんずんどっこ・・・と、いう節の、アレです。

 ホラホラ、そこの君!あなた! お嬢ちゃん、お婆ちゃん!も、思わず踊り出しそうになる、あのリズムと、拍子!

 アレで、やんすよ!

 とはいうものの、「ずんどこ」の、詳しい筋立ては、分かりません。

 聞こうかな?とも思いましたが、観に行った時の、お楽しみ!と、しときます。

 それじゃあ、時間と、おカネの無駄になるじゃん!と思われる方も、おられるかも知れませんが、そんな心配は御無用!

 この記事読んだのが、運の尽き。幸せへの、とっかかり。

 だまされたつもりで、劇場へ足を運んでみて下さい。

 ともかく、めちゃくちゃ面白いから。

 なにしろ、作者(台本)と、演出が、下の写真のお方。

 ”怪女”にして、”快優”の、伊東由美子なんすから。

 Dscf8909 ねっ! この写真を見て、ぶわ~っと広がるイメージのまんまのおヒト。

 稽古場での、ねじり鉢巻き姿は、この女優の、いわばトレードマーク。

 いつでも、どこでも、元気はつらつ!

 しかし、稽古場では、鬼にも転じる、キビシ~演出家でもある。

 コレで、年齢いくつだと、想います?

 20・・・・3?

 いえいえ。その倍?

 惜しいっ! この公演の前の11月16日で、25・・・あ、いや、55歳になられます。

 もう、人妻、子持ちの身。

 イロイロな劇団の公演でも、客演してますんで、全国の劇場のどこかで、見かけた方もおられるかと、思います。

 「ずんどこ」も、かの有名なゴーリキーの「どん底」をモチーフにした、”発想”飛び!

 さてさて、どんな、アッと驚き、目を見張らせる物語が、展開しますやら。

 出演者陣は、その伊東由美子を始め、ベテランの松戸俊二、山岸涼子

 体幹を鍛えるのに余念が無い、江頭一晃に、瀬戸純哉、体型ぽんぽこりんの柳一至栗林み~こ

 そして、「劇団 わらく」から2人。客演の、石沢拓弥、劇団員の男たちが色めきたった、美少女と騒がれている進藤理恵

 以上の9人。

 伊東が意表を突いて出てくるシーンは、もはや、鉄板の絶妙さ。毎回、クスクス笑いが巻き起こる。

 いわば、「間」(ま)なんだよなあ。同じセリフをしゃべっていても、違う。

 ホラ、同じ古典落語を、一字一句、語っているのに、笑いの渦に巻き込む上手い噺家と、上っ調子のタレント落語家との違いって言えば、分かってくれるかなあ。

 どこか、生きて居る、オンナ古今亭志ん生の風情あり。

 それ気付くだけでも、一見の価値ありますぜ。

 

 それにしても・・・・昭和から平成へと、早32年間。時の流れは、過ぎ去ってしまえば、アッと言う間。

 劇団を維持し、離風霊船が、難破船にもならず、世間の荒波をどんぶらこっこ、どんぶらこっこと、乗り越えてこられたのは、制作担当の落合直子が、屋台骨を支え続けた底力あってこそ。

 このヒトがいなかったら、離風霊船は沈みかけた、かも・・・・。

 その落合女史も、めでたく、この11月6日、生誕から32+?歳=を迎えられたとのこと(写真下)。

 Dscf8911 ぱちぱち、ぱちぱち!

 公演が始まると、受付の席で、この笑顔で迎えてくれております。

 公演開始日の11月19日(水)から、20日(木)、21日(金)の3日間は、午後7時半開演。

 翌22日(土)は、午後3時と、午後7時開演の、2回公演。

 23日(日)と、最終、楽日の24日(月・祝日)は、午後3時開演です。

 チケット代は、全席指定席で、3800円。当日、前売り共、同じ。

 学生割引は、劇団扱いのみで、3300円。

 前売りなど、チケットの申し込み方法は、「劇団 離風霊船」と検索すると、出てきます。

 公演会場の、「中野 テアトル BONBON」は、JR中央線と、地下鉄の中野駅の、南口から徒歩5分ほど。

 なお、駐車場が無いので、車や、バイクや自転車のご来場は、ご遠慮してくださいとのことです。

 時まさに、大都会も「紅葉」の季節。

 この芝居を観て、気分も高揚する・・・はずです!

 あ、それ、ずんずん、ずんずん、ずんずんどん底!

 

 

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 (11月8日・記 再録)

 


今夜も負ける!? アメリカ”小リーグ”から、海を渡って来た「MLBオールスター??ズ」。

2014-11-16 18:47:27 | スポーツ

 来日した選手の中には、スターもいるが、この程度の能力でスター?かよと、クビを傾げるメンバーも大挙して来ていた。

 少なくとも、「オールスターズ」は、ウソ!

 実力は、1・5軍。で、たるみきった今のチカラは、2軍。

 確かに素晴らしい、目を見張らせる守備を見せた選手はいたし、振りがとんでもなく早い選手も、いるにはいた。首位打者も、加わっては、いる。

 しかし、それは「個」の力量。全員では、無い。

 しかし、侍の面々に較べたら、小リーグの、なんてこたあ無い選手が目に付く。

 なにしろ、本気になって勝とうという気が、無い

 いみじくも、かつて、アメリカで投げ、大リーグの一員として「来日」した石井一久が、ポロッ!と、苦笑しながらもらした。

 「アメリカの選手たちって、ちょっと観光に忙しいんですよ」

 なにしろ、公式スケジュールに、堂々と「京都観」と公表しているくらい、合同練習ロクにしてない、合宿してない、する気無い、お遊び気分。

 軽く見てる奴らに、カツを入れて、横っ面、張り飛ばし、金玉、蹴飛ばし、プライド、ズタズタに引き裂いて、帰って戴きやしょう!

 もう、今後、あえて公言しよう!

 「大リーグ!? バカ言ってんじゃねえ! 小リーグのチカラしかないくせに!」

 「ワールドシリーズ? 言い直せ! 思い上がるな! アメリカシリーズでしかないのに。日本だって、日本シリーズと呼称してるんだぜ!」

 「こんな程度で、ワールド、名乗るのは、悪いど!」

 見下して、馬鹿にして、ののしろう!

 どこやらの、元・監督の鬼嫁のように、戦後のパンパンや、オンリーさんじゃねえんだから、幻のアメリカ崇拝は、もう、止めにしましょうよ!

 冷静に、公平に見ましょうよ、書きましょうよ。

 もう、敗戦後、丸70年もたったんだから!

   


我らが東浜巨(ひがしはま・なお)、11月10日の「日米野球 壮行試合」で、見事激投!

2014-11-14 23:32:56 | スポーツ

 すでに、「侍ジャパン」が、「MLBオールスターズ」に、今夜11月14日、2勝した。

 全6勝も、可能な勢いだ。

 そんな段階で、4日前の試合の、2イニングに絞って書くのも、ちょいと気恥ずかしい気もするが、ココはひとつ、東浜巨(なお)の、今シ-ズン最期の登板。

 けじめ、締めとして、書いて置かねばなるまい。

 ましてや、同じ三振とったというのに、藤波晋太郎の方の三振と、好投ばかりクローズアップされているのが、いささか気にくわない。

 ちょいと、書く。

 ソフトバンクホークスのファンなのか、ちゃんと読んでくれている読者もいるので。

 この日。東浜巨は、「ソフトバンク+日本ハム連合軍」の先発投手として、「侍ジャパン」との壮行試合に登板した。

 一言で言うなら、好投。良い仕上がりで、2番手につないだ

 1回裏。

 「侍ジャパン」の、トップ・バッターは、チームメイトの柳田。

 試合前日。「チームメイトではあるけれど、真剣勝負でいきます!」「テレビが全国中継ですし、侍ジャパンを、苦戦させたいですね」と、東浜巨はクチにしていたが、その通りの滑り出しとなった。

 ゆっくりと大きく振りかぶって、1球づつ、慎重にミットめがけて放り込んでいく。

 Dscf8961 キレイに、見逃し三振に斬ってとった。

 汗もさほど、かかず、考え考えて、1球ごとに放って行く。

 2人目の菊池を、サード・ゴロに打ち取って、2アウト。

 気になるのは、ボール先行してしまうことぐらい、か。

 3番打者の糸井を、レフトフライに仕留めた。

 Dscf8982 (写真は、いずれも、生中継のテレビ画面から、抜き撮りです)

 続く2回裏。

 対するは、シーズン中から「宿敵」と言って良い、中田翔。

 おっ!ストライク先行。

 この試合。無4球で終えた

 緩急をつけたピッチング。高低、インコース、アウトコースを、たんねんに突く。

 確実に、成長の跡が、見えてきた。1球ごとに、追い込んでゆく

 中田、低めを打ち上げたが、見事にスライディングキャッチされ、アウト!

 立ち上がり。この回も、不安無し。

 5番打者。アゴ内川。

 ここでも、慎重に低めを中心に配球。レフトフライに打ち取る。

 6番手は、あのキュ―トな肉体を持つ田中理恵を捨てた、坂本

 ココでは、再びボール先行。1-2から、外角へ。が、打たれ、センター前へ運ばれる。

 次打者が、なんとチームメイトの松田。ここでも、真剣勝負の、ガチンコ投球。

 思いっきり良く、103キロのスローボールを投げ込んだり、インコースを攻め、大胆に緩急つけて、コーナーを突く。

 その間に、坂本が塁上を動きまわり、セカンドへ盗塁。その上手さ、ずるさは、下半身の事とは別にして、評価したい。

 打者集中に切り替えた東浜。

 絶好調の松田を、外角のシンカーで、見事に三振に斬り捨てた!

 御役目、これにて終了。良いね、良い~ね!

 試合後、この日の2イニングを振り返って、「シンカーが、ストライクゾーンに、良く落ちてくれた」

 「意識して、スライダーの曲がりを大きくしてみた」

 「ゆるいカーブも、使ってみた」

 注目され、人気も急上昇の松田との対戦については、余裕の笑顔を少しだけ浮かべて

 「外角に狙いをつけているのが、張り張り見え見えだったので、あえて外角のシンカーを狙い通りのところに落としてみた。良いところに落とせて、良かった」

 前年、期待されて3勝。

 そして、今年は2勝。防御率は・・・・・・悪い!

 この日は、2イニング、打者7人に31球放って、2三振。4球、無し。

 確実に、一歩、一歩。かつての亜細亜大學時代の、東浜巨の良いところが、甦りつつあるように想う。

 この12日からの、宮崎市の生目の杜(いきめのもり)運動公園で行われている、球団の秋季キャンプ。

 新監督は、ピッチャー出身の工藤公康(きみやす)。

 とはいえ、まだ解説者の仕事や、野球教室の仕事が、契約上残っているため、13日にグラウンドにちょいと顔出しただけで、東京へと帰って行っちゃった。

 だが、1軍ピッチングコーチに新任したのが、佐藤義則

 楽天に君臨しようとするデブブタを嫌い、袂を分かって、仙台から福岡に転身。教え方の能力は、常人の3倍はある人。

 ピッチャー心理も良く理解してくれる人格者。通称、ヨシ。義さん。

 この先、東浜にとって、何よりの心強いコーチがそばに来てくれたと思える。

 1年目の年俸、1500万円。

 それが、今期2年目には、100万円ダウンの、1400万円。

 近く予定されている契約更改では、ヘタすると1000万円に大幅ダウン査定される可能性もある。

 しかし、その厳しさを受け止めて、突き進んで欲しい!

 来期こそ!

 この24日には、午前11時から30分間という時間制限はあるものの、福岡市の明治通りで、「日本一 優勝祝賀パレード」が執り行われる

 オープンカーに乗って、来期への英気を養って欲しい。

 期待、してまっせ!

 

 


いよいよ、16日(日)、沖縄県知事選挙! 誰が当選するか? 少なくとも、「売県奴」は落ちてくれ!

2014-11-14 19:50:04 | 国際・政治

 本土、ないし、内地では、まったくと言って良いほど、報じられていないが、この16日(日)、沖縄県知事を選ぶ投票が、行なわれる。

 投票者(有権者)による、不在者投票・期日前投票もどんどん進んでいるが、地元の琉球新報などの報道によれば、翁長雄志が、前知事・仲井眞弘多を押さえて一歩リード、と出ている。

 だが、水面下では、予断を許さないつばぜり合いが、展開されているようだ。

 候補者は、この2人に加えて、喜納昌吉と、下地幹郎の、計4人。

 「売県奴」と明記した、仲井眞が、いかに沖縄を、アメリカ合衆国政府の御用達「パシリ」として、県民のココロを踏みにじって、基地、並びに、その用地・敷地を売り渡してきたか?

 多言を要すまでも無い。

 血筋を、ことさらに書くつもりは無いが、やはり、元は、中国人。平気で、ウチナンチューの気持ちを無視して、舌先三寸で裏切り続けてきた足跡を見ていくと、中国人の血は、まったく薄まっていないことを、痛感する。

 仲井眞にとって他国だから、その目の中が、どんよりと、日ごとによどんだまま、売り渡すことが出来た。

 今回の知事選の、最大争点は、アメリカ軍普天間飛行場の、名護市辺野古移設問題。

 本来ならば、早くからこの問題に強く反対表明して、活動し続けていた、地元の名護市長である稲嶺に出馬して欲しかった

 彼が看板として押し立てた翁長が、例え当選しても、どこかで妥協点を見いだして、基本軸と方針が揺るぎかねない危険性をはらんでいる危惧感が、消えない。

 その意味では、やっぱり、「政治屋」。

 一方、喜納昌吉は、デタラメなヒト。

 というのも、喜納が、かつて「ハイサイ おじさん」がヒットして、内地に来た頃。

 もう、言動がメチャクチャ。わがまま。言うことが、コロコロ変わる。それ以前に、麻薬不法所持での逮捕歴もあり、当時のレコード会社の宣伝マンたちが、「もう、2度と来るな! 宣伝も、したくない! 顔も見たくない!」と、全員が怒っていたのを、昨日のことのように想い出す。

 その後の活動や言動を見ても、とても沖縄県の政治を任せられる器では無い。

 また、下地。

 あわよくば、と出馬したが、こんな変節漢にも、政治力を託すことは、とてもじゃないが出来ない。

 例え、稲嶺と、沖縄県民の気持ちを背に受けて、翁長が当選を果たしたとしても、強硬に対日本政府、対アメリカ軍&政府を相手に、正論を吐いて、突き進んで行けるかどうか?

 例えば、「オスプレイの基地。霞が関の首相官邸の庭に特設しましょうよ!」

 「たま~に落下して、何人か死んだとしても、総理も大臣も、その能力程度の代わりは、そこいら辺に、ゴロゴロいるじゃありませんか!」

 「辺野古の移設。霞が関に移転しましょう! そうしましょう! そうしましょう! 話しも、すぐアメリカ軍と出来るし! 便利!便利!」

 「ねっ!ねっ!オキナワの痛みを、ココで痛感して戴いて欲しいなあ!」

 そのくらいのコトは、大胆提案してもらわないと!

 だが、そんな力量あるかなあ??

 疑問は、尽きない。

 だとしても、仲井眞のように、昼は官邸や、霞が関の官庁街で、沖縄県民の気持ちを代弁しているかのようなコトを、上っ面で言っておいて、

 夜更けると、2枚目の舌を出して、こっそりと、菅官房長官らと、都内の高級料亭に、その身を隠すようにして入り、その席で、ご無理ごもっとも、すべて条件呑みましょう。その代わり、オキナワと私に、おカネ・助成金、ごっそりくださいませ、お代官様!のてい。

 で、乾杯して、完敗。

 「お土産」しこたま、もらって、料亭を後にする

 な~んてコトは、翁長。

 しない・・・・・と、信じるほかない。

 当選後、選挙戦を追ってきた、地元の琉球放送を始め、テレビメディアを中心に、その裏側をドキュメンタリーとしてまとめて、見せてくれるはず。

 それから、今一度、判断しよう。

 まさか、どんよりと腐った魚のような両目を持つ、仲井眞が再選されないことを、遠き内地より、切に願っております!

 

 

 

 

 

 


<リアル 芸能 ルポ>  かつて、異色の「女優」として評価が高かった「中尾幸世」についての、想い出。

2014-11-11 18:08:37 | テレビ番組

 ああ、いた、いた、いたなあ・・・・彼女が「女優」扱いだった時代が、走馬灯のように、甦ってきた。

 「中尾幸世(さちよ)」(当時・写真下)と書いても、コアな映像・ドラマファン以外は、誰ですか? その人?って、感覚が、フツ~であろう。

 私にしても、NHK-BSで、ここ最近、何度目かの再々放送で、彼女「主演」の、ドラマというより、「紀行」「映像詩」を何気なく見ていて、当時のことを思い出したくらいなのだから。

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  現在、すでに78歳にもなった佐々木昭一郎。彼が、NHKの社員ディレクター時代に創りあげた、彼女を抜擢して、撮影した数本。

 「夢の島 少女」 「四季 ユートピアノ」 「アンダルシアの虹」などなど。

 キチンとした筋立てがあるドラマでは、無い。まさに、映像詩というほか無い作品。観ながら、各々が何かを感じてもらえれば良いという作り。そう、とらえていた。

 民放に較べ、制作費がふんだんに使えた時代。NHKだから、可能だった。視聴率は、カネかけた割りに低調だったけれど。

 しかし、外国の映像祭では受けたし、数多くの賞も獲った。だから、再放送で、視聴率がグ~ンと上がるか?というと、そんなことは無かった。

 佐々木が、当時、民放の社員だったら、絶対に創らせてもらえない作品。

 それは、まさに作り物の、本流を往くドラマではあったが、故・和田勉(べん。本名の読みは、つとむ)も、同様であった。

 和田には、局在籍時に、インタビュー。

 斬った張ったの展開となり、取材していて、気持ちが躍り、わくわくした。

 和田も佐々木も、定年まで勤め上げ、退職。

 しかし、予期して、和田の記事に当時書いていたように、フリーになってからは、すべて興行成績はふるわず。

 監督をした映画「ハリマオ」で、陣内孝則を起用。実在した、ハリマオと呼ばれた日本人の軌跡を追い、再構成するなど、意欲作だったが、大コケ。

 ダジャレ連発の、大口開けて演技して笑う「ガハハ オジサン芸人」として、安易なコメンテーターも務めていたが、あわれでしかなかった。

 後年、銀座のとある小さなビルのエレベーターで、和田と2人きりになって、偶然乗り合わせた。

 「ガハハの笑い装って、楽しいですか? 満足、してます? 我が身の晩節、汚してませんか? これで、良いんですか?」

  そう問うと、うつむいて、黙っていた。

 佐々木昭一郎もまた、乳母日傘(おんばひがさ)の身から退職後、やっと15年後に映画を1本撮れたが、紆余曲折、ケンカ、物別れなど、世間の風をまともに受けていた末の作品。

 資金回収は、厳しいであろう。

 

 実は、局内に居た時から、佐々木の評判は、賞とは裏腹に、とても芳しいものではなかった。公私ともに、むしろ悪いと言い切っていいほど。

 だから、当時、中尾をインタビューするに当たって、佐々木には何もコンタクトを取っていない。

 上記写真。中尾幸世の、この顔立ちと印象が強く残った。おまけに「専業女優」ではないという。他に、正業を持っていると聞いた。

 なんとかかんとか、取り次ぎの末、直接彼女に連絡が取れた。

 待ち合わせ場所は、有楽町。

 彼女が勤務している、広告代理店の近くで、ということに。

 会社が入っている雑居ビルから出てきた中尾幸世は、テレビでみたまんまの顔。

 印象的な、頬の上の照かりも、そのまんま。

 路上を、足しげく行き交う人達は、彼女が、「女優」であるとは、誰一人気付かない。

 数年に1度。それも、NHKのみで、単発で出る女性。例え、ヒロイン・主役であっても、足を止めるほどコアな人は、いない。

 このインタビューのために、昼休みの食事の時刻を、ずらしてもらって、会社を出てきたのだと言う。ありがたい。

 食事もゆっくり取る時間も無く、近くの喫茶店で、1時間弱、話しを聞いた。

 仕事は、広告のグラフイック・デザイン担当。多摩美術大学を卒業後、就職し、この仕事を続けている。

 「残業もあるし、土日も仕事をする時もある」などと話していた。

 「時々、雑誌のレイアウトの仕事も回ってきて、やるんですよ」という言葉がアタマに残っている。

 整理整頓が悪く、今すぐ手元に、そのインタビュー記事を引っ張りだせないでいる。

 覚えているのは、長期撮影のための休みは、会社に有給休暇の届けを出して、出かけて行っている。

 なので、「もう、有給が無いに等しくなってきているの。私の仕事は、あくまでコレ。芸能活動という認識はまったく無いし、この先、ずっと続けていこうという気持ちも無いんです」

 芸能プロダクションや、事務所にも所属しておらず、する気もまったく無い。むろん、マネージャーもいない。

 新しい作品で、また撮影がしたいんだけど・・・と、佐々木さんから電話連絡があってから、どうしょうかなあ・・・・と、考えるというカンジ。

 仕事は、チームでこなさなければならないし、自分が抜けることで、迷惑も掛かる。

 もう、多分、おそらく、テレビも含めて、将来も、芸能人的な仕事はしてゆく気持ちがないし、多分、もう、しないと想う、とも言っていた。

 笑顔が、何よりステキだったし、化粧っけ、殆んど無し。地味といえば、地味。結婚や、恋愛については,答えを笑顔を浮かべて、はぐらかされた記憶がある。

 「もう、そろそろ会社に戻らなきゃいけないので、この辺でいいですか?」

 それが、締めの言葉。

 演技にも、自信が無いのだそうな。

 で・・・・・それ以降、佐々木の作品も含め、消・え・た。

 それも良い。あくまで、他人の為ではなく、中尾幸世、彼女の人生なのだから・・・・・・・・。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本日。コレを打ち込むに当たって、彼女の今を、検索してみた。

 すでに、57歳

 なんと、週末の土曜日、朗読会を、全国各地で開いていた。

 それも、15年も前から。

 Dscf8947 この写真は、始めた頃か。

 近年は、年齢を重ねたせいか、メガネをかけ、ゆったりと余裕のある衣装を身にまとい、宮沢賢治、小川未明、小泉八雲などの作品を、朗読している。

 Dscf8951 時には、このような場所で。オトナだけではなく、幼児相手に読み聞かせてもいる。

 ハープ、ピアノ、弦楽器、などの伴奏も付けて、物語の世界を独自に創り上げている。

 その後、結婚したのか? 子供が、いるのか? 孫までいるのか?

 仕事(正業)は、今も辞めずに続けているのか?

 わからない。

 今月も、関東地方で2か所。

 週末に、朗読をする。

 マイペースの人生を、着実に歩んでいる。

 かつても、そして今も。

 かろやかに、かろやかに・・・・・・


コレって、有り? コレって、許される? 包装写真と実際と、あまりにも違い過ぎる「茶わんむし」。

2014-11-10 11:51:19 | ニュース

 先月のこと。

 何気なく、大型食品スーパーに立ち寄った。

 ん? 「茶わんむし」?

 それも、4個入りの、詰め合わせ。

 豪華で大きな具が、カラー写真で、包装された袋に刷り込まれていた。

 Dscf8842 「えび」や、「椎茸(しいたけ)」が、容器から溢れんばかりに入っているでは、ありませんか!

 まあ、私も子供では無い。そのまんま、写真の通りに入っている、とまでは思わないが、ソコソコの入り方は、しているのではなかろうか?と、思った。

 というのも、四季折々、全国各地の、さまざまな食品業者が「茶わんむし」を製造販売。

 スーパーに並んでおり、各社のを気が向いたら、ひょいと買い物かごに入れて、購入したこと数度。

 そのすべてが、1個売り。透けて見える、簡易包装。中身が、見えた。

 さらに、そのすべてが、電子レンジに入れて、ポン!

 わずか数分で、クチに運べるものばかり。

 コレも、そのクチだろうと、思っていた。

 中味は、まったく見えないけれど。

 ところが・・・・・・・

 帰宅し、包装を開けてみて、えっ!?

 Dscf8843 浮き上がって、ぼんやりと見える「椎茸」らしきモノ。オレンジ色の「えび」は、わずか2~3ミリで、丸まって、これまた、ぼんやりと浮かんでいる。「たけのこ」は、先っぽがのぞくだけ。

 「家族だんらん」というキャッチで、4個パック。

 で、4個、すべて、写真のコレ!

 見比べて見て欲しい。

 あまりの落差に、唖然(あぜん)・・・・・・・・・茫然(ぼうぜん)・・・・・

 追う様に、裏面に刷り込んである「お召し上がり方法」と、「使用上の注意」。計7行もの文を読んで、またまたビックリ!

 かいつまんで言うと、鍋で「お湯を沸かし」、火を止めて、7分漬け続ける。

 こんな時間かけなきゃ、食べられない。

 皆でぶつぶつ言いながら、やってみた。

 温かく無い。ぬるい容器。中身は、プリン状態。具は、無いに等しい・・・・。

 「電子レンジでの、加熱はしないでください。内容物が、飛び出る可能性があります」

 うわああ! こわっ!

 さらに、「賞味期限に関わらず、お早めにお召し上がりください」

 こわっ!

 食べる、というより、規則、縛りに従って、食べさせて戴く感覚。

 これさあ・・・・・食品の誇大広告じゃないかなあ??

 少なくとも、この年末年始、おせち料理のパック予約販売のチラシ広告が、ポストに舞い込む季節がら、スーパーで、このような簡易・お手軽「茶わんむし」を購入しようとする家庭は多いであろう。

 が、この「茶わんむし」に限っては、1度は買っても、2度は無い・・ように思える。

 「消費者庁・食品表示課」「虚偽誇大表示」「虚偽誇大広告」「栄養成分表示」「接置命令」「課徴金制度」「表示規制」などなど・・・・・

 調べた、当たった。

 この「茶わんむし」の包装を何度もひっくり返し、ようやく見つけた、申し訳程度の、「イメージ写真」の、小文字。1文字、2ミリ四方。

 まるで、中味の具の「えび」。

 ギリギリ、規制の網をすり抜けてきている?のかも、知れない。

 調べて分かったことは、命令や規制は有っても、法的罰則が、皆無に等しいこと。

 先の「課徴金」を課す法案も、流れてしまっていた。

 一体、どんな食品企業なのだろうと、検索してみると!

 自社製造食品である「錦糸たまご」から、今年7月、「黄色ブドウ球菌」が検出された事実が発覚!

 食品衛生法違反となり、商品回収命令が、保健所から出された。

 ちなみに、この「茶わんむし」。

 なぜか、「製品一覧」には、載っていない。

 コスト削減?から、はじき出された?、極小えび一片。

 う~ん・・・・・・思わず、えび反ってしまいそう!

  

 


ただ今、渦中の疑惑人物の、冨田尚弥を、「冨田尚哉」や、「冨田尚也」と書き続ける「日刊ゲンダイ」の怪!

2014-11-09 21:06:08 | ニュース

 この11月8日付けの、記事の末尾の方で、「余話」「秘話」として、サラリと触れたのだが・・・・・。

 タイトルには、あえて入れ込まなかったので、気付きもしなかったのであろう。おそらく。

 ココまで、「日刊ゲンダイ」の誤記が続くと、この編集部には、記事をチェックする人がいないのだろうか

 そ~ゆ~、あってしかる(叱る)べき体制が、無いのであろうか?

 そう、クビを傾げざるを得ない。

 一応、「証拠」を、並べてみる。

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 2度あることは、3度あると言うことわざ、言い回しがある。

 まさに、ソレ。

 なにか、固有名詞ともいうべき、人名をあえて間違う意図が、あるのだろうか?

 報道機関としては、とても恥ずかしいこと。

 あえて、注意喚起を、うながしたい!


劇団「離風霊船(りぶれせん)」が、11月19日(水)~24日(月・祝)まで、公演

2014-11-08 23:11:55 | 芸能ネタ

 日ごとに、肌寒さを感じるひとときが、増えてまいりましたが、日本の演劇をこよなく愛する皆々様、いかがお過ごしでございましょうか?

 さて、お立合い!

 座ってパソコンや、スマホで、この記事見てても、お立ち合い。

 このたび、紹介させて戴きまするは、劇団結成32年を経てもなお、第一線で集客力を維持し続け、常にリフレッシュして、汗ほとばしり、エネルギー溢れる芝居を見せ続けてくれている「離風霊船(りぶれせん)」の、新作でやす。

 演題は、「ずんどこ」。 

 Dscf8913  そう、かの一世を風靡(ふうび)した「ドリフターズ世代」なら、知っている。

 誰でもが口ずさんだ、「ずんどこ節」の、あの、「ずんどこ」。

 あ、そら!ずんずん、ずんずん、ずんずんどっこ・・・と、いう節の、アレです。

 ホラホラ、そこの君!あなた! お嬢ちゃん、お婆ちゃん!も、思わず踊り出しそうになる、あのリズムと、拍子!

 アレで、やんすよ!

 とはいうものの、「ずんどこ」の、詳しい筋立ては、分かりません。

 聞こうかな?とも思いましたが、観に行った時の、お楽しみ!と、しときます。

 それじゃあ、時間と、おカネの無駄になるじゃん!と思われる方も、おられるかも知れませんが、そんな心配は御無用!

 この記事読んだのが、運の尽き。幸せへの、とっかかり。

 だまされたつもりで、劇場へ足を運んでみて下さい。

 ともかく、めちゃくちゃ面白いから。

 なにしろ、作者(台本)と、演出が、下の写真のお方。

 ”怪女”にして、”快優”の、伊東由美子なんすから。

 Dscf8909 ねっ! この写真を見て、ぶわ~っと広がるイメージのまんまのおヒト。

 稽古場での、ねじり鉢巻き姿は、この女優の、いわばトレードマーク。

 いつでも、どこでも、元気はつらつ!

 しかし、稽古場では、鬼にも転じる、キビシ~演出家でもある。

 コレで、年齢いくつだと、想います?

 20・・・・3?

 いえいえ。その倍?

 惜しいっ! この公演の前の11月16日で、25・・・あ、いや、55歳になられます。

 もう、人妻、子持ちの身。

 イロイロな劇団の公演でも、客演してますんで、全国の劇場のどこかで、見かけた方もおられるかと、思います。

 「ずんどこ」も、かの有名なゴーリキーの「どん底」をモチーフにした、”発想”飛び!

 さてさて、どんな、アッと驚き、目を見張らせる物語が、展開しますやら。

 出演者陣は、その伊東由美子を始め、ベテランの松戸俊二、山岸涼子

 体幹を鍛えるのに余念が無い、江頭一晃に、瀬戸純哉、体型ぽんぽこりんの柳一至栗林み~こ

 そして、「劇団 わらく」から2人。客演の、石沢拓弥、美少女と騒がれている進藤理恵

 以上の9人。

 伊東が意表を突いて出てくるシーンは、もはや、鉄板の絶妙さ。毎回、クスクス笑いが巻き起こる。

 いわば、「間」(ま)なんだよなあ。同じセリフをしゃべっていても、違う。

 ホラ、同じ古典落語を、一字一句、語っているのに、笑いの渦に巻き込む上手い噺家と、上っ調子のタレント落語家との違いって言えば、分かってくれるかなあ。

 どこか、生きて居る、オンナ古今亭志ん生の風情あり。

 それ気付くだけでも、一見の価値ありますぜ。

 

 それにしても・・・・昭和から平成へと、早32年間。時の流れは、過ぎ去ってしまえば、アッと言う間。

 劇団を維持し、離風霊船が、難破船にもならず、世間の荒波をどんぶらこっこ、どんぶらこっこと、乗り越えてこられたのは、制作担当の落合直子が、屋台骨を支え続けた底力あってこそ。

 このヒトがいなかったら、離風霊船は沈みかけた、かも・・・・。

 その落合女史も、めでたく、この11月6日、生誕から32+?歳=を迎えられたとのこと(写真下)。

 Dscf8911 ぱちぱち、ぱちぱち!

 公演が始まると、受付の席で、この笑顔で迎えてくれております。

 公演開始日の11月19日(水)から、20日(木)、21日(金)の3日間は、午後7時半開演。

 翌22日(土)は、午後3時と、午後7時開演の、2回公演。

 23日(日)と、最終、楽日の24日(月・祝日)は、午後3時開演です。

 チケット代は、全席指定席で、3800円。当日、前売り共、同じ。

 学生割引は、劇団扱いのみで、3300円。

 前売りなど、チケットの申し込み方法は、「劇団 離風霊船」と検索すると、出てきます。

 公演会場の、「中野 テアトル BONBON」は、JR中央線と、地下鉄の中野駅の、南口から徒歩5分ほど。

 なお、駐車場が無いので、車や、バイクや自転車のご来場は、ご遠慮してくださいとのことです。

 時まさに、大都会も「紅葉」の季節。

 この芝居を観て、気分も高揚する・・・はずです!

 あ、それ、ずんずん、ずんずん、ずんずんどん底!

 

 

 

 


限りなく、カメラ窃盗犯としか思えない、冨田尚弥の、記者会見の供述。その顛末は・・・・

2014-11-08 01:00:00 | スポーツ

 限りなく「窃盗犯」に近い冨田尚弥の、言い分を、信じる人間が、いるだろうか?

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 もはや、謝罪するしか、無いであろう。

 どこも、書いてもいない、報じてもいないことを書く。

 彼が言う「面識のない、不審で、怪しい男」が、いたとしょう

 左後ろから、いきなり左手首を掴まえられたら、普通の人間は、どうするであろうか?

 普通は、「何をするんだ!?」と、叫び、振りほどこうとしながら、誰かに助けを求めるはず。

 もしくは、人一倍、ガタイの良い冨田尚弥並みの人間なら、逆に格闘しながら、周囲の人を呼びつつ、「怪しいアジア人」を押さえつけて、引き渡すであろう。

 が、超不思議な人間・冨田尚弥は、何もせず。

 声も出さず、叫ばず、助けも呼ばず、「ゴミだと想った カメラ」をバッグに入れられて、無言でおとなしく去ったそうな。???

はあ?????????

 その一連の動きを、本人が再現した写真は、以下の通り。

 コレが、逆に「動かぬ証拠」となって、来週半ばには、窮地に陥るはずだ。

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 Dscf8803 ちなみに、「壊れたゴミ カメラ」を冨田のバッグに、むりやり詰め込んだ「怪しい男」を演じたのは、弁護士。

 

 その不審で怪しい男は、防犯カメラに、まったく写り込んでいない。

 で、誰も会場で、その男を、見ていない。

 帰りのバスに乗りこむとき、「ゴミ」が有りましたと、冨田尚弥は、誰にも言わないまま

 6日、会見の後の、囲み取材も含め、2時間57分。

 すべて、見たし、聞いた

 レンズに付着してあった指紋は、きれいに拭き取ってあったという

 冨田尚弥の窃盗の前科前歴は、ありませんと、熱意溢れる弁護士・國田武二朗(くにた・ぶじろう)は、ハッキリと言明。

 確信犯? とっさに? 出来心?

 この事件について自宅で両親に、事情説明を、この1か月半、「聞かれたが一切話していない」と、冨田尚弥。

 そんな態度をし続けてきたにも関わらず、「親だけは、僕のコトを信じてくれていると思う」と会見で言った。

 ????

 会見というより、「怪見」。

 防犯カメラには、バッグに、冨田がカメラを入れ込む行為が8分間にもわたって、一部始終、写り込んであり、JOCの人間も、通訳もハッキリと見てしまっている。

 なのに、認めない、冨田尚弥の不思議な、25歳の稚拙なアタマ。

 インチョン警察へと連行される前に、「自分が盗みました」と認めているのに・・・・・・。

 こうなりゃ、韓国で裁判を求めて、敗訴し、獄中で罪をつぐなうしかない!

 闘う費用が無いなんて、言い訳したら、あざけ笑われるよ。

 裁判したいと言う、その堅い決意は、とてもあるとは思えないが・・・・

 余談だが、この「怪見」の裏で、渦中のJBC(日本オリンピック委員会)傘下の、10ものスポーツ団体が、海外遠征にあたって、国民の税金、2億円を不正使用していた。

 腐り切った選手だけに納まらず、団体までも「税金の窃盗」をしていたとは!

 また、この「冨田尚弥」の名前を、「日刊ゲンダイ」は、以下のように記載。

 弥也哉??

 いやはや、なんとも、恥ずかしいことを、しでかして・・・・・

 「やっていない」なんて、言わないよねっ?

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2014年ノーベル物理学賞 受賞。中村修二・教授。誰も知らない、これぞ変心秘話!

2014-11-05 23:36:30 | ニュース

 一体全体、ヒト、霊長類は、ココまで短期間に、ココロの裏表、根こそぎ、ひっくり返せるものなのだろうか?・・・・・・・

 「立場変われば、人変わる」

 まさに、ソレ。

 この現在、60歳。一躍、誰もが知る存在になった「中村修二」というヒト科の生物の、ココロの中を計りかねている。

 問いたい。

 あなたが、今まで書いて?きたこと、クチをとがらせてまで主張してきたことの80%は、嘘八百だったのだろうか?、と。

 それも、わずか、一週間あまりで。

 マスコミ、ならぬ「マスゴミ」の一員と言われようとも、書き記しておこうと、想う。

 数日前の、<兄弟秘話>

 比較的多くの他人に読まれたようだ。

 他人だけではなく、偶然にせよ、中村修二にとても近しい、とある親族も読んでくれていた。

 しっかりと、指摘された。

 中村康則が、中村康徳になっていましたよねえ?

 そう問われた時には、すでに気付いて直していたのだが、親族には謝る他、無かった。

 まあ、兄弟2人を良く書いてくれていて! と言って、クスッと含み笑いされた。

 聞きたかったことがあって、悪戦苦闘の末、連絡がとれた。

 ずばり、聞いた。

 修二さん、(がん)か何か、不治の病いが発覚したんでしょうか?

 相手、絶句。そののち、あきれたように言った。

 「まさかあ!(笑) あの、テレビで映し出される顔が、病気を抱えている人に見えますか? あの、元気そのものの顔が!?」

 ・・・・・・・いや。でも、そう見えていて、明日入院する方は、多いですし。3日の記者会見で、

 「人生は、短いですからね」「ホント、人生は短い」

 「ケンカしたまま、死にたくは無いですよ」「ケンカ無しで、人生終わりたいじゃないですか」、と。

 この突然とも思える、心境の変化は、どうとらえればいいんでしょうか?

 「・・・・文化勲章とか、もらったからじゃないでしょうか? 良いことだと思いますよ。そう考える、そう想うようになったということは。私は、そうとらえています」

 う~ん・・・・・

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 母国・日本へと、親授式、授賞式に参列するために来日したが、多忙であろうと考え、迷惑かけてはいけないと、電話もせず、メールのみで、祝福の言葉を打ち送っただけだという。

 修二は、日本には、妻を帯同させず。単身で来た。

 式典参加のための、交通費、渡航費、宿泊費は、一切出ないことは、すでに取材済みだ。

 親族は、あの日亜との訴訟で、一部で修二がバッシングされたことを、今でも気にしていた。

 「アレは、おカネが目的では無かったと思いますよ

 ーーー そうでしょうね。日亜の、さらに言えば、小川英治・社長に、辞めても、アメリカまで追って来て、理不尽なことを、訴えられた。だから、アタマにきて、やむなく応戦して、訴えた。そう、とらえています

 「私はね、修二を応援してましたよ。子供の頃から、根は真面目な子でしたしね。ずっと(小川英治を)大人げないヒトだと言ってましたし、わたしも、大人げないことをする人だなあと想っています」

 ---なのに、謝罪こそしないが、仲よくして、人生終わりたいと言うのが、理解出来ない。

 「やっぱり、受賞したことにより、気持ちが変わったんじゃないでしょうか」

 ーーー ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「(先代社長の)小川信雄さんの墓には、なんとしても、行って手を合わせて、感謝を述べたいとは言ってましたよ」

 ーーーだからこそ、和解して、胸張って徳島の阿南市に行きたいと?

 「そうでしょうねえ」

 --- 会見で、10メートルも町を歩けば、日亜の関係者に顔を会わせてしまうので、行きづらいと言ってましたが、大げさじゃありませんか?

 「いえいえ。本当ですよ。あなたが、来ればわかります。ホント、田舎ですから」

 そう言われて、改めて、調べてみると、ホントかも知れないと、想った。

 日亜化学工業㈱の本社、並びに、A工場、TN工場、そしてTS工場。総従業員数、約8000名。

 一方、その所在地である徳島県阿南市の人口こそ、この10月1日付けで、7万4102人。内、男性は3万6786人。

 しかし、この町も、60歳以上が人口比でも多く占める高齢社会。

 働く産業人口たるや、わずか、2万7500人。それも、日本一を誇るタケノコの生産者を入れてだ。

 光の町を標榜し、修二が会見で言ったように、徳島県LED光産業集積計画の中心地。

 正社員のほかに、契約、臨時、正規、非正規、アルバイトなど、もろもろ入れると・・・・まんざら、ウソでもないかも。

 今回、一連の記事を書くにあたって、10冊前後ある、日亜と、中村修二に関する著作を読んだ。その背後にあった事実関係も、調べた。

 今や、小川雅照の本に、全国から注文が殺到。急いで刷りまくっているという。

 「おがわ会」のことまで、手を伸ばして調べた。

 だから、ある種、例え「戦術」「戦略」としても、日亜と小川英治への、「マスゴミ」を利用しての呼びかけには、驚いた。

 断ってくるのは、透けて見えていた・・・・・はずだ。

 会社名としての文中にのぞく、「章、賞に恥じないように」の、まさに今もって大人げない、皮肉と憎しみたっぷりのくだり。

 76歳にもなっているというのに、権謀術数を弄してきた老人社長の、今に至るも、悪しき性格がのぞく。

 怒る人から、性格円満な良いヒトに、意図と計算を狙った大方向転換?

 「面会拒否」に、「残念ですね」と、オトナの御言葉

 さらに、「立場変われば、人変わる」の真骨頂を発揮したのが、本日、11月5日。

 特許法の新たな法案に対し、わずか9日前に、取材に応えて、こういう意味の発言を、していた。

 「反対どころじゃない。猛反対です!」

 「今の日本政府や、安倍首相は、日夜、日々努力している技術研究者に与えられて然るべき特許の権利をまったく無視している」

 「経営者や企業の利益ばかりに、目がいっているように思えてならない」

 その同じ人間が、、首相官邸に、午前9時に呼び込まれるや、堅い表情を崩し、歓談。たちまち笑顔。おまけに、固く握り合っての握手 

 おいおいおいおいおい、おい~っ!

 政治屋なみの、2枚舌かよ~っ!

 Dscf8766  

 内閣府広報室に全問答を取材したが、女性室員は「分かりません」とだけ言って、そして、霞が関お得意の電話たらいまわし。

 調べてみたが、「特許法案」の「と」も、「猛反対」の「も」の字も、修二は席上、クチに出さなかったようだ。

 自分のあとに続く者へ、先べん切って、芽を育てたはずが、自ら今度は、あっさりと根こそぎ摘み取った

 そう思えてならない。

 良い御ヒト?

 そうでしょうね、良くも悪くも光輝く、青色ダイオードも真っ青な「オトナ」になって、日本から旅立っていく。

 さようなら、さようなら。

 永久(とわ)に、さらば、さらば。

 

 

 


ノーベル賞 中村修二 驚きの兄弟秘話<後篇>癌手術成功度を高める医療機器を研究開発!ノーベル賞に匹敵!

2014-11-03 23:44:06 | ニュース

 「日亜」が、石持て追い、潰したのは、中村修二だけではない。

 実は、創業者社長には、実子たる息子たちがいた。その2人が、入社したものの、新社長になってから、退社した。

 その兄弟が語るには、1人は退社に追い込まれ、そして残る1人は、怒りを叩きつけて、会社を辞めた。

 権謀術数の、果てに・・・・・。

 中村修二は、和解内容を認めようとした弁護士と同席ではなく、憤懣やるかたない表情を浮かべ、別個に会見。

 そして、「日本の司法は、腐っている」発言となった。

 周囲からは、この裁判が、最高裁までいったり、差し戻し審などで、審理が長引けば、ノーベル賞ももらえなくなる、とか、もうやめたら、とか、さまざまな声が、中村に寄せられた。

 なんと、兄の中村康則によれば、驚いたことに、日亜に応訴するカタチで、提訴した時に

 「裁判を起こすために、書類に貼らなきゃいけない収入印紙代だけで、500万円から600万円かかったと、修二は言ってましたよ」

 日本の司法制度の決まりごととはいえ、貧乏人は裁判も起こせないと言うべきか。

 兄は、反対こそしなかったが、こと裁判では、積極的に応援は、してこなかったという。

 アメリカとニッポンの何度もの往復、細かな連絡と、公判打ち合わせ。その大変さをおもんばかってだけでは、実は無い・・・・。

 その本音は、のちに書く。

 「怒り」と、「コンチクショー」。「アタマにきた!」「負けてたまるか!」 

 その想いが、修二を、前へ足を進ませた。

 なのに、たったの8億4000万円。実質、敗訴。おまけに、特許権、日亜によって、ドブに捨てられた。

 諸費用、弁護費用、引かれ引かれして・・・・手元に残ったのは、いくらぐらいなのだろう?

 「さあ、わかりませんねえ」

 そう言って、兄は苦笑。

 この兄弟。産まれ育ったのは、愛媛県の「田舎(いなか)も、田舎です」(康則)。

 現在の、伊方町。父は、四国電力の、変電所の勤務。今の、伊方原発の辺りか

 「親父は、器用でねえ。電球の換えは、もちろん、大工道具持って、家の傷んだところ、自分で、何でもかんでも、直してましたよ」

 「そういう環境で育ったせいか、わたしら兄弟は科学に興味を持ったのかもしれませんねえ・・・」

 「そうそう、子供の頃は裸電球の時代。それから、蛍光灯に代わって」

 それを、見て育った、姉と3兄弟。

 長兄が、康則。そして、次男が、修二。3男が、義則と言い、修二の一つ下。

 長姉の美知子は嫁ぎ、現在は東京都下に住んでいる。

 「兄弟げんかは、良くしましたねえ」と、笑う。

 父の、先ほどの影響か、なんと3兄弟とも、大学の理工科学系に進学し、卒業した。

 その父・友吉は、2年前に、惜しくも他界した。

 すでに修二は、日本国内の、あらゆる科学の賞を手にしていた。

 次は、この賞しかない、と。

 毎年のように、秘かにノーベル賞候補に囁かれており、記者がその発表時期に詰めかけては・・・・去っていった。

 「父が生きていたらねえ・・・・どんなに喜んでくれたかと想うとねえ・・・」

 しみじみと、康則は語る。

 母のマサエは、数年前より入院し、闘病中。

 「去年でしたかねえ、修二が見舞いに、アメリカから来たんですよ。面会に来ましてね。母に会ったとたん、母が見違えるほど病状も、顔色も良くなって! いやあ、すごい変わり様でしたよ」

 「今回の受賞のことは、私の携帯で、すぐ病室にいて、付き添っている妻から、母に伝えてもらいました。もう、テレビでも、受賞の一報が、テロップで出た途端にねえ」

 「喜んでいたようですよ、それはもう!」と、顔を崩す。

 この11月の末に、弟は帰郷する予定でいるらしいとも言う。

 取材後、「愛媛県民賞」も、もらえることが決定。嬉しい帰国になりそうだ。

 「修二とはねえ、アメリカに出張で行った際にも会って、一杯飲んで、酌み交わしましたよ。どんなこと話したかって? まあ、色んなことをね」

 「私のこと? 今日は、修二のこと、聞きに来たんじゃないですか?」

 いや、「ミヤネ屋」見ましてね。お兄さんにも興味を抱きまして、と説明。

 「私はね、脱サラしたんですよ。あるプラント会社に勤めておったんですが、ケンカして、思い切って辞めたんですわ」

 おやおや。兄弟のまっすぐ、おかしなことには怒り、許せない!という、生一本な性格は、血かも。

 で、会社を自ら興(おこ)した。

 「エフエー システム エンジニアリング㈱」と、名付けた。

 今から27年前のコト。まだ、35歳の若さ。

 それが、いまや医療機器や、テレビを中心とした撮影の、クリアなハイビジョンカメラを製造・販売する会社へと、成長してきた。

 自らが生まれ育った、愛媛県。その松山市に拠点を置く会社は、社員数28名という、まさに少数精鋭のベンチャー企業。

 会社に引き入れた末弟の義則も、いまや会社の取締役。

 生前の父・友吉を監査役に据え、実は、タイトルに記した、ノーベル賞にも値する、素晴らしい医療機器を、研究・開発・発明・製造・販売したばかり。

 2つ下の弟が、青色LEDという、人間の日々の生活に役に立つ照明器具を、具現化し、研究・開発した。

 兄弟も、負けてはいない。

 それまでも、血液透析の記録管理システム機器や、最新鋭の防犯カメラを軸とした監視システムや、ハイビジョンカメラ機材、手術用ロボットなどを作りあげてきた。

 メインは、医療機器の製造・販売。

 そして、ついに研究開発の末、3D、つまり手術すべき患部・箇所が、リアルに、クリアに、立体的に見える医療モニターの撮影カメラ機器一切を作り上げた!

 それも、クリアな、ハイビジョン映像だ。

   それが、彼の背後にある2台のモニター画面機器。

 若者が食い入るように見ているのが、ソレ。

 当初、「3D 裸眼カメラ」と言うから、てっきり娯楽映像や動画を楽しむための物ではないのか?と、想像。

 それでも、裸眼。つまり、ごく普通の目で、そのまんま立体的に見られるのなら、従来より、一歩進んだ画期的なモノだ。

 しかし、この会社の代表取締役でもある、兄・康則の説明の断片を聞いただけで、超!が付く、画期的な医療機器であった!!

 「コレ、撮るの? 今、モニター画面に映っているのは、ちょっとエグイからなあ・・・」

 画面に映っているのは、手術中の内臓の切除、縫合。

 そう苦笑しつつ、その前に立ってもらった(写真上)。

 見ると、娯楽どころか、まさに最新鋭の医療機器。

 手術する前に、病んでいる人体内部の箇所を撮影しとけば、切除し、縫合するべき箇所が、立体的に、奥行きまでハッキリと見える。

 手術に立ち会う医師たちが、モニター画面を共に見ながら、ドコを、どう何センチ切って、ドコをどうつなげて、ドコをどのように縫い合わせればよいか、まさに一目瞭然!

 また、不安に満ちていて、手術の可否に迷っている、患者、及びその親族にも、分かるように説明し、判断してもらえる。

 とりわけ、あらゆるすべての手術のなかで、胃がん、前立腺がん、など、がん手術に、画期的な前進が図れることは、素人目にも、ハッキリと分かった。

 むろん、手術の、まさにその時も、大きな役割を果たせる。伝送も、可能だ。

 実際、先月、早くも、本社のある松山市の総合病院で、2例のがん手術が、見事に成功というニュースが流れた。

 それも、従来より、正確に、且つ、手術に要する時間が短縮出来たとのこと。

 もはや、ノーベル賞にも準ずる、画期的なモノと、言っていい。

 「もちろん、特許は1年前に取りました」

 「個人の研究者が? いえいえ、会社全体がチームとなって、研究・開発を進めてきました」

 「名だたるいくつかの大学病院とも協力して戴き、完成してからは、試して使って戴き、修正を加えて、試行錯誤を重ねて、ようやく完成いたしました」

 思わず、口元がほころぶ。

 すごいなあ・・・・と、切に想う。

 というのも、近年の「パソコン医師たち」の、医療技術と経験の凋落(ちょうらく)ぶりが、どんどん突き進んでいるのを、取材していたから。

 医師と面談すると、患者の顔を見ずに、パソコン画面のデータ、数値を見つめたまま、最後まで話す。

 それで、症状を説明し、手術や、薬で治せるかどうか?の可否を話す。

 触診の経験、皆無に等しい。

 加えて、事前に、もし手術の結果が、思わしくない場合でも、異議をとなえないという、承諾書を書かせる。

 誤診として、訴えられて、負けるのを防ぐためだ。

 強要こそしないが、サインを拒否すると、手術や治療は見送られていく。

 医師とは名ばかりの、パソコン医師もどきが、全国に溢れかえっている。

 離島や、過疎地だけが、「身をもっての経験」で、あらゆる医術をこなさなければならない「診療所」で、老人相手にこなす。

 だから、手術を数多くこなして、経験を積み重ね、成功率80%の医師が、もてはやされ、マスコミの注目を浴びているのが今だ。

 例え、20%が、死に至っても、だ。

 そんな歪んだ医師能力が貧しい傾向のさなかにあって、この立体的に写り込むモニターは、素晴らしい一助どころか、十助に、間違いなくなっていくことだろう。

 ましてや、がん(癌)が、日本人の3人に1人がかかると言われて久しい今、今年の9月に発売されたというこの「3D 裸眼モニター」は、手術の前後、患者や親族や医師にとって、ノーベル賞もの。

 「値段ですか? 150万円です」

 他の機器に較べて、決して高いとは言えない。

 すでに、協力してもらった大学や病院から、引き合いが相次いでおり、先のニュースのように、すでにがんの手術で使用されている。

 今後も、全国各地で活躍していくことだろう。

 ドシロート医師でも、コレなら、手術ミスは少しは防げるし、動画映像はその後の反省材料にもなりうる。

 「このモニターにも、実は青色LEDが使われているんですわ。私自身は、ど~も、LEDは、嫌いなんですがね

 ん? 特許使用料は、弟の裁判により、支払う必要が無くなったのに?

 どうやら、兄弟といえども、同じ化学者。

 弟なんかには負けたくない! LEDなんぞ、なるべくなら、使いたくない!という、ライバル意識と、兄としての毅然たるプライドが、チラリと覗く。

 ーーーゆくゆくは、修二さんを日本に呼んで、兄弟3人で、さらに、画期的な研究をして、製品化してゆくという夢は?

 「無い、無い」

 手を振って、苦笑いする兄。

 アメリカまで出張し、「弟と会って、一杯飲むんですわ。お互いに、言いたいこと言ったりしてね(笑)」

 「楽しいひとときですよ」

 弟が自社で研究したら、特許料が永年必要。

 兄として、気持ちは分かる。

 だが、経営者としては、ちょっと・・・・・・・という、痛しかゆしの、複雑な想い。

  弟は、米国籍に書類上は、なってしまったが、心は生粋の、一本気なニッポン人。

 さらに、「米国人」になっても、ただの研究じゃ、良い顔されない。

 軍事産業に関わる研究をするからと申請すると、おカネが与えられるという、いかにもアメリカらしい背景がひそむ。

 地球上に内戦あるところ、CIA暗躍。戦争あるところに、武器供与。いつだって、世界制覇もくろむアメリカ合衆国。

 なんたって、ノーベル賞のノーベルそのものが、ダイナマイトの研究・発明者だもん! 軍事産業に、大いに寄与したおヒト。

 日本のいくつかの大学の客員教授の任を負っている弟は、もっか青色LEDの、100%発光を目指して、熱く研究に取り組んでいる。

 ノーベル物理学賞「半導体工学」で、最高の栄誉を手にした弟は、50%が、熱となって逃げてゆくのが、我慢ならない。

 カンペキに、100%。照明に転化するべく、もくもくと「コンチクショー」根性で、熱く熱く、取り組んでいる。

 さらには、レーザー・ダイオードの研究も進めている。

 兄もまた、技術開発を推し進めながら、自らも陣頭指揮をして、大都市で行われる展示会に展示・出品はむろんのこと、「胃がん研究学会」「日本泌尿器科学会」「日本排尿機能学会」「内視鏡外科学会」などに積極的に顔をだし、開発商品を展示・説明。

 とりわけ、近年は、胃がん部分の切除ナビゲーションを、この最新鋭「3D 裸眼モニター」を駆使して、医師たちに見せてきた。

 冒頭、書いたように、性格からきたものか、話術にたけた人。医師たちに、興味を惹かせるには充分過ぎるほどであったろうと思わせる。

 次男は、節電も兼ねる、未来の画期的照明。

 そして、長男と三男は、この先間違いなく増えてゆく、がん患者と未熟な医師を、共に救う可能性の極めて高いカメラとモニター機器を作り上げた。

 切磋琢磨。チキショー、負けるもんか!

 喜びの裏で、プライド、メラメラ。

 弟は、未来永劫、永遠のライバル、か。

 この三兄弟に、しばし、目が離せそうに無い!

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 追記

 超、驚きの祥報!

 本日、11月3日。

 皇居での「親綬式」ののち、9年前から、共同研究を進めたことで、深い縁のある、東京理科大学の校舎内の教室を借りて、記者会見。

 

 大きな心境の変化を見せた。

 中村修二が、なんと、あの! ”日亜”の社長の小川英治と、今後、話し合いが持てるならば、本当の意味で、真の和解をし、共同研究をしていってもいいという、心境を吐露。

  苦笑を交えながら、こう話した、

 「人生は、短いですからねえ」

 「ホント、人生は短い・・・・」

 「ケンカしたまま、死にたくは無いですよ(笑)。お互いに、誤解があった。過去のコトは忘れて、将来だけを見て、行きたい、と」

 「どっちが悪いとか、どっちがいいとか、そういう細かいこと言い合っていたら、エンドレスの議論になる」

 とはいうものの、自ら、小川英治や、”日亜”に、連絡を取る意思はない。

 この記者会見で、マスコミを利用しての、呼びかけ、打診。

 会えたら、謝罪などをするのか?という問いに対しては、キッパリと、語気を強める。

 「それは、無いですよ!だって、悪いことなど、一切していない訳だから」

 怒りと決別の退社をしてから、15年余り。

 「いわば、門前払いのようなもんだから」

 他人や知人や関係者を通して、接触を試みたが、なしのつぶて、だったと言う。

 愛媛には大手を振って行けるが、このままでは、徳島には公然とは、行きずらいと、苦笑交じりに語る。。

 来年の2月には、帰郷の予定に変更。

 ぜひとも、2002年、今を去ること12年前にこの世を去った、小川信雄・先代社長の墓には詣でたいという想いは、強い。

 修二も持つ特許権を、ゴミのように捨て、放棄したものの、今もって、”日亜”は、世界の30%の、青色LEDのシェアを占めているという。

 しかし、ソレは中村が、小川英冶の研究中止命令を無視して、「今世紀中には、無理」とさえ言われたことを、成し遂げたからこその、快挙の産物。

 この心境の大きな変化。もしかして、兄弟の研究成果の産物たる「3D 裸眼モニターカメラ」が必要な、癌にでも身体がむしばまれたことを、知ったのではなかろうか・・・・。

 今回の記念撮影では、妻を同席させなかった。来日しなかったのかも知れぬが。プライベートは、語らぬ主義の修二らしい。

 この会見の席上。

 来月12月の10日。ノーベル賞の授賞式でもらえることが分かって、入金の確認後、賞金の半額2350万円を、母校である徳島大学に寄付することを言明。

 実は、恩師である「多田修先生に、大学院卒業後、日亜に半導体の測定装置がまったく無かったので、連絡して、研究室にあったその装置を使わせてもらえないですか? と、お願いしてみたところ、勝手に使っていいぞ、と言って下さって」

 以来、10年近くにわたって、多田(研究室)で、タダで、自由に使わせてもらっていた。その御礼返しのつもりのようだ。

 なんでも、海外じゃ、高額を1時間いくら払ってじゃないと、使用出来ないそうな。

 多田教官が、日亜を受けてみなさい、と実は言ってくれたヒト。とはいえ、

 購入してもくれなかった、「日亜や、全社員に感謝してます」と、言われてもねえ・・・・・・・。

 で、その多田・名誉教授から「お前は、日亜と、仲直りせんと、いかん!」と、長きにわたって、折りに触れて言われていたという。

 同じく、研究に参加し、苦労を重ねた、当時の6人の部下の実名を挙げ、彼らとも徳島で、大手を振って、心おきなく逢いたいとも、心境を漏らす。

 「いまや、日亜といえば、徳島県最大の企業となった」と、持ち上げる修二。

 それは、あんたのせい。あんたが、単なるベンチャー企業だった日亜の細い路地を、明るく、青色ダイオードで照らしたから。

 「ケンカ無しで、人生終わりたいじゃないですか!」と、笑顔を浮かべて語る。

 会見のなかで、マスコミを利用して、「お手伝いして欲しい」と言っておきながら、取材攻勢の影響で、天野浩が風邪をひいたのを引き合いに出して

 「マスコミは、マスゴミだから。適当にあしらわないと」と、天野に伝えておいたと、面と向かって、記者会見で平然と恐縮もせず、言い放つのが、中村”怒り屋”修二たる、由縁。

 変に、おかしく、牙を収めたのは、「最高の栄誉を受けた」ばかりの、お偉い公人として、分からないでもないけれど・・・・

 オトコ、中村修二の60年。怒りと、コンチキショー、アタマに来た!という、エンジン吹かせて、常にひた走ってきたはず。

 それでこそ、オトコ、中村修二!

 まだ60、されど、60ではあるけれど・・・・・・

 う~ん・・・・・ひょっとして?

 いや、まさか・・・・・・・・う~ん・・・・・・・ 

 

 

 

  


 


2014年 ノーベル物理学賞 受賞  中村修二・教授に関する、誰も知らない、驚きの兄弟秘話<前篇>

2014-11-03 22:13:35 | ニュース

 あの、一時的喧騒は、一体何だったんだろう・・・・。

 熱しやすく、醒めやすい、我がニッポン国民性。

 わずか、一か月足らずで、過去のコトになりつつある「ノーベル物理学賞」日本人一挙3人受賞の話題。

 そのうちの1人、中村修二。その兄弟のことを記事にしたいと想ったのは、彼の兄を知ってから。

 まずは、なんたって、ホンマ、話しがメチャ面白かったから。

 一問一答、というなら、もろ一問二答。

 こちらの聞きたいこと以上に、分かりやすく、話してくれる。

 改めて、書く。

 そのヒトの名は、今をときめく「ノーベル物理学賞」日本人受賞者・中村修二の実兄でもある・中村康則(やすのり・写真左下)、62歳。弟・修二より、2歳上の長男。

 Dscf8463 この10月7日、すぐ下の弟、次男の中村修二が、小学生でも、その名だけは知っている、あまりにも有名な「ノーベル賞」をもらった。

 んなもんで、実兄の彼にも取材陣が次々と押し寄せ、一躍脚光を浴びるはめとなっちゃった。

 それも、いつもは四国にいるはずのヒトなのに、丁度受賞発表日に、東京近辺の「幕張メッセ」にいたという、奇跡的偶然も重なったものだから、なおのこと取材が集中。

 加えて、私も、おっ!と感じたように、愛想が良い。

 そのうえ、つたない質問にも、ていねいに、分かりやすく、それも、かなり本音で話してくれる。

 いわゆる、話しが上手い人。

 とりわけ、受賞決定翌日、ナマ中継で放送された、実兄として受けたテレビ・インタビューは秀逸だった。

 相場通り、四国は愛媛県の田舎で育った、幼いころの想い出話しも入り混ぜて話していた終盤。

 以前、再婚した妻がいながら、愛人と隠し子(女児。のちに認知)がいたことがばれて、一時期話題となった聞き手の元朝日放送アナの宮根誠司(51歳)が、中村康則の横に見えたモニター画面に興味を持ち、「ソレは、何ですか?」と、ひょいと、思わず聞いた。

 待ってましたあ!とばかりに、実兄。

 「これですか? コレは、我が社が、研究・開発した「3D 裸眼モニター・カメラ」というモノで、3Dの画面を見るためには、今までは眼鏡が必要だったんですが、コレはまったく必要が無い。まさに、裸眼のままで見える、新商品です」

 ハッ!と気付いた、隠し子持ちキャスター。

 「ソレって、コマーシャルですか?」

 実兄、無言で、にやりと、微笑む。

 いやいや、いやいやあ、やるなあ、このお兄ちゃん!

 「3D」「裸眼」って、娯楽用かなあ?

 この手の、飛び出して見える立体的「3D映画」って、日本では、セコイ作りの紙メガネ掛けて見なければならず、面倒臭い。そのせいもあるのか、実は、日本ではまったくヒットしていない。軒並み、大コケ。

 そんな、損な、新規産業に、参入??

 ともかく、ソレも見て、聞かなくっちゃ!

 んにしても、このヒト、かなりの商売人! 録画していた、この番組見てて、にやり感心。

 いち早く、授賞者3人のなかで、唯一そのとき日本にいたということか、老齢の終身名誉教授の赤勇が、生中継で記者会見していた。

 バックに、「名城大学」という幕のロゴ文字が、どうカメラの位置を変えても映り込む仕掛け。もろに、狙いが、見え見え。

 おんなじ「商売根性」でも、もろ出しは、ナンダかなあ・・・・・。惨敗ばかりのサッカ-日本代表の、試合後のボードに移り込むスポンサーでも、あるまいし。

 さらに、今まで多くの教授に取材したので、体感で分かるのだが、お答えに意外性が皆無。失礼だが、面白くも何とも無い。よくいるパターンの大学センセ。

 ちなみに、名誉教授って、何だか格式がくって、すんごい偉そ~だけど、通例、教授を退官すれば、日本では、全員が名誉教授になっちゃう仕組み。

 ちなみに、「名誉」代は、ビタ一文出ません! 0円です。

 それと、非常勤講師と、客員教授なる、冠付きセンセの名称。

 テレビのワイドショーでしたり顔でくっちゃべっているイージー(安易な)コメンテーターの肩書きに、この手の男女が目立つ。

 だが、コレ、実は、たった1回講義しただけでも、その「箔付き名称」が、付いて回る。報酬は、その時の講義代1回ポッキリ。これまた、その時以外には、ビタ一文、もらえません。

 だけど、その「箔」で、食える。しのげる。視聴者、だませる。

 で、その会見。な~んだか、実態は「怪見」。

 仕切り役が、早く、早く、終わらせ、幕を降ろそうという意識が見え見え。85歳と、老齢ではあるが、赤�・が、体調悪いとか、疲れているという兆しは、チラリとも見えないのに。

 宣伝したいのか? したくないのか? 大学だって、少子化のなかにあって、ある種の営利企業。

 校名を広く知らしめたいから、激しい少子化のなかにあって、志望受験高校生、引っ掛けたいから、幕張ったはずなのに、なんだか一刻も早く、幕降ろそうとかかる。

 なんじゃら、ホイ?????

 何のために、やってるんじゃろ? 「名状」しがたい行為

 おまけに、会見途中で、ミエ見えの、あざとい電話が赤�・宛に入る。掛けてきたのは、安倍晋三

 笑顔で、祝福の儀礼コトバを受ける赤�・。

 ありゃりゃあ・・・。仕様がねえ、爺さんだなあ。

 だってさあ、安倍は、社内・社員(非正規・契約含む)の化学&科学技術研究者が、長年にわたって開発し、製品化した際の「特許権」を、当の技術開発者にでは無く、会社に自動的に帰属させようという法案化を進めている、いわばノーベル賞 物理学者、化学者の「敵」!

 当の技術者に出す金額は、会社の気持ち次第、会社の一存に掛かっている、と言う、不当、デタラメ、テキトーなホーアン。

 そりゃあ、あ~たは,今は、「名誉」が冠に付く、引退学者センセ。だから、その法案が通過・成立しても、痛くもかゆくもないだろうさ。

 でも、これからの未来ある化学者の、身になれば、さあ・・・・・・・。

 おまけに、成し遂げたのは、あくまで「青色LED」の「基礎理論」。

 製品化まで、さらに一歩進んで実用化までには、中村修二のように、至っていない。

 でもさ、あ~たも、昔は、現・パナソニックで、社員研究者やってたわけじゃん!

 その「法案」。理不尽だ! 地道な長年の努力に対して、対価を支払わなくても良いなんて! 会社から支払って戴ける雀の涙金で、オシマイ。

 な~んも言えない法案なんて、ふざけんじゃあねえぞ! 

 アンバイ(安倍)悪いこと、推し進めやがって この野郎!と、怒って、生放送にかこつけて、率先して抗議の声挙げて”叱るべき”立場

 なのにさあ、ニコニコ、にっこり・・・・・・・・。

 ガッカリ!がっくり!

 途中、女性記者が質問。あの国際的3大不正化学犯、国民の税金詐取詐欺犯の「小保方晴子」について、ノーベル賞受賞者に所感を聞こうと、試みた。

 おうおう、おうおう!

 見どころ、あるじやん! 聞きどころ、あるじゃん!

 と、思ったら、赤が、「ん? 質問が良く聞き取れなかったんですが・・・。小保方さんが??」

 と、逆質問されたとたん、ネーチャン記者、オロオロ。で、ど~でもいい質問に変えちまった!

 あちゃあ!

 んなもんで、結果、ど~でもいいご答弁に。

 2人目の、天野浩(あまの・ひろし)教授。受賞決定直後の、フランスの空港での対応ぶり。

 人柄がクッキリ浮かび上がり、興味そそられた。

 だが、このヒト。先の、やることなすこと、あんばい(安倍)悪いことばっかりしまくっている晋三バカに帰国したあと、招かれた官邸まで出向いて会って、ニコニコ、ニッコリ。

 技術・開発・研究者に報いる「特許権」という、代償を払わないアタマしかないバカに、苦言を呈し、修正を求め、抗議しないばかりか、ただただ嬉しそうな、お姿に・・・・・・・。

 車いすテニスの国枝慎吾そっくりの顔、ほころばせて。

 ダメだあ、この人も・・・・・。妻に、「ノーベル賞授賞式で着てゆく着物を買ってね!」と、テレビ撮影時にせがまれて、「はい」と返事してしまう、人の良さは、滲み出ていたが・・・・。

 やっぱり、ダントツ興味有りなのが、中村修二。

 先に書いた法案。受賞後、一時、日本を訪れた際、「反対どころか、猛反対です!」と、ハッキリと、もの言って、アメリカへと帰国していった。

 いつしか、ノーベル賞もらえた人にも、「文化勲章」と、「文化功労者」の栄誉が、自動的に与えられる慣習となっている。

 なもんで、文部科学省から、中村修二と、天野浩にも、事前に打診あった。

 そう、実は、絶対に事前口外しないことを条件に、戴くか、拒否するかどうかの「内示」なるものがある。

 いつ聞き質したか?については、「お答えできない」と、担当者。

 ま、1か月くらい前だそう。もらった人たちを、調べたら。

 2人は、受諾。

 オカミからではあるが、「日本最高の賞」と、中村修二は、とらえた。

 実は、終生年金がもらえる。つまり、死ぬ年まで、一括振り込み。年間、350万円。つまり、2人は、死ぬまで毎年350万円がもらえる仕組み。

 11月3日に、文化勲章。4日には、文化功労者の受賞式がある

 国民にとって、やることなすことアンバイ悪いコトばっかりしまくっている愚か者と、今日3日、おんなじ皇居のフロアには立った。

 しかし、イチベツもくれず。ロクに顔を会わせることは無いまま、式は終了。

 「あんたの法案。アタマにきてますよ!猛反対だよ!」と、面と向かって言ってのけるチャンスすら、無かった。んん・・・・・・残念!

 有れば、この法案のおかしさが、国民に白日の下に、明らかになったのに・・・・・。

 赤勇・爺さんは、すでに3年前から、350万円もらっているので、今回は対象外。

 さらに、もらえるおカネでいうと、「ノーベル賞」。

 受賞者には、1つの賞で、日本円に直して1億4000万円もらえる。が、今回3人が受賞。

 一番重責を担った人が多く分け前をもらえる権利がある。だが、今回は、確執を残さないようにと、4700万円づつ分けた・・・と、巷間、秘かに伝えられている。

 つまり、今年5050万円が振り込まれる流れ。

 さて、中村修二。

 最初、その名前を見た時、誰だろ?と。

 しかし、「日本の司法は、腐り切っている!」と、拳を机に叩きつけて、怒りの、熱い!熱い想いに満ちた記者会見をした際の顔写真(写真下)を見た時、ああっ!と、思い出した。

 Dscf8485 そうかあ・・・あの、あのヒトか!

 超輝光青色ダイオードで、青色LED照明を企画・発明も絡めて、見事に商品化。

 なのに、企業の社員研究者として、もらった報奨金、一万円札、たった2枚!ぺらの、ぺら。吹けば飛んでく、2万円。

 しかし、だから怒って、その特許権の譲渡と、対価の増額を求めて、自分がかつて長年勤めた、四国・徳島県阿南市の会社・日亜化学工業㈱相手に訴えたわけではない。

 判決が、200億円を支払えというものであったのは、当然ともいっていい。

 というのも、裁判所が認定した、先の青色LEDの収益たるや、優に604億円を超えていたのだから。

 そこを、勘違い、誤解して欲しくない。「守銭奴」などと言うヤカラもいたのには、ビックリした。

 自分が独自に、または率先して、技術・開発研究、製品化に加わっていたら、そう言うだろうか? 自分の得た代償を得たいと思うのは、当然ではないのか?

 書籍の印税、作詞・作曲の印税のように・・・・・。

 後輩の技術者には、心、奮い立たせる判決だった。

 改めて、そこに至った推移を調べると、事実経過は、以下のようなことになる。

 中村修二。徳島大学の大学院を卒業し、企業の入社試験を受ける。が、すでに、大学院1年生の時に、学生結婚していた身。

 ちなみに、妻は日本人。昨年離婚したなどという怪文も見られたが、文中に、「照明」を「証明」などと打っておいて、間違いに気付かないという駄文だったので、にわかに信用出来ない。

 兄の康則によれば、「現在、弟には、娘が2人いるよ」とのこと。

 ちなみに、遅筆ゆえ、もたもたしている間に、週刊文春が、修二当人に取材。独自に、数年前に離婚。昨年、新たに日本人の新妻をめとったと、記載。且つ、娘が3人いると。

 ??? まあ、いいか・・・・。

 で、徳島大学大学院を卒業後、大企業の京セラにも、内定をもらったそうだが、家族の事情で、断念。

 大学院時代の研究室の多田教官の推薦で、すでに入社試験が終了していた、地元徳島県阿南市にあった、べンチャー企業、日亜化学工業㈱を受けた。

 そこで、創業者で、当時社長であった小川信雄と意気投合。

 研究者としての中村修二の力量を買い、やがて、当時の日本円に直して、総額5億円もの、開発・研究・製品化にまで持って行ける巨額を投入させてもらった。

 これが、今回のノーベル賞につながった。

 だから、今回の受賞直後の会見で、「創業者社長には、感謝している」と、言ったほどだ。

 入社した時は、開発課に配属され、改造の現場で技術を学んだ。これが、後年、生きた。赤色、次いで青色ダイオード製品化に向けての実験に必要なモノの改造も、自分なりに手がけた。

 実験器具の殆んどは、手作り。本来、かかるべき経費を、安く済ませている。

 フロリダ大学へ、丸1年間、留学。

 これは、修二のたっての願いで、と報じられているが、実は会社そのものの規定路線。1人、すでに派遣留学の枠が、あらかじめあった。

 そこで、自由闊達に研究・開発出来る環境が、アメリカにあることを身を持って知る。

 加えて、資格がモノ言う、狭い器量の世界であることと、研究開発者を、軽視する日本との社風の差を、痛烈に感じる日々ともなった。

 アメリカでは、「それじゃ奴隷と同じじゃん」とさえ言われた。

 帰国し、社の厳命、「売れる商品の研究・開発」に没頭する。

 閉鎖的な体質。陰口は、無数にたたかれた。

 しかし、ついに「青色LED」の製品化にこぎつける。

 このことにより、日亜化学工業は、それまでの年商が、一挙に10倍になった。

 総額トータル5億円もの、いわば「先行投資」の元は、軽~く取り戻した、はず。

 なのに、会議に出ない。電話にも出ないで、開発・研究に没頭したことが、陰口になって、これまた10倍に跳ね返ってきた。

 研究者と、事務員や営業マンは、本質的に違う!っちゅうに、おんなじ目で見てくさる。

 とはいえ、我々の税金で研究開発発見詐欺発表を行ない、いまだのうのうと生きて、年間2900万円もの税金年俸を、だまし取っている小保方晴子のいる、理研の犯罪は許せない!

 まさに、解体すべきだ! 1日どころか、1時間でも早く! そして、国際的詐欺犯逮捕へ!というのが、一般常識、世間の常識!

 カネをもらったら、「結果」をキチンと、出さねばならない。それが勤めだ。民間企業責任者や、大学院研究者は、皆、乏しい予算のなかでやりくりし、工夫している。

 中村修二もまた、売れる商品研究目指して、日々技術も理論も、さらに学んだ。小川信雄の、絶大なる信用と、理解があったればこそだが、修二なりに自信もあったようだ。

 そして・・・・・青色LEDを、商品化させた!

 やがて、体調不良と病により、理解を示してくれた創業者社長が引退。息子たちを押しのけ、何故か長女の娘婿の新社長の小川英治に代わった。

 なんと、中村修二の築き上げた業績は無視され、名称こそ「研究所」ではあるが、閑職、窓際族に追い込まれた。

 何も出来ず、なにもさせてもらえず・・・・。

 実は、新社長は「青色LEDの開発・研究をやめろ」と言って来ていた当人。

 もしやめていたら、現在の”日亜”は、無い。

 しまいには、「まだ、会社にいたのかよ」「まだ、辞めてないのかよ」と、嫌がらせのように、言われ、肩叩きされた。

 想像してみて欲しい。あなたが、そんな立場に置かれたら・・・。

 そんななか、東京大学から客員教授のハナシが来た。心許す、常務に相談。自分としては、機密・技術漏えいを疑われるのも嫌だし、迷った末、断ろうと思っている、と。

 常務は、中村が、そんなひどい状況下に置かれているにも関わらず、会社への忠誠心を感じたと言う。

 だが、ついに、たまりかねて、中村は娘の後押しもあり、退職を決断。

 1999年12月27日、年末の終業日。この日をもって、約21年間勤め、辛酸を舐めつくした会社を退職。

 次の年の2月。誘ってくれたアメリカの企業や大学の中から、現在のカリフォルニア大学 サンタバーバラ校の教授に就任した。

 その時点では、嫌な想いをし尽くした前の会社ではあったが、200億円もの、特許に関して、自分の業績の取り分としてふさわしいと起算した金額を求めて、日亜化学工業㈱を訴える気は、無かった。

 だが、その年の5月。”日亜”のライバル企業の傘下にある「クリーライティング社」の、非常勤研究員に就任したとたん、なんとその年の12月。それ以前に、日亜の社員が、わざわざサンタバーバラ校にまで来て、「契約書」に、サインしろ!と、しつこく迫ってきていた。

 むろん、断った。怒りを、ぶつけて。が、しかし・・・・・。

 ”日亜”から、予想だにしない訴えが、中村の元へ舞い込んだ。

 「企業の機密・秘密漏えいの疑いがある」というもの。

 会社員技術者のため、東京大学の客員教授の誘いを受けたにも関わらず、先の理由で断った人間が、機密・秘密漏えいをするであろうか・・・・

 それ以前、中村修二が退職した時点で、”日亜”は、クリーライティング社の日本国内代理店の住友商事を「特許侵害」で、提訴。

 以来、日亜は、提訴を乱発してゆく。

 「豊田合成」「クリーライティング」・・・・。

 ところが、次々と、全てことごとく敗訴してゆく。和解へと、持ち込むのが、精一杯。

 中村も、当然の如く、勝訴。

 東京地裁で、200億円を支払えという判決。そのなかで、日亜は、604億円を、青色LEDの製品化によって、収益を挙げたと、認定された。

 なのに、一転、日亜が控訴した東京高裁で、「和解」により、なんと約8億4000万円に、大幅減額で落ち着かされる。

 それも、うち対価は6億円と、認定。残りは、延滞遅延金。

 たった100分の一に、された。

 さらに、中村が得るはずの特許権を、日亜が全面放棄という暴挙にでた。

 それも、青色LEDは、偶然に発見されたに過ぎないものと、日亜は主張。

  「アタマにきた!」

 そう、中村修二は、かつて記者会見で、怒りを込めて言った。

 もし・・・・もし、”日亜”が、猜疑心を抱き、石持てアメリカまで追って、訴えを起こさねば、8億4000万円強の巨額を支払う必要は、無かったであろう。

  「日亜」の小川英治が、石持て追い払い、さらに、その身を徳島県に居ずらい様にして、潰しにかかったのは、実は中村修二だけではない

 <前篇 終了 >