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撮影・取材に、23年間。ドキュメンタリーの傑作、山口放送・制作「ふたりの桃源郷~最終章~」が今日放送

2013-06-23 02:10:00 | ニュース

Dscf6392 この画像を見て、ああ、あのドキュメンタリー番組だ、と1発でお分かりになる方は、この「ふたりの桃源郷」の、6年前放送されたものを、見た方だ。

 もしくは、このシーンも含め、感動して、再放送を望む声を、この番組を制作した山口放送や、キー局である日本テレビ「NNNドキュメント」に、寄せた方々であろう。

 ちなみに、この写真は、番組から抜き撮りしたものではなく、番組紹介のホームページから、抜き撮りしたもの。

 宣伝する文章のつもりは、まったく無い。

 しかし、今夜というより、深夜0時50分から、55分枠で放送される、先の番組から、さらに5年間の取材の日々を重ねて、再編集した、いわば集大成ともいうべき「ふたりの桃源郷 ~最終章~」を、是非是非、1人でも多くの人に見て欲しくて、打ち始めた。

 実際、九州に住む旧友や、近所の人に「是非、留守録しておいて、観て欲しい」と、連絡したほどだ。

 この、ドキュメンタリー。詳しいことは、書かないでおく。

 

 

 Dscf6393 主人公ともいうべき夫婦。山口県の山中に、住み・・・・・・・。

 

 あとは、余談を持たずに、見て戴いたほうが、間違いなく楽しめるし、感動できると想う。

 ちなみに、6年前放送された「山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷」は、翌年、日本放送民間連盟が選定する「第4回 放送文化大賞」の、グランプリを受賞していた。

 

 獲って、当然の内容と、完成度だ。

 あと数時間後に放送される番組は、そこからさらに5年間の継続取材を積み重ねて,制作したもの。

 また、別の形で何らかの賞を手にするのでは、なかろうか。

 それにしても、山口放送。たった120人の社員しかいないのに、ドキュメンタリーでは、今まで数々の賞を、継続受賞しており、人を見つめる、制作姿勢には定評がある。

 撮影当初から23年。プロデュサーも、赤瀬洋司から、竹村昌浩に代わり、ディレクターの佐々木聰(あきら)も2代目。すでに、年齢も40を越えた。

 局舎から、車を走らせること、丸2時間半。写真の夫婦のところには電話がなく、行って初めて所在や、生命が分かる。

 たんねんな、やさしいまなざし。その取材姿勢が良い。まだ、お会いしたことも無いが、心から拍手を送りたい。

 そのたまものが、今夜の1本でもある。

 だまされたと思って、観て欲しいと、切に想う。

 私、冒頭の写真、見ただけで、胸に詰まって、泣けてきます・・・・

 何度、観ても・・・・

 

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 観た。何度も、涙が、溢れてきた。

 プロデューサーの、名前が変わっていた。

 3代目か・・・・・・。そこでも、時の流れを、さりげなく、思い知らされる。

 見逃した人は、抜き撮り画面でも見えるように、「BS日テレ」で、再放送されます。

 6月23日(日)。午前11時から。観る者の感情を不作法にぶった切るコマーシャルが、地上波より多く差し込まれるので、在宅していても、タイマー録画しておいて、あとで、その部分を早回しして観た方が良いと思います。

 そうしてでも、観るに値する、山口放送、23年間に関わったスタッフ全員の、”入魂”の1作。そう言って過言ではないでしょう。

 是非是非、だまされたと、思って見て欲しい!!

 改めて、アップ、します

 


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<リアル ボクシング ルポ>「残り少ない、ボクサー人生ですから」 自ら、そうクチにしてしまう福原力也 

2013-06-20 22:54:12 | スポーツ

 まだ、6月21日の試合どころか、先が、まったく決まって無い頃のこと。

 彼は、それでも、ほぼ毎日、ジムに来ては、練習を積み重ねていた。

 気になり、じっと観ている、こちらの顔に気付くと、その元 日本チャンピオンは、苦笑いを浮かべて、こう言った。

 「残り少ない、ボクサー人生ですから」

 その言葉に反応して、私は、ひどい言葉を、その人に返した。

 「だから、取材したいんですよ」、と。

 本心は、違っていた、はずなのに・・・・・・。

 本心は、こう思っていた。だから、ダメなんですよ。そう、自分で思い込んでいるから、良くないんですよ、と。

 この人を、評して、皆が皆、こう言う。

 「気持ち、のひと」 「考え過ぎる人」 「ハートさえ、強ければねえ・・・」 

 プロデビューしたのは、丸13年前。21歳の時。

 相手を圧倒し、1ラウンド、レフェリーストップ勝ち。

 5年後には、日本スーパー・バンタム級チャンピオンに輝く。しかし、好事魔多し。

 強打者、ハード・パンチャーゆえか、なんと、試合中に右腕を骨折。相手に知られまいとしつつ、左腕1本で戦うも、負ける。

 手術し、右腕の筋肉に、金属棒を埋め込む。腕には、今も手術跡が、クッキリと見える。

 その、2年後。またも、試合中に古傷とも言うべき、右腕を骨折!

 今度は、さすがに無理をさせられぬと、即刻、セコンドが判断。タオルが投入された。

 いきおい、試合間隔は、開いてゆく。

 運、不運、何というべきか。世界チャンピオンへの、足がかりにと、東洋・太平洋の王座に挑むが、ノックアウト負け。

 明るくなれ! いつも、元気出せ!というのは、酷か・・・・・・。

 気持ちが沈むことが、多くなった。ブログでは、空にこころを投影してた。

 例え、試合に勝っても、クチをついて出るのは、反省点ばかり。「詰めが・・・・・」。「あの場面で、・・・が出ないんですよ」。「アタマでは、分かっているんですよ」。

 そういって、苦笑い。

 確かに、かつてに比べれば、全体に、落ちている。ぶしつけにも、以前だったら、あのトコロで、倒せてましたね。そう言ってしまったこともある。

 それは、現在までの戦績たるや、26勝7敗1引き分け。26勝のうち、19ものKO&TKO。KO率、実に7割強。

 近年は、試合数も、少なくなりつつある。

 今回の6月21日の試合も、実は、同じジムの選手が、ケガをしたため、急きょ、彼に出場機会が回ってきた。

 そういう、背景もある。

 右ストレートが、こわくて打てない。何も、故障もしてないのに、そんな気持ちに襲われているみたい。

 新任のトレーナーが、首を傾げる。思い込みが、この元 チャンピオンに、時折り、のぞく。

 ボクサー生活、デビュー前も含めると15年間近い。2度の骨折をしていなくとも、体のあちこちに、ガタとほころびが、のぞいて当たり前。

 やっていない私から見つめていても、尋常ではない体全体への酷使を、日々、積み重ねているのが、プロボクサーだ。

 つい最近も、試合後、こんなことがあった。

 6月10日。和氣慎吾という、リーゼントのヘアスタイルでも有名な、東洋・太平洋(OPBF)スーパー・バンタム級チャンピオンが、完勝で初防衛を果たした。

 プロデビューして、7年目。大きなケガは、聞いてはいない。だが、「次の防衛戦は、いつ?」と、聞く取材陣に、会長でもある古口トレーナーは、こう言った。

 「しばらく、ゆっくり休ませたい。このところ、試合が立て込んでいて、体に結構ガタがきてるんだ。本人は、痛いなんてクチに出して言わない性格だけど、休ませることが、今は必要だと判断している」

 

 五体満足、どこにも痛みのない中堅プロボクサーなんて、1人もいない。

 親しくさせてもらっているボクサーには、実は今、ココが痛くて、練習を休んでいるとか、練習量をセーブしているなどということは、しばしば聞く。

 しかし、書かない。そんな、選手にとってマイナスになることは、こころ迷いつつも、極力書かない。

 まだまだ、上をいける彼だが、時に弱気になって、それを年齢のせいにする。

 「俺、もう34ですからねえ」

 そう自分から言って、苦笑する。

 「でも、それ言って言い訳にしちゃ、いけませんよねえ」

 「世界チャンピオンの、内山高志なんて、俺よりたった1つ下の、33歳ですからねえ」

 そう言って、また小さく笑う。

 年齢だけで区切ったら、彼はまだ、ひょっこみたいなもん。自らのブログに毎回登場させている、子犬みたいなもん。なぜか、同じ屋根の下にいる、最愛の人は登場させてないけれど・・・・・。

 飛天(ひだか)かずひこ、プロデビュー17年のキャリアで、同じ34歳。36戦やって、元OPBFウエルターと、スーパー・ウエルター級チャンピオンだ。つい最近、会ったが、ものすごいパワフル。圧倒された。

 湯葉忠志、まだ36歳。こちらも、プロデビューして、まだ17年。すでに、4階級制覇を終え、つい最近の試合では、私も文句なしの「勝ち」。

 控室に、勝ったお祝いに来た、柴田明雄に「次、試合やろうよ」と、せがんでいた。柴田、まだ31歳。湯葉の、1発で試合の流れをひっくり返す強さを、身を持って知ってる人。柴田、今、OPBFミドル級と共に、日本スーパー・ウエルター級のチャンピオンだ。

 湯葉が、柴田に勝てば、5階級制覇完成。逃げ腰の柴田に、試合の約束を、迫っていた。まだまだ、やる気十二分!

 石田順裕(のぶひろ)だって、37歳。キャリア、まだ13年。日本の大阪を、再び主戦場にする。東京妻の存在は、どうするのか、気になるけれど・・・・

 トドメは、西澤ヨシノリ。プロデビューして、27年間。すでに、58戦こなして、まだ47歳。今は、オーストラリアを主戦場にしており、帰国時、日本でお逢いした。

 「実は、ベルト2つも、持ってるんですよ。ふふふ、地域タイトルですけれどね」

 皆さん、強い。弱気、見せない。突き進んでる!

 ひよっこの、元日本チャンピオンと、対戦するのは、25戦して、わずか8勝15敗2引き分けの、31歳。8勝のうち、KOは4勝。

 KO率は、たった1割6分。このところは、勝ったり、負けたり。

 迷い、こころ揺れがちの彼にしても、意外や、楽勝?

 「戦績だけ見るとね、そう想うかも知れませんがね」

 そう切り出したのは、何を隠そう、彼のトレーナー。

 「実は、負けてる相手は、みんな強いやつばかりなんですよ。そのうえ、試合内容も、結果としては負けになってるんですが、かなり接戦ばかりで・・・・。なので、気を引き締めて、戦いに臨むつもりです」

 彼、福原力也は、他のジムのランキング・ボクサーと、激しいスパーリングを繰り返してきた。

 トレーナーによれば、「力也のテンションも、久々に上がって来てる」との、こと。

 前の試合前は、「プロデビュー前の子と、スパーリングやって、調整してたんだもんなあ」 と、山川豊特別トレーナーを、落胆させた。

 今度は、打ち込まれて、ヤル気、ぶっ倒す気迫が、甦ってきたので あれば、良いのだが・・・・・・

 無我夢中。あれこれ考えずに、一気にコーナーに詰めて、連打で相手を沈める。

 そんな、かつての試合のような、再現を見たい!

 

 


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球速は160キロを常に超えていた日本一の剛速球投手 尾崎行雄(享年68)。入院して、わずか・・・

2013-06-19 20:28:42 | ニュース

Dscf6453

 故人の、生前の栄光と、その人柄を改めて偲べる、素晴らしい祭壇と、葬式だった。

 遺影の前には、野球場のダイヤモンドを形どったもの。右手前には、通算1000奪三振を記念した盾。そして、数々のトロフィーが、左手前にも並べられていた。

 

 

 Dscf6406 そして、全盛期。東映フライヤーズ時代の投球写真(写真・上)。

 

 その他、妻の勝子さん(68)との、結婚式の時の写真や、長男・力さん(45)や、長女との、ほほえましい家族の日々が偲ばれる写真の数々。子煩悩ぶりが、クッキリと浮かびあがる。

 

 そして、お孫さんたちとの、まさに好々爺たる笑顔の写真が、いくつも掲示され、そこには、「じいじ 笑顔をありがとう」と、手書きの文字が添えられていた。

 棺のフタは、開けられており、そこで尾崎行雄さんの、おだやかで、眠っているかのような表情を見ることが、出来た。

 

 訃報を目にしたとき、何としても、せめて通夜には行かねば。そう、思っていた。

 実際に会ったのは、過日書いたように、たった1度きり。あの時の、疑問を、喪主である力さんに、出来ることなら、問い質してみたい。

 連絡をとって、後日でも、いい。そう、思った。

 近年、何でもかんでも個人情報保護流行り。

 式後渡される「御会葬御礼」には、かつては喪主の連絡先のようなかたちで、住所が書かれてあったものだが、今は「名前」のみが主流になってしまった。

 連絡をしたくとも、出来ず。葬儀社や、式場に問い合わせても、まず絶対に教えてくれない。

 ダメで、もともと。お会いできたら、病に倒れたいきさつも、聞いてみたかった。報道が、正しくないことが、しばしばあるもので。

 私が着いたのは、参列者が途絶えた頃。すぐ、ご焼香出来た。続けて、冒頭の写真を撮ったり、メモしたりしてるうちに、ん!?

 

 

 すぐ近くに、怪童そっくりの、巨漢の、文字通り怪童がいた。胸には、「喪主」の、リボン

 

Dscf6452 あのう・・・・、息子さんの力(ちから)さんですね?

 

 「そうです」

 名前と、この間の事情を話し、そして聞いた。

 

 レストランを、お父さんがやってた頃、まったく、かつてのプロ野球選手時代の話しをしたくない。プロ野球の中継しているテレビも、興味無いし、見ない。そう、おっしゃってたんですが、どうしてだと思われますか?

 

 「う~ん・・・・私は、その頃、お店に出ていなかったので、親父の想いまでは、わかりませんが・・・・その当時、テレビのナイター中継は、今と違って、セリーグだけでしたよねえ。そういうことで、確かにナイターは、まったく見てませんでしたねえ」

 

 ひと息ついて、思い出したように、言う。

 

 「でもね、昔の野球仲間とは、個人的に連絡を取り合ってたみたいですよ」

 

 へえ~っと、思う。

 

 では、そんなだったお父さんが、のちに、「マスターズ・リーグ」に、「東京ドリームス」の投手として出られるようになった、いきさつは?

 

 「それは、土橋(正幸。当時 東京ドリームスの監督)さんから、直接、何度もお話しを戴いて、説得されて」

 ちなみに、土橋が、ナインティナインのバラエティー番組に出演。岡村隆史に台本通りに、「土橋」「土橋」と、何度も呼び捨てにされて、怒りが脳天に。

 収録終了後に、岡村に向かって

 「てめえ、コノヤロー! 誰に、土橋って、言ってんだよ~!!」と、すごんだエピソードは、いかにも、こわもての土橋さんらしくて、いい。

 ハナシを、ちょいと戻す。

 

 わずか29歳で、お父さんが現役を引退したのは、右肩を酷使し過ぎて?

 

 「そうです。親父は、引退した時に、3つ、その後の生活の条件を提示されたそうです。当時大人気のプロボウラー、球団(日拓)コーチ、野球解説者」

 

 「で、親父はそのすべてを断った。家業の板金屋で職人になろうとして」

 

 と、そこで、親しい参列者がお別れの挨拶に近寄ってきて、話しは中断に。

 葬儀会場の係員に聞いてみると、総参列者、ざっと500人とか。近親者や、親戚などが、うち50人程度。

 飾られた木札には、球界のそうそうたる人達が、名前を連ねてたが、わざわざ参列・ご焼香に会場にきてくれた有名人は、数人。

 

 浪商(当時)、東映と先輩の張本勲(72)。甲子園のライバル、柴田勲(69)。浪商の後輩の、高田繁(67)。石毛宏典駒田徳広

 そして、なんと、シャチの飼育員などをした後、長らく消息不明といわれていた、東映のチームメイト時代に、”喧嘩八郎と、異名をとった山本八郎が来ていたと、尾崎家の親族が明かしてくれた。

 この人の、興味深いエピソードには、事欠かない。存命、元気。そうわかっただけでも、何か嬉しい。

 さて、長らく忘れていた、レストランの店名。息子さんの話しで、「高尾」と判明。

 例え、当時記事にしていても、迷惑がかかるかもと判断して、店名は書かなかったであろう。

 「高尾というのは、うちの母親の旧姓が、高橋というんです。それと、親父の尾崎。そのアタマの1文字づつをとって、高尾とした。そういうわけです」

 力さんの、職業は「コック」。

 私が訪れた当時は、祖母、母親、そして尾崎自身の3人で、家族経営していたとのこと。

 今は、その同じ店で、力さんが、まさに力を振るっているのか。

 ちなみに、力と命名したのは、父ではなく、祖父だとのこと。また、母の名前が勝負師の妻らしい、勝子というのは「偶然です」と、笑った。

 また、写真の通りの巨漢。参列者に、大相撲の力士がおり、掲示されていた写真のなかにも、まだまげが結えない力士が、映っていた。

 大学相撲かもしれないが、よく見ると、力さんのような顔。

 力士だったのですか? と、聞く時間的余裕もなく、父・行雄の急死ともいえるいきさつについて、最後に聞いた。

 「普段、親父は、85~90キロの体重があったんですよ。それが、4月くらいから急激に、見る間にやせていったんです・・・・。70キロまで、落ちてしまって」

 「本人は、ダイエット、ダイエットだよと、笑ってごまかしてましたが・・・」

 「もう、親父は、昔っから、病院嫌いで。家族が心配して、行くように勧めても、絶対に行かない」

 「しかし、今度ばかりは、もう強制的に、近くの町医者のとこへ、連れ込みました。親父、病院へ、行け!と、怒って」

 「そしたら・・・もう、ウチのところでは、手が付けられなくなってしまってる。そう言われて・・・」

 「土曜日(6月8日)ですよ。なんとか、大きな病院に、入れさせたのは。それが、たった、日、月、火、水・・・・亡くなったのが、木曜日の朝ですよ!」

 末期の、肺がん。

 指折って数える力さんを、前にして、もう、応える言葉も、無かった。

 親しいおつきあいのあった人達が、力さんのところへ寄ってきて、言葉を次々と掛けてゆく。

 「もう、驚いちゃって」

 「いやあ、一番、驚いたのは、俺ですよ。この体が、ブルブル震えちゃいましたもん」

 

 

 Dscf6455 若き日、”酷投”による、右肩の痛みも、もし医者にこまめに看てもらっていたら・・・・・。いまさら、たら、れば、は言っても仕方が無いとは、知りつつも・・・・・。

 

 張本も、高田も、クチを揃えて、通夜の席で言った。

 

 「(往くのが)10年、早いよ・・・・・」

 

 本当に、そう想う。

 

 

 

 さらば、怪童!

 さらば、剛速球!

 その速さの如く、天へと、一気に、駆け抜けて往っちゃった・・・・・

 

 

 

 

 

 


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<リアル ボクシング ルポ>前・日本ミドル級チャンピオン 佐々木左之介が6月21日、再起を賭ける

2013-06-18 14:03:55 | スポーツ

 

 

Dscf5195_2 バ~ン! パンバン! 一転、ズン!

 

 委細構わず、且つ、容赦なく、清田祐三(写真上の右側)の、変幻自在に繰り出すパンチが、佐々木左之介(写真上の左側)の体を襲う。

 左之介に、たった2~3秒でも間があいて、打ってくる気が無いとみるや、清田。

 ジャブを顔面にバ~ン! フックをブン! がら空きのボデイに、ズドン!

 どれも、素早く、小気味よく、重い!

 清田は、左之介のミドル級の、1階級上のスーパー・ミドル級のボクサー。それも、東洋・太平洋(OPBF)のベルトを、すでに6度も防衛している、とんでもない強打者。

 なにしろ、23勝のうち21が、KO&レフェリーストップ勝ち。そう書けば、その強さが、ボクシングをよく知らない人でも、想像はつくはず。

 

 ヘッドギアをしてるから、なんとかもってるものの、おそらく、はずして試合としてやったら、3ラウンド中盤には、膝を折って左之介はうずくまっているはず。

 

 そのくらい、両者には差があった。よく見ると、左之介。左のパンチを差し出しながら、顔はビビり、上半身と腰が、引いている(写真)。

 そんなに2人の間には、差が歴然としてあったのに、スパーリングの回数を重ねるたびに、左之介は、見るたびに、半歩、また半歩と歩み、強くなりつつある。

 少なくとも、当初の力量とコンビネーションでは、欠点が目立ち、どんなランキング・ボクサーが相手でも負けそうだった。

 スパーリングが終わり、一汗を拭いたあと、左之介(写真左下。右側)は、清田(同。左側)のもとに近づき、打たれて気になるところや、修正したいところを、次々と聴き、教えを乞う。

 Dscf5206 清田は、もともと、顔に似合わず、とても気さくで、親切で、良い性格。

 「こうきたら、こう避けて。そうそう、今度は・・」と、左之介の拳と、体の動きに合わせて、ディフェンスしながら、相手に巧みに、且つ、力強く打ち込む、絶妙のコンビネーションを、惜しげもなく、身振り手振りで教えてゆく。

 スパーリングのあとの、「課外授業」は、毎回意欲的に続いた。

 清田の「出稽古」は、4月から5月にかけて、週に2回ペース。

 今は、来月にもドイツで予定されている、WBO世界スーパー・ミドル級チャンピオン ロバート・スティグリッツからのオファーによる挑戦が、正式に決まり、そのベルト奪取に向けて、日々余念がない。

 相手も、やはり、すでに6度防衛の猛者。戦績たるや、44勝(25KO&TKO)3敗というベテラン。ロシアで育ち、ドイツを主戦場にしているという。

 今度こそ、減量もうまくいかせ、体調不良など起こさないようにして、ドイツのリングに、ベストの状態で上がって欲しい。

 私が、すでに報じた、村田諒太との試合は、その後か、いずれ、ボクシングファンや、周囲が盛り上がった時に、フジテレビ先導で、行なう運びだ。

 ともかく、村田にとっては、世界に、という前に、清田に打ち勝たなければ、ボクシング関係者や、ファンは、誰もその強さを国内では認めないのだから。宿命の、打ち壊さなければならない、ぶ厚い壁。そう言い代えてもいい。

 さて、この6月21日に、強打者の下川原雄大との試合を控えることになった左之介。

 体の痛みで知る、清田の教える理屈と攻防のテクニックは、左之介の血となり、肉となりつつある。

 以前、湯葉忠志を、鮮やかなノックアウトで沈めた後の、記者に囲まれて、「勝つ予定で、最初からいましたから。これは、単なる通過点ですから、アハハ・・・」などと言う、ビッグ・マウスは、すでに消えた。

 まあ、アレは彼の一世一代のパフォーマンスと、見た。普段の、左之介とは違っていたから。

 胡朋宏(えびす・ともひろ)に、初防衛戦で、すぐベルトを奪われた時の、落ち込みも、もはや消え失せた。

 そして、ボクシング・マスコミ以外にも、一躍注目を浴びたのは、ロンドン・オリンピック ミドル級金メダリスト 村田諒太との異例な 「公開A級プロテスト」の相手をしたこと。

 「あれは、テストの2日前に、やりませんか?と、依頼がきて。すぐ、受けましたよ。ファイト・マネー? 3万円でした」

 なんだか、報道を見る限りにおいては、村田の強さや、上手さを持ち上げるマスコミのカタチに、君のコメントと、前チャンピオンという肩書きが利用されたように見えたけど

 「いや、マジに強かったっすよ。まあ、こっちも、結構打って、手ごたえもあったし、いろいろと、勉強させてもらいましたけど」

 でも、君は元 日本ミドル級チャンピオン。向こうは、金メダリストったって、僅差でやっと勝てたアマチュアだよ 

 「いやあ、キャリアが全然違いますもん! こっちは、卓球やってて、ポッと出の、短いキャリア。向こうの方が、はるかに長いですもん!」

 あり~い~? そ~ゆう意識だったの? ホントに?

 殊勝というか、その答えに驚いた。

 一時期の、俺自身のチカラだけでチャンピオンになれたのさ、というような「思い上がり」は、すっかり消えたお言葉。

 でも、ただ、ひとつ気に掛かるのが、清田の言う事はすべて、とても素直に聞き入れるのに、ジム入門以来、頑張って親切丁寧に教えてきた小林尚睦(たかむつ)トレーナーのいう事を、まったくと言っていいほど、素直に聞き入れていないこと。

 「思い上がり」に対しても、苦笑いしながら、ある種、大人の対応で、耐えてきたのに・・・・・。左之介に、気配りと、他人を思いやる気持ちが、まだまだ欠けている。

 だから、小林が、それまで何度も注意してるのに、清田に同じタイミングで打たれ、修正が出来ていない。

 「ほら、ど~して、ソコ、打たれてんだよ! ほら、また! 違うだろ!」

 「今まで、何、練習してきたんだよ!」

 スパーリング中、小林の指摘が次々と飛ぶ!

 が、打たれる。とまどう。ナニしていいか、修正も出来ぬまま。迷う。すぐ、清田につけ込まれて、無惨にも、バババ、バ~ン!!

 体幹も、弱点。筋力となると、もっとダメ。顔を歪めて、続かない。

 そばで、同じことを、楽々とやってのけて、苦笑いを浮かべて見つめる、清田。やさしい、まなざし。小林は、こちらをチラッと見て、笑って、ガクッと。首うなだれる。

 発展途上。そう見る。

 そんな左之介を迎え撃つ、下川原雄大(写真下)の方は、視線はいつも厳しく、どこか自信ありげ。

 

 

 Dscf6118 「相手、どうこうと言うより、自分のボクシングを、やるだけです。そうすれば、勝てるんじゃないかと、思っています」

 

 佐々木左之介が、村田諒太とやった、”スパーリング”は、あまり参考にもしてないし、気にもしてないようだ。

 左之介の、戦うパターンや、クセをアタマに入れて戦い方を考えているというのでは無く、あくまで自分のペース、マイペースで試合を作っていく。

 倒せるときには、一気にいく!

 時々、それが空回りして、パンチまでもが、大振りの空回りになるクセがあるが、それさえ修正すれば、左之介をリングに這わす可能性は、充分にある。

 練習で見せている、シャープで、キレのあるパンチは、怖い。

 ただいま、日本ミドル級6位。通算戦績、29戦して、18勝9敗2引き分け。18勝のうち、6勝はKO&レフェリーストップ。

 すでに、31歳。ここから、てっぺんを目指す!

 最終8ラウンドを待たずに、決着がつきそうだ。

 

 

 


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あの日本一速いスピードと、絶妙のコントロールでボールを投げた、まさに”怪童”尾崎行雄さんが死去

2013-06-15 20:45:59 | スポーツ

 若いプロ野球ファンには、「尾崎行雄」と言っても、「誰、その人?」と、即座に言われてしまいそうだが、この人の放つボールのスピードの速いことと言ったら、そりゃもう、すごかった!

 今、大谷翔平の速さが、騒がれているが、尾崎はそんなもんじゃなかった。優に、球速160キロを常時出した上に、絶妙のコントロールで、打者をきりきり舞いさせていた。

 かつて、大阪の浪商といったら、プロ野球選手予備軍がぞろぞろいた。この尾崎は、見込まれて、高校2年生で中退して、東映フライヤーズ入り。

 

Dscf6390

’(スポニチ より、転用させていただきました)

 入団1年目で、20勝を挙げた。

 以前の斎藤佑樹や、今の大谷や藤波晋太郎、勝ち投手の権利を得たあと、危なくなったらマウンドを降りさせるという、乳母日傘のような勝たせ方は、当時まったくさせていない。

 だから、1年目にして、今の、25勝ぐらいの勝ち星に、値するといっていい。

 今の球界のように、体のケアの細かい方法や、さまざまな処方が皆無だったこともあり、球数制限など、考えも及ばなかった時代。根性、何は無くとも根性が、優先された時代。

 肩の酷使もたたって、わずか29歳で引退。

 しかし、その直球の威力は、今も古きプロ野球ファンなら、皆が記憶しているはずだ。真っ向勝負! の、剛速球と、共に。

 私が、尾崎に会ったのは、彼が東京の下町の一角で、小さなレストランを経営していたとき。行ってみると、レストランというより、身ぎれいな大衆食堂という、印象。

 尾崎は、その頃、球界とはまったく離れ、毎日、コック兼、配ぜん係兼、レジ係を、もくもくとこなしていた。

 店があったのは下町だったなあ、という記憶。今、検索のさなか、台東区と出てきたので、そうなのだろう。

 もちろん、よくある、下町のレストランの味を楽しみに、食事しに行ったわけではない。

 尾崎行雄に、かつてのプロ野球投手時代の話しや、今のプロ野球を見ていてどう思うか? などなど、聞いてみたかったからだ。

 やっと店を調べ当て、その日、開店していることを確認してから行った。

 店の名前は、もう憶えていないが、野球とは全く関係のない店名だった。

 すでに3人ほど先客がいて、食事していたが、そこが、あの! かつて「怪童」と呼ばれた元有名人の店だから来たという雰囲気は、皆無。

 近所の人が、いつものように食事に立ち寄ってるというカンジ。

 「いらっしゃいませ!」

 そういって、近づいてきたのは、おおっ! かつてよりグンと太り、しわも寄って、少し白髪も見え、老けてはいるものの、まぎれもなく、あの怪童・尾崎だった。角刈りのような髪型は、変わってなかった。

 本当に、ココでやってるんだ! ある種の、感激に似たモノがあった。

 何か注文。出来上がりを待ちながら、尾崎の動きをじっと見ていた。

 今となっては、記憶でしかないのだが、自ら厨房で料理や飲み物を作り、配膳してたように思う。奥に、洗い場担当で、奥さんがいたのかどうか。定かではない。そこまで、覗かなかった。

 料金も味も、ごくフツー。食べ終えてから、「すいませんが」と、尾崎に声を思い切ってかけた。

 「実は」と、切り出し、お話しをお聞きしたいむね伝えた。

 即、すげなく断られた。

 「わざわざここまで来ていただいて、申し訳ないのですが、そういうことで来た方には、皆さん全員にお断りしてます」

 なぜですか?

 「もう、球界を離れて長い間経ちますし、お話しすることも無いなと。それに、今、プロ野球界にまったく興味無いんですわ。この通り、ナイターやってる時は、お店やってますし、テレビで見る気すら起こらんのですわ・・・」

 う~ん・・・・では、せめて、来た記念に顔写真を、1枚。

 「それも、お断りしてます。すんませんな。さあ、お帰り下さいますか」

 

 もう、これは、通い詰めても、同じこと。経験で、分かる。脈、はない。

 レジで、お金を払うと、元気良く言われた。

 「ありがとう、ございました!」

 仕方ないな。でも、あの、尾崎が元気でいたことが分かったことが、この目と耳で確認出来ただけでも、出かけてきた価値があるってもんだ。そう、落ち込む自分に、言い聞かせた。

 それから、数年後ーーーーーーーーー

 テレビで、彼が出ているのを見た。えっ! 

 驚くと同時に、裏切られたと思った。

 しかし、よく見ると、かつての野球仲間との回顧談をするという内容で、スタジオに集った同窓会的番組。

 誘われて、やむなく出演したのか・・・そう、理解した。

 歌手の松崎しげるのように、年の大きく離れた妻との間に出来た子供と自宅近くのビル内を歩いていたところに、偶然遭遇したときのこと。

 呼び止め、断ってカメラを向けたとき、彼が言った。

 「子供だけは、撮らないで くれる?」

 そういって、子供を抱き上げて、後ろを向かせた。

 プライバシーだもんな。そう、理解した。

 ところが、その後、松崎が、「徹子の部屋」に出た時、嬉しそうに、その子供の写真を見せ、自らの”子煩悩ぶり”や、”良きパパぶり”をアピールしまくり。

 そうかい、ゼニになれば、宣伝材料にして、公開するのかい! と苦々しい想いで、見た。 

 もっとも、芸の無い、芸ノー人には、この手合いが多い。

 プライベート、プライバシーまで、切り売りしては、ゼニに代えて、タレント生命を延命しようとかかる。都合の良い時だけ、プライバシーを振り回す輩は多いのには、あきれる。

 だから、例え人気番組に出てて、要請されても宣伝には一切加担しない代わりに、自らのプライバシーは一切語ろうとしなかった、いさぎよい姿勢を死ぬまで貫いた、露口茂には、今も敬意をもっている。

 さてさて、尾崎のテレビ出演は、私の記憶する限り、それ1回きり。

 その時すでに、レストランを廃業し、スポーツ関係の企業に勤めているとか、紹介されてたようだ。

 そののち、元や、前の、1軍にいて活躍したプロ野球選手が競い合う「マスターズリーグ」にも、出場したとある。

 そのことは、知らなかった。知っていたとしても、見には行かなかったであろう。

 マスターズ リーグは、時折りは、観に行ってはいた。かつて密着取材をさせてもらった村田兆治が投げるときだ。彼だけは、常に体を鍛え、球速142キロを出す。プロとして、今も恥じない姿を見せてくれたが、あとの選手たちは昔の面影もない草野球並みの、プレイの数々だった。

 尾崎の、失礼だが、あの体型では、全盛時の球速は願っても無理であり、かつての夢をぶち壊すだけであったろう。

 東京ドームでの観客数は、3割から、良い時で5割ほど。観客の入場料収入だけでは、とても球団を維持出来ず。

 かといって、頼みの大型スポンサーも付かず、早晩終焉を迎えることになるであろうなと思いつつ、珍プレイを見ていた。

 今、これを書くにあたって検索してみると、運営母体こそ残っているものの、試合は2008年からやっていない。

 やはり、か・・・・・。

 しかし、死去の報道によれば、尾崎は少年野球教室で全国を巡って、教えていたという。

 さぞかし、自分の少年時代を思い出しつつ、楽しくもあったであろう。そう、想像する。

 しかし、そんな見るからに太って、健康体に見えた尾崎に病魔が襲いかかっていたとは、今でも信じられぬ思いだ。

 先月、5月15日、大阪での少年野球教室を終えて、帰京してから、体調がすぐれず、急激に体は痩せ、家族の勧めもあって、都内の病院で検査。

 翌6月7日、転院入院。6月13日の朝、他界。病名は、肺がん。入院して、わずか1週間で、あっけなく・・・・・・

 年齢も、まだまだ若い、68歳。同い年の妻・勝子さんや、長男・力さんらを残して、旅立ってしまった。

 怪童・死去は、ネットのニュースではなく、ある人のブログの題で知った。テレビのニュースでは、観ていない。

 しかし、彼の投球と、その名を今も覚えている人は、多い。

 これを打ち始めて、いったんスポーツジムへと行った。受付には、中年男性2人。

 何気なく聞いてみた。

 尾崎行雄って、知ってます? 怪童といわれた。

 「知ってるよお! スゴイ球、投げてたよ! 打者の手元で、ククッと伸びるんだ。神宮(球場)まで見にいったもん!」

 当時を、思い出すかのように、楽しく一気に語る。

 「そうそう! 死んだんだってねえ、まだ若かったよねえ・・・」

 

 人は死して、名を残す。尾崎、死すとも、他人の記憶に永遠に刻まれる。

 それだけの、偉大な人だったことを、その夜、改めて知らされた。

 嬉しかった・・・・・・

 

  -----------------------------

 通夜は、6月18日。午後6時から。

 葬儀は、6月19日。午前10時から。

 いずれも、東京都荒川区町屋 1-23-4 町屋斎場で、しめやかに執り行われる。

 下町の一角で、最後のお別れを迎えるのも、尾崎”怪童”行雄に、ふさわしい。

 さようなら。 日本一、速い球を投げた投手・・・・・

 

 

 


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<リアル ボクシング ルポ>6月10日、第3試合で、”あの”湯葉忠志が長島謙吾と、今の真の実力を賭ける

2013-06-08 21:10:31 | スポーツ

 勝った、のではない。

 勝ってしまった!

 今年2月20日の、湯葉忠志(左下の写真の、左側)の試合。対戦相手は、十二村喜久(とにむら・よしひさ。同。右側)。

 

 

 Dscf3255 湯葉は、前人未到の4階級制覇の記録を持つ。ボクシングファンならば、知らない者はいない実力者・・・・・・・だった。

 

 前の試合では、日本ミドル級チャンピオンとして、挑戦者・佐々木左之介を迎え、楽勝か、大差の判定勝ちと、予測されていた。

 ところが、佐々木の見事なKO勝ち。湯葉は、天井を向いて、しばらく身じろぎもしなかった。

 ベルトは、手元から消え去り、この十二村との試合で、再びチャンピオンロードを歩む・・・・・はず、だった。

 ところが、この試合でも、パンチの出方が、?と思われるほど、微妙にワンテンポ遅れた。足さばきも、対応が遅くなりがち。

 時には、コーナーにまで一気に詰め寄る十二村に対して、防戦一方になる(写真、左上)ことも、しばしば。

 それでもなんとか,しのぎ切り、判定まで、持ち込まれた。

 湯葉のファンでさえ、負けを覚悟していた。ところが、結果は、意外なものだった。

 1人目。76-77で、湯葉。

 会場が、どっと沸いた。

 続いて、78-76で、十二村。

 再び、どっと沸く。これで、タイの1-1.

 そして、最後の1人は・・・・75-78で、・・・・なんと湯葉!

 

 

Dscf3293 そのコールを聴いた瞬間、勝ちを確信していた十二村は、リングにチカラ無く、へたりこんだ(写真左上)。

 

 湯場が駆け寄るが、十二村の頬に涙が伝っていた。

 Dscf3299 ドクター・チェックを受けたあと、控え室に戻ってきた十二村は、男涙にくれた。

 

 「自分は、勝ったんじゃないか・・・・そう・・・・思って、ました。なんで、ああゆう結果になるのか? もう、何を信じていいのか・・・」

 そこまで言って、また泣いた。

 

 「まあ、仕方ないさ。なあ、十二村。こういう試合の結果もあるんだよ、なあ」

 慰めにもならない言葉を、ジムのスタッフ数人が、かける。

 あれから、4か月近くが過ぎた。

 その十二村は、すっかり精神的に立ち直っていた。

 最近になり、強打と、礼儀正しさで知られる、飛天(ひだか)かずひこ を”師匠”と仰ぎ、彼とスパーリングを重ねている。

 回を重ねるごとに、日に日に伸びていっている。

 あの佐々木左之介が、清田祐三を、やはり”師匠”にして、見違えるように強さを増しているのに、似ている。

 惜しげも無く、ベテランが伝授、そうしながら、自分もまだまだ伸びていっている光景を見るのは、胸がわくわくするほど、心はずんで、楽しい。

さて、2月の試合後、湯葉に毎試合頼まれ、経営する店をベテラン店員に頼んで、長年、臨時トレーナーを務めている飯田さんに、こっそり聞いた。

 このひと、教えは厳しく、話しは冗談混じりに、いつも正直。前回の佐々木左之介戦のあとには、こう聞いた。

 

 全盛期の湯葉さんのチカラが、10だとしたら、今日はいくつですか?

 

 「う~ん、8・・・いや、7かな? もう、10には、戻れないんじゃないかな。年齢、キャリア、身体の痛み具合・・・・・ゆってみりゃ、ポンコツになりかけの中古車が、バリバリのチューンナップされた新車と、ヨーイ・ドン!で、走りを競っているようなもんだもの」

 う~ん・・・・・・で、今日は、いくつ?

 

 「言わせるの、この俺に! ・・・・・正直言って、・・・・・・5だね」

 

 そういって、クチに指1本を当てて、ニャッ。

 

 その湯葉が、また試合に臨む。自身、しばらくぶりの「第3試合」で、リングに上がる

 前の第2試合が、先日アップ、上梓した「山元浩嗣 対 岩井大」。

 

 下手すると、午後7時に近い6時台に、登場する可能性もある。

 

 湯葉の相手は、長島謙吾(写真下)。

 そう、すでに書いたことがあるので、覚えておいでの方がいるかもしれないが、今年3月25日、齋藤泰広という、当時36歳のボクサーを、6ラウンド終了間際、連打でレフェリー・ストップに追い込んで勝った、剛腕・強打の持ち主。

 ラストファイトの齋藤の想いまで、容赦なく打ち砕いた。

 そして、涙にくれた十二村と同じ、角海老宝石ジムのボクサーだ。

 Dscf6188 仇討ちなどという意識は、なさそうだ。

 対 湯葉忠志戦について、一言下さい。そう言ったら、ホントに力強く一言、キッパリと。

 「倒して、勝ちます!」

 ここまでの戦績、23戦して12勝9敗2引き分け。12勝のうち、11のKO&レフェリー・ストップ勝ちを持つ。

 減量も、問題ないという。打ち込むサンドバッグが、グラングラン、金属音をきしませて揺れた。

 

 ただ勝つのではない。誰の目にも、分かるように、倒して勝つ。そういう想いが、短い返答のなかに、込められていた。

まだまだ、伸びしろ一杯の27歳、長島謙吾に対して、湯葉忠志、すでに36歳。

 戦歴たるや、すでに52戦こなして、42勝8敗2引き分け。31ものKOと、圧倒してのレフェリーストップ勝ちを手にしている。

 キャリアも、戦績も倍以上。それが、互いに、激しく、拳を繰り出す。

 冒頭、彼に厳しい書き出しをあえてした。

 

 

Dscf3309 この写真は、先の十二村に「判定勝利」しての、控え室での表情。笑顔は、終始無かった。

 

 相変わらず、性格は良い。明るいし、人を惹きつける魅力十分の人だ。ひたむきに練習もするが、時にだらけもする。人間的な人。

 

 リング上では、強さが引いても、駆け引きのうまさが、際立つ。それが、ジャッジの目にフィルターを、かけた・・・・のかも、しれない。

 それも全てひっくるめて、全然憎めない彼の人格。この時、どんな本音が胸の中にとどまっていたか、・・・・・

 

 「勝ったんで、良しとします」を、何度か繰り返した。

 この10日の試合を、ボクシングファンは、見逃さない。湯葉自身からのチケットの売れ行きも、良い。おそらく、満員に近い状況になるであろう。

 

 湯葉の今の意識は、彼のブログからも、見て取れる。

 

< もう1度、這い上がる>

 

 < 勝てば、何言っても許される。負ければ、何言っても、言い訳になる。結果が、すべて >

 

 この言葉の、持つ意味はズシリと重い。

 

 どっちが、勝つか。出来るならば、KOか、レフェリーストップで、終えて欲しい。

 余計な想いを、抱かせないような・・・・・・・・

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


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<リアル芸能ルポ>あの際立つ歌唱力と、名曲「名前も無い恋」を残して、歌手「音羽しのぶ」は、今どこに?

2013-06-05 16:08:52 | 芸能ネタ

 歌手・山川豊の最新曲から、新進気鋭の、女流作詞家・紙中礼子を知った。

 さらに、そこから波及して、彼女が書いた名曲「名前も無い恋」を、知ることとなった。

 紙中の、”華の青春時代”とも言うべき、高校3年生当時の、1組の同級生がやっている、鳥のブログの中の、いわばたった1回の番外編 「日本作詞大賞」の抜き動画映像を、彼の指示?通り、1日1回、クリックしている。

音羽しのぶ、改め、「しのぶ」が、特設ステージで、しっとりと歌い上げる「名も無き恋」の、絶唱を聴いてるうちに思った。

 やはり彼女は、今、どうしているのだろうか? と。

 その想いが、頭を離れなくなった。

 検索するたびに、「引退」やら「休養」などの、単語が目に入ってくる。

 だが、中身も、そこまで。ファンは、心配だけ。騒ぎ立てる者は、噂だけ。

 カネと、足と、耳を使って、自ら一歩、パソコンの前から遠のき、調べようとは、しない。だから、シロートは困る。そう、ため息がつい出てしまう。

 山川からは、引退したとのニュアンスの臭い、を感じた。

 調べてみた。

 残念だったが、本当に、「引退」していた。

 さらに、厳密に言うと、引退させられていた、というべきか。

 日付けとしては、昨年の大晦日。所属事務所だった「ゴールデン ミュージック・プロモーション」は、たんたんと、そして極めて冷ややかに、且つ、事務的に言う。

 「昨年、本人からの申し出で、辞めたいと」

 本当かよ? と、思う。

 辞めるにあたって、ひと騒動あった、同じ事務所に所属していた香田晋の関連では、無いという。

 だから、彼女のブログも、昨年末で、突然、その後の更新が途絶えたわけか。

 純粋に「個人」としての、発信手段のブログは、いまだ、持っていないようだ。

 とはいえ、本当に自ら「引退したい」という申し出が、あったならば、ファン向けにせよ、ブログに、正式に、そのお別れの言葉があって、しかるべき。

 事務所としての”公式”ホームページは、無いうえ、「所属」としてのくくりの、情報では、いまだに香田晋とともに、「音羽しのぶ」として、その名前が連ねたままだ。

 「しのぶ」と改名してからも、はや数年。

 そのズサンな扱いからも、事務所から見た、彼女の位置付けと、処遇と、心、が透けてみえた。哀しいくらいに・・・・。

 先の「ゴールデン・・」。知らぬ事務所ではない。かつて、トップグループの1人として、名を連ねていた柏原芳恵が在籍していた頃は、ずいぶんお世話になった。

 事務所の、カラー、資質の違いを感じた出来事が、つい先日あった。「サンミュージック」の、相澤会長が他界し、通夜が、執り行われた。

 ネットだけでは無く、ワイドショーでも時間を割いて放送されたので、ご存じの方も多いだろうが、桜田淳子も、参列した。否、当人からの申し入れを快く受け入れ、参列させた。

 あの”騒動”から、幾年月。会長の死を知り、桜田は、かつての事務所に連絡を入れた。ご迷惑をおかけしたり、騒動になるといけないので、一般の方の参列も終えた頃に、顔を出させて戴きますが、よろしいでしょうか、と。

 その言葉通り、タクシーで現れ、無言を貫いて、帰宅した。事務所は、桜田が来たときに、「私の青い鳥」を流し、かつて付いていた元女性マネージャーも付き添わせて、同時に入れさせ、棺を開け、死に顔まで見せて、互いに配慮の限りを尽くした。

 あの、酒井法子もまた、同様であった。ただ、彼女の、したたかさが、また披瀝される一幕の場とも、なってしまったが・・・・。

相澤会長の、死してなお、寛容さが、滲み出る葬儀となった。

 事務所の、資質の違い。そういってしまえば、終わりだが。

 それにしても、「しのぶ」情報。

 またもやインターネット情報のデタラメさが、今回も、目に付いた。

 もともと、信用性と、事実さは、経験上、半分程度しかないと思っていたので、格別驚きもしないが。

 数年前、ある地方新聞の支局長と話していた時のことだ。

 こちらが、そこの市会議員の実力者の、東京にいたときの過去の疑惑だらけの経歴を洗い出しており、その話しをぶつけると「そんなことは、ないでしょう」という。

 すっかり、その実力者一派に、噂通り、取り込まれていた。さらに、その男の会社が、もはや実態がまったく無いことことを告げると、検索してきて、「ほら、登記上もあるじゃありませんか」ときた。

 ネット情報を信じて疑わない。「紙」を信じて疑わない。自分の足と耳とを、使うこともなく、動こうともしない。裏どりを、取ろうともしない。

 そんな、今の新聞記者の実態の風潮を象徴していて、背筋がぞっとしたものだった。

 

 さて、「しのぶ」。売れないから、斬られた。契約切れを待って、その更新をしないと、言われたのであろう。本人としては、歌手活動を続けたかった。だから、ブログに「引退」の2文字どころか、そのニュアンスすら、打ち込みたくなかった。

 そ~いうことだ。

 次いで、歌唱印税のことを、事務所に問い質したが、「わからない」と言う。

 歌唱印税とは、CD(かつては、レコード)が、1枚売れるごとに、何円か、歌手自身に、パーセンテージによって支払われる制度。

 しかし、そのパーセンテージすら、事務所によってマチマチで、支払われない方が、圧倒的に多い。

 給料、歩合制、2つ合わせ技など、事務所ごとと言うより、個々人の人気と、仕事量、売れ具合によって、バラバラ。

 調べていくと、仕事があった時に、それに応じて支払われていってたようだ。むろん、歌唱印税は、無し。

 だから、引退後の連絡先。振込先など、必要ないし、外部に頑なに、教えない。

 極めて、ビジネスライク。

 現在、36歳。

 事務所には、「故郷に帰ります」と、告げたという。

 故郷は、山口県の、下関市。結婚をしてなければ、本名は、吉村智恵子のまま。

 子供の頃から、歌の上手い子で知られ、プロになってからは、「司 千恵子」 「森川 美里」 、そして「音羽 しのぶ」。最後に「しのぶ」で、世に打って出た。

 改名すること、3度。

 それ自体は、さほど珍しいことでは、ない。

 勝負して、勝負して・・・・・最後は、追われるが如く、東京をあとにしたのだろうか・・・・・

 歌手である限り、花舞台ともいうべき、紅白歌合戦は、その名を、吉村智恵子に帰って、どこで聴いたのであろうか?

 逆に、もう忘れようと、耳を塞いでいたかもしれない。

 どんな性格なのか、1度もあって話したことが、ないので、わからない。歌手は、欲ある人が多く、損得で人を判断することが、しばしばあり、裏表ある人が、目につく。

 例えば、同じ山口県出身のある女性現役歌手などは、その典型だった。今も、歌を聴くと、へどが出る。

 そんな体験を積み重ねてきているので、全く裏表無く、人と接する山川豊という人物に惹かれた。

 歌手が、帰郷して、その経験を生かしてやれるといえば、「カラオケ教室の講師や先生」、はたまた、その経営や、カラオケスナックあたりが、順当だが・・・・・。

 むろん、すっぱり、歌の世界から足を洗って、結婚していれば、それに越したことは、ない。

 いずれ、下関や、山陽小野田あたりを旅して、彼女の消息がつかめたら、ここで打ち込みたい。

 もはや、「名前の無い」歌手に、なっててもいい。自主製作のCDを、いまだ1枚、また1枚と、手売りして、町を巡っている可能性も、捨てきらない。

 やはり、彼女に、「名前の無い恋」を、熱唱させてみたい。

 名前の無い記者の、ひそやかなる願いとして・・・・・・

 

 


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<リアル ボクシング ルポ>成塚亮、21歳。6月4日、松川真也を迎えて、今度こそ完封するぞ!と宣言

2013-06-02 19:00:52 | スポーツ

 成塚亮(なりつか りょう)。かなり、良いプロボクサーなんすよ。手数は、良く出るし(写真左下の、左側)、常に攻め込む姿勢もある。気持ちも、印象や、見た目以上に、強い。

 相手の繰り出すパンチを、うまく避けきるウイービングも、上手い。

 練習の成果という以上に、天性のものかも? とさえ、思える。

 Dscf3350 左の写真は、今年2月27日。川崎スーパーアリーナで行われた、彼の試合の、一瞬を切り取ったもの。

 相手は、小俣達也(写真上。右側)。地元の川崎新田ジム所属。今まで8戦して、4勝4敗。4勝のうち、2KO&TKO。

 ところが、ここ2連敗中。

 片や、この成塚亮。4年前にデビュー。昨年11月4日、ミニマム級で、東日本新人王戦の、決勝まで進んだ。

 しかし、残念ながら、山本浩也に0-3の、判定負け。

 ポイント差も、3、2、2。明白な敗戦。

 そして、この2月27日の、小俣戦。

 成塚は、すでに7戦こなしたものの、KOやTKO勝ちが、1度もない。トータル、4勝3敗。

 なもんで成塚、この試合の前日計量が終わった後。テレビカメラの回る前で、勢い込んで、堂々の、ご発言。

 「自分のボクシングを、するだけです。前回の試合では、5ラウンドまでやってますし、まあ、6ラウンドは初めてですが、完封して勝ちたい!」

 うん、うん、その気持ちは分かる。完封というより、せめて1度は、目にも鮮やかなKO勝ちしたいという気持ち、ギラギラ、きらきら。

 さあ、1夜明けて、1ラウンドの開始を告げるゴングが鳴るや、左ストレート、サッと放つ!

 この成塚、常に常に、左ジャブから入ってゆく。

 ストレート、ジャブ。ヒットもするが、届かないことも多い。打ち終わりを狙われ、顔面に、しばしばジャブを喰う。

 もう、ラウンド増すごとに、ジャブジャブ、ジャ~ブジャブ、戴いてしまう!

 顔が、次第にもう見事な郵便ポスト状態。見る間に、赤くなってゆく。

 以前の試合では、顔面が真っ赤になって、ハレ上がっただけでは無く、目がふさがり、見るからに、相手のパンチが見えにくいのが、素人目にも分かった。

 その試合もと言うべきか、判定勝ちこそしたものの、コレは、成塚にとって、今後、必ず付いて回る課題になるはず。そう、感じた。

 2ラウンドも、ほぼ同様の展開。

 この成塚、この左で自分の繰り出すパンチの、リズムやテンポを計ってゆくタイプなのだろう。そのためか。左腕を上下させてるものの、ガードがひどく甘くなる。

Dscf3352

 右のガードも、下がり気味で低く、甘い(写真上。左側)。

 試合を見ながら、想い出したのが、淵上誠

 彼は、右腕から繰り出すパンチが、自分のリズムと、テンポを創っている。もう、先の柴田明雄戦を見ても分かるように、そのスタイルは永遠に、抜け切れないようだ。

 しかし、衰えてきつつあるとはいえ、淵上には、相手を1発でリングに沈めるパンチ力がある。しかし、成塚には、・・・・・。

 Dscf3351_2

 とはいえ、ウイービングが巧み(写真上。右側)だから、ある程度の実力のプロボクサーまでが相手なら、かわしてはいける。だが、猛打者相手には、ひとたまりも無いかも知れない。

 3ラウンドでも、4ラウンドでも、左右のガードが下がり、常に左を差してはいるが、相手のジャブが、顔面にヒット。

 

 足を巧みに使って回る、成塚。

 しかし、試合展開としては、有効打数、手数,攻める積極姿勢が、明らかに成塚がまさっており、ポイントは微差ながら、リードしているように見える。

 それを、分かっているからか、小俣が左右のフックをぶん回し、当たれば儲けモンとばかりに、逆転狙いにきた。

 しかし、大振り。それを、成塚が、ウイービングで、かわし続ける。

 小俣、上だけ狙って、ボディは全く狙わず。もし、今後迎え撃つ相手に、上下、巧みに、強打をテンポ良く打ち込まれたら・・・・・・・。ボディを深く、えぐられたら・・・・。

 危惧は、尽きない。老婆心ながら・・・・・・。

 試合は、5ラウンドに入る。

 逆転を狙って、小俣、大振り、連発!

 成塚のセコンドから、声が飛んだ。

 「ウイービング! ウイービング!! 忘れるなよ!」

 成塚、忘れずに、且つ、足使って、リングを回りながら、果敢に打って出る。

 小俣、なおも大振りブリ!

 最終6ラウンド。

 ウイービング、忘れず、小俣のパンチをかわす。しかし、不用意に、一瞬の間を突かれて、顔面にパンチ、またまた喰らう。ガードの甘さも、突かれる。

 成塚も、大振りのパンチ、かわされる。狙ってるのだとしたら、少々、危ない。

 試合終了を告げる、ゴングが鳴った。

Dscf3353
 小俣に、驚異的なパンチ力が無いから、試合を無事終えた(写真左上。左・成塚亮。右・小俣達也)ものの、今後が少し気になった。

 判定結果は、予期した通り、成塚の勝ち。

 採点は、58-57。58-56。そして、59-57。妥当な、ところだろう。

 が、この試合。テレビ録画中継が、入っていた。

 女性レポーターが、勝利者インタビューとして、成塚にマイクを向けた。

 成塚、舞い上がっていたとは思わないが、こう言ってのけた。

 「最後、KOで終わりたかったんですけど、やあ、上手くいかないですね」

 「今後は、KO狙えるくらい、パワーつけて、・・・・ランカーから、・・・チャンピオンになりたい!

 やあ、気持ちは、分かるけどさあ~・・・・・・・。Dscf3379

 やがて、客席でその戦いぶりを見守っていた、佐藤洋輝(ひろき)や、田口良一ら、同じジムの選手の待つ所へ来た、成塚。

 写真で、お分かりのように、またも、顔面、とりわけ、目の周辺は、はれ上がりまくり。口元は・・・・・・・。

 「ずいぶん、顔面打たれたなあ」と、冷やかす日本チャンピオンであり、世界ランカーの田口。

 「ジャブ、もらい過ぎだよ、なあ」と、日本ランカーの、佐藤。

 リング上での、大言壮語は、すっかり消し飛び、マスク越しにも、苦笑いしてるのが分かる。今は、クチを動かすのも、少し痛いのかも知れない。

 こちらは、あえて、何も聞かず。

 ただ、「もし録画出来てたら、DVD欲しいですか?」 と、聞いたら、大きくうなずいたので、後日、今回載せた、つたない試合写真とともに、差し上げた。

 素直に、喜んでくれた。

 その後の練習ぶりは、あえて見ていない。

 どう修正して、次の試合に臨むのか!? 楽しみにし、且つ、気にして、ジムの試合日程表の、ホワイト・ボードを見たら

 <6月4日 成塚亮 対 松川真也 >

 と、あった。

 前の試合から、3か月後と、少し。ボクサーとしては、良いローテ―ションだなと、思う。

 相手の、松川真也は、神奈川県厚木市にある、「T&T ボクシング・スポーツジム」所属。

 すでに、14戦を経験している、29歳。戦績、6勝7敗、1引き分け。6勝のうち、1KOとあるが、これはどうやらデビュー戦の時のもの。顔立ちは、いかにも神経質そう。

 今は、負け数のほうが、上回っているが、実は、この松川もまた、昨年、小俣に勝っている。

 その上、かつて同じく、ミニマム級の東日本新人王戦の準決勝で、4ラウンド、TKO負け

 似通った、ボクサー。そうとも、言える。

 そして、この6月4日、[DANGAN74 ナックルボックス B級グランプリ]とタイトルされた、全試合が、5ラウンドで終了のもの。

 なんと、先の小俣達也も、成塚の試合の後に出場するという、トライアングル状態。

 松川が、目標にするボクサーは、長谷川穂積というわりには、自ら積極的に打って出ないタイプ。どちらかといえば、迎え打つ。

 とはいえ、甘く見下したら、文字通り、”痛い目”にあう可能性も、ある。

 今度こそ、KOを狙っていく! とか、今度こそ完封勝ちをしたい! とかは、間違っても、思わないほうが良い。捨て去った方が、良い。で、ないと・・・・。

 あの、スタイルは、いわば両刃の剣。変に気負ったら、思わぬ自業自得に、陥る。

 見る方は、スリルと、差すペンス、一杯で、面白がるだろうが・・・・。

 ちなみに、成塚亮が、目標とするボクサーは、同じジムにいる世界チャンピオンの、内山高志

 誰が付けたか、「ノックアウト ダイナマイト」の異名を持つ。

 だが、その内山でさえ、今まで、ただの1度も、「KOを狙っていきます」とも、「完封します」とも、言明したことは、ない。どんなに、記者が記事のキャッチと、タイトル欲しさに水を向けても、言わない。

 その代わりと言うべきか。こうは、言う。

 「KOは、結果として、付いてくるもの」

 昨年の10月8日。後輩の佐々木左之介が、当時日本ミドル級チャンピオンであり、日本人初の4階級制覇王者でもあった湯葉忠志を、4ラウンド、左右のフックで倒し、新王者となった。

 奇跡とも、まさか、とも、番狂わせ、とも言われた、この結果。

 当夜、控え室近くで、左之介が倒したパンチについて、内山に聞いたとき、彼はさりげなく、こう言ってのけた。

 「ピンポイントで、ぴったりはまったパンチですよ。もう、アレが、数センチずれていたら、湯葉さんは、倒れなかったと思います」

 ・・・・・・・・。

 そして、当人の試合。

  この5月6日、7度目の防衛戦。

 ハイデル・パーラ相手に、5ラウンド。見事な、左ボディ・ブロー1発で、パーラをリングに這わせた。

 「これ、100%とは言わないけれど、間違いなく倒せるパンチだと、スパーリングで分かって。練習を積み重ねてきたパンチです」と、試合後、内山はたんたんと、クチにした。

 そりゃそうだろうと、納得しつつも、さらに後日、担当の佐々木修平トレーナーに、聞いた。

 「あれは、レバーの奥深くを、狙ったパンチです。ピンポイント? そうですね。1、2センチ、狙った位置がずれてたら、1発だけでは成功しなかったかもしれませんね」

 ・・・・・・・・・・・・

 レバー。人間の肝臓だ。そこに、パンチや衝撃が、加わると、例え、人並みはずれて強靭な肉体を持つ、強打を誇るプロボクサーでも、一瞬、息が止まり、足と身体の自由が、効かなくなるという。

 それでも、計算通り、練習通り、いかないのが、ボクシング。さらに、スパーリング通りいかないのが、ボクシング。

 我が国のプロボクサー、約3000人。防衛戦での安定感も含め、その頂点に立つ内山だから、文字通り、1発で成功した。

 内山と成塚。KOをクチにしない人と、狙うひと。確かに、同じフロアで汗は流してはいるものの、さてさて・・・・・

 どんな勝ち方をするか? はたまた、どんな負け方を、してしまうか?

 今度は、テレビカメラ、無し。

 この目で、見て欲しい。

 ボクシングを、この駄文で興味を持って下さってる方も。ひとつ、よろしく。

 

 この夜の、断崖絶壁に立たされた、弱~い日本代表の”ひやひや”サッカーの試合より、胸わくわくさせる・・・・・はず・・・・なんだからあ・・・・ホントに

 

 

 

 

 


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