≪ 2018・10・28 掲載記事 ≫
10月7日、横浜アリーナ。
井上尚弥の、鮮やかな1ラウンド、KO劇で、ひととき、注目を浴びた世界タイトルマッチ戦。
しかし、その前日に、後楽園ホールで行われた、日本タイトルマッチ戦の、接戦&激闘は、真のボクシング・ファンの間でしか、知られていない。
世界戦しか観ずに、したり顔で、ボクシングを語る、2流タレントのゲスト「怪説者」もいる。
続く、10月21日。遠き、ラスベガスの地で、予想していた通り、村田諒太が、ベルトを失った。
攻撃と防御の、せいぜい2パターンまでしか、持たず。ソレを研究し尽くされ、見透かされ、見事に完敗。
ロードワークをさぼり、スタミナ乏しく、安易に、タレントと兼業で、やり続けられるほど、世界チャンピオンの座を守り抜くのは、ラクなもんじゃないという、痛い事実を、知ったことであろう。
まだ、ゼニだけ欲しさに、まわりにおだてられ、打たれ屋や、倒れ屋を日本に呼んで、KO劇場を演じ、リングに上がる可能性も残されてはいるが・・・・。
さてさて、あれから、まだ、たった半年ちょい過ぎただけというのに。。。。
熱心なボクシング・ファンを自称する人であっても、この比嘉大吾(ひが だいご)という、プロボクサーの名前を、まだ憶えているか、どうか・・・・・
そう、今年の4月15日に自分の防衛戦を行なう予定で、前日14日に計量に臨んだ、当時フライ級の世界チャンピオンだった若者。
ところが、規定より900グラムもオーバー. 子どもでも分かる、体重超過が発覚。
無理やり、限界まで、ギリギリ、そぎ落とした体型。それでも、落ちなかった体重。
比嘉が、太りやすい体質とは、かねてより言われていた。 フライ級でやり続けるには、無理があると。
ボクシング仲間や、親しく、よく、つるんで遊び歩いていた男たちの、声だ。
しかし・・・・写真右にいる、元王者であり、比嘉の所属するボクシングジムの会長でもあり、バラエティ・タレントとしても知られている具志堅用高は、それを知っていても、さらなる16連続ノックアウト&レフェリー・ストップ勝ちの「記録」を選んだ。優先、させた。
フライ級という階級で、新記録を伸ばさせようと。
期待するテレビ局との、おおよその、年間放映スケジュールとの兼ね合いもあった。ジム経営の一助になる、それなりにまとまった、数百万円の金額の放送権料という収益も、試合1回ごとに、もたらす。
といっても、ボクサーが手に出来るファイトマネーなどは、スポーツ新聞が、想像して、盛りに盛って、囃したてた金額の、実はヒトケタ違いの、10分の1でしかないのだが・・・。
ジムと、当の選手自身が、いつ試合したいか?ではなく、テレビ局の都合による放映日程調整が、まず先にあった。
さらに、試合スケジュールが、詰まり過ぎだったのではないか?という、テレビで、世界タイトルマッチしか観たことのない外野スズメが、ネット上で、当時、騒いでいた。
だが、通常のプロボクサーであれば、3か月~4か月に1試合ペースは当たり前のこと。
さらに言うなら、かつてフライ級で戦った、ファイティング原田や、故・海老原博幸などは、全盛期、1週間から10日に1試合のペースで試合をこなしていた。
むろん、ボクシングが、本当に国民的人気があって、観客が即、多く詰め掛けた時代でもあったから、やり遂げられたこと。
原田などは、毎日毎日が減量との闘い。水を一滴飲むのも禁じられた。ジムと隣接する、住み込んでいた選手寮の水道栓は止められていた。
本当に、「あしたのジョー」の世界。
そのため、原田は想った。
「飲めるもんなら、自分の小便でも飲みたい」と。
世界タイトルマッチ開催ともなると、旧・国技館に1万人以上が詰め掛けた。
ところが、今は、世界戦でも、満席で4000人がせいぜいの客席会場。
撮影の際、VTRカメラを引いて、全景をグルリと、ゆっくり360度回せば、せいぜい3000人ほどの入りでしかないことが、分かる。 だから、それがばれたくない為に、テレビ局はソレを決して映さない。
リングサイドの、ン万円もの高額チケットの売れ行きが悪ければ、番組スポンサーや、ヒマなタレントや、ボクシングに興味のある芸能人に、タダ券をばら撒いて、詰め掛けてもらい、見掛けの撮影カットのために、空席を埋めるという、あざとい手口が、いまだに繰り返されている。
そんなにしても、村田諒太の試合の視聴率は、デビュー時、9パーセント獲れたのが、ここ数年は6~7パーセントの、いずれも、たったの一けた台。
最高視聴率、良くて、かつての井岡一翔(いおか かずと)の、国内の試合の14パーセントと言うのが、今のボクシング人気なるものの実態だ。
先先月の深夜、録画放映された、アジアと日本のダブル・タイトルマッチ。
それも、関東エリアだけの放送の上、放送開始時刻が深夜の3時過ぎ。
タイマー録画でもしなければ、大半が見のがす時間帯のうえ、視聴率は、0に近い、1パーセント台以下。さらに、関東のボクシングファンのみに向けての放映。
日本では試合が出来・・・にくくなった井岡一翔(かずと)が、結婚早々の新妻との別居から、事実上の離婚状態を経て、アメリカのリングに上がって、新たなベルトを判定勝ちの末、巻いた。
ば亀田一家を、かつて担いで、ジムと住まいなどの援助をして、金銭面でも先行投資しまくって、世話をしたTBSが、今度は、近年。
世界戦で一番、数字(視聴率)が、関東&関西地区で、前述のように、かつて、1~2度、14パーセント台を獲れていた過去もあり、井岡一翔を担ぎあげて、2匹目のどじょうを狙った。
だが、今度の放送は、日曜の深夜で、1パーセント以下。赤字。
この16日に、尚弥の弟、井上拓真らの試合も行なわれ、フジテレビで、録画放送された。
さらに、それ、試合5日後の、深夜の午前3時50分から。それも、関東地区のみの放送。
テレビ局が担ぐ、コロコロ目先が変わる、「ボクシング人気」なるものの、近年の「厳状」だ。
強気のうえ、いっつも大言壮語で知られる、田中恒成の試合でも、地元、名古屋のCBCだけの、ナマ放送。
良い試合だったように、地元で記事にされていても、中身観てみなきゃ分からない。
関東地区では、いつも、やはり、度が過ぎる深夜というより、未明に放送があるが、もはや、どれほどのボクシングファンが、タイマー録画して、観ることやら・・・・。
テレビ局は、良く言えば、臨機応変。節操は、まったく、カケラも無い。
猫の目のように、ホイホイ変わる。 数字が獲れないと判断されれば、そういうことになる。それも、関東地域限定放送だけにおさえて、拡げず。
地方局からの、録画放送の求めも、また、実は、無い。
テレビ局と絡まなければ、ボクシング開催において、大きな会場では、黒字興業が確実に見込まれない冬の時代。
そんな「背景」の中での、期待の雄、15連続KO勝ちという輝かしい「看板」を背負った、比嘉大吾の登場でもあった。
今から約2か月半前の8月9日で、23歳の誕生日を、やっと迎えたという若さ。
記録を積み重ねてからでも、遅くはない。
将来は、楽に戦えるスーパー・バンタム級に階級を上げて・・・・・という考えが背景にあったようだ。
だが、生身の選手当人にとっては、「今」が厳しい。
改めて、汗をかいて、体重を落とそうとしたが、「一滴も、落ちなかった・・・」と、具志堅・会長。
すでに、そうなることは、具志堅、知っていたフシが見られた。
比嘉、本人には一言もしゃべらせず。比嘉の、ホンネと胸中は、オモテに出さず、隠された。
王座は、規定により、はく奪。だが、試合は、行なわれた。
約1年数か月前。比嘉が王者になった試合も、当時王者だった相手が、前日計量で200グラムオーバー。 王座とベルトがはく奪され・・・・・そして、比嘉が打ち勝ったという因縁があった。
そして、今回は逆。
例え比嘉が勝っても、王座もベルトも戻らず。相手が勝てば、すんなり、王座移譲となる手はず。
結果、わだかまりが深く残り、比嘉の、胸の中、複雑さ渦巻く、ホンネの気持ちが隠されたまま、試合は強行され、カーン!
ゴングは、鳴った。
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試合を会場で観てた方、テレビでその模様を観ていたボクシングファンは、いたはず。
結果、決着は、とても比嘉本人の気持ちや体調を無視した、理解出来にくいシロモノ。
なんと! 比嘉が、1度もダウンもしていないにも関わらず、比嘉陣営の野木丈司(のぎ じょうじ)トレーナーが、試合後半の9ラウンド1分過ぎ。
突如、タオルをリングの中に投げ入れた。
即、試合放棄とみなされ、対戦相手の挑戦者に、ベルトと栄冠が転がり込む結果に。
確かに、、このラウンドまで、敗色は滲み、そのまま最終ラウンドまで戦えば、必ず、10-9をつけなければならない、テンポイント、マストシステムでは、大差になりかねない。
しかし、冷静に観るならば、小差。しかも、結果、判定負けは、見えてきていた展開ではあった。
だが、比嘉が、落ち込んだ気持ちを振り払い、前の試合までリング上で披露していたパンチ力を、捨て身で発揮すれば
これまでのようにノックダウン勝ちは、可能性があった。
だが・・・・比嘉のココロ。パンチ以上に、激しく、心揺れ動きながら、繰り出すパンチと感情を無視し、タオルは宙を舞った・・・・・・。
比嘉の、自分の感情を押しつぶされた、やりきれない表情と、重い足取り。
野木丈司トレーナーに背中を押され、とぼとぼと、控え室と、医務室へ。
結局、カコミ取材も、敗戦の想いを充分に語り、聴かせる記者会見もロクに無いまま・・・・・肝心の、比嘉大吾は、消えた。
オモテ舞台からも、姿を・・・・・消した。一切、ハナシをさせないようにしたまま・・・・。
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その後、日本ボクシング・コミッションから、10日後の、4月25日。比嘉に厳罰が下された。
プロボクサーとしての、ライセンスを「無期限資格停止処分」。
とはいえ、無期限といいつつ、実は永久停止ではない。
もし、今後、再起、現役復帰、再戦するに当たっては、最低1階級以上の体重階級で試合を行なうならば、許されると言う、限定付き。
加えて、ジムと会長には、戒告処分が課された。
まあ、戒告と行っても、今後、2度としないように、注意してくださいよという程度の、注意処分なので、その後のジム運営に関して、支障になるものでは、なかったが・・・。
その後。
タイトルマッチや、挑戦者に対しての、前日計量、規定体重オーバーに対しての、縛りは、以前にも増して、厳しく、加速化。
かつて、記事化したことが有る、元日本王者であった、村中優(すぐる)。
本日までに、4度以上も、前日計量で、体重超過してきた過去がある。
それでも、ベルトを試合前に返上を余儀なくさせられたのに、当時の試合では、あっさりと、勝ってしまった過去があるひと。
だが・・・・・
比嘉大吾のことが有って以来、日本のタイトルマッチにもソレが、大きく飛び火。
この34歳になった、村中にも、比嘉と同じ、「無期限資格停止処分」が言い渡された。
4度目も、やってしまった! 直後、日本ボクシングコミッションから、これまた即刻、「無期限出場資格停止処分」が言い渡された。
ま、2度あることは、3度ある以上の行為。
村中優本人も、ま、納得。反論せず。怖い会長にも、完全に、見捨てられた。
村中は、会社員としてキチンと働き、すでに生活の基盤を築いており、妻と子供たちを喜びと共に、リングに上げたこともある。
処分が下った後は、ジムには・・・・・おそらく・・・・・と、思いつつも、聞いた。
「ああ、そうですね。村中は、あれ以来、ジムに来ていませんね。練習どころか、顔も、出してません」
「正式に、まだ届けは、コミッションに提出はしていませんが、そうですね。事実上の、引退してしまったととらえても、結構です」
性格は、良いヒト。試合後の囲みや、コメントをもらう時も、一度も不快に感じたことも無い。
会社員として、妻子を、正社員として、今後は、食べさせていく人生を、しばらく送ることであろう。
もったいないが、仕方は無い。持っている、その時々のチカラを発揮して、フルに闘い、試合して、王座も掴み、上り下りしてきた、プロボクサー人生。
やりきった感も、どこかにあるはずだし・・・・・・。
一方。比嘉の、体重超過の直後、ネット上には、厳しい意見が、舞い飛んだ。 が、しかし・・・・・・。
様々な、プロボクサーを取材する中で、ジムに足を運び、もくもくと練習を、積み重ねていく姿を、観続けると、ムゲにそんなことは、とても、杓子定規には、言えない。
普段は、各人、規定体重の何キロも「肥えた」体重で、ジムのリングにあがり、スパーリングを繰り返している。
もう、階級なんか、関係無しに。
同じジムとの、はるか上の階級の選手とだけでは無い。
ジムに来てもらったり、逆に、出稽古に行ったり、さまざま。
ヘッドギアを、装着しているとはいえ、体重差のある、そのパンチのすざまじさは、観ているだけで分かる。
ジムに来た時に、練習開始前に、トランクスをはいて、体重を計り、各々、ボールペンで、その時の体重の数字を記入。
汗をかき、練習を終えて、シャワーを浴び、カラダを拭いたら、再び、体重計に乗り、体重を計り、記入してから、帰宅したり、ジム仲間などと、出かけたり、深夜から朝までのアルバイトに出かけたりと、さまざま。
ソレが、試合が決まり、日にちが迫ってくると・・・・・。
仕上がりをベストに持っていきながら、徐々に体重を日ごとに落としてゆく、減らしてゆく。
階級の規定体重まで、普段と、せいぜい8キロ差が有るのは、まあ、普通の範囲内。
なかには、その倍の16キロもの大差がある選手も,おり、もはや、観ているだけで、地獄。
食べない、飲まない、最低限の水分で、ガマンする。
ストーブを回りに置いて、激しく動き回リ、シャドーと、縄跳びをし尽くした後、、へたり込んで、毛布を体に巻きつけ、汗だくで落とす。そんな選手も、観てきた。
減量の方法は、先輩からも聞いたりするものの、最終的には1人1人、微妙に違う。
・・・・前日計量が終わったら!
コレが食べられる、好きな、コレが飲める。
ソレを夢見て、日々、頑張る。
試合が決まった、プロボクサーの、ブログを見ると、お前は、グルメか?と、ツッコミを入れたくなるほど、おいしそうなデザート、ランチ、フルコースの写真を、並べて掲載。
試合後、コレが食べられるなら、と、夢見ている者が、驚くほど多い。
ほぼ全員が、ブログやツイッターに、それ、載せている。
対戦相手に勝ちたいという、以上に、そう言う「目標」を、掲げる。
現役時代は、そうでもしないと、とても、やり続けられない。
そういう日々を、観ていると、外野席から、何も言えなくなってゆく。ましてや、もし、自分だったら、ソレが出来るであろうか?というと・・・・・はなはだ、自信が無い。
そうまでして、試合、前前日までに規定に遠く届かない選手は、絶食したまま、独り、サウナにこもり・・・
倒れて、救急車で病院に運ばれ・・・・・
前日計量に間に合わず、医師としては、生命の危険も考慮。所属ジム側は、試合欠場を申請。
試合興業後、相手のジムと選手に対して、詫びを入れ、交渉し、金銭を払わねばならない。
その金銭は、選手が負担して、支払うことになる。
相手の選手が、やはり、同様に苦しんでいた末の「夢」も、将来の王座へと続く、「夢」への階段も壊すことになりかねないのだから。
そんな実例を、私は、いくつも知っている。
実質、引退した状態の選手たちもいるが、現役もいる。
だから、選手名は、書かない、書けない。
一度だけ、実情は書かずに、タイトルマッチが中止になりましたと、前前日に速報記事にしたことがある。
その元王者は、今は、サラリーマン相手の、トレーナーとして、時給のアルバイトをしており、来年には帰郷。
自分が、プロボクサーを夢見て、練習を積み重ねていた、遠い北国の故郷のジムで、トレーナーとして、就職。
いつか、自分のチカラで、ジムを開くなり、会長のあとを継いで、やっていけたらと、夢を語ってくれた。
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そんな辛い日々から、逃れた、比嘉大吾。
ジムに聞くと、あの試合後、タダの一度も、彼は、ジムに姿を見せていない、むろん、練習には、まったく、参加など、してもいない。
ーーーどうしたいんでしょうかねえ?
「・・・・わかりません」
---彼に、電話入れたりして、この先の事は、聞いているんですか?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
---もう、野木丈司さんは、比嘉君を指導は?
「していました、ね」
---していた、ということは?
「・・・・・・・・・・・」
もう、その時点で、比嘉のインスタグラムには、友人たちと、さまざまに、酒と飲食に興じる姿が映っていた。
---今、比嘉君は、どこにいるんでしょうか?
「わかりません」
---出来ましたら、彼の携帯電話の番号、教えて戴けませんか?
「ソレは、出来ません」
ま、そうだろうなあ・・・・・・・。
具志堅用高会長の、性格は、「お前、どうするんだ?」、「どうしたいんだ?」と、矢継ぎ早に、日を置いて、せっつくように聞いて、結論を出そう、求めようというヒトではないだけに・・・・。
なぜ、そう言えるかというと、やはり、日本のベルトを巻き、世界を狙えると評された気鋭のチャンピオンが、かつて、明治神宮裏にジムを構えていた頃、在籍。
試合に負けて、やり続ける気持ちを無くして・・・・・突然、来なくなったことがある。
1か月・・・・2か月たち・・・・・・・。
そのボクサーを、長らく取材していた私は、思い立ってジムを訪問。
まだ、近年のように、タレント活動をしていなかった具志堅会長がジムにおり、ハナシと、事情を聞いた。
「来なくなった事情も、理由も、よく分からないんだよねえ。住んでた部屋にもいないし、連絡くれよと言っておいても、来ないしねえ・・・」
「こればっかりは、私が、やいのやいの言っても、周りが言っても、ダメなんだよねえ。本人の気持ちが固まらないと」。
「もう、こういうのはね・・・・・ただ、待つしかないんだよ。そう、思っている。気持ち次第だからね、大事なのは。ボクサーを、きつくても、やり続けられるのはさあ」
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結局、そのボクサーは、ジムには戻らず、移籍を申し出て、数年後、ほかにジムに移ることが出来た。
プロの練習。選手や、トレーナーから聞いたことがあるが、練習を2日休むと、1週間、遅れるし、付いていくのに、1週間かかるという世界。
そのように、彼は、ブランクを過去の遺産で、取り消そうとしたものの、かつての実力は消え失せ、日本のランキング階段を、上がったり、下がったりしながら、とある女優に惚れられ、付き合ったりして・・・・・そのうち、集客力も無くなり、ファンも去り、表舞台から消え去リ、引退した。
具志堅・会長の性格は、当時と、変わっていない、選手対応のまま。
調べていくと、 比嘉は今、なんと!
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