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《 リアル 怪・行方不明事件 ルポ 『第2弾」3 》 1年以上が、過ぎ去り・・・・。いまだ、生死すら分からぬ、あの、小倉美咲チャン。取材当初から、こだわり、追い続けて、きたこと

2022-04-28 21:07:17 | 真偽を求めて・・・こころ旅

≪ 2020・10・10 掲載記事≫

 ≪ 2020・10・27 再掲載記事 ≫

 ≪ 2020・12・27 掲載 ≫ 

 ≪ 2021・2・26 ≫

 ≪ 2021・3・28 掲載 ≫

 【 2020・9・20 掲載 】

 間断なく、降りしきる、雨、雨・・・・・・・。本降り、だ。

 時おかずして、三宅島から、太平洋沖を、ゆっくりと時速15キロで突き進み、千葉県の南房総、外房地域をかすめるようにして、台風14号が、我が国を通過して行きそうな、雲行き。

 ふと思う。

  昨年の9月上旬。台風15号が、、千葉県の南房総地区の、とりわけ、鋸南町や、館山市だけでなく、成田市の一部も、暴風雨が襲い掛かり、屋根瓦や、屋根が飛び、床下浸水など、被害をもたらしていた。

 この行方不明事件発生後、成田市役所に、問い合わせたのだが、小倉美咲が、母や姉などと暮していた家や、隣接するお店があった地区は、運よく、被害を免れていたことを、再確認。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 想う。

 雨漏りのせいで、歪んだ床をはがすなど、いまだ、1年過ぎても、鋸南町に代表される被害の爪痕残る、南房総地区のように、ブルーシートを屋根にかぶせ、土嚢を積んで、雨漏りをしのぐしかないようになっていたら、・・・・。

 小倉家は、キャンプに行くどころの、ハナシじゃない。家族総出で、後片付けに追われていたはずなのに・・・。

 そうなっていれば、不可解な事件は、少なくとも、9月21日には、起こり得なかったであろうに・・・・・・

 不幸中の幸いの、ごとく。

 ソレを想うと、深い、ため息が出る。

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

この、いまだ、行方不明のままの、不可解極まりない、「事件」の,続き。

 ≪ ルポ 3 ≫を、そろそろ、打ち込み始めなければなあ・・・・・

 でも、ナニ書いても、ひぼーチューショー、と、指摘もされそうで、・・・・・・。

 いささか、気が、どんよりと重い、取材でもあったしなあ・・・・・。

 そんな本日。 まともに、キチンと、まとめてつづった2本に、検索が、増大。

 ん?

 あの子、見つかったか?

 もしくは、そこまで行かなくとも、何らかの、手がかりが、得られたのか?

 だったら、良いのにと。ココロ、はずんだ。

 ・・・・・ところが、な~んにも進展ない。

 でも、打ち込みましょうか、と。

 「打ち込み」。

 そう、まさに、ソレが、今回の記事の、キーポイントなもんで。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 山梨県道志村にある、「椿荘 オートキャンプ場」から、突如として、小倉美咲、当時7歳の、小学1年生が、行方不明になって、すでに、385日。

 データ原稿にも成っていない、最初の記事で入れたが、大月警察署の、「情報」受付、署員も、いぶかっていたように

 「それがねえ。。。携帯電話、持っていないと、言っているんですよ・・・・・」と。

 まだ、幼い、小学校1年生なのに、携帯電話を買い与えていないということに、アンタは、当初から疑問を感じていたわけ?

 そう、です。

 母が、7年も前から、巧みに外部への通信電信機器.SNSを駆使していたから?

 ソレも、関連あり。

行方不明になってから、半月以上も過ぎて、効果がもたらせないと想われるのに、 あふれだすように、次から次へと、提供、提示しまくった、写真と動画。

 なにをひた隠しに、したいのか、見せたくないのか、器用に、モザイク処理も、最初の写真から、されてあった、。

 その技術は、さておき、娘への通信手段を、何も、持ち合わせていないことは、考えずらい。

  それもある。

 まだ、小学生の女の子、2人もいるなか こまめに面倒を見る時間も余裕も無く、、午前10時から午後5時の閉店まで、7時間。

 、予約客が次々と、御店を、訪れ、てゆく日々。

 それなりに、経済的に豊かな家を前提にして、取材で聞きまくり、データからもはじき出ているのだが、

 もしも? 外へ出て遊んでいた時に、犯罪に出くわしたら? ということに考えが及び、ファミリープランの、割り引き価格で、スマホを契約する父母が多い。

 我が子とはいえ、7歳や10歳の2人の、女の子に、スマートフォンなどを、持たせることが、ぜいたくというのなら、

  このような、GPS,現在位置情報を即座に、親に知らせる、簡易小型機器を、いつも、普段から外出時に、持たせていて、不思議はない・・・・・と、想えてならない。

 ましてや、遠き、キャンプ地であり、7歳の女児にとって左右前後、見知らぬところ。

 同い年の子を、2人持つ、多くの母親たちに取材したところ、

 まだ、1人だけなら、目が届く範囲なので、持たせませんけど、2人ともなると、やはり、必要に駆られ、持たせますよねえ・・・という、母親の声が、多くきかれた。

 GPS機能だけでも、持たせることで、安心感が得られる、とも言う。

そのなかには、「椿荘 オートキャンプ場」に、かつて、親子して行って、楽しんできた人もいた。

 それも、持たせていない??・・・・・・。

 本当に?

 んんんんんん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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 実は昨年から、小倉美咲が、昨年の4月から通学していた、成田市内に建つ、小学校にも、取材をしている。 

 学校名は、明かさないでおく。

 この小学校、も。と言っていい、

 入学時に、生徒全員に、警報器を、無償で与える。 

 多くの生徒は、それを、通学時や、自宅に帰る時、バッグや、ランドセルに、ひもでくくりつけているとのこと。

 ただし、生徒たちや、母親たちに聞くと、自宅に帰った後や、休みの日には、いちいち、持ち歩かないで、自宅に置いたままだという・・・・。 

 成田市の、その小学校の生徒も、ほぼ、同様であった。さらに、付け加えるならば、スマホや、携帯電話は、持ち込んでも、使用禁止が原則だとのこと。

 ではと、さらに、広報担当も兼ねている、教頭先生に聞いた。

 ---報道で、すでに、御存じかと思いますが、キャンプ場で、そちらの学校に、この9月まで通っていた小倉美咲という、1年生の生徒さんが、行方不明になりましたよねえ。

 その事について、何か、学校として、どう、とらえてますでしょうか? 

 とたんに、口調が、キビシク、一転。

 「ソレに付いては、一切お話ししたくありません!」 

 ? どういうことなんんだろう?

 ---たとえばですね、心配しております、とか。学校としても、1日も早く、、見つかることを祈っておりますとか

 「そう言うことも、一切お話ししません」

 ---あのう・・・・入学から5か月。小倉家と、新入生として、家族面談もしたと、思われますが・・・・何か、その時に、失礼ですが、あったんでしょうか、?

 「ですから! そのようなことも含めてですね、学校側としては、何も、発言いたしません。よろしいですか。では、失礼します!」

 

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  スマートフォンや、携帯電話、GPS簡易端末、警報器、などの、小倉美咲という女児の、所持、、携帯にこだわるのは、コレの「打ち込み」に、、母親である、小倉とも子が、知識が、それなりにあるはずだからだ。

 母が経営しているのは、すでに、知っている人も多いだろうが、日本語で言うなら、犬の美容院だ。

いまふうに言うと、職種は、トリミングをこなす、トリマー。

 猫も、美容を行なうが、店のホームページによれば、犬、90パーセント、猫は、10パーセントほどしか、扱っていない。 

店内で、逃げ出す可能性は無いだろうが、飼い犬も、ひもを付けて、散歩するとき、目を離したすきに、不意に、行方不明になる可能性がある。

 忠犬ハチ公、みたいのは、令和の時代には、そうは、存在しない。

行方不明になった、末路は、やがて捕獲されて、幸運にも飼い主が現れたり、必死になって毎日、捜したり、温情ある「里親」が登場しない限り・・・・

 「殺処分」が、待ち構えている。

 年間、我が国で、約1万6000匹(あるいは、頭が)、「野良犬」として、判断され、捕獲されている。

 ただし、すべてが、即、ガス室で、殺されるわけではない。

 年間、約、その3割ほどが、あの世行き。

 ちなみに、殺処分が、一番多いのは、香川県で、ダントツ1位の、1522匹。

 小倉とも子のいる、千葉県は、11位の、263匹。

 だが、上記写真の、「マイクロチップ」を、体内に、埋め込んで「打ち込み」してあれば、

 そのチップの中に、飼い主などの登録情報が、入れ込まれ、迷子、として、その情報から、飼い主に連絡がいく。

 むろん、このマイクロチップの、打ち込みは、美容院では、出来ない。 

 犬猫病院や、動物病院で、処置される行為。

 マイクロチップの、大きさは、直径2ミリ、長さ、1センチから、1・2センチ。体内に埋め込み、痛さは、一瞬。人間への注射程度。

 料金は、バラつきあるが、大体、4000円から、5000円程度で済む。

 だが・・・・・ 飼い主は、しない、させない。

 もしもの時、見つかるのに・・・

 さらに、首輪にGPS機能の付いたものを、装着もさせ・・・・・ない。

 殺処分を、甘受しているわけでもないだろうが、 

 それでいて動物愛護団体や、殺処分に反対する人々の対抗策か、この1年半後くらいまでに、マイクロチップ、埋め込み、打ち込みを、義務化、法制化してゆく動きがあるという。

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  そのような、事情を、母のとも子は、仕事柄、日々のなかで、当然、誰よりも、知ってはいなかったのであろうか・・・。

 取材を、定期的に受ける彼女の、このようなニュース画像からは、それが見えてこないのだが・・・・

 行方不明に対する、想いと、配慮と、危険性。

  犬と、人間を一緒にしないでよ!

 と、お怒りになるかも知れないが、せめて、マイクロチップ代わりの、スマホ、携帯電話、GPS機能小型端末、持たせていなかったのであろうか・・・・・。

 すぐ、どこに、美咲が、迷い込んでいるのか、移動させられていたのか、判明した・・・はずなのに・・・・。

 経費、ですか。

 繁昌しているように、店、感じられたのに。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、

 その一点も、聞きたく、彼女が経営する、犬猫美容院に、問い合わせた。

 最初は、まだ、両親が囲み記者会見に出ず、大規模捜索打ち切りが、決定したころのこと。

 おそらく・・・・

 行方不明になって、10日近く過ぎてきたとはいえ、捜索、必死になってしていると想われる頃、御店は当然、、閉店中。

 留守番コールが、流れるんだろうなあ、と、呼び出し音を聞いていた。

 えっ!

 出た。

 母親では無く、女性従業員、トリマーであったが。

 通常営業をすでに、していたことに、驚いた。

 あの、舞台となった、「椿荘 オートキャンプ場」は、あの事件により、閉鎖、閉業せざるをえない羽目になっていたというのに・・・・・・・。

 複雑な想いを胸に抱えて、聴いた。

 ---店長の、小倉とも子さん、いらっしゃいますか? 

 「おりません。出かけております」

 ---どちらへ?

 「わかりません」

 ---いつ、戻られますか?

 「わかりません」

 ---明日は?

 「聞いておりません」

 う~ん・・・・・

 ーーーでは、ちょっと聞きたいのですが、行方が分からない、美咲ちゃん。面識有りますよねえ、もちろん。店を通って、お母さんに声掛けて、外に出かけていくこともあったと、思うんですが、携帯電話や、スマホ、持っている場面や、とも子さんが、トリミングの、手を休めて、美咲ちゃんなどに、電話連絡してるの見掛けてませんか?あなたは。

 「知りません」

 ---観てませんか?

 「わかりません」

 ---そんなこと、ないでしょう?

 「あっ、いらっしやい。お客様、いらしたので、失礼します」

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 その後も、殆んど、同様のパターンだった。

 見たことない、ではなく、知りません、わかりません、かあ・・・・・・。

 このようなことがあっても、営業は、早期に継続する。

 飼い犬を抱えた、大事に抱いた、予約客がいる?と・・・・思われる・・・・事情が、あるとはいえ・・・・・

「わかりません、」、「知りません」の継続、応答パターンが、その後も、続いた。

 その後、別のトリマーも採用し、とも子が不在でも、2人で、切り盛りしていた。

 こちらにとって、行方不明状態の彼女であったが、フジテレビなどの、取材では画面に顔を出していた。

 ありゃりゃあ・・・ ふ~ん

 どんどん、写真提供し、動画モザイク入りも、成田市の自宅の中で、披露。

 はたまた、山梨県の、あの捜索地点で、今も必死で捜し続ける姿も、披露。

 う~ん・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先月末。

 そう、美咲が行方不明になって、1年後過ぎ。

 千葉県習志野市の、女子中学2年生が、自宅を出て、行方不明になった。

 駅の防犯カメラで、都内の日暮里駅で、下車したことが、確認された。

 親は、即日、写真、提供し、全国公開に踏み切った。

 女子中学生の顔は、出したが、名前や、親の名、そして、学校名も出さず。 

  「即日、写真公開」の、威力と、速攻、スピード、効果は、絶大だった。 

 翌日、その子は、池袋の繁華街にいる、見た、見かけたという、情報が、矢継ぎ早に、殺到。

すぐ、その「家出娘」は、確保された。

 習志野署も、家出で、片付け。、

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「 家族の意向がありました」という「事情」が、絡んでいたにせよ

 10日もたってから「提供」との、差を、否応も無く、見せつけられた一幕であった

 、『 ルポ 3 』 おわり

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 ≪ 2021・3・28 追記 ≫

 このルポの、1.に、急に、多くの検索が寄せられていた

 2.と。この3は、読まれていないままに・・・

 どういう動きがあったのであろうか?

 と、検索など、試みると、あの母親が、娘の「通知表」を、マスコミに披露、公開していたり

 キャンプ場にまでおもむいて、チラシ配り

 とりわけ、一番、喰いついてきている、フジテレビには

 またも、新たな写真や動画からの切り取りカットを提示。 

 んんんんんんんん

 出席日数、ゼロの、あの、小学校から、通知表を提出してもらう

 

 熱意に・・・・・

 いやあ、もう・・・・・

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 ≪ 2021・9・20 追記 ≫

 ん・・・・・

 いろいろ、? と、疑問膨らみ、且つ、痛感するところ、多多ありますが・・・・

 すでに、取材した、千葉県内の寺院に住む、あの祖母まで動員して、道の駅などで、新しく、印刷したポスターを貼り、チラシを、要所に置かしてもらうなどの動き

 そして・・・

 その発言に驚いたのが

 2021年9月19日付けの、取材済みのネット上の新聞記事で、

 母、とも子が

 「自宅のお店を、事件から1年くらいたって、ようやく、開ける気になりました」という趣旨の御言葉

 深い傷心から、立ち直ろうとする、「悲劇の母」の歩み出し・・・という印象を受けさせる御言葉

 ところが、記事で、とっくに取材してあるように、行方不明になって、10日後には、お店、開けて、営業ししておりました

 わたくし、あまりの速さに、驚き、それぞれ、日を置き、女性従業員トリマー2人に、電話インタビューした声は、すべて、録音しております

 たしかに、お店に、「悲劇に襲われた」母は、出ておりませんでしたが、お店は、新たに雇い入れた、1人も加入させ休むことなく、、2人で、切り回しておりました

 なにかねえ・・・・・・

 

 いまだ、疑問は消えず、膨らんでいくばかりです

 

 

 

 

 

 

 

 


《 リアル 怪事件 ルポ 》 小倉美咲、小学1年生。山梨県道志村オートキャンプ場から「行方不明?」になって、16日目。やっぱり、捜索、打ち切りに。9月21日の怪、いまだ消え去らぬ、不可解な疑惑

2022-04-28 21:04:08 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 【 2020・1・4 掲載記事 】

 ええ~ッと、コレ、昨年の11月末に、ともかく打ち込んでみた。データ原稿にもなっていない、シロモノです。

 この不可解な「事件」。

 いまだにコツコツと追っているのですが・・・・。

 さっき、1月4日。

 北海道の七飯町で起こった、少年の行方不明事件の記事が、急に検索集中。

 また、何か?

 と想ったが、動き、なし。 

 こちらの方は、予測通り、トシを越し、おそらく、永遠に見つかりません、 そう想えることも含め、近日中に、キチンと、まともな、まとまった記事にします。

 その前の、「予告編」みたいなものにと、とりあえず出してみました。

 ご興味ある方だけ、どうぞ。

 読み飛ばしてください

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千葉県成田市に住んでいた、小学1年生の、小倉美咲(おぐら みさき)、7歳が、山梨県道志村のオートキャンプ場付近で、不意に、突然、「行方不明」になって、すでに、本日で、その日も含め、丸2か月が、過ぎ去ろうとしている。

 実は、当初から、不可解極まりない、「行方不明にまつわる 怪事件」だった。

 疑問、噴出の事件、といえばいいか。

 どこまで、本気で助けよう、探そうという気が、あるのだろうか?と・・・・・・。

  まだ、7歳の女児の、命が掛かっている、というのに・・・・・。

 通常、あり得ない、考えられない経緯を、いまだに、たどり続けている。

 このままでは、迷宮入り,永久に、行方不明事件になりそうだ。誰かの、意図通りに、かも・・・・・・・。

 失踪してから、丸7年過ぎると、死亡のような扱いとなり、戸籍に、その旨が、記載され・・・・保険金賭けていた場合には、金銭が支払われる。

  なにより、彼女の両親の、言動が、通常、考えうる、行方不明になった愛児を持つ父母が、すぐさま起こすべき常識の範囲内を、軽~く、逸脱していたのだから。

 ソレが、一般大衆の疑問ともなった。

 なんとも、不思議、不可解、極まりない経緯をたどっていたことに加え、調べていくと、次から次へと、疑問、疑惑が、噴出してくる想いを、抑えることが出来ず。

 ここ1か月半ほど前から、本格的に、取材を、始めた。

 どこも報じていないことが、気になり続けて。

 その過程で、すぐさま判明した、つまらぬ、愚にも付かぬ、コメント群の、誤解も、キチッと指摘もしておかねば、と。

 例えば・・・・熊に襲われ、食べられてしまったんじゃないの? とか。

 あのねえ・・・・

 お馬鹿な、ことを・・・・

 熊は、人間を、食べはしません。脅かし、反撃し、がぶりと、噛みは、します。

 それだけです。そう言う、習性です。

 柿や、果物、魚は、おいしくても、人間の肉はおいしくないようです。

 だから、噛まれて、死に至っても、カラダ、遺体は、残っているはずです。

 イノシシも、同様です。

 先日も、秋田市内で、帰宅するなり、自宅の庭で、アタマを噛まれ。両目を失明した、被害者がいました。

 で、誰もが想った事。

 噛まれたなら、せめて、その足跡、衣服の端切れだけでも、残っているはずなのに、それすらも、無い。、

 取材を始めた、その段階では、「広域範囲を、大規模捜索」中。

 山梨県警、とりわけ、この「事件」の、管轄である、大月警察署内では、「大規模、広域捜索打ち切りの検討」に、そろそろ、入った頃に、差しかかっていた。今、振り返れば・・・・。

 小倉家の、母・とも子。美咲の姉、

 そして、渦中の、いまだ、間もなく、40日も過ぎ去ってゆくにも関わらず、その生死すらわからぬままの、次女・美咲も含め、7家族の父母と、子どもの、計30人が、大型テントを、各自、「椿荘オートキャンプ場」に張り、初日の、週末の土曜日の、9月21日は、各家とも、夜はテント内に就寝。

 翌、22日の日曜日の午後までの2日間を楽しもうという計画・・・・・・・・であった。

  この、ホームページに記載されているように、その名も「椿荘」は、オートキャンプ場のほかに、このように民宿・宿泊施設も常設されていた。

 一連の、女児捜索の

 

 

それが・・・・

 9月21日の、午後3時過ぎ。

 おやつを食べ終えたこどもたち、17人が、広場に駆けていくように遊びに行き、追いかけるように、この女児も、向かった。

  とある番組では、このように、まさに「図式」化。

 それも、正確かどうかは、この、母、

 

 だが、一方で、こと、並行して、水面下で行なうべき、「捜査」は、まったく、行なわれていないフシがのぞいた。

 結果・・・・考えにくいこと、ありえないことが、続出。

 普通の感覚を持った、実母であれば、何を放り出しても、一日どころか、一刻1秒を争う感覚で、公的機関に依頼し、すべてを隠さず、覆いもせず、あからさまに、1分でも早く、公けに向けても、「正直に打ち明け、話す」のが、道理。

 さらに、身長125センチ。体形は・・・・・などと、捜索開始前に、警察担当署員が、事情説明する前に、次女の愛児・美咲の写真を差し出すはず。

 ソレを、まず、捜索してもらうためにも、真っ先にすべきこと。

 ちなみに、7歳。小学1年生で、本当に、その身長であったならば、とても高い背の、大きい子の部類に入る。

 身長の低い子から縦一列に並ぶと、一番最後に位置するくらいの、身長となる。

 文科省などの、1日かけて済む調査を、1週間もかけて、チンタラ、テキト~調査結果でも、7歳、1年生だと、117~121センチが、女子の平均とある。

 この年代は、とりわけ女子は、1年間で、4~5センチ、身長が、ぐんぐん伸びてゆく世代であるとはいえ、失踪した、9月21日、時点で、本当に、そうならば、大柄の背の高い女児というべき。

 いまだ、驚くほど、小さいままの、未来の天皇、悠仁クンに、分けてあげたいほどだ。

 

 捜索するためにも、写真が必要、それも、最新のを、だ。髪型も、身長、体型も、女児は、とりわけ、どんどん、日ごとに変わりゆく時期。

 だから、出来うるならば、当日の、行方不明になった前のシヨットをだ。

 ところが・・・・・。

  母は、出さない,提供していなかった、求めに応じて、差し出してもいなかった。現場に駆けつけている、マスコミに提供はせずとも、捜索隊員には、認知させてしかるべき、最小限度、まず最初にやるべきことなのに・・・・・・。

 そのため、とあるテレビ局のニュースでは、このような、CGで編み出した、正体不明な、ある種、不気味な作画像を出してきたほどだ。

 このことについて、情報や、手掛かりを寄せて欲しいと、ニュースのたびに、テロップとして、出ていた、上記、大月警察署に、問い合わせた。

 その時期、代表番号は、即、情報受付窓口に直結していた。

 ーーースイマセンが、ちょっと、情報を話すのではなく、逆に、質問なのですが、小倉美咲が行方不明になり、翌9月22日、早朝から、大規模、広範囲捜索が始まりましたよね。その際に、小倉家の方から、写真の提供が有り、捜索した署員、消防隊員、その後、続いた、陸上自衛隊員らは、それを見て、記憶にとどめながら、捜索されたんでしょうか?

 「それについては、捜査上の問題に関わりますのでお答え出来ません」

 ん? ん?

 これは・・・・長年の記者経験や、取材体験からして、少なくとも、手元に写真の配布、全くされていなかったなと、判断するほかなかった。

 まさに、捜索隊は、上記、CG子、の漠然たるイメージを浮かべるほか無いまま、捜索していたと想うほか無い。

 ---お忙しいところ、まことに申し訳ありませんが、もう、2,3、端的に、お伺いしたいのですが

 「あのねえ。こちらは、情報を受け付ける所であって、逆に、聞かれるところではないんですよ」

 ---でも、失礼ですけど、確かな、役立つ情報は、今のところ、1本もないと、うかがっておりますが」

 「まあ、そうなんですけどねえ・・・」

 ---では、もうひとつ。あの7歳の女児は、携帯電話、持っていませんでしたか?

 「それがねえ、持っていないと、言ってるんですよ」

 ーーーホントですか?それと

 「もう、いいですか。コレで、切らせてもらいます」

 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

 写真が、

 

  

すでに、7年半も前から、母親の、小倉とも子は、ツィツターを開始し、スマホや、SNSを、巧みに、多用、扱っていた。

 大変な時期のはずなのに、店の宣伝をするわ、白馬に乗って、ボランティアで捜索に参加しにきた人物と馬を、まるで、野次馬の如く、おもしろがって撮影し、インスタグラムにアップするという、信じがたい神経の持ち主。

 

 

 


《 リアル 怪・行方不明事件 ルポ 『第2弾』 2 》 山梨県・オートキャンプ場での、女児。小倉美咲の行方。えっ?  一般普通人が想う&感じることを超えた、事実の積み重ねに・・・・

2022-04-28 21:00:59 | 真偽を求めて・・・こころ旅

 ≪ 2020・9・25 掲載記事 ≫

 ≪ 2020・10・27 再掲載記事 ≫

 ≪ 2020・12・27 再再掲載 ≫

≪ 2021・2・26 追記 ≫ 

 【 2021・3・28 再追記 】

 

初の、「悲劇の、被害者」家族、小倉美咲の両親の、囲み取材。

 地元のマスコミの記者ですら、その姿が、9月22日以降、丸10日間。例え、彼女が、オートキャンプ場にいたとしても、記者会見まで、彼女が、母と気付きもしなかった、勘付きもしなかった女性であった。

 とはいえ、美咲が走り去って行った入り口付近に、このように、翌22日から、立ち入り禁止表示版の仕切りを示し、さらにパトカーも駐車し続けており、取材記者は許可を得なければ、立ち入れないし、入れない。

 その為、母親がその奥に入って、必死に独自に捜索をしていたとするならば、彼女や、父親に当たる人物が、大声を出して叫び続けない限り、その存在や姿に、記者、マスコミは、気付きもしない。

 結果、10日間に渡って、見たことも無い・・・・・ということに、なった可能性も否定できない。

 「第1弾」では、その大事な点を、書き落とした気がしますので、改めて、触れておきます。

 また、時間軸を追ってゆくと、21日の夜更けて、椿荘オートキャンプ場に、パトカーが駆けつけ、寝る前にと、承諾を次々と獲り、一緒にキャンプを、サークルのような形式で楽しんでいた、残る7家族全員に、当時の記憶を詳細に喚起してもらって、事情聴取。

 夜が明けて、取材陣が駆けつける午前中に、すべての家族が車に乗り込んで、脱兎のごとく、去るという、・・・・。

 マスコミに、知られたくない、聴かれたくない、何より、今回の「行方不明事件」に、一切、関わりたくない、疑われたくもない、協力もしたくない・・・・としか思えない、ないないない、7家族、子どもを含めて、30人もの姿勢に、言うべき言葉も無い。 

 そのサークル的な連絡事項も含め、すべてSNS上から、消え去り、証拠を残さないというやり方にも、あぜんとしてしまう。

 そ~ゆ~、人間関係であった、・・・・ということなのであろうか・・・・。

 背筋が、寒い想いがする。

 なお、それら家族の詳細が判明した! とのフレコミの、ネット情報には、触らない方がいい。

 怪しいサイトに、ひきづりこもうという、シロモノが、多く見られたので、注意喚起を促して置きます。

 こちら、ダメ元で、大月警察署の捜査&捜索幹部に、それら参加家族の連絡先を聞いてみたが、

 「個人情報ですから」と、軽~く一蹴された。

 

  囲み取材。

 なにゆえか、事前に、しっかり、この場で、記者たちから質問されまくって、こころ乱さぬようにということか、ち密に書かれていた、長文を、淡々と、読み進めてゆく姿や、

  目に、指先を持ってゆく仕草に

 違和感を越えたものが、ネット上で、飛び交った。

 あの、一部、話題を呼んだ、「白馬」の、インスタグラム写真掲載については、

 「美咲が、お馬さんが、好きだったので、美咲、お馬さんも探してくれているのよ、という意味で出したんです」とのこと。

  さらに、やはり、顔写真撮影拒否の末の、父・小倉雅(まさし)の、取材対応の姿に、視聴者からは、違和感と、衝撃が生まれた。

  取材開始前に、父・小倉雅は、撮影をしようとする記者団に向けてこのように、説明したと、参集した記者にきいた。

 わたくしは、会社員をしておりまして、顔が出ることによって、会社や、取引先や、関係先に、迷惑をかけ、誤解を生む可能性もございますので、撮影は、ご容赦ください、よろしいですか?

 ・・・・ソレに対して、その場で、誰一人として、内心は別にして、異を唱え、反対を、あるいは拒否を表明する者は、1人もいなかった・・・という。

 かくて、このようになった次第。

 コレが、思わぬ、波紋を呼んだ

 とりわけ、ネット族には、とんでもない、推理&推測、邪推が、飛び交った。

 断わっておきます。

 彼、小倉雅は、本当に会社員です。

 会社は千葉県内にあり、彼自身は、その成田支社に勤務。

 会社の職種、彼の部署、仕事内容は、あえて、書きません。

 とはいえ、上記、囲みに参加出来なかった者としては、、「迷惑をかける」という言葉の真意を聞きただしかった。

 で・・・・・聞いた。 

 残念なことに、平日にも、関わらず、彼、小倉雅は、休みをとっていた。 明日は、出社するとのこと。

 ならばと、上司にあたる方に聞いてみた。

 9月21日。娘が居なくなったのにもかかわらず、一緒にキャンプに行かないばかりか、仕事の都合で、車を飛ばしても、夜遅くにキャンプ場に着いたという、真偽について。

 「ああ、あの日は、土曜日ではありましたが、全員が夕方までに仕事を各々終えたあと、県内職員全員の全体会議が、定例で、本社であった日だったんですよ。絶対に、抜けられないという、重要な定例会議でしてね」

 「彼も、それに出て、終えてから、、おそらく、山梨の方に向かった・・と、聴いております」、

 ーーーわかりました。ありがとうございます。それで、あの、「迷惑」の、彼としての真意を、推し測ると。 

 「彼の御家族の問題ですからねえ。あくまで、個人の感覚、受けとめかたの問題と、とらえておりますが、会社としての迷惑などは、正直言ってございませんでした」

 「しかし、彼自身がそう、とらえているんでしたら、それはそれでいいと」

 「取引先へ迷惑かける、という受け止め方も、同様です」

 「出る、取材を受ける・・・にあたって、別に会社に、事前に相談とかは無かったように、記憶しております」

 捜索に、小倉雅も、参加しているはずですという。

 特に、55万枚も印刷したと言われているチラシを、道の駅や、JR、及び私鉄駅、キャンプ場などで、週末や祭日、休日に、配布していた活動には、

 「知られてはおりませんが、当社の社員も、延べにして、これまで、およそ、200人から、300人ほどが、参加して、手伝っております」

 どうしても、母だけが、クローズアップされ、大手マスコミに、『悲劇の渦中にいる、母親』として目立っているために、取材に行った者も、ココだけに、集中。 

 ネット上を検索しまくると、小倉雅とおぼしき写真が見い出せるうえ、披露宴の写真まで、流布されているが、見かけるだけで、さほど、強い印象が残らなかったために、私でさえ、チラシ配りに参加していたとは、気付かなかった。

 むろん、気付いて、写真撮影していたとしても、当人のかたくなな拒否の現実の中、掲載出来るわけもない。

 にしても・・・・・

 さまざまな、私的な噂も、流布され、取材を積み重ねていく中で、ウソと斬って捨てるには・・・・・というものもあった。

 思い切って聞いてみた。

 --実は・・・、小倉さんご夫婦、別居なさっているのではないか?というハナシがあるのですが?

 「う~ん・・・知っていても、ソレだけは、言えないということも、有りますよねえ・・・・」

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 翌日。 小倉雅のところに、電話を入れてみた。

 出社は、していた。

 昨日とは一転。 受付の女性は、かたくなになっていた。

 雅に、事情を話していたようだ。

 「あのう、お得意様や、顧客の方でございましょうか?」

 ーーーいえ。小倉さんに、お聞きいたしたいことが、ございまして」

 「お仕事,以外のことでしょうか?」

ーーー そうなんですが・・・

 「それでしたら、取り次ぐことが、出来ません。失礼させて、戴きます」

 カチャリ、・・・と、きれた。

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

 このような、現実の中、美咲は、どこにいるのか、はたまた、いないのか。

 限り無く、いとしいであろう、孫娘について、昨年の末前。小倉とも子の、実の母にハナシをきいてみた。

 とも子は、千葉県内に建つ寺院の娘として、育っていた。 母は、健在であった。

 ーーーお忙しい所、申し訳ございません。孫の、美咲ちゃんについて、今、どんなお気持ちで、いらっしゃいますか?

 「どんな・・・って・・・・。あのねえ、私が、いろいろと、話してしまうと、ちょっと、イロイロと問題が出来てしまうことに、なりかねないので・・・・申し訳ないんですが・・・・・」

 ---その、「いろいろ」を、お聞きしたいのですが、そちらに、お話し願いたいのですが

 「あんまり、ハナシしちゃ、いけないのでねえ。。」

 ---いなくなって、もう、すでに、2か月半ほどですよねえ。心配で、夜も眠れないとか、ございませんか?

 「それもねえ。。。いろいろと、そちらは、お聞きしたいんでしょうけれど・・・」

 「差し障りも、出て来てしまいそうでねえ・・・・・」

 お寺、だからではないが、まるで、禅問答。 

ごく、自然に、心配で心配で、しばらくは、夜もロクに眠れず、食事も、のどを通らない日が続きましてねえ・・あの子の身を案じて・・・・というような、滑り出しを予想していたのだが、

 まったく、違った。

 心配、眠れない、という、単語も、出てこなかった。

 聞くと、どうも、山梨県の、椿荘オートキャンプ場にも、一度も、行ってなさそうな雰囲気に・・・・・

 う~ん、

 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

アカの他人ではあるモノの、突如として、行方不明になった、女児の、行く末、救出劇を待ち焦がれていたのは、キャンプ場の主、「椿荘」の、女将では、なかったろうか・・・。

 9月22日以降、詰め掛ける、取材陣に、自衛隊、警察、消防団と、雑多入り乱れ、宿泊どころか、オートキャンプ場は事実上、閉鎖。皆、泊まらず、引き揚げる。

 「もうねえ・・・予約いただいていた、お客様には、こちから、全部、ひとつ、ひとつ、連絡を入れましてねえ・・・申し訳ないのですが、予約をキャンセルさせてくださいと、お願いしましてねえ・・・」 

 その、一大騒動で、秋の行楽の半月あまりの、一大損失。

 その後、時折り、風雨が襲ってはいたものの、客からのキャンセルではない。

 「小倉さま、ご夫婦、御家族は、どこにお泊りだったのか、わかりませんし、、どこか、別のところに、いらしたのか、成田から、車で、通ってきてらしたのか・・・・分かりません」

 やがて、夫婦の囲み会見を受けて、わずか、数日後、大規模捜索打ち切り発表の記者会見が、

  珍しいことに、大月警察署の署長自ら、お出ましになって、キャンプ場で、敢行された。

 聴けば、これで、この後、退官する予定だという。

 全国向け放送、最期の花舞台ともなった。

 それが、10月初旬。

 潮が引くように、マスコミも、野次馬も、捜索隊も、自称ボランティアも、去って行ったが、椿荘オートキャンプ場に、秋風吹きまくり、観光客は、来ず。

 「そろそろ、始めないといけないとは、想っているんですけどねえ・・・」

 「ありがたいことに、お馴染みの、古くからの、お客様たちが,ポツリポツリと、予約を入れて下さっては、いる所なんですけどねえ…」

 「小倉さん御家族ですか? 行方不明以来、お忙しいんでしょうけれど、ご挨拶一つ、電話1本、下さらないままですねえ・・・・・はい・・・・・」、

 ≪ 第2弾 2 おわり ≫

 

 

 

 

 

 


《 リアル 怪・行方不明事件 ルポ 2 第1弾 》 小倉美咲、現在8歳。山梨県の、オートキャンプ場から、アッという間に行方不明になって、丸1年目を過ぎても、いまだ残る深い闇と謎

2022-04-27 02:05:57 | 報道現場の、実態

≪ 2020・9・24 掲載記事 ≫

 【 2020・10・27 再掲載 】

 この、表題の、当時7歳の小学1年生女子生徒の、行方不明事件。

 おそらくですが・・・・・多くの読者が、待ち焦がれていた記事になっているか、どうか・・・・

 決して、わたし、おごり、たかぶっているわけではなくて・・・

 今年正月明け、「データ原稿」にもなっていないシロモノを、えいっ!と、世に投げ出したものの、

 さて、と、その後も、取材をゆるゆると、続行、積み重ね。

 ソレを、まるで察知したかのように、こんにちに至るまで、その後、どうなっているんだ?

 調べたんだったら、まとまったもの、キチンと出せよ!と、言わんばかりに、「小倉美咲」「山梨・行方不明」などという単語で、長く、検索及び、打診が続いていました。

 とりわけ、この9月21日。

 行方不明から、丸1周年にあたり、セレモニー的イベントが、母親が来て、キャンプ場界隈で、実施されていたのは、予想通り。

 そして、見つかりもしないのも、予想通り。、

 この1年、不可解な捜索活動に対し、なにか、母が犯人だなどという、ひぼーチューショーとか、出てたりなんかして・・・。

 おまけに、この手の綿密取材記事が、得意なトコロから、雑誌も含めて、1本も表面化せず。

 ど~ゆ~こっちゃ?と。

 こりゃあ、自分が、出さざるを得ないかなあ?というところに、行きついた次第です。

 かと言って、コレ、「決定版」みたいなものではないことを、ご承知おきください。

 とはいっても、「新事実」は、随所に、もぐり込ませて、おります。

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 んんん・・・・・なんと、言えば良いのであろうか・・・・・

 不思議、不可解、基本的疑問,次々と湧きあがり、ソレ消え去らない「行方不明さ」と言えば良いのであろうか・・・・

 そう。丁度、1年が過ぎ去った、2019年9月21日、週末の土曜日、午後4時前後。

 まだ、陽が照っていた。

 雨も降らず、風も強く無く、ましてや、台風も襲っていない、行楽、秋日和。

 すでに、これを読まれる方は、御存知ですよね。

 当時、小倉美咲(みさき)という名前の、千葉県成田市に住んでいた、女児が、

 母親、姉ら、3人で、成田駅にほど近い、自宅兼お店の前から、車で出かけた。

 その山梨県道志村(どうしむら)にある、「椿荘オートキャンプ場」で、突如、次女の、姿が消え去ったこと。

 以来・・・・月日は、流れ流れて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 

 小倉家とともに、当時、現地、集合したのは、他に、17人もの子ども含めて、7家族、30人。

 成田市に住む、小倉家と普段から、直接親しい付き合いを重ねてきた家族ではなく、ネットなどを通じて、集った家族。

  美咲が、所在不明になったのち、公表されぬその段階では、まだ氏名公表されていない、その母は、捜索していた・・・・と、思われる。

 当時の記録によれば、当日、見つからないことにより、陽がとっぷりと暮れ、先がまったく見通せなくなった夜になって、110番し、次女が、行方不明であることを、告げている。

 すぐ、4時に、警察へ通報はしていない。

 地元を管轄する大月警察署は、同日、すぐさま、事情を聞いたのち、日を改め、消防署員、自衛隊員などとともに、翌朝,から、捜索を開始。

 嗅覚、鋭い、警察犬まで、駆り出している。

 

  、この道志村。空撮すると、このように、うっそうと茂った林で、埋め尽くされ、捜索は困難を極めそう・・・・・と、思い込んでも、仕方ない地形。

 ところが、ココ。

  この「椿荘 オートキャンプ場」も 含め、他にいくつか、キャンプ場が点在しているのだが、陽射しも注ぎ、道路は、幅は広い、狭い、さまざまあるものの、東西南北、どこへでも、車、自転車やバイクが、国道、県道、市道、村道へと、容易に走り抜けられるように整備されており、交通至便。

 もろに、安心して、キャンプ経験が少ないヒトでも、気軽に、楽しめるところ。ファーミリー向けでもある。

 なにより、戦後、この地のキャンプ場、近隣の行楽ポイントで、現在に至るまで、今回のように、子どもはおろか、オトナも含め、ただの1人も,行方不明になった人は、1人もいないところなのだ。

  車だけで、テント無し、身一つで行っても、このように、「椿荘」に、宿泊も可能。

 この「椿荘 オートキャンプ場」に行って、楽しんできた経験のある人が、実は、私の知り合いにも、偶然おり、取材した人も含め、「あそこで、行方不明になるなんて、例え、子どもだとしても、考えられない」と、言う。

 そう言うトコロでの「行方不明」で、あった。

 もちろん、今まで無かったから、今も、今後も、起こらない、ということではない・・・・にしろ・・・・。

 実際、取材過程の中で、椿荘の女将にも、経緯と、ハナシを聞いたのだが

 「これまで、ココで、行方不明、行方知れずで、いなくなった人など、今まで、お1人もおりません。ですから、私たちも、どうして? なんでだろう? と、当惑しておりました」と。

 地元山梨県の、テレビ局、や、新聞など、県内に点在している支局含め、マスコミに、幹事社を通じて、1人の女児が、行方不明になっており、捜索していると、通知が県警より、あったのが、翌日22日、日曜日の、午前。

 椿荘オートキャンプ場に、マスコミが、三々五々、集結したのが、その、お昼過ぎであった。

 現地に向かいながらも、まあ、そう遠くない時期に、見つかるであろうという、意識があったことは、取材した記者たちも、否定しなかった。 

ところが、行ってみたところ、我が子を捜していそうな、母親どころか、父親も、姉らしき人物、そのものがまったく、見当たらず。

 それだけじゃない、上記、子どもも含む、30人もの家族が、1人も見当たらず。

 「おかしいなあ・・・と、素直に想いましたよ」と、地元の記者。

 いたのは、制服を身にまとった、警察、自衛隊など、捜索隊だけ。

 あの、北海道七飯町で、実は、置き去りにされた男児の捜索の時でさえ、マスコミに絶対に顔を知られたくないようだった、母でさえ、道路わきの林の中に入り込んで、悲痛な声で、子どもの名前を呼びかけていたのが、見えたし、その声がマスコミに聴こえていたというのに・・・・。 

 それをしている親すら、まったく、無かったという。

 総力を挙げて捜索・・・・・のはずなのに、なぜか、見つからず。手がかりすら、見つからず。

 当の家族らしきものも、見えず。

 不思議な事件のスタートとなった。

 取材陣は、記者交代しながら、次第に、縮小体勢になり、人員、日替わり交代に。 

 そのうち、被害者家族の母と思われる女性のSNSから、「白馬の画像」が流布され、必死さの感情に疑いを感じる者も出始めたり、あきれる者も出る流れに。

 にしても、写真が、マスコミ陣に、配布されないし、「データ原稿紛い」にも出したが、当の、捜索陣にすら、配布、掲示されないまま、日が過ぎ去っていった。

 出ている情報は小倉美咲という氏名と、小学1年生にしては、生育良い、身長126センチというものだけ。

 なかば、正体不明、詳細不明。おぼろげ、おぼろげなまま。

 捜査&捜索担当の、大月警察署幹部に、直撃した。

 --- 大変失礼なんですが、本当に行方不明 なんですよね? また、本当に、家族以外に、30人もの家族、キャンプに来ていたんですか? 

 「そうですよ。ソレは、間違いありません。それ以上は、捜査上の問題も有り、詳しくは申し上げられませんが・・・」

 ---もちろん、行方不明になった時の事情も、その時にいた、子どもさんたちの見た目も含め、親である大人たちにも、事情聴取、全員になさっている・・・わけですよね?

 「それは、もちろんです。全員にして、すでに終えております」

 ---そこから、手掛かりになるモノは、無かった?

 「残念ながら・・・・そういうことです」

 ---本当ですか・・・・。さらに、お聞きしますが、証拠収集ではないにしろ、各家族の、車に搭載されていた場合のドライブ・レコーダーも、ご覧になった? 

「まあ、そうですね。家族の協力を得てですね。むろん、小倉家のも?、そうです、含めてです」

 ---それでも、出てこない? 手がかり、引っ掛かりが、捜査のプロから見てもですか?

 「残念ですが・・・・」

 ---スイマセン。もう一つ、お伺いしときたいんですが、写真、小倉美咲の。公開しないままでしたよね、かなり、しばらくの間。アレは・・・家族が出さなかった? 

 「家族の意向ということは、むろん、有りました。

 ですが、コチラの捜査の観点からも、しばらく、非公開でいこうと。というのは、もし、道路上で、被害者をさらった者がいたとした場合、写真が公開されたとたん、ヤバイ!と想い、さらなる犯行に及ぶ、ということも、考えられましたので」、

 「捜査上のこともありますので。もう、よろしいですか」

 ---もう、ひとつ、ひとつだけ。あそこから、あらゆる地域へ抜けられる、道路上に設置してある、防犯カメラ。見ましたか?観ても、それらしき、女児は、映りこんでいなかったと?

 「・・・・そうです。映像には、少なくとも、ソレは、見えませんでした」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 行方知れずから、丸10日になって、やっと、女児の写真がマスコミを通じて、公開されはした。

  だが。。。。。すでに、時遅し。

 気遣い、心配し、1時間でも早くと、救出願い、その推移を案じていた、庶民の関心は、すでに、遠のき始めていた。

 母と思われる人物の、SNSの、7年前からの多用によって、ネット上を軸に、違和感が、爆発的に、疑義となって膨らんでいた。

 ソコに、一刻も早く救出を!お願い!という、想いが滲む必死さ が、まったく、感じられなかった。残念なことではあるが・・・・・。

 時おかずして、追いかけるかのように、今度は、ようやく、

  行方不明になったという日というフレコミの、切り取り、写真が公開された。だが、ソレはなぜか母が撮影したモノではないという。

 あれだけ、経営している御店の宣伝を軸に、巧みに、カメラ機能を多用している人物が、当日の行楽に、所持もせず、、撮影もせず?

  おまけに、モザイクが、なぜか、キレイに入った処理の末のカットを、提供という・・・・・。

 不思議さが、残ってゆく。

 やること、なすこと、逆。

 見せるモノ、隠すモノ。どうしても、計算が匂ってならかった・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ある種、待望の、両親の記者会見が、囲みの形で、やっと実現した。

 そのニュースを、テレビで鑑賞。

 母、小倉とも子、登場。37歳。

 左隣の男性は、警察の職員では無く、その月の、マスコミの幹事社の担当記者。

  自分の口から、行方不明の事情や、もっかの切なる想いを、駆けつけ集結した記者団の前で、ナマで訴えはしたのだが・・・・。

 なんと、事前に文書にしたものを、読み上げていった。

  えっ?

    それが、コレ。

  あぜん、と・・・・・・・するほかなかった。

 ≪ 第1弾 おわり ≫

 

 

 

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<リアル 芸能 ルポ> 山本圭さんの死去に寄せて(1) フジテレビ開局55周年記念連続ドラマ「若者たち 2014」の背景と、田中邦衛、山内久、森川時久、吉永小百合、清水邦夫、倉本聰、杉田成道、秘話

2022-04-26 13:52:55 | テレビ番組

 2022年3月31日、午前9時30分

 名優・山本圭が、肺炎で、埼玉県の病院で、死去

 ほぼ1か月後の,翌4月25日、所属事務所から、その訃報が、公表された

 あああ・・・・・ すでに、81歳になっていたとはいえ

 この4月、CSで、映画「若者たち」3部作が、放映されており、しっかり、見とどけた。

 記事に入れたが、かつて、その映画が、再上映に至った時、山本圭さんに、俳優座の中にある、喫茶店で、インタビューさせていただいた

 その折も、映画で見せていた、まなざしが、きらめいていたことが、今も印象に残っている。

 一期一会になってしまったが、その後、脚本家の山内久さんが死去。

 その葬儀に行った際、すでに、山本圭さんが参列し、帰っていったことを聞かされた。

 訃報の記事の中にある、畑正憲の番組の、ナレーションを担当していたことは、まったく知らなかった。

 ムツゴロウ王国

 本当の実態と全く違うし、畑の実像、全然、報道された人と違うし・・・ 

 批判する記事も書かなかったけれど、番組、見る気もなかったので。

 それにしても・・・・

 山本圭さん

 コメント見ても,印象深いセリフ,クチにしていたんだなあ・・

 女流棋士であった、妻の、小川誠子(ともこ)さんも、何と、3年前に、68歳の若さで他界していたことも、本日、知った。

 以下の記事。

 フジテレビ商法の実態を指摘しつつ、秘話も、散りばめておりますので、興味ある方、改めて、連載も含め、お読みください

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 <2014・8・6 掲載>

 ≪ 2015・10・16 再掲載 ≫

 【 2021・4・17 再々掲載 】

 鳴り物入りで始めたこのドラマは、まぎれも無い「超愚作」だ!

 このテレビドラマを創っているスタッフにすれば、「ひど~い!」と叫ぶかもしれぬ。

 だが、その事実は、ものの見事に視聴率に、ハッキリ現われ、実証された。

 すでにこの「若者たち 2014」を見た方は、ご存じだろう。

 第1回こそ、12・7%であったが、以降、第2回は、一気に7・8%に落ち込み、続く第3回も同じ7・8%と低迷。

 そして、この7月30日(水)の第4回に至っては、ついに7・3%にまで墜落。

 いずれも、ビデオリサーチの「関東地区」という区切りではあるが、この手のドラマ、関西地区でそれより数字が上だったら、フジテレビはこれ見よがしに知らせるのが、通例。

 さらに、関西の方が数字上回るドラマは、過去において、極めてまれであることを、申し添えて置く。

 この、8月6日には、6%台に突入か!?と、囁かれている。

 このドラマ。今を去ること、48年も前の、日本のテレビドラマ史上、燦然と輝く、「若者たち」のリメイク。

 の、はずだった。

 「原案」として、名前がクレジットされている、森川時久のもとに、フジテレビから連絡があったのは、「約1年前だった」と言う。

 「若者たち」をリメイクしたいと言う申し出。

 「企画を立ててみたんですが、もう1回、アレをやりたいという思いがありまして。やっていいですか?と」

 まったくの企画の始めの段階から、話しがあった。そうして、少しずつカタチが見え始め、約3か月で正式に企画がまとまり、スタートしたとのこと。

 現在85歳の森川。48年前、このテレビドラマの、メインの社員ディレクターとして、北田親友、戸崎春雄という2人を率いて、熱くほとばしり出る想いを胸に、この傑作を次々と世に放った。

 全34作。その中には、33作目の「さよなら」のように、在日朝鮮人を見つめる日本人に横たわる差別意識に斬り込んだものもあった。

 しかし、この「さよなら」は、放送中止に追い込まれ、そのタイトルが暗示したかのように、次の34作目で、放送を終えさせられた。

 そのくせ、この辺りがフジテレビの、金儲けとなれば、節操のカケラも無く、汚いところだが、今から6年前、開局50周年記念と銘打って、放送中止にした「さよなら」も入れ込んだ高額のDVDボックスを発売していた。

 だが、そんな節操の無い物を買う必要は、無い。

 現在、CS、ケーブルテレビのフジ系で、この34作を毎週1作目から、4~5作品づつを放送中。

 お蔵入りとなった「さよなら」も、今月末に放送され、9月には、映画「若者たち」三部作も放映されるようだ。

 ちなみに、この名作が放送された昭和41年。テレビ局だけではなく、映画界でも、政治的な関わりを持つ描写をぶっ潰す動きが、製作現場に押し寄せていてた。

 「愛と死の記録」という映画が、公開された。

 主演は、渡哲也と、吉永小百合。当初は、浜田光夫が出る予定だったが、名古屋でケンカのとばっちりを受け、右目を負傷。失明の恐れもある、重傷となった。

 急きょ、代役に抜擢されたのが渡哲也であった。その共演をキッカケに、2人は激しい恋に落ち、真剣に結婚を考えるまでの仲になった。

 その映画。幼い頃、広島で被爆した青年が、恋に落ちる。しかし、日々、原爆症の症状が、体に出始め、彼女との結婚をあきらめ、別離を告げる。

 やがて、被爆青年は、死を迎える。ソレを知った彼女は、青年の死後、初七日の日。自ら、命を絶つ・・・・・・。

 実話だという。

 その映画が完成した。

 ところが、映画会社の幹部が、試写を見終えて、とんでもないことを言い出した。

 「原爆ドームを入れ込んだカットや、ケロイドの顔が写っているところも、全部削るように」

 偶然にも、今日、8月6日は、広島に原爆が落とされた日。落として大量殺りくをした国の大使が、いけしゃあしゃあと式典に出る。

 この狂ったおかしな現実。いまだ、アメリカの属国でしかない、ニッポン。

 主演した吉永小百合は、自書「夢一途」で、こう訴えている。

 < 信じられません。原爆をテーマにした映画を作っていて、何故原爆ドームがいけないのでしょうか。ケロイドの顔を、拒否するのでしょうか。

 原爆という忌まわしいものを浴びたのは、日本人ーー広島と、長崎の人たちだけなのです。

 その事実を直視したうえで、一つの恋愛映画が、出来上がったのです。どうして、隠さなければいけないのでしょうか。

 偉い方の、個人的な考え方なのでしょうか。それとも、もっと上の偉い方の見解なのでしょうか。

 茫然としたまま、試写室を出ました。スタッフの人達や渡さんと、言葉もなく、芝生に座り込んでしまいました。

 数日後に行なわれた初号試写では、ケロイドが映る部分と、原爆ドームの全景のいずれもが、無くなっていました。

 そして、カットされたまま、公開されていきました >

 歪んだ自主規制は、すでに半世紀も前から、じわじわと、製作現場に忍び寄っていた。

 背筋が凍る想いがするのは、私の思い過ごしだろうか・・・・

 そののち、この「若者たち」は、単なるテレビドラマの枠を越えて、支持、支援されていき、やがて、劇団・俳優座が中心となり、映画化へと、その輪は結実していった。

 いわゆる「若者たち」三部作だ。

Dscf7123 これは、私の手元にあり、貼り付けてある、ポスターだ。

 実は私、かつて、この「若者たち」三部作の再上映運動に加わったことがある。

 先の森川時久、脚本家の山内久(やまのうち・ひさし)、俳優の山本圭、橋本功ら、多くのスタッフ&キャストにインタビューもさせて戴いた想い出もある。

 いくつか、記事にもした。

 その折、製作撮影時。とんでもない俳優自身の「持ち出し」にも似た厳しい条件下での撮影だったけれど、もう1度、皆が集まって、お互い年は重ねたけれど、「今」の「若者たち」が創れるなら、スケジュールさえ合えば、参加しても良いという声が、俳優から多く寄せられた。

 しかし、たった1人、拒否した出演俳優がいた。

 佐藤太郎役、大兄ぃ(おおにぃ)の田中邦衛であった。

 「もう、あんなキツイ仕事は、したかねえよ! カネもらっても、嫌だ!」が、第一声だったという。

 「大兄ぃが出ないんじゃ、このハナシは、成り立たないよねえ・・・。とても、残念だけれど」

 そう言って、サブ兄ぃ役の山本圭は、苦笑していた。

 本当に、残念そうな想いが、伝わってきた。

 素顔も、とてもいい人だった。

 その後、ホントに、今の時代を撃ち抜き、活写するであろう「若者たち」は、創ることが出来なくなってしまった。

 2000年。今を去る事、14年前の冬。

 次郎兄ィの橋本功(いさお)が、まだ58歳の若さで食道ガンで、あっけなくこの世を去った。

 千葉県下の小さな葬儀場で、ひっそりと通夜・告別式が兄妹・親族によって、執り行われた。橋本は、当時、独り身であった。

 「若者たち」の共演者や、メインスタッフからは、花輪が送られ、飾られていたが、その後の共演者も含め、参列したのは森川時久と、山内久。そして岸部一徳だけであった。

 岸部は、あえて目立たぬようにしていた。御出棺の際には、はるか隅に立ち続け、深く深く頭を下げ、手を合わせていた。

 橋本と、どのような心通わす仲であったのか、岸部は一切、語ろうとしなかった。

 だが、その人柄が、充分にしのばれる、鮮やかな冬の光景だった。

 サブ兄ィが、大兄ぃとの取っ組み合いの喧嘩の末に、ストーブの中に、この日もらったアルバイト代のお札を投げ入れて放ったセリフ。

 「カネより強いんだ! 人間は! こんなちっぽけなカネなんかより・・・。これは紙だ。ただの紙だ!」

 そこに静かに忍び入る、佐藤勝(まさる)作曲のテーマ・ミュージック。

 もう、「若者たち」の最高のシーンと言い切っていいだろう。

 そんなセリフが、長男役の妻夫木聡の、ど~でもいいシーンで、飛び出した。

 見ていて、あきれた。あきれはてる他、無かった。なんの、意味も無かった。名作のセリフのパクリ。愚弄していた。

 結局、この「2014」年版は、名作に、ひさし、軒先だけを借りた、まさに「換骨奪胎」のシロモノでしかなかった。

 玄関に入れる仕上がり・完成度はなく、家の前で土砂降りの雨に打たれ、いまや、「出てけ!」「入るな!」「入る資格無い、ねつ造野郎!」「能無し!」と、石つぶてを、投げつけられている、視聴率状態。

 リメイクと言いながら、模したのは、古い日本家屋に住む、5人兄妹ということだけ。

 それ自体、すでに無理な設定。

 この2014年に、いくら部屋代が浮き、寝られる、食べられるという理屈は成り立つにせよ、5人が住むということ自体、そもそも違和感が生じる。

 コレ、多くの見た人に聞いたが、全員がクチにしていた。

 そして、怒鳴り合い。

 もう、無意味、意味の無いバカ叫び。

 かつての「若者たち」では、実は、先のサブがお金を燃やす際の喧嘩など、怒鳴り合いシーンは少ない。

 その「2014」版では、極めて個人的なコトばかりで、物語が進む。

 生きて居れば、否応も無く、社会に関わらざるを得ないはずなのに、その背景が、カケラも描かれていない。それが、すでに「若者たち」を冠にする意味合いが、無い。

 例えば、48年前以上に、格差社会が深く広がりを見せている。

 親会社。下請け。さらに、孫請けに、ひ孫請け。

 正社員に、非正規雇用。アルバイトに、パート・タイマー。仕事内容は同じなのに、確実に手取りに差がある。

 世に、「ブラック企業」なる、搾取企業も増殖。

 大学も様変わり。少子化により、大學も受かりやすくなり、学校・老人施設は、統廃合が進み、人々は、日ごとに、見捨てられていっている。

 そのような、背景が、5人にまったく浮かび上がって来ない。

 リアリティが、まったく無い、絵空事物語。

 学生運動、組合問題。第一組合。第二組合。そういう、人をいとも簡単に押しつぶそうという、歪んだ社会の構造が、クッキリと浮かび上がって来たからこそ、「若者たち」は、熱い支持を受けた。

 テレビドラマ、草創期とはいえ、ソレが他の作りもののドラマと、ハッキリ一線を画していたからこそ、というのに・・・・・・

 不倫、妊娠、出産。ただの喜怒哀楽、個人的感情と、恨みつらみだけの、ケンカと言い合い。

 くっだらねえ! 「2014」版。汚れ、すすけてゆく「若者たち」の誇り輝く看板。

 「2014」で、出てきたキャバクラ嬢

 生活のために夜も働く。それへの、職種偏見。それは、いい。だが、今のキャバクラが書き込まれていない、背景に滲まない。

 一見、ネオンサインきらめく、見た目、華やかキャバクラ店。

 1か月に200万円稼ぐコもいるなんて、大ぼら、ウソのあおり報道。

 実際は、1分、お店に入るの遅刻したら、2時間分の時間給が、その月から引かれる。

 1日ずる休みすると、1週間分の稼ぎが手取りから引かれる。お店で身にまとうドレスの、目ん玉飛び出る、法外なレンタル代。

 もともと、風俗に勤める男女の殆んどが、時間にルーズなために、始まった締め付けなのだが、気付いてみれば、給料日、1円ももらえないどころか、借金がとめどなく膨らみ、AVや、売春に丸投げされ、腰と膣フル回転させて、稼いで返すハメ破目に堕ちる。

 そんな”厳実”、チラリとも出ない。

 2014年の今を、書き込む、書き入れる気が、ハナっから無いのだ

 武藤将吾。この超愚作を書いている脚本家だ。どうやら、家庭を築いている、若くして「メタボ体型」の男のようだ。

 この原稿を打つまで、まったく知らないシナリオ・ライターだった。

 検索してみると、映画「テルマエ・ロマエ」や、「クローズZERO」を書いている。

 なるほど、架空の絵空事面白物語は書けても、足と目と耳を駆使して、丹念に調べて構成していくシナリオは、不得手なのだろう。

 当初、この人物は基本的な文章作法すら知らないのかなあと、驚いた。

 今も検索すれば、読めると思うが、リレー日記的なモノが載っていた。彼個人のブログでは無いし、シナリオと違い、横書きとはいえ、書き出しの一角(1文字)開けの常識も知らないのか、ドシロートのように、文字、ただびっしり連なっているだけ。

 内容も、キレも面白さも、何一つ無し。

 ただただ、ダラダラ、だらだら・・・・・・。

 これで、本当に脚本家かよ?と、あきれ果てた。ため息、ついた。これじゃあ、超愚作しか、書けないよなあ・・・・・・

 48年前の「若者たち」は、山内久(やまのうち・ひさし)をメインに、彼の妻であり、小津安二郎監督の脚本を書いた野田高梧の娘の立原りゅう、早坂暁(ぎょう)、清水邦夫、大野靖子、布施博一ら、実力溢れる書き手がズラリ。

 競う様に、素晴らしい脚本を書き上げていった。

 ウィキペディアによれば、全13名しか出ていないが、実際には助手的存在の書き手も入れ、20名近くに達している。

 それぞれが、熱く燃えるような想いを胸に秘めて書いていたのは、そのシナリオを手にすれば、よく分かるはずだ。

 「2014」の製作スタッフの冒頭に出てくる、その名も「原案」として顔を出す、山内久。

 この作品だけでなく、映画ファンなら誰もが知っている「幕末太陽傳」「私が棄てた女」「朝やけの詩」「豚と軍艦」「わが青春のとき」「アッシィたちの街」、そして「聖職の碑」など、傑作を残している。

 その山内、愛称久(きゅう)さんが、こんな愚にも付かないホンを見て、「原案」者として、納得しているのだろうか?

 1作目を見て、疑問が湧き上がった。

 身体は細いが、芯のある人。書きあげたホンには、揺るぎの無いモノがあった。

 かつて、インタビューは、神奈川県の逗子にあるご自宅へとお伺いして行なった。

 訪れた時には、まだ陽があったが、辞す時には、とっぷりと暮れていた。

 格子戸、石畳、など、まるで古都の家屋のようなたたずまいを、今も想い起こす。

 広い畳部屋での、インタビュー。心から、楽しいひとときを過ごした。

 その後、偶然、新宿で車走行中の時に雑踏の中にいるのをお見かけし、新宿駅までお送りしたり、近況を知りたく、電話を2度ほどかけさせて戴いた。

 なかなか、書き上げた脚本はあるものの、映画化されないこと、頓挫、たびたび。

 今の娯楽映画全盛の時代、鋭い社会性を持った脚本は、芯を取り除かないと、受け入れらないようだった。

 次に電話した時には、妻の身体の具合があまり良くないようなことを、ポツリポツリとお話しされていた。

 それが、10年ほど前であったろうか・・・・

 ココ近年、雑誌「シナリオ」誌上で、夫婦が手掛けた作品を語り尽くす「聞き書き」連載があった。

 しかし、時折り、連載が途絶えていたので、相当病状がおもわしくないのかなあと思っていたら、年前の2月27日、突然の訃報が。

 奥様の立原りゅう、本名・山内玲子が、肺炎で亡くなったとの報道。3月4日に逗子市内で、告別式が執り行われた。

 だが、喪主が置かれていなかった。

 んん!? 

 今回、「2014」について感想と、「原案」のいきさつについて聞こうと連絡をとったところ、なんと「この電話は、現在、使われておりません」コール。

 さまざま、調べたところ、以下のような近況が判明。

 この4~5年前、夫婦共に、相模原市と思われる総合病院へと入院。どのような経緯があったのか。子供がいなかった山内夫妻は、先の聞き書きの聞き手でもあった、脚本家・渡辺千明(64歳)と養子縁組、

 そして、2年5か月前の、妻・玲子の告別式は、渡辺千明が取り仕切った。

 なんと、葬儀会場に、山内久の姿は無かったという

 車いすでも、長い間連れ添った愛妻との、最期のお別れに、来たくても来られない身体。

 聞けば、痴呆の症状も、かなり進行しているらしい・・・・・。

 それでも、ドコをどうしたものか、「原案」の看板を掲げることにこぎつけた。

 それも、タダで!

 「原案料」に匹敵するものの受け取りを、拒否したわけではない。もう一方の、森川にも、いまだ一銭も無し。

 素知らぬ顔して「原案」の看板、冒頭に掲げ、商いを始めた。

 これが、「開局55周年記念」商法の実態だ。

 あの、深く心に染みいるように入ってくる、主題歌。

 ブロード・サイド・フォーだから、適していた。それが、変人で、あのかん高い裏声が、耳にへばり付いて離れない森山直太朗とは!

 愚作脚本に、そぐわない愚声・・・・・・

 黒澤明の息子で、「ザ・ブロード・・・」のメイン・ボーカル、クロパンこと、黒澤久雄。なにかと、亡き父の記念館問題をはじめ、当時から金銭のもめごとに事欠かない人物なので、使用交渉が、上手く運ばなかったわけではないだろう。

 そして、メインの演出が、表題にもあげた杉田成道(しげみち)、すでに70歳。

 すぐ、「北の国から」が、彼を紹介する際、付いて回る。それが、杉田のこんにちの地位を築いたと言っても良い。

 「犯罪だ」と、からかわれながらも、30歳もはるか年下女性と再婚。しっかり、子供まで仕込んだ。

 もはや、「北の国から」撮影当時とは見る影も無く、でっぷりとせり出した腹を揺らせて、現場に出てきている。

 だが、実は、彼を一躍時の人にさせた人、脚本家の倉本聰と、数年前、ケンカして、永遠に袂(たもと)を分かっている。

 原因は・・・・・杉田、語らない。

 ただ、クチを濁しながらも、別離は、認めた。

 倉本もまた、「先生」と言われて、照れも無い人。日々、巨匠的意識、もろもろ出し。

 何かのはずみで、ぶつかった。

 「もう、フジとは仕事組んでも、お前とは永遠にやらないから!」

 で、その後が面白い。

 「風のガーデン」

 ひさびさのフジドラマ。緒形拳の遺作ともなった。

 この演出をかって出たのが、なんと、脚本家世界のライバルと目される、山田太一の娘

 この女性、したたかな力量を見せた。

 倉本といえば、一字一句、おのれが書いたセリフを現場でも、変えさせないことで、現場を震え上がらせているオヒト。

 サングラスをして、ホノルル空港に降り立ち、「日本ヤクザ」と勘違いされ、しばらく留め置かれたほどだ。

 それが・・・・・セリフの言い回し、テニオハ、変更了承。ついには、シーンの前後入れ替え、消去すら呑んだ。

 呑ませた。いやいや、いやいや、すんごい、らつ腕女ディレクター・・・・・・

 倉本に聞いた。

 山田太一の娘ということは、意識しました? 彼女の力量は、いかがでした?

 「意識? そんなものは、しないね。素晴らしい力量だったよ」

 ムッとしながらも、そう言った。

 山田と言えば、感情が激すると、突然オネエ言葉に変わるヒト。若い時、木下恵介の御稚児さんだった名残りが、今も身体から消えない。

 そんな経緯で、この「2014 若者たち」の第1回放送を終え、かつての名作を見ていた業界人達に、ボロカスに批判されたあと、杉田は、幾分、開き直るかのように、こう言い放った。

 「あり得ないリアリティですけど、そこを超える、ある種の真実というか、人間が根源的に持っている何かが、見るヒトに訴えられれば、それは、それでいい」

 「リアリティは、最初から、無視してます」

 「どうせダメなら、ド直球を投げてみないか?と。出来れば、どこかで視聴者がミットで、受けて欲しいと願っています」

 訳わかりにくいお願い。ミットもない気がしてならない。

 原案代を支払いもせず、看板掲げて、換骨奪胎。最初から、あり得ないリアリティ。ド直球は、訳わかんない、怒鳴り合いシーンと、理解すれば良いのであろうか・・・・・。

 それでも、「原案」者であり、杉田の15年先輩のディレクターである、森川時久の見る目は、優しい

 「毎週、見ておりますよ。内容ねえ・・・・。ヒトによって・・・・見方がねえ(苦笑)。スタッフがさあ、あれだけチカラを入れて、一生懸命やっているからねえ」

 「スタッフは、あの「若者たち」の志を受け継ぐという意識で作っているし、何とも言えないねえ」

 苦笑と言いにくさを重ねながらも、答えてくださったことに感謝。85歳にして、まだまだ創作意欲はみなぎっていた。

 なかなか、本編は劇場公開まで、成就しにくい世界。ましてや、森川の描く想いは、歪んだ世に風穴開けるような、熱い作品が得意。

 「次郎物語」「わが青春のとき」、そして、真っ向勝負の「不撓不屈」の正攻法には、泣けた。

 彼の、力量を今すぐ確かめたければ、「風雲の海峡 青函トンネルは、今・・・」という力作が、70分、フルバージョン、パソコンで見ることが出来ます。

 その題名で、検索してみて下さい。

 脚本・松山善三。音楽・池辺晋一郎。ナレーションは、なんと丹波哲郎。役者陣は、高橋幸治。市原悦子。原田美枝子。田中健。加藤武。そして、荻野目慶子と、そうそうたる布陣。

 「若者たち 2014」のくだらなさに、あきれ果てた方、いつでもチェンジ出来ますよ。

 にしても、46年の月日を、今取材を終えて、痛感している。

 先に書いたように、「若者たち」は、20人近い、精鋭脚本家たちの筆によって書かれ続けた。

 まるで、あと数日で開幕する、この夏の甲子園に出て熱戦を繰り広げる投手や打者の如く、一球入魂、一打必勝の熱気が、毎回、こもっていた。

 なのに・・・・・、なのに月日の流れは、むごいことをする。

 大野靖子は、他界。そして、清水邦夫は、この数年、病床にある

 清水の妻であった、「木冬社」主演女優・松本典子(本名・清水和子)は、今年の3月26日、世田谷区の病院で、間質性肺炎で、死去。闘病生活の末とはいえ、まだ78歳であった。

 目黒区の清水宅にお伺いして、夫の邦夫をインタビューさせて戴いた折り、お茶を運んできた姿を今も、記憶している。

 すでに、妻がこの世を去って4か月半。

 「おそらく、清水さんは、奥様がお亡くなりになったことを、今も知らないままだと思います」

 身体以上に、痴呆が進み、妻の葬儀にも参列出来ないほどであったという

 近年、蜷川幸雄を始めとして、盟友・清水邦夫の傑作演劇台本を舞台に上げる動きが、回を増している。

 だから、清水は健在。意気軒昂、と思われている。しかし、舞台化交渉は、すべて、その意を受けた代理人が取り仕切っている。

 舞台台本の使用料。

 それを、清水邦夫の、入院、治療代に、1円残らず、充てている。 若き日からの、いわば「戦友」「同胞」である、蜷川幸雄の意思であった。

 オモテだって、蜷川は言わない。しかし、代理人のスタッフから、キチンと報告を随時、受けている。

 ともかく、蜷川幸雄という人物。

 人として、素晴らしく、情に厚いことは、長期密着取材で、痛感した。

 その蜷川幸雄にしても、ここ数年、まるで生き急ぐかのように、次々と新作と、変幻自在の再演化に取り組んでいる。

 その多くは、病院のベッドから、稽古場に直行。激しくアクション!演技指導。

 何でもなさを見事に名演し、終えればまた、病室のベッドに、這いながらたどり着くという日々が、ここ数年続いている。

 時には、点滴の器具を同行させたことも、あったという。

 山内久、89歳。清水邦夫、まだ77歳。

 ともに、妻の死を知らぬまま、今も闘病中だ。

 近年、神奈川県逗子市に建っていた山内邸は、養子となった渡辺千明の手によって敷地ごと売りに出され、最近、期せずして、売却先が決定。

 近いうちに、家は取り壊され、更地になるという・・・・・・。

 この「2014」年版が流れている、まさにその時に。よりにも、よって・・・・・・・・

 やりきれねえ! たまんねえ!

 あの、熱いセリフを次々と生み出した息吹だけは、あの地で、消え去らないで欲しい! 埋まったままで、いて欲しい!

 「カネより強いんだ、人間は!」

 サブ兄ィ(にい)が、ストーブの炎のそばで叫んだセリフが、今も、心を、激しく突き上げる!

  心の奥を揺るがす、熱いままでいて欲しい!

 やりきれねえよおお・・・・・・・・・・・・・・・

 


『 リアル アナウンサー ルポ 』 「第1弾 名古屋版」藤井彩子。東京から名古屋に、抵抗むなしく、単身赴任&転任させられて半年。大きく宣伝した新番組、たった1回で・・・・、

2022-04-25 13:02:16 | 視聴者が知らない、アナウンサーの素顔と実態

 【 2021・10・20 掲載 】

 本日、10月20日

 東海3県地域視聴者向けの、午後0時15分からのニュースを、読み終えた、藤井彩子

 長い髪を後ろで、束ね、一見、ショートヘアに見せかけている。

 東京に残した、「夫」として、籍を残している、落語家の、古今亭菊之丞

 夫の身の回りの世話をしている、「愛弟子」の古今亭まめ菊が、そばにいる。 

 ここ数か月、菊之丞は、名古屋及びその近辺で、高座が無く、かと言って、私的に名古屋に新幹線で行き、妻と逢瀬を重ねる暇も無いほど、スケジュールは、びっしり。

 妻が、52歳を迎えた、8月23日も、誕生日、2人で会って、祝えなかったはず。

 菊之丞。休日は無いに等しい、安定人気ぶり。。

 まして、隣県にまで行くのでさえ、コロナ禍で、はばかられる、今年の流れ。

 ここにきて、やっと、名古屋でも、緊急事態宣言が解除され。酒が大好きな藤井彩子が、行きつけの飲み屋に、通えそう。

 心から、ニュースを読みながら、喜んでいるはず。

 、名古屋に、しぶしぶ行かざるを得なくなっても、東京に居座り、本当に,ぎりぎりまで、20日ちかく、遅れて・・・・行かず。

 着いて、持たされた番組は、たった1本、

 今週は金曜日までやっている、朝、7時45分から15分弱の「おはよう東海

 ソレも、3週に、1週だけ。

そして、時折り、冒頭に挙げた、正午からの、全国向けのニュースのあとの、東海3県向きの、昼の5分間のニュース読み

 それだって、成長と言える。

 かつて、若いころ、大阪放送局にいた時、ニュースを満足に読めなくて、上司から、もう、読ませられないな、と、烙印押されていた身。

 現在はミス無く、読めるまでになった

 仕事量があまりに、少ないと判断した局は

 「ド真ん中ジャーナル」なる、金曜の夜、30分番組、持たせた。

 愛知県出身の、井戸田潤と、コンビを組んで、放送、1回やったものの・・・・・・

 それっきり

 東京にいたときも、もめていたラスト時期

 「ヒューマニエンス」も、わずか、4回で、ひきづり降ろされた

 衝突し、自ら、降りたのかもしれない

 だが、番組は、存続。

井上あさひが、性格に問題ある、織田裕二と、そつなく、今も、やっている。

 「ド真ん中ジャーナル」も、井戸田とぶつかったのかどうか、現地取材出来ていないので、真の原因は不明

 もう、1回だけで終わりかと思ったら、なんと、12月10日に、第2回を放送予定と

 コンビが、井戸田のままかどうか?は、未定

 仕事少なくても、給与額変わらないので、藤井にとっては、痛くもかゆくもない

 残念がらない

 むしろ、内心、嬉しい

 そ~ゆ~性格

 早々に局を出て

 早い時は、午後の3時から、飲み屋の席にいた人だから

 今夜も1人酒、憂さ晴らしに、楽しんでいるのではないだろうか 

 とはいえ、今週は、朝早いので、遅くまで飲み干せないのが、残念だろうが・・・・


【 リアル プロ野球投手 ルポ 】佐々木朗希。4月24日,対オリックス戦に、先発登板予定。しかし、期待し過ぎないほうがいい。検査・検診後の数値と、コンディションがベストではないので・・・

2022-04-23 23:37:39 | 高校球児の、その後の人生を追って・・・

 わあわあ、わあわあ、期待され過ぎ

 勝手に、盛り上がっている、スポーツマスコミ

 しょぜん、テレビ東京

 放送地域、限定の狭い放送局のうえ、17日、コマーシャル、この時とばかり、流し込み、肝心の試合、見せず

反発、喰らった

 BSテレ東で、放送している、「寅さん、 男はつらいよ シリーズ」を観れば、事前に、予想がついていた

 視聴率、わずか、5・8パーセントしか、、取れなかったのは、当然の帰結だ

 さて、佐々木朗希。

 再び、彼の肩、腰、下肢などの、ぬぐえぬ課題が、まだ、残っていたにもかかわらず、わずか、そう、わずか、1週間で、登板させるという、

 

 どうも、数値が、かんばしくないと、きいた

 本人は、17日の登板の際にも、6回にマウンドに向かうとき、木村龍治、投手コーチに

 「問題ないです、大丈夫です」

 そう、答えて、マウンドに向かったが・・・

 投球内容が、格段に落ちた、

 これからは、今後のことを、念頭に常においていかないと、・・・

 24日、

 期待しないほうがいいです

 70球を、メドに、降板させる予定です

 昨年と、同様に、

 昨日も、ブルペンで、ゆっくりと、1球1球の球質を、確かめるように、わずか、23球投げただけで,終了

 「2度目の、オリックス戦なので、しっかりと、ゼロに抑えていけるように、考えて、投げていきたいです」

 言葉も、慎重だ

 ガラスの肩が、まだまだ、、ガラになりつつあるだけの段階

 一度、壊れたら、長期療養で済まなくなるのは、中学校時代から、変わっていない

 5月からは、ゆったりとした、彼独自の、ローテーションで、登板させてゆくというのは、当然のことです

 本人は、やる気十分なのは、わかりますが・・・

  いずれ・・・

 引退するまでに、驚くような、完全試合、出来ますから

 


【 リアル プロ野球投手 劣伝 】ご存じ、「俺様、吉田輝星サマ」。わずか、1イニングの中継ぎだけだから、ボロ出ずにもっている。でも、えのきどいちろうも、森本稀哲も、開幕前から最下位予想

2022-04-21 22:05:07 | 高校球児の、その後の人生を追って・・・

球団の、1軍帯同を認められ、そのマウンドに、常に、「勘ピュ‐ター・新庄」の発案起用で、マウンドで投げられる身分に、さぞかし、俺様の思い上がり性格からして、うれしいだろう。

 4月20日のナイトゲーム、負け試合でも、7回から登板

 ・・・・でも、1イニングだけ。中継ぎ起用。

 継ぎ・はぎ 浅術。ひたすら勘ぴゅーたあー

 2イニングは、あぶないあぶない

 それなら、打ち込まれる前に、ボロ出る前に、終えられる。

 その「低度」の投球術しかないのが、今の輝星の実力。

 ともかく、すぐ、コントロール、乱れる。

 変化球、すっぽ抜ける、

 バウンドしてしまう

 得意の、自慢の「まっすぐ」も、ボール判定

 高低、左右

 ボール、半個分の、きわどさ,皆無

 で、すぐ、あせ・りまくって、汗・吹き出しまくり

 過去、ずっと、そうだった。

 昨年、2軍戦でさえ、そうなっていった。

 ンでも、1軍選手相手で、1イニングなら、もう、しばらくだけは、もつ。

 本人は、先発を希望していて 「しっくり、こないんですけど・・・短いイニングでも、まかせられて、おさえられているから、よしとします」と胸張って、コメントしているけど

 これ、テキトー、思い付き作戦の、新庄の信条と、心情から、起用している結果のシロモノ

 で、最下位、6位,定位置、あたためている

 観客動員、まったく、伸びていない

  もう、すでに、あきられている

 長く、球団のファンである、えのきどいちろうも、元所属選手であった森本稀哲(ひちょり)も、新庄が監督になった時から、この戦力ではと。。。

 最下位でおわると、断言予想しています

 でも、一方で、商売人でもある、森本 

 自身のツイッターで、ビッグボスたたきを、少し、批判しておりますが(笑)

 輝星サマ

 、いつまで、ボロ出せずに、済んでいられるかなあ・・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 4・21 深夜

 今日も、わずか、1イニング

 6回の、負け試合展開で、登板

 いきなり、4球

 さあ・・・・

 ボロの、ボが、出てきた

 見ててご覧

 清宮、三振の山

 過日の、登板試合

 ピッチャーゴロ

 1塁の、清宮の守備

 俺様、信用していない

 だから、自分で、1塁まで、走った

 ギリギリ、間に合った

2人、実は・・・・仲は、とても悪い

 試合後、俺様。「清さん」などと、言っていたが、普段、口も利かない

 昨年の2軍での試合

 打ち込まれて、ベンチへ下がる「俺様」

 いつものように、だれ一人として、なぐさめの声もかけない

 仕方なく・・・・

 ベンチに座っていた清宮の真後ろに座る

 清宮、吉田が来たことは、感じていたが、どちらも、一言も声かけ合わず

 振り向きもしない

 普段から、話もしない 互いにだ


< リアル 芸能 ルポ> かつて知られた「裕木奈江」という女優に記憶ありますか? どうして、視聴者に嫌われたのか? その原因ともなった「驚きの素顔」を書きましょう

2022-04-21 20:30:52 | 視聴者が知らない、タレントの素顔

【 2017・10・29 掲載記事 】

 Yahoo!の、検索おすすめ欄に「裕木奈江 国際派女優」と。

 えっ! 我が日本の芸能界では、誰も相手にしない、女優陣からも共演したくないわ、と総スカンを食った、極め付きの嫌われ者の、あの!裕木奈江が、国際派?

 記事を見ると、アメリカのテレビドラマ・シリーズ「ツインピークス」に、チョイ役で出演。ソレも、特殊メイクを、顔に貼られ塗り込められた、顔が誰だか、国籍すら分別つかない役で出たようだ。

 しかし、この「ツイン・・・」。

 もはや、少なくとも日本では、まったく人気無くなり、誰も記事化すらしなくなったドラマ。

 そのほかに、アイスランドのホラー映画にも出たそうな。

 いずれも、英会話、語学力は、さほど必要としない役柄。

 でも、このすでに47歳にもなった元・女優。嫌われ、反発して去られた挙句、マネージャーもおらず、徒手空拳。

 必死になって、売り込みを図り、アメリカの地で、オーディションも受けまくったんだろうなあ・・・・ということは、この元女優の性格を考えると、容易に想像が付く。

 さも、国際派女優然として、「LAと日本を行ったり来たりし、日本には1年間に2回ほど来ているの」と、帰国してのインタビューで、お話しなさっている。

 ん?

 かつては、スイスで優雅に暮らしてるのよ、と言っていた女。まったく、裏付けが取れない、ホラー話しであった。

 ならば、仕事欲しくて、日本に帰国なんかしなくても、良いはず・・・。

 ところが、「日本でも、仕事がしたいんだけど、誰も声をかけてくれないんです」とも、お答え。

 そりゃそうだろうさ。

 そう想いつつも、彼女のツイッターを読むと、日本とロスアンゼルスを行ったり来たり、ではなく、日本に来たり、来たり、居続けたりの毎日。

 そのうえ、この中年に差し掛かった年齢にも関わらず、かつてと、あの悪しき性格が、まったく変わっていないことを、痛感させられた。

 例えば、10月24日のもの。

 カネに細かく、ギャラ交渉に強気な性格。自分の宣材物が、他人に使用掲載されていて、自分に1円も入って来ないことに、御腹立ちの御様子。

 人の3倍くらい、プライドだけは高い、高慢ちきな性格は、何一つ、変わっていなかった。そして、気の強さも。

 1年弱前に掲載した、下記の記事を読んだあと、10月24日以外のツイッターも合わせて読むと、さらに深く、その性格が分かるはず。

 今、「私、こう見えてもさ、国際派女優なんだから」と叫んで、以前と同様、高額のギャラを提起して出演交渉しても、ノーギャラに近い額ならともかく、どのプロデューサーも演出家も、テレビ局も、映画製作会社も、出演はさせにくいであろう。

 ノーギャラの、自主映画が、せいぜいか。

 さらに・・・・

 9月30日の、掃除しながら、歌ったという、全歌詞。

 これ、オバサン世代なら記憶に残っている、橋幸夫が歌って昔ヒットした、♬「雨の中の二人」なんだけど、全歌詞掲載は、著作権者に打診しなければいけませんよ!

 無断では・・・・・

 ま、彼女の本当の素顔を知りたい方。

 どうぞ、読み進めてください。

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 《 2016・11・2 掲載記事 》

 

 先日のこと。

 テレビ長編ドラマ、「北の国から 1992 巣立ち(前・後篇)」を見ていて、ああ、あんな女優いたなあ・・・・・と、想い出したのが、「裕木奈江」。

 出て、放送されたのが、24年も前のコト。

  すでに現在、46歳のおばさんになっており、いくぶん童顔であったとはいえ、ネット上で見ることが出来る、左の、この写真は、かなり前のモノと想われる。

 というのも、日本で仕事をしていない、というより、日本で仕事をしたくても、出来ない。ハッキリと、時にはやんわりと拒否されているからだ。

 私は、その現場と、悪しき彼女の素顔の性格を見てしまった。

 彼女が視聴者、とりわけ女性に嫌われた原因となったのが、「北の国から」の余勢をかって、翌年に出演した「ポケベルが鳴らなくて」。

 役柄が、小悪魔や悪女だったから? いえいえ。

 実は、共演者だけでなく、スタッフ達からも嫌われていたことは、殆んど知られていない。なにしろ、心打ち解けて話し合える親しい俳優は、1人もいなかったのだから。

 裕木奈江。しゃべらず、黙っておとなしくしていれば、さらに、見た目だけ言えば、素朴、純情さ漂う印象。本名は、田澤奈江。

 当時、所属していた事務所の代表が、そのテの顔立ち大好きな人。かつては、音楽事務所をやっており、シンガー&ソングライターの山崎ハコを抱えていたといえば、イメージ、お分かりになるだろう。

 その後に出た、映画「光の雨」も、「硫黄島からの手紙」にしても、オーディションだ。

 おまけに、ハリウッド映画だとか言われているが、「硫黄島からの手紙」は、ほとんどすべて、日本の製作資本が入っている。

 ハリウッドのオーディションは、実は主役までも選びますみたいなことを吹聴しておいて、端役選びが、その、本当の実態。

 主役と、メインの脇役は、とっくの昔に内定済みなのが、ハリウッド。

 永遠に、良い主役に抜擢されることは、まず、無い。

 彼女、おまけに、とんでもなくわがまま。協調性が、無い性格。

 むこうで、結婚しただの、離婚しただの、スイスにいて生活してるだのということの信ぴょう性は、かなり疑わしい。

 文化庁の肝いりで、1年間、在外研修生として、ギリシャに税金で行けたし、生活出来た。

 しかし、「私、女優よ」と名乗っていても、仕事が無ければ、単なる無職。演じなければ、食っちゃいけない。1円も手元に無く、ひもじいだけ。

 どうしてるんだろう?と、想っていた、その数年後の夏の夜の新宿。

 わたしは、その日。とある演劇、それも群像劇を観ていた。世間の誰もが知る、有名な劇団ではない。

 芝居が終って、灯りがともり、ふと周りを見渡すと、なんとそこに、裕木奈江がいた。

 近づき、近況を聞いた。そっけない返答ぶりながらも、日本に帰ってきて生活しているらしいことは、分かった。

 彼女、劇団の主宰者に面会を求めていた。

 ははあ、「仕事」を探しているんだ。だが、ここでの役は、彼女程度の演技力では、次回作ではもらえないだろう。

 ましてや、手に出来るギャラは、とても低い。チケットは、手売りが、宿命、枚数、押し付けられる。

 それも、ロクに知らずに来て、自ら売り込んでいるのか・・・・・。

 わたしも、知り合いの者たちと立ち話をし、新宿駅へと足を向けた。

 !?

 横を歩いているのは、さっきまで話しを聞いた、その裕木奈江ではないか!

 「結果」は、どうだったのだろうか? 

 声を掛けた。

 「裕木さん」「裕木奈江さん」

 チラッとこちらに視線を投げかけたものの、えっ!? 全く知らんぷりして、スタスタと早足で去って行った。

 なるほど。コレが彼女の性格か!

 得か損かで、人と常に接する。これでは、友人さえ出来ないし、男とも長続きしないよなあ。

 数日後、主宰者に聞いた。

 「ん? その場で、断ったよ。ギャラは、とんでもないことを言って来るし、仕事を欲しいくせに、礼儀知らないし、控え目さがまったくない。自分に自信があるのは、それは結構だけれど、すべて勘違いしてるんだもんなあ・・・・。彼女を、使いたいって言う、芸能界の人間は少ないと思うよ」

 検索したところ、彼女の所属事務所は、演劇の単行本を出している個人のところだったが、そこはすでにつぶれて無い。アマゾンですら、もはや扱っていない。

  その性格ゆえ、マネージャーどころか、どこのプロダクションも、引き受け手が無い。

 自分で自分を売り込んで歩く道。

 日本でなければ、喰ってはいけない。もう、46歳。

 行く手は、厳しい。 

 


<リアル 芸能 ルポ>3児の子持ち演歌歌手、竹村こずえ《第1弾》。本日・2月4日、夜8時過ぎ、ラジオ生出演

2022-04-19 20:11:23 | ラジオ番組

 < 2015・2・4 掲載記事>

 先日のこと。

 演歌歌手が多く出ているテレビ番組を仕事しながら、早回し再生していて、ん!?

 妙に色っぽい、艶っぽい女性歌手が歌っていた。

  

芸名は、竹村こずえ。極端に美人ではないが、いいオンナ。

 おっ! 気になって、じっくり聴いた。歌、めっちゃ、上手い!

 強弱、サビ、声の伸び。いいっ!

 曲名「能登の海鳴り」。・・・・・ん・・・・・でも、これで、大ヒットは難しいな、とは思った。

 作詞が、久仁京介。ちょっと調べてみると、かつて「男と女のお話」という、日吉ミミの、とても鮮烈な詞を書いたひとだった。

 「恋人に、ふられ~たの」という、あえて投げやりな、ふてくされたような歌い出しを、今も記憶している人は多いだろう。

 近年、ていねいな歌い出しに変えて歌っているのは、なんだかなあ・・・と想う。

 また、「津軽恋女」という、新沼謙治のヒット曲も書いていた。

 畳み掛ける印象的な詞。

 それが・・・・・この「能登の海鳴り」には、残念ながら、見られない。よくある、パターンの演歌詞。メロディーも、ありきたりに近い。

 しかし、気になる女。

 プロモーション動画を、見る。

 能登の浜辺かどうかは、分からないが、白波打ち寄せる前で、気持ち震えながら歌う彼女。

 寒い日、曇天の日だったのであろう。

 クチパク気味にクチを開けて歌う彼女の唇が、紫色、いわゆるぶす色に変わってゆくのが見てとれる。

 着ているのが、純白の天女めいた薄いひらひらドレス。

 そりゃあ、何時間も立って、撮り直ししてゆけば、そうなるよなあ・・・。

 出身は、滋賀県の栗東市。そう、競馬ファンなら、ご存じのところ。

 年齢は、ただ今、36歳。

 で、もう高校生や中学生になっている、3人の子供のお母さんでもある

 (ブログより、転載)

 で、記事等によれば、トラックの運転手の仕事の経験もあり、現在は、シングルマザーとか。

 てことは、まだ10代で結婚か、同棲生活をして、出産していったってこと、か。

 かつて記事を書いた、女性プロボクサー。竹村とほぼ同じ年齢で、やはり中学生をかしらに、3人の子持ち。

 が、すべて違う男性との間で産んだ子。シングルマザーながら、今はジムの会長とべったり。

 さて、竹村。元々、歌は習わずとも、上手かったようだ。

 のど自慢で、チャンピオン経験もある。

 で、デビューが、昨年の4月2日。すでに、35歳。

 女性の年齢を詳しく書き連ねるのは失礼かとも思ったが、逆にコレを前面に出していけば、世に広く知られるキッカケ、突破口になるのではないか?

 そう想い、書いた。

 本名は、竹村こず恵。

 アレっ?と想ったのは、同じ事務所に、かつて個人的に知っていた女優がいたこと。

 へえ~・・・・まだ、この世界で頑張っているんだ、と。

 で、もう1曲、「佐渡のわかれ唄」というのが、先ほど事務所に問いあわせたところ、偶然にも本日発売の2弾目にあたる新曲だそうだ。。

 地名を当て込んで、日本海を北上。水森かおり的路線を歩もう、歩ませようという作戦、狙いか。

 昔で言うB面。その名も「こずえのトラック野郎」。ふふふ・・・・・。

 パソコンで捜して、聴いてみた。

 カラオケで、出てきた女性は、彼女より、年齢は若そうだが、たたずまいが色っぽくなく、終始、不似合い。

 が、やっと、同じ画像で当人、竹村こずえの熱唱。

 おおっ! デビュー曲より、コレはいけるかも! ヒット、するかも。すくなくとも、カラオケ演歌ファンなら、デビュー曲より、とても歌いやすく、歌っていて、いい気持ちにさせてくれるメロディーと、サビのくだり。

 これ、大化け、するかも。

 もっと強弱付けて、大げさすぎるくらい、ドラマチックに叫び、引き、歌い上げると、誰もが耳をそばだてるヒット曲になりそう。

 他に、かつてのヒット曲。「アンコ恋しや」と、「艶歌」も聴いた。

 めちゃ、うま!

 幅のある、歌いっぷり。

 最新ブログを見ると、4月発売に向けて、デビュー・アルバムをレコーディング中とのこと。

 どんな、鮮烈で、誰もが印象に残る詞が、メロディーに乗っかっているか?

 よくあるメロディーでは、売れない。いささか、奇をてらってもいい。そんな曲のほうが、近年は売れる、注目される。

 なんとかしぐれ、などという曲名は、ありきたりで、気にも留められない。

 能登半島の浜辺に打ち寄せる波のように、押し寄せても、アッと言う間に引いて、沖に消えてゆく。

 売れる曲を、彼女にあてがえば、かなりいけるはず。

 いろんなパターンの曲を、歌いこなせそうだし。

 家に、3人の育ちざかりの子供が待っているが、スケジュール的なものを追ってゆくと、彼女もまた、他の演歌歌手と同様、全国津々浦々を回っているようだ

 キャンペーンで、CDが置いてある店頭に立ち、ビールケースを並べたミニミニ舞台の上でカラオケをバックに、ナマ歌を歌い、気に入ってCDを購入してくれた人と握手会、サイン色紙贈呈と、2ショット撮影会。

 そういう地味な積み重ねが、じわじわと世間に浸透し、ある時期、突然に爆発的ヒットにつながる。

 だから演歌は、面白い。もとが、一気に回収出来る。ただし、CD買わずとも、パソコンで自由に聴けてしまう時代。

 だから、昭和に較べ、平成、21世紀は、CDそのものが売れにくい時代になっている。

 歌手当人にとっては、苦難の時代。それでも、普段の積み重ねが、花開く・・・と、信じるほかない。

 分刻み、時間刻みで、地方の有線、ラジオ局、テレビ局巡り。

 アタマを下げ下げ、愛想良くを心掛けて。

 今夜もホテルで一息つくと、疲れた身体にムチ打って、自分を励まし、子供達にメールや電話をして元気を取り戻していることだろう。

 「頑張って! ママ!」などと言われながら。

 炊事洗濯、お弁当作りも、3人で、こなしてくれているはず。

 子供たちが今も滋賀県にそのまま住んでいるのか、母の仕事のために、東京近辺に引っ越してきたのかは、「教えられない」と、事務所のお答え。

 としても、キャンペーンのさ中を縫って、一週間に1~2日は自宅に帰れているとのこと。

 自ら、こまめに自分の活動ぶりをブログに載せている。よく、たまに、それも事務所スタッフが、本人にすり替わって業務報告ブログが目に付くこの頃、自分でキチンと打ち続けていることにも、好感がもてる。

 だが、まだまだ少ないファンが、せっかくコメントで声援を送ってくれているのに、まったく返信していない。

 キャンペーンで心身共に疲れ果てがち、とはいえ、「一方通行の、報告と宣伝」だけでは、いずれあきられる。

 ましてや、人気無くなったら、さ~っと、能登の浜辺の波が引いてゆくかのようにあっと言う間に掻き消えてしまう。ほぼすべての歌手が、そうであるように。

 ましてや、不評や、ゴシップ、スキャンダルが表にでたら、今の知名度では、ひとたまりも無い。

 こまめに返信を重ね、ファンの輪を広げてゆくようにした方が良い。

 とはいえ、デビューは遅咲きなれど、この演歌歌手。どこまで登り詰めていくか、見守ってみたい。

 苦節10年は、年齢的に、家庭事情できつい。

 どなたか、ドキュメンタリーで追って番組を構成してくれないだろうか? 素材、そのものが、主婦の共感を呼びそうだし。

 ニュース枠のなかでも、使えそうな気がする。

 先程、NHKラジオの今日、2月4日の番組表を見ていたら、今夜8時5分開始予定の歌番組、「きらめき歌謡ライブ」にナマ出演するようだ。

 歌うのは、「新曲ですっ!」と、事務所のはずむようなな声!

 おそらく、短いトークと、1曲、よくて前後半で計2曲だろうが、この一文でどんな歌手なんだろう?と、興味、関心を抱いた方は、聴いて欲しい。

 好みの問題ではあるが、将来に期待を抱かせる、印象に残るシンガーであることは、間違いない。

 

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 2016・8・22

 竹村こずえの、第2弾のような記事を書きました。

 興味のある方は、お読みください


【 リアル 元・プロ野球&メジャーリーグ投手&名コーチ ルポ 】吉井理人・第2弾。ポロリ、佐々木朗希は、6回で降板して欲しかったと。「壊れてからでは、遅いのです」。反省込めて種市の復帰に喜ぶ

2022-04-18 20:55:43 | プロ野球選手の、その後の人生を追って・・・

 つい、この半年前まで、ロッテの「1軍投手コーチ」として、いまや、ドシロートと、門外漢たちに騒がれ過ぎの、佐々木朗希を、

 彼が話したことを、うまくライターがまとめて出した、4著作のタイトルから、推し量ると「朗希には、教えていなかった」吉井理人(まさと)。

 その、4月10日の、完投、105球、奪三振記録試合を、「チームの、コーディネーター」として、ブログでは手放しで、喜んでいたのを目にし、

 ? そうかあ? 本音じゃねえだろうなあ…と思いつつ、記事化し、彼のブログを知らない読者に紹介しておいた。

 そして、期待通り、4月17日の、佐々木朗希の、102球、無失点の、0-0とはいえ、8回で降板したことに、改めて、触れていた、

 「質の悪い、直球を投げていた」

 「6回で、代えて欲しかった」

 「ついつい、目先の勝利や記録にとらわれて、選手に無理をさせてしまいかねない」

 そう言っておいて、球団の1重要スタッフとしての、立場から

 「8回での降板,よい判断でした」

 でありながら、きっぱり言い放つ

 「壊れてしまってからでは、遅いのです」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この一言を、國保陽平は、どう、聞くであろうか

 マスコミへの取材拒否は、おそらく、佐々木朗希が引退するまで、かたくなに、続けるであろう。

 ドラフトで、競合4球団の末、ロッテ球団、とりわけ、現場のかなめ、吉井には、診察・診断記録を提示して、口酸っぱくして、「朗希の、ガラスの肩、下肢、腰」の症状を説明したように思う。

 佐々木朗希とは、メールや電話で、恩師としての会話、助言、激励は続行中であろう、

 一方で,朗希の母や、兄や弟への、取材拒否も、致し方ないと思う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 ちなみに、吉井の言う通り、6回で降板していれば、投球数、77球

 昨年の1軍戦で、投球したのと、ほぼ同様だったことになる。

 それは、吉井が、1軍投手コーチとして、帯同し、そばにいて、朗希にも納得させていた球数だ。

 すでに、記事化しているが、1度だけ、100球超えたときがあった。

 わたしでさえ、見ていて、ひやひやものだった。

 1度だけの、見切り発車の、試運転であったのであろう。

 今回、6回で降りて、欲しかった理由

 それは、5回までの、投球数、60球であったのが、

 6回、2-3のフルカウントまで、打者に粘られるなどして、17球も投げざるを得なくなってしまったからだ。

 コントロールの、精度が、ガクンと、落ちた

 吉井に代わり、1軍投手コーチになっている、木村龍治も、言う

 「6回くらいから、球が、暴れ始めてきた」

 降りてきた、佐々木に、「肩や、ひじの、コンディションは、どうだ?」と聞いたところ

 「いや、大丈夫です」と、答えが、帰ってきた。

 かつて書いた、大越基の言葉を思い出した。

 そう、言って返した朗希には、いままでに見られなかった、あわや、ホームラン級のあたりも出た。

 7回、逡巡し・・・・・8回途中で決断した。

 今はまだ、ガラスだが、そのうち、宝石に輝くであろう大器だけに、吉井も、木村も、見ていて、気が気ではなかったはず

 ボロ、見せたくない。

 安全圏で、降板させたほうがいい

 まだ、実質1年目でもあるのだから

 野球人生、まだまだ、これから

 それも、自らの深い反省からきたものと思う。

 結果として、酷使させてしまった種市の復活

 そのことを、心からの喜びを、ブログに刻んでいる。

 ぜひ、読んでいただきたい。

 正直な、吉井のこころを

 それにしても3流選手でしかなかった、岩本勉や、里崎智也らの、ただただ、声、うるさいだけの、自画自賛の、的外れでしかない、8回の降板「怪説」

 

 改めて、記載しておきましょう

 「選手が、壊れてしまってからでは、遅いのです」


《 リアル 2019年 ドラフト会議 緊急速報 衝撃 ルポ 》  今年の目玉とされる、岩手県立大船渡高校 野球部投手 佐々木朗希。実は、正直に告白したら、とんでもないことになる、衝撃の真実 『第1弾』

2022-04-18 11:17:36 | 高校球児の、その後の人生を追って・・・

 

 

【 2021・3・12 最終掲載 】

 この2021年1月29日、続く、間おいて、2月1日。

 ブルペンで、それも、軽く、慎重に、1球、また1球と、確認するかのように、ゆっくりと間をおいて、21球、そして、37球。

 合わせても、100球にも遠く満たない、捕手を立たせたままの、強めのキャッチボール。

 その、顔見世、姿見せの、マスコミ向け、パフォーマンス。

 それについて、しゃべり好きの、実力は、現役時代3流の、元ロッテ捕手や、槇原ら、有象無象達の、コメントに加え、それに、輪をかけて、自論を好き放題に打ち込む、あふれるネット族。

 ち、ちょっと、待ってくれ。

 この、佐々木朗希という、青年の、取材して判明した、幼い頃からの、「特異」「特殊」な投手としての、軌跡を、知っていただきたく、この記事を、また、再掲載致します。

 興味ある方、知られていない事実を、じっくりとお読み戴ければと・・・・・

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≪ 2019・10・17 掲載記事 ≫

 ≪ 2019・12・9 再掲載 ≫

 ≪ 2020・7・1 再再掲載&最新情報追記 ≫

 ≪ 2020・7・15 さらに、追加掲載≫

 ≪ 2021・2・2 追記 ≫

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 正直に書いてしまって、良いものか、どうか・・・・・・。

 この数か月、迷いに迷った挙句、ついに、当日を迎えてしまった。

 そう、表題に記した、今年のドラフト会議の、目玉ともいえる報道ぶりの、岩手県立大船渡高校、硬式野球部、投手、佐々木朗希(ろうき)の、秘された事実、をだ。

 実は、彼のカラダは、壊れやすい、朗希ならぬ、老木・状態なのだ。

  191センチの、魅力ある長身から繰り出す、ダイナミックな

  この、投法。

  カラダ全身を、バネのように使い、真向勝負とばかりに、勢いよく投げ込む、

 だが。。。。。。。ガラスの肩。割れやすい、右腕なのだ。

 今年、4月6日、近畿大学の練習グラウンドで開催された、「18歳以下 ワールドカップ 野球大会」に向けての、事前合宿において、紅白戦が行われ、

 163キロが出た。

 おまけに、6人の打者に対して、6奪三振という快挙。

 マスコミは、にわかに、騒ぎまくり、メジャーリーグも注目と、勝手に、先走りして、湧きたて、神輿を、わっしょい、わっしょいと、かつぎまくった。

 いまだ、たった1球しか出していない、球速。

 その後も、150キロ台こそ出してはいるものの、163キロは、ない。

 実は、そのことを一番、気に掛け、心配していたのが、当の大船渡高校の硬式野球部の監督である、

  國保陽平(こくぼ ようへい)だった。

 そう、シロ~トたちが、揃いもそろって、岩手県 夏の大会 決勝戦で、強豪、 花巻東に対して、この佐々木朗希を、登板させず、2-12のスコアで、大敗したことで、有象無象のヤカラから、バッシングされただけでなく、

 同校野球部の、OB会の総会でも、その事への疑問と、抗議が、噴出。

 校長に対して、監督交代論まで、出たという、被害者。

 ただし、この高校。

 私立の、野球特待生校では無く、県立の、ごくフツ~の公立高校のため、「はい、そうですか」などと言う、OBの意見は通らない。

 國保陽平は、佐々木朗希だけでなく、他の全選手に対して、勝つことなどより、ケガ無く、高校3年間の野球部、生活を終えて欲しいと願っている、

 それは、彼が、大学を卒業したのち、アメリカのメジャーリーグへ、挑戦し、今はすでにチームが無い、独立リーグの下部チームで、1年弱、苦闘した体験に基づいてもいる。

 佐々木のカラダそのものが、いまだ、成長過程に有り、背、体重、下肢、上腕が、バラバラの、アンバランス状態、。

 そのため、中学校時代から、現在に至るまで、この投法ゆえに、股関節を何度も痛めている。

 加えて、中学生の軟式の野球部員時代に、すでに、腰の疲労骨折で、休養、リハビリ生活をするという、ガラスのカラダであったことは、知られていない。

 いつ、割れて、チリジリ,バラバラ・・・になるか、いつも、絶えず、危険性をはらんでいた。

 結果、しばしば、練習を休み、投球もせず、させず。

 常に、再発や、違和感を生じることを、おそれ、異常とも想えるほどの、入念なストレッチ運動を欠かさせない。

 さらに、肩が・・・・・

 骨の密度の検査を、上記、紅白戦後の4月16日と、さらに、ゴールデンウイークの連休中に、慎重に慎重を期して、、國保陽平は、佐々木朗希を伴い、2か所の、県内のとある総合病院で、ち密な診療をさせ、データを出してもらっていた。

 出た、結果は・・・・・

 骨の、右腕の肩の骨の密度が、極めて無いに等しい、スカスカの状態であった。

 とりわけ、筋肉と連動している、骨の付け根の部分のひ弱さ、スカスカぶりは、衝撃的ですらあった。

 高校生としての、普段の、日常生活を送るには、なんら支障は及ぼさないが、投球数過多になると、とたんに、肩の骨に影響し、しばらく、投球練習を、止めさせねばならない、とても、壊れやすい、いわば、「ガラスの肩」と言い換えても、いい。

 また、右のひじの骨も、もろく、弱い。

 この投法だと、大きくなりがちな、ひじの曲げ具合に、負担を生じさせ、痛みが及ぼしかねないため、入部してから、國保陽平は、佐々木朗希の投法を、変えさせてもいる。

 だが、軽減にはなったものの、ひじのもろさに、いまだ、さほどの変化は、無い。

 筋肉を鍛え上げ、骨のスカスカさを、補い、支えていくほか無い。

 あまりに、独り歩きし過ぎた、163キロ。

 マスコミが、必要以上に、騒ぎまくった、163キロ。

  県の、甲子園行きの券を賭けた、決勝戦。他の選手は、大泣きしたが、一つ、アタマの抜け出た、佐々木朗希は、無言であった。

  花巻東に、大敗したあとの、カコミ取材で、

 ---なぜ、佐々木クンを、今日、投げさせなかったんですか? 

 という、遠くから投げかけられた、直球質問に、國保陽平は、この時、いらだちながら

 「投げさせたら、壊れると想ったからですよ!」

 壊れる?って・・・・・。

 確かに、この年の甲子園を目指す、岩手県大会。

 エースと目された、佐々木は、決勝戦めがけて、連投に次ぐ連投、 

 延長戦にもつれこんだ試合では、初回からマウンドに立ち、194球も、投げ込み・・・・辛勝していた。

 とはいえ・・・どういうことなのだろうか・・・・・・。

 そこから、私なりの、現地取材が始まったとも言えるのだが。

 その一方で、佐々木朗希本人も、自分の、股関節や、骨のひ弱さを、クチにしないまま、プロ野球へ、人生に一度、チャレンジしてみたい気持ちが、膨らんでいった。

 マスコミの、取材攻勢に耐えかね、たった1度限りの条件付きで、開催した、異例とも想える、ひとつ間違えば、思い上がり、天狗にとらえられかねない、進路希望公開会見。

  佐々木も、國保も、堅い表情に、終始。

 質問させた記者は、そんな事情を、うっすら知っている、地元記者1人だけ。あとは、シャットアウト。

  そのうえ、佐々木が、言ったことといえば、「しっかりとした、カラダを作っていきたい」。

 決して、お決まりの、マスコミが喜ぶ、「1日でも早く、1軍のマウンドに上がって、1勝したい。新人王も、出来たら、獲りたいです」などと言うことは、水を向けられても、言わなかった。

 せいぜい、「子ども達に、夢や希望を少しでも与えられる選手になっていきたいです」と、言っただけ。

 それでも、たとえ、進学したところで、4年後の、ドラフトの網に、掛かるかどうか?は、未知数、

 今が、最大の売り時、旬、であることは、間違いない。

 ともかく、肩、ひじ、股関節が、壊れないように、ノースロー状態にして、「ガラスのカラダ」を、大切に扱い、さらに、韓国で行なわれた、先の18歳以下のワールドカップ、ベースボール大会にも、血マメが出来たことを、口実に、わずか、19球で終わらせた。

 それでも、いざとなると、心配で心配で、國保陽平は、単身、休暇を取り、韓国に飛び、佐々木と、実は、隠れて、極秘に話し合いの場を持っている。

 ただただ、勝利優先、投手なんて、勝つためのひとつの駒に過ぎない.壊れりゃ、他使う・・・という、歪んだ,甲子園大会出場常連の、特待生校の監督が多いなか、

  この、かつて、隣県、宮城県の仙台育英の投手として、全国にその名を知られ、大学へいったが、すぐ、ダイエーホークスの投手として、マウンドにも立った、この

 大越基(おおこし もとい)、48歳もまた、投手の肩の具合、変調を、とても重視するタイプ。

 現在、山口県の早鞆(はやとも)高校の、教師であり、硬式野球部の監督を務めているのだが、

 練習や、試合のたびに、投手の肩の具合を見定め、嫌がる生徒の肩や、骨や、筋肉の張り具合を、直接、触って、確かめるという、

 「選手はね、おかしくなっていても、多少の痛みがあっても、隠すんですよ。大丈夫ですっ! 俺、ボク、投げられますっ、てね(笑)」

 「ソレを止めて、無理させないのも、監督の務めだと想っています」と、笑顔で語る。

 「そのためにも、常に、全部の選手と、密に、コミュニケーション、とっています」

 聴いてて、思わず、納得した。

  韓国で、常に笑顔を意識して絶やさず、佐々木朗希と、明るく会話を続けていた、

 

  星稜高校の投手、奥川泰伸こそ、プロ向き、

 即戦力、遅くとも、3年後には、勝ち星を積み重ねていくであろう。

 とはいえ、佐々木朗希にも、プロには進んで欲しい。

  なぜ?

  あの、8年7か月前の、3・11、この、岩手県の陸前高田(りくぜんたかた)港をも襲った、「三陸海岸沖、超津波、大地震災害」で。。。。

 父の、功太さんと、同じ屋根の下で、同居していた、父方のおばあちゃんが、この波にもまれて・・・・・遺体となって発見され、他界したからだ。

 さらに、父方のおじいちゃんもまた、いまだ、行方不明のまま。

 家族、事実上、3人が、あの「三陸海岸沖 超津波大地震災害」で、命を失っている・・・・・・。

 残った家族は、母の陽子に、長兄の、琉希、そして、次男の朗希、に、末弟の、4人。

 それまで、住んでいた家は、波に流され、沖合に去った。

 仮設住宅に、申し込むも、外れつづけ、意を決した、母の陽子は、働きに通っていた、隣接の、大船渡市に、家族して、移住、

 そこで、大船渡高校投手として、1年生の秋。國保陽平との、運命的な出会いとなった。

 もし、もし、監督が、國保でなかったら・・・・佐々木朗希の肩、ひじ、股関節は、ボロボロになっていたであろう。

 今は兄の琉希も、稼いではくれているものの、女手一つで、こどもを、あの、悪夢とも言うべき、3・11以降、この家族を、ひたすら、育ててくれた母の陽子に、

 多額の、1円でも多い、契約金を渡してあげて欲しいからだ。

 そして・・・・・

 1軍のマウンドに立てて、快投を魅せられるか、どうかは、まったく未知数で、わからないが、そうなる可能性には、5年は要するであろう。

 その頃には、アンバランスなカラダも、会見で希望したように、しっかりとしたものになっているはず。

 出来うるならば、事実上、4軍まであり、育成にたけた、ソフトバンクホークスか、広島東洋カープに、抽選で選んでもらい、辛抱強く、育ててもらいたいと、切に想う。

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  4球団競合の末、抽選、くじ引きで、「ロッテ」が交渉権獲得か・・・・・・・・

  なんという偶然か、日本名・重光昭夫。本国での、韓国人名、辛東彬(しん どんぴん)。

 かつての、ロッテ球団代表で、重光一族オーナーであった彼が、昨年の2月23日、本国で、前・韓国大統領であった、パク・クネに対し、ワイロを渡した、贈賄の罪に問われ、否認するも、その日に収監されたことを受けて、球団代表も、オーナーも辞任、

 ロッテ・ホールディングスの、日本人取締役に、球団代表職を譲り、韓国ロッテグループの代表として、裁判を戦い抜くも、本日、執行猶予4年付きながら、韓国最高裁で、上告棄却され、懲役2年6月の、有罪判決が確定した、

 よりにもよって、この日にかあ・・・・・・・

 それも、韓国で・・・・・・

 ロッテのお菓子のように、世の中、甘くは無い。

 球団は、渋ちん体質だけれど、がっぽり、契約金と、年俸、手にして欲しい。

 名前の如く、朗らかに、希望を抱いて、彼のマウンドでの姿を、安心して、見詰められるのは、いつの日になるか、分からないけれど・・・・・

 ひょっとしたら、ひょっとしたら・・・・無いかも知れないけれど・・・・・

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≪ 2019・10・29 追記 ≫

 ロッテに、ドラフト1位で、獲得された、上記、佐々木朗希の動向が、全然、伝わってこないと想っていたら、本日、 大船渡高校に、ロッテの、井口資仁(いぐち ただひと)監督が、表敬訪問。

  ( 共同通信 撮影 ) 

  挨拶と、話し合いは、約20分間ほど。

 高校の玄関前で、迎え入れるカタチで、このように、すぐさま、笑顔を互いに作って、記念撮影。

 会談後も、この佐々木。

 話すことは、自分の体力の乏しさばかり。

 「体力面など、そ~ゆ~ところが、まだ、大きく足りないと想うので、一歩づつ、しっかりと、歩んで、頑張っていきたい」

 「少しでも、カラダを強くしてゆきたい」

 「頑張っていけたらと、思っています」

 自分のカラダの、「現状」を、よく自覚し、知った上での、希望めいた発言の繰り返し。終始。 思い上がっておらず。大ぼらも、吹かない。

 腕、ひじ、肩、股関節。

 ゆ~っくりと、プロ仕様に、創り上げていくのに、5年間ぐらいは、必要だろう。

 1,2年目で、客寄せパンダの如く、投げさせても、へたすると、1イニング、持たないで、降板、治療直行になるはず。

 長い目で、じっくり、見守るしかないであろう

 

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 ≪ 2020・7・1 最新追記 ≫

 佐々木朗希を、1軍に帯同させているのに、ピッチング練習すら、させない、マスコミに、見せないのは・・・・上記の事情が、あるからです。

 佐々木老木、ならぬ、朗希のコトを、キチンと取材していない、プロ野球担当記者は、開幕以降のロッテの連勝ぶりも報じるけれど、それ以上に、見出しになると思い込んでいる、彼のピッチングを観たい、何キロ出た出たあ!と、

 そんな、まるで、夏のお化けのような、キヤッチが欲しいだけ。

 試合前。他の1軍選手の動きを追わず、佐々木朗希のあとを、ゾロゾロと、くっ付いて歩く、繰り返しの日々。

 投球練習させないのは、別に、出し惜しみしているわけではない。

 私も、危惧していたが、1か月以上前の、5月26日に行わせた、「シ-ト打撃」の投球ぶりを、1軍ピッチングコーチであり、大リーグ選手経験も豊富である、吉井理人も、井口資仁・監督も、その目で、わずか、11球を見ただけで、止めさせた。

 やはり、まだまだ・・・・無理をさせられない。1軍で投げられるカラダに、まったく、出来上がっていない。このまま、例え、「客寄せパンダ」的に、1イニングだけでも、投げさせ、肩や、下肢の、バランスの悪さが露呈するだけでなく、壊れて、故障でもしてしまったら、元も子もない。

 「体力の回復を待つ」とか、「ケガをしてしまいかねない」という、声が、球団内部から漏れたというのは、そういうことだ。

 佐々木朗希には、通常の投手用マッサージ師だけでなく、実は、専任の男性医師、ひとりも帯同。

 常に、慎重に、見守っている、

 とはいえ、金の卵。

 1軍に帯同させれば、マスコミも付いてきて、報道してくれるはずだし、そのうえ、

  このように、7月12日(日)、ロッテの地元球場で、実施される、「マリン フェスタ」なる名称の、ファン感謝デーの、看板として、彼に登場してもらい、人気と、消えない注目度を維持させる。

 このように、宣材写真まで、提供、配布して、本人の意向、かまわず「RO-TAN」なる愛称まで、付けさせて、あざとく、かつぎ出し、

 年俸1600万円と、契約金、1億円(いずれも、推定)の、元を、しっかり、電卓叩いて、とりまくる。

 新商品のお菓子が出れば、宣伝に、ひと役も、10役もかっていただき、もちろん、ファンにも、買っていただき、1億1600万円の元をとるという、まあ、商売、お上手。

 大事に、大事に、扱い、早くて4年後。通常であれば、5年後。

 良いピッチングを、魅せまくってくれる・・・・・のではないだろうか。

 きしくも、今日から、岩手県内だけの、高校野球大会予選が、始まった。

 すぐさま、母校にメッセージを寄せて、投げなくとも、期待感と、注目度だけは、保っておく。

 これからも、神輿は、地に置いて、冷静に、見詰めていこうと想う。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 冷静な、データによる、「第2弾」

 追って、記事化いたします。

 どこも、記事化していない「チーム」を軸に、新たに取材したことばかりです。

 1年目での、佐々木朗希のマウンド上での快投は、期待しないでください

 な~んだ、と、ガッカリされる方は、ソレは、それで、仕方ありません

 彼が、もし、肩を壊したとしても、ネットのファンが、面倒看てくれる訳ではありませんから。

 快投を、1日も早く!、と望む人達への「回答」です、


【 リアル 元プロ野球&メジャーリーグ投手&名コーチ ルポ 】吉井理人。佐々木朗希を大事に育て、今は、球団コーディネーターになって、3月に渡米視察しまくり、朗希の記録について語る

2022-04-17 23:19:14 | プロ野球選手の、その後の人生を追って・・・

先ほど、佐々木朗希を担当している、1軍投手コーチが、木村龍治に代わっていたことを知り、いささか、驚いた。

 吉井理人(まさと)という人。

 監督と、指導方針を巡って、衝突し、退団したという、性格でもないし・・・

 と、思ったら、球団の「ピッチング コーディネーター」という、肩書を得て、自由に動き回っていることが判明。

 この3月には、長期に渡って、渡米。

 古巣とも言うべき、メジャーリーグのキャンプ、練習を見てきた。

 ダルビッシュ、野茂らと、会いまくり、旧交を温めつつつ、今のメジャーの実態を聞き込み。

 マイナーリーグの様子も見てきた。

 そして、自らも育てた、佐々木朗希の、4月10日の完投試合も、直接、球場で見た

 その感動ぶりなど、あけすけに、正直に、自らのブログで、「わしの見た,朗希の、模様」を、楽しく、つづっていた。

 侍ジャパンの投手コーチも、依頼されて担当。

 まあ、読んでいただきたい


《 リアル 皇室 ルポ 》 恋愛磁石母・久子の手を離れて、結婚への道を歩む、高円宮・奔放・承子や、報じられない典子や絢子の、驚きの今。第1弾

2022-04-17 22:29:10 | 国民が知らない、皇室の素顔と実生活

 

 急に、盛り上がっているみたいな、三十路過ぎの、放漫で、豊満だった肉体の持ち主、高円宮承子(たかまどのみや つぐこ)の、婚約への、ネットニュース。

 ああ、この時期に、婚約発表、やる予定で、進めていたから・・・・・そうだろうな、という、受け止めです。

 別に、そのネタ。

 もう、承子は、とっくに寝た・・・でしょうが、

 週刊女性のネット版ではなく、昨年の4月。

 とっくに、週刊新潮の紙版で、記載されていたんですよ。

 もう、8か月も前に・・・・。

 なんてこたあ、ありません。

 なんで、4月の時点で、12月に延ばしたのか?というと、5月くらいから、あの、何でもかんでも、「よきにはからえ」の、国民の税金、無駄遣いしまくっても、平然の、新カツラ・テンノーが、即位ではなく、正しくは、譲位されることが、残念ながら本決まりになっており、

 その、セレモニー、式典が、12月4日まで、ダラダラと続く。200億円も、無駄遣いの限りを尽くして。新たに、昨日、新しいカツラ、税金で購入したものを、スッポリと装着して、歩いてましたが・・・・。

 その7か月間の間に、婚約発表してしまうと、新テンノーへの、襲名披露、跡目相続に、迷惑が掛かる、お祝いごとに、水を差すことになりかねない・・・・という、深謀遠慮が働き、

 一連の式典が終焉を迎える、12月5日以降にしましょう・・・・という運びに、3月から4月の時点で、なっていたんでざあますのよ。

 御相手も、大手銀行勤務のサラリーマン。同い年の、いったん、別れて、しばらく、疎遠になっていた、いわば、元彼だと。

 そこまで、週刊新潮が、さりげなく、見出しも付けずに、書いてた、

 おまけに、母の久子が、また、人間磁石のように、くっつけて、ハイ、典子に次いで、一丁上がりとばかりに、愚かなことをしてしまった、悲劇の、まさに「女王サマ」、絢子(あやこ)が、12月上旬に、第一子が、産まれる予定とまで、これまた、さりげなく、書いていたんでざあますのよ。

 立ち読みしながら、新潮が、ココまで、具体的に踏み込んで書き添えている・・・・ってことは、相当、確証があって、裏取りも、そこそこ、取れているはずと、感じた。

 まあ、絢子の、出産期日だけは、半月早く、昨年の11月17日だったけれども。

 ただ、その時点で、元彼との、いわば、愛再燃の男に、直撃はしていないものの、名前も、家族関係も、すでに、押さえていると想った。職業柄で。

 だから、週刊女性には悪いが、スクープでも、何でもないシロモノ。

 ま、元彼で、婚約者に、直撃したことは、追加で,御苦労さんとは想うけれどね。

 3姉妹のそれも、長女が、初めて、磁石好き母・久子の手を離れて、いわば、自分の意思だけで、世界中の男たちと、色々、イロイロあった末に、後戻りして、見い出し、年貢の納め時と決意した・・・・ということ。

 人様の恋愛に対して、アレコレ書くのは、承子の「皇籍離脱」にあたって、またも、推定額1億200万円が、一括、即日、承子の、個人金融口座に、振り込まれるから。

我々の、ケツ、否、血税が、注ぎ込まれることになるから。 

 調べて、書くのは、当然と、思うから。

 承子に関しては、、すでに、私も調べて、書き連ね、多くのマスコミも、留学時の、肉体、セックス、咥えの、狂乱、奔放さを報じてきた。

 それだけ、オトコの裏も表も、知り、尻尽くしてきたので、妹の典子や、絢子と違い、失敗した婚姻生活を送ることは・・・・・無い・・・・・のではないか?と、思っています。

 失敗?

 典子は、ともかく、絢子までも?

 はいな。 第2弾では、ソレを中心に書きます。

 今年の正月明けから、改めて、再取材、続けてましたんで・・・・・・。

 

 


【 リアル プロ野球投手 ルポ 】4月17日、日曜日、佐々木朗希、102球で降板。これ以上投げても・・・

2022-04-17 20:01:28 | 高校球児の、その後の人生を追って・・・

 4月17日、日曜日、千葉マリン球場。満員札止め。本当でしょう。

 午後2時、試合開始、

 北島三郎は、ファイナルの、熱唱開始

 佐々木朗希。マウンドへ。 

 スタジアムを、ぐるり、360度、取り囲む観客。

 確かに満員でした。

 

 朗希の年俸、1600万円。

 あと数回、先発登板すれば、見事に球団は、元がとれる計算になる。うひひひ・・・

 本日、102球で、8回降板。

 4月10日には、、9回で105球。

 ほど良い球数でした。

 佐々木個人が考えていた球数、8回で肩に、過多の感覚と、大学側からのデータ。

 本人言う通り、フォークの落ち、コントロールが、前回に比べ良くなかった。

 結果、3ボールに、なったり、2-3のフルカウントになったりしていた苦しい内容。

 しょせん、話題だけのお騒がせ「勘ピューター」で、選手起用をしているだけのドシロート、新庄。

 しかし、このボール,半個分の、上下左右の、絶妙であるべきコントロールが、ずれると、宮城大弥のように、苦境に陥ってしまう。

 さほど、期間置かない間に、試合後半に、相手打線に、つかまる可能性高い

 で、試合前に決めていた100球超えたので、降板した。

 これが、今の「厳状」だ。

 4月10日以降、ノースロー

 検査も受けた。

 ストレッチだけは、連日、入念に、繰り返してきた

 4月15日、ブルペンで、ゆっくりと、26球だけ投げてみた。

 前日は、軽いキャッチボールと、松川虎生捕手との、入念な打ち合わせ。

 そして、今日

 マスコミ、わいわい、騒ぐだけ

 降板の「真相」、知らない。取材もしていない。

 彼らにとっては、しょせん、使い捨て。次、ヒーロー。さがすだけ。

 次は、商売的には,みたび、儲けられる千葉マリンでなら、4月26日から、5月1日までの7日間のうち、いずれか、降雨予報無き、いい天候で、浜風、強く吹かない日を選び抜いて・・・

 9日以上,登板間隔空き,ちょうど良い。

 大事に、大事に、ガラスの肩と付き合い、腰、下肢

 細心の注意、払う

 ていねいに、扱っていきましょう

 来年までは

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 井口監督

 記者団に囲まれて,次は、24日、日曜日、京セラドーム大阪でと

 「但し、朗希の体調をみてからだけれど」

 「7回で、降りてきたとき、見るからに、へばっていたんだよね」

 「チームが、たとえ、1点以上、取ってくれていても、8回、100球超えた時点で、おろすつもりでいました」

朗希。

 8回で、、自身も納得の上で、マウンドを降りすぐさま、右肩を、慎重に特殊アイシング治療したうえで、ベンチに戻って、応援していた。

だからこそ・・・・

 うーん、少し早すぎませんか

 今日の内容観てると・・・・