懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

へたうま

2016-05-14 16:36:33 | Weblog
また、与太話。(ジャンル分け、そのうち、ちゃんとやらんといかんな、と反省。)

プリンスのステージパフォーマンスを改めてみてしまうと、うますぎて、今まで平気で見てた他のミュージシャンのライヴ画像が、今までと同じ気持ちで観られにくくなってしまう。

でも。プリンスみたいに、何でもうまいのもいいけど、そんなにそこまで何もかもできてうまくなくても、

頭切替えれば、そこそこダンスがうまくて一生懸命だったりするパフォーマンスも、楽しく観れる。

楽器の演奏、振りだけで実際にはバックバンドがある有り方って、自分の記憶では男闘呼組あたりから出てきたと思うんだけど。

TMネットワークの人だったかと思うけど、リーダーがキーボードの人に、ある時、「もうキーボード弾いてる場合じゃないよ!」と言って、竹馬の練習させて舞台で出したんだか、そんな話があったと思うけど、ステージパフォーマンスは、日本でもある時から、より空間を自在に使って派手に演出するようになった。

そうなってくると、プリンスみたいな何でもできる人ばかりとは、限らないから。

最近目に留まったものでは、ジャニーズのコンサートの若手が、真ん中のスターの後ろで踊ってるんだけど、一生懸命やってて、目が行く。

それにしてもプリンスは、うますぎる。ダンスも演奏も歌も振りも。

マイクをちょっとついてとばして、またそれが帰って来たのをキャッチ、みたいな歌い奏しながらの何気ない動きも、
一番うまいかも。これを見て、ジャニーズの真ん中の人のを見て、思わず、うっとなってしまった。

それさえ見なきゃ、ジャニーズのスターの人のも、楽しく観れてた、自分。

でも人は移り変わっていくので、新しい人が、完ぺきではなくても努力して上がっていくのも、みていて目が行く、っていうのもある。

スペクタクルを、どう見せるのかって、演劇界や、音楽界のその仕事の人たちが、互いのアイデアをそれぞれみていって、今の形になっているのかな、とは思った。それぞれ影響しあってるのかも。

一つ言えば、歌い続けていくなら、歌はだんだんうまくなった方が、モアベターだと思う。

ライヴなら見れるけど、CDとかで聴くと、そんなにずっと聞き続けない歌って、歌唱、単体が弱い。で、歌手の人って、人によっては努力してるので、だんだんうまくなる。ダンスだけじゃなく、歌も向上した方が、CD買う気になるんだけど、と思う人もいる。プリンスみたいに、何もかも、ってわけには、なかなかいかないのでしょうね。
(プリンスは、まず、声がいいなと改めて思った。アメリカの競争社会でのし上がった人だから実力ド級は、当たり前なのでしょうけど。)

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演出家の嗜好

2016-05-14 14:06:07 | バレエ
【だいぶ前に書いた内容なのだけど、この所、脱線しまくりで、バレエネタを出しそびれていた。

このタイミングでUPも何だけど、これ以上後になるのも何なので。

バレエ振付家関係の懐古ネタなので、興味ない人はスルーしてちょ。】


作品の創造者が、男性を主役、メインで作品を作りたいと思うか、or 女性か、によって、どうしても作品や、「誰がスターになるか」等々が異なってくる。以下、そういったことへの私的独断による一考察。

バレエの振付家の大御所で、

ベジャールもグリゴローヴィチも、男性をメインに作品を創るのが好きそうなタイプで。

モーリス・ベジャールは本能の赴くままに、気に入りを作って作品を創ったのかしら?と思うけど。
(このあたりは、ベジャールをモデルにしたっぽい、有吉京子のバレエ漫画に、それらしき話が出てくる。それと、先ごろ他界したプロデューサーの本で紹介されていたのは、ベジャールの元の気に入りの、ジョルジュ・ドンのその後の話。モーリス氏が、ドンを気に入ってボレロ等で起用されてスターになったあと、ベジャールの寵愛が、別のダンサーに移り、失意でやけ買いするドンが、周りの高名なダンサーに心配されていた。それを読むとさすがに、気の毒は気の毒なんだけど。

ベジャールはこの辺の話で、悪く言われたことはなかったと思うけど、天才と言われた創造者、作家にとって、表現欲求、作品、振付を作りたい欲求、イマジネーションがどこから湧きおこってくるのか、その創造の神の赴くままに、とでもいうのか、よく分んないけど、「この人で作品を創りたい!」とか、この人に振付たい!とかって、湧きおこる思いが、やっぱ、あるのかな?なんて思ったりして。

で、もうそれが終わった関係、飽きちゃったダンサーからは、引いていくのかな?と。(私も振付演出家じゃないから、よく分らないけど、そういうもんなのかな??と想像してみた。)

で、グリゴローヴィチに至っては。この振付家の作品を最初見た時、ほんっと男ダンサーの踊りが好きなんだなあ!!!
と思って。(当時私は、男よりバレリーナ重視だった。)

それで私思うに、超古い話だけど、大昔『スパルタクス』等で成功したダンサーの時代。

ウラジーミル・ワシーリエフ(イワンじゃなくて、おじさんの方の)って、グリゴロヴィチがボリの芸術監督だったから、スターになれた、(グリが男性ダンサー舞踊好きだから。)で、もしも、グリが、例えばバランシンみたいな、バレリーナのためにバレエ創りそうなタイプだったなら。

男性スターとしてもっと押し上げられたのは、当時なら、マリス・リエパ当たりだったのでは?と思って。
大昔の『スパルタクス』画像を見ていて、
主役:マッチョの技巧派・V.ワシーリエフ、敵役のやられ役:美男で花のあるマリス・リエパ
この関係は、おそらく芸術監督とか、演出家によっては逆で使うだろうな、って思ったのと。

三浦雅士のバレエ評論でまともなものに、三浦氏が90年代ごろにグリゴローヴィチの仕事を論評したのがあって。(昔の公演パンフに出てた。)グリゴロとプリセツカヤの争いって、実は有る所では、ありがちな面も大いにあって、それを見抜いたのは三浦一人だけ。演出家とプリマの対立。そこには、プリセツカヤのスター主義と、グリゴローヴィチの集団創造、といった、考え方の違いがあるって正論。

三浦氏の指摘を超えたことを言うと、プリセツカヤは、本当は、自分の為の作品を創ってほしい人。彼女の舞台って、いつも彼女が中心。彼女の「白鳥」って、3幕黒鳥の場で、彼女の独り舞台の趣き。正直言って、演出的には、自分が見るともの足りない感はある。
で、グリゴロは、もっと演出で構築力を出す個性の人。作風見ると、両者の違いは明白。

でも、これがグリでなく、バレリーナの為の作品を創りたい人で、プリの為に作品創りたい、なんて思える人だったら、状況は違ったろうって。ま、プリはプリ自身がやるしかない運命だったとしても。

舞踊家の、何を価値とするかは、人それぞれの価値観。

マリス・リエパは花があって、女性にキャーキャー言われそうな人。V.ワシーリエフは技巧に強く、かつ、リエパほどキャーキャー言われるタイプではなかった。今は、V.ワシーリエフが主役でリエパが悪役で、誰もそれを疑わないけど、これは、演出家によっては、逆キャストで作品創るかも、で。

(当時の踊りについて、バレエファンが、かわいいエカテリーナ・マクシーモワは、V.ワシーリエフより、マリス・リエパと組めばいいのに、と言った女性が居て、なるほどね~、と思ったことがあった。一般女性客の感想って、例えばそんなもん。)(ただ、マクシモワ/V.ワシーリエフのペアについては、貴族の出だかで、V.ワシーリエフとは釣り合わない高位の女性だったマクシモワが、V.ワシーリエフを特別に気に入った時期があったから、このペアになった可能性も高いと思うので、グリゴロがワシリエフを気に入って重用した時期があった、というだけでなく、マクシーモワに気に入られたから、活躍の場が広がったという事も、あるのかも、とは思う。)

スターシステムとは、しばしば、上の決定権者に気に入られた人、何からの理由で目が留まった人がスターになる。
だから、男ダンサー好きの演出家がやる場合と、女性メインで作品創りたい人が上の場合で、大いに創造の現場の状況は異なると思う。

元はと言えば、グリゴロはプリセツカヤが気に入ったから、ボリショイで芸術監督になるに至った、というような話も、バレエ雑誌には出てくる。ただ、才能があるからとプリが気に入ったけど、肝心の彼は、新時代で男性にガンガン踊らせる男性バレエ嗜好の人だった。

で、タラればだけど、もしも、グリのポジションの人が、バランシンみたいな、男性より女性、のタイプの演出家だったなら、別のダンサーがスターになったんじゃね?と思う。

でもでも、当時、優雅な女性バレエから、迫力の男性バレエへ、ベジャ&グリって、そういう時代の気運を負ってるので、男性バレエの台頭は、当時の趨勢であり、変えられなかった??かもね、という気も、半分するが。(繰り返しになるが、最初、私はむさい男バレエは、そんな好きじゃなかった、け、ど。この男性バレエが、バレエ新時代の隆盛に、悔しいが一役買った。)

昔、日本の留学生が、ロシアでは、バリシニコフ(きっと全盛期の)と同じ位、技術の高いダンサーもいた(日本では無名)、等証言してたので、昔のボリショイ、マリインスキーあたりでは、綺羅星のごとき才能が色々いたんだろうと思うから。

プリや、V.ワシーリエフらは後年、グリと対立姿勢を西側のマスコミにだいぶ見せたので、グリは色々言われる人であり続けた。しょせんはボリの芸術監督なんて地位は、私らにあんま関係ない次元でイロイロ、ありなのだろうと思うわけだけど、
(先のフィーリンも3月で退任、だし~。日本人から見たら気にしても仕方ない面がある地位なんだろうなって思う。)

それと私自身、ソ連時代のグリの、芸術の中身に関係ない部分について、弁護なんかする気は、一切ない。ただ、ほんというと、V.ワシーリエフはグリゴロが芸術監督だったから、重用された、スターになれた、のかも。(自分も皆もそうだと思うが、ソ連時代の奥の院状況については、その状況知ってる人って少ないと思うから、外野のファクトベース観点の憶測。ソ連の裏事情に超詳しい人いたら、実際の所を知りたい気もするが、そういう話、知ってる人ってあんまりいないと思うから。バレエの話に限らないが、当時のソ連の話って、肝心の、知りたい話が、分からないことが結構多い。)

もし、他の人、他の嗜好の上なら、別の人が寵愛されたのかも?という、決定権者の嗜好の問題というのは、別途ある。

仲が悪いはずと思われてる(今はどうか知らんけど。ロシア、日本人とは感覚違うし)V.ワシーリエフとグリゴロだけど、グリが上じゃなかったら、V.ワシも出なかったろう、ってのは、試論として、ちょっとあってもいいかな、と思って書いてみた。

グリだけでなく、当時、ソ連があって労働者や農民、プロレタリアートが主人公の社会を作る、というテーマがあって、その意向にはまったのが、V.ワシーリエフの『スパルタクス』像だという事は、疑う余地がないと思う。ドンピシャ、求められるキャラに、はまるはまる。グリの好みだけでなく、周囲の意向や、何より当時の社会の要請の中で、イメージが合致した部分は、大きかったと思う。ただ、普遍的に、女性ファンにキャーキャー言われるような「花」の要素もスター資質で、それは、リエパもしかりだし、他のダンサーの方があったと思う。また、もしも、女性好きの演出家なら、バレリーナの為のバレエを作り、それに見合う王子役スターが上がったりってこともあり得る、とか。

そういうことが、全て、演出術なのだと思う。

脱線だが、美女譚の中で、イザベル・アジャーニの話を書いたが、男と女の愛でなく、映画監督と映画女優への愛を感じるのがトリュフォー監督のアジャーニ主演『アデルの恋の物語』だった。この女優さんは、こう撮ったら、いいんじゃないかな~、というのが、色々アイデアが沸いたんじゃないかと思えた。(あの作品は、最初に実在のアデルの話をやろうと思って、後からアジャーニが起用になったのか、アジャーニを撮ろうと思って、後から骨子が決まったのか知らないが、男装のシーンの可愛さとか、彼女のために作られたとしか思えない。例えて言うならバレエも同様に、バレリーナは、コレオグラファーにこれ位愛されて作品を創って貰えると、きっといいんだろうなって思う。

ただ、人が人に作るので、好みとか、どうしようもない問題って、常にあるのかもね、と思う。創造の神の寵愛を受くるは誰か。と。

※今回はV.ワシーリエフの話。別で、プリセツカヤの話(カルメンとかの)は、どっかで書こうかなと思ってた。気が向いたら書くかも。
(検索で、現代の方のダンサーのイワン・ワッシーの情報取りたい人が、検索ワードで間違ってここに来ちゃったら、ごめんです。)


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最低女ベッキー

2016-05-14 02:04:36 | Weblog
めちゃくむかつく。

ベッキー最低!

中居のやらせ番組も、止めてほしい。無くなってほしい!!!

日本って、倫理観の無い国になったのね!!!

もう一回言うよ!!

ベッキー最低!!

二度と出てこないでほしい!目ざわり!

心の中で赤い舌を出しながら謝ってんだろうな、と思うと、

こんなのが復帰とか、日本って、ダメな国になったんだと、情けなさひとしお。

あれの奥さんも、いい迷惑だったわね!!

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最低女ベッキーと、中居と、スマップ解散

2016-05-14 00:59:58 | Weblog
最低・不倫女のベッキーが、こんな早く復帰。

(ツィートの内容とか、酷い女!)
こんな世の中は、子供の教育上、よくない。

思ったんだけど、

中居も、去年騒ぎを起こしたのに、こんなことしてるのを見たら。

スマップ、解散でいいんじゃない?ジュリー景子氏だっけ、間違ってなかったんじゃない?

中居、とその周囲、何か、勘違いしてる、思いあがってる。自分はアイドルだから、言えば通るとでも思ってるのか?!

スマップの昨年末の迷惑な(TVに、急に出てきた。呼びもしないのに。)番組出演とか、考えると。

中居とそのスタッフも、浅はか。

あの時、ツィートで「スマップは国民的アイドルでは、ない」というのを見たけど。全く同感。
どうでもいいおじさんの集団に、マスゴミの一部が利用価値があるから、とりあげてるだけなのか。

だとしても。

つい最近、騒ぎを起こして迷惑かけてた(番組出演は、見てて迷惑だった。急に、見る気もないのに、わけのわからない謝罪釈明会見のスマップ。)スマップは別に、国民的アイドルじゃ、ありませんから!

木村拓哉も良く考えろと言いたい。

騒ぎを起こした後、しばらくは自粛ってあっていいと思うのに、この思い上がりって何?

ベッキーは、二度と見たくないし、うんざり。

でも、かばった中居も、同罪。

中居って、昔、妊娠した彼女を降ろさせる時、「まだ細胞だよ」って言った人よね。

そういう人だから、ベッキーの件も、無神経なんじゃない?

日本に、そんなに期待があるわけじゃないけど、こんな世の中じゃ、若い人がますます、倫理観から離れていくよ。

昨年、新入社員に「世の中、いい加減だから」と言われた。

今回のベッキーの件は、世の中のいい加減さ、そのもの。

ベッキーは最低女だし、スマップも、こんなことあるなら、もう解散していいんじゃないの。アイドルは若いもんにまかせて。大人の価値って、大人なりの思慮であって、傲岸さではない。

TVの公害、TBSの金スマ。(視聴者を、作り手の意図でマニピュレートできると思い込んでるふしがあって、公害だと思う。いい加減、目を覚ませよ!不快番組なんだから!)

石原慎太郎と意見が合うとは思わなかった。美容院で週刊誌読んだら、「金スマ」で、後ろの女どもに、番組出演した石原が不快そうに、”この女たち、何?”というようなことを言ってたそうな。私も、ほんと、そう思う。あの女ども、変。
後ろの肯定してくれる女どもに守られないと意見が言えないような奴は、問題外。

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