懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

映画「ムーラン・ルージュ」ニコール・キッドマンのもう一つの椿姫

2009-02-23 01:15:24 | Weblog
小デュマの自伝的小説「椿姫」の舞台化作品を、先週18日に県民ホールで見たのだけど。

その直後、地上波TV放映された、8年前の洋画「ムーラン・ルージュ」を家で見たら、そっちの方が、一種「椿姫」に似た所もあって、かつバレエの「椿姫」より、ずっとストレートに愛を謳い上げて、激感動的だった。

椿姫に似てると思ったのは、終盤で、高級娼婦のヒロインに、恋人の青年が、裏切られたと誤解して、札束を投げつけるシーンが、全くおなじだったから。

でも、恋愛劇としては、こちらの方が遥かに上出来だった。

かつてのパリのナイトクラブ、「ムーラン・ルージュ」。
金と権力ある男が遊侠し、貧しい美女たちが金で愛を売る夜の世界。

フレンチ・カンカンって、ロートレックの絵では、そんなにスカートを上までまくってないけど、この映画では、派手にスカートをまくって腰とスカートを振って踊る。フランス人って、Hだなあ。

「ばかになろう!」とか言って、フレンチカンカンのあほくさいダンスで盛り上がって、リズムにのって陽気に踊る冒頭のダンスシーンが前座。ナイトクラブのダンサーたちと男性客たちが盛り上がった所に、ナイトクラブのスター・サティーンが、皆の頭上でブランコを漕ぎながら華麗に登場する。

ニコール・キッドマンて、あんまり気にしてない女優だったんだけど、彼女の扮するサティーンが、どうしようもなく美しく魅力的。
美貌と均整のとれた肢体。男の好みに合わせて、恥らう乙女も陽気な娘も妖艶なタイプも演じられる高級娼婦。

ダンスも巧い。ほんとにいいパトロンを見つけて、ナイトクラブを出て本当の劇場の女優になればいいのにと思うような、クルチザンヌで終わるには惜しい花。

こういう役を演じる女優さんの美貌と姿態と演技力の前に、お金払って見たはずの、こないだの「椿姫」役のバレリーナが、色褪せてゆく。

バレエのと違って、この映画の恋愛は、本当に純でいちずで、そして若者らしい明るさや脳天気さもあって、共感をそそる。

ヒロインはどうしようもなく美しい。そしてクラブのショーで「ダイヤモンドは女のベストフレンド」歌い、金持ちの公爵と寝てパトロンを得て、女優になることしか考えていない。

貧しく美しく才能ある娘は、愛を金で売るのは当然と思っている様子で、それがまたさまになっている。カモになる男を誘惑するシーンの軽妙さが痛快だ。

こんなすれた考えの女性が、ちょっとした手違いをきっかけに、彼女の美しさの崇拝者の貧乏な作家志望の青年と、恋に落ちる。

全編を通じて流れる二人の心情を謳い上げた、二人の歌唱が素晴らしい説得力で、「すべてを乗り越える愛」を訴えてあまりある。

字で書くと、嘘っぽいんだけど。

時々ミュージカル仕立てで、歌も上手いから、愛が不可能を可能にするさまが、歌で伝わっちゃう感じで、ありがちなストーリーのはずなのに、要のシーンごとに、見るたびに泣ける。ぼろ泣きした。

最後は、二人の恋をベースにした劇の上演がムーラン・ルージュで上演され、オールスタンディングオベーションの興奮の中、幕の下りた舞台でヒロインは結核に倒れる。

慟哭する青年の胸の内で、真実の愛を得た聖なる娼婦は、一人残される青年を思いやりながら死んでゆく。女神のように、慰め励ます言葉を紡ぎながら。

「しっかり生きてね」「私たちの話を書いてね」と。

不滅の愛をテーマとした、素晴らしい作品になっていた。

対し、バレエのノイマイヤー版「椿姫」は、ヒロインは舞台劇の「マノン」に自分を重ね、不幸を着た女みたいで、自分は、あんまり共感できなかった。

マルグリットは、死のまぎわ、わが身を嘆き、手放したアルマンに会いたいと願いながら死んでいく。アルマンもまた、孤独のうちにくら~い雰囲気なんだけど。

なんだかこの二人、自分の不幸のことばかり考えていて、好きになれない。もちろん原作は違う、オペラも違う。ノイマイヤー版の設定が、私はあまり好きじゃない。

死の間際、男から金を巻き上げることしか考えていなかった娼婦のサティーンが、死の瞬間まで、命尽きる自分よりも、残される恋人を思いやり、生き残る男に役に立つ言葉をかける様は、優しさに溢れ、女神のようだった。

すれた娼婦っぷりも魅力的だったが、貧しく育ち、金のある男にしか見向かない、せちがらい人生を生きた利己的な乙女が、真実の愛を得て、死の瞬間にも自分より他者を思いやれる女性に変化している所も、胸を打つ。

死の瞬間に、愛を得た人生に感謝し、愛に満ち、自分より愛した男を想うサティーンの方が、自分の物語しか見ていないノイマイヤー版の「椿姫」マルグリットよりも、私には魅力的に見えた。

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県民ホール「椿姫」公演と夜景

2009-02-23 00:15:28 | Weblog
18日、神奈川県民ホールでバレエ「椿姫」を見た。平日公演は、会社を必死で定時に脱出しながら駆け込むので、ちょっと遠いと間に合わない。

神奈川県民ホール。場所が、横浜というよりみなとみらいの先、「日本大通り」という不思議な名前の、横浜市営地下鉄の駅から徒歩圏内。

横浜、みなとみらいの先、大桟橋や山下公演を望む、風雅な場所にあるホールだ。

と言っても、場所が横浜駅か、そこからまた先の日本大通りかは、微妙な時間差を生む。
距離的にそんなに遠くないはずなんだけど、ちょっと遠出気分。

ハンブルクバレエ日本公演、ノイマイヤー振付の「椿姫」は、かなり昔の作品の再演。舞台のテンションはそんなに高くなかった。一部の振付、音楽を記憶しているためか、つい頭の中でそれをなぞってしまい、次に何が起こるかわかっていて、自分でも新鮮な気持ちで見ることができなかった。

プリマのブーローニュは、ちょっと年配の女の感じ。バレエ団の上の人といった所か。音楽はショパンのピアノ曲。

上の階のロビー、海側には、大きなガラス窓があり、ライトアップされた夜景が見られる。

お客さんたちはよく心得たもので、休憩時間にそこに辿り着くと、皆判で押したように、上方階のロビーに海側に向かって腰かけ、ライトアップされた横浜港の夜景を見ていた。

私も皆のまねをすると、息をのむほど美しい夜景だった。
ゴージャス!夜景に一番感動した。

15日「人魚姫」公演で公演パンフレットを「もうこれだけしかありません!あとわずかです!」と係員さんが言っていたので、つい買ってしまったが、18日公演に、それより多い数の公演パンフがしっかり売られていた。

あれは、15日のは、「今日持ってきた分はこれだけしかありません」って意味だったのね。

15日は、民音の公演はいつもスタッフの人がとても礼儀正しく接客マナーがいいのは相変わらずだと思った。

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渋谷のNHKホール

2009-02-16 00:47:36 | Weblog
いや、感動しました。大きい。

NHKホールに行ってきたけど、客席数が多くって。3000席位だったと思う。

昔の建築で、立派。

今時客席数3000のホールなんて、採算的に、バブリーな前時代の遺物、なんでしょうけど。

日曜のバレエ公演のため、客席もほぼ埋まって、壮観!でした。

このホールは横幅が広いつくりで、ウナギの寝床みたいな縦長の東京文化会館と違って、閉塞感が少ない。
(東京文化会館大ホールの構造は、あれはあれで面白いけど)

入口のシャンデリアといい、古い時代のゆとりのようなものを感じてしまった。

バレエは思ったより、見て辟易というほどでもなかった。

思ったより、時間が短い。ロシア古典って、上演時間が長くって重労働バレエだと思う。それに比べると、この手のモダンって、こんな物語性がくどくどある話でも、時間は思ったより長くない。2時間半くらい。

でも、バレエよりホールに感動した。


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新国立劇場「ライモンダ」とハンブルクバレエのブッキング

2009-02-15 15:15:01 | Weblog
公演時期が近かったバンブルクバレエ「人魚姫」と新国立劇場「ライモンダ」公演。どちらへ行くか、迷った人も多いと思う。私も。

ノイマイヤーのバンブルクバレエの公演チケットを先に買ってしまって、行く気でいた新国立劇場バレエ団「ライモンダ」に、予定日には行けなかった。

とりあえず、ゲストのザハーロワ、マトヴィエンコ ペアは、土曜に行くのが一番良かったみたい。やっぱり感。

客入りも多い土曜だし。このペアだと初日より2回目以降の方がいいみたい。

手薄の平日に、行こうとしたが、遅刻してしまい、初台までたどりつけずに挫折して帰ってきてしまった。

平日は、当日券も空席もありで、きっと劇場側も来てほしかったと思うから、遅れても行けばよかった。「ライモンダ」凄く長いし。3時間。遅れても十分見どころ残ってたと思う。

昔のNBS公演なんかは、大幅遅刻すると、入りにくい気がしたけれど。

逆に、チケット先買いしていた、ハンブルクバレエなんだけど。
とりあえず、直前に改めて「人魚姫」解説読んだら、これ、行かなくていいような内容だった。

例によっての意味ありげワールドだけど、でも、なんだかなで。ごく主観的に言えば、あんまおもしろくない、というより、あえて見たいと思うような世界ではない。見たくないものを見せられているような、そんな感じ。
(ここに、内容を書く気になれないような話。)

舞踊的にも、文学的にすぎる感じは相変わらず。

1週前に内容把握していたら、新国立「ライモンダ」優先にしていたと思う。

新国立劇場は、値段も安く、当日券も充実していて、却ってそんしてるかもしれない。当日ふらっと行けると思って、チケット抑えていない公演って、案外行けてない。チケット買った公演は無理にでも行って、つまらないと後悔したりする。

なんとなくチケ代高い公演って、最初に抑えてしまうし、買ったからには、消化しなくては、という気分になって行ってしまう。

「値段が高い」ことが、必ずしも内容を保証するでもないのは、自明のことなのに。

「人魚姫」つまらなさそう。作品解説読めば読むほど、頭痛。

渋谷NHKホールに夜行って、何やってんだ、自分と思いそう。そんでもって、凄く良かった!とか言う人もいそう。

ライモンダは、マトヴィエンコがこれで日本公演から消えるなら、見ておきたかった。見るべきはこっちだった。残念。

それなのに、先日付のバレエ公演、やっぱり後悔のないように、良席を買い替えようと思っている。

バレエは、ほんとに見たいものだけで充分な時代になった気がする。数多すぎるし。画像も氾濫。画像ですごくいいのもあったりもする。

逆にバレエDVDって、買ってしまって1回しか見ないものもある。
たとえば「マノン」とか。

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東京バレエ団の井脇さん&ギエムのボレロ

2009-02-08 14:41:33 | Weblog
今や定着したダンサーの個人ブログ。
その草分け的存在?だった東京バレエ団のバレリーナ、井脇幸江さんの公式ブログ。

ダンサー生活しながら個人ブログで自分や周囲の報告をするのは、大変だろうと思うけど、見る側にとっては、いい情報提供の場になっている。

ところが、今度しばらく団の公演を休演されるという趣旨のことが書いてあって、ちょっとびっくり、というか、ふうん、というか。

もちろん個人生活の都合とか、観客の預かり知らない、ダンサーさん個々の想いはあるのだろうし、それはそれで尊重されるべきだけど。

だから、場を離れた、ただの観客の感想に過ぎないけど・・・。

私的には、井脇さんの最近の舞台には、色々と感動を覚えていた。
東京バレエ団の名脇役バレリーナ・井脇幸江さんについては、私も随分昔から、東京バレエ団の公演でよく拝見していた。

最初に覚えてるのは、ジゼルのミルタ役とか、眠りのカラボス役とか。
たとえばギエム客演公演とか、スターを主役にした日の脇役で、何度となく見た。

この方に限らないのだけど、一人のダンサーを見続けると、見る側も、発見も学ぶことも多くある。

実はどんなダンサーにも、いや、たいていのダンサーには、才能の一つや二つはある。そして、踊り続けること、役を貰うこと、主役を貰うことも含め、いいポジションにつけること、そして舞台に立ち続けることで、アーティストは多くを得ていく。舞台のエネルギーを吸収し、成長していく。

同じダンサーでも、変化してゆく。私たち観客には、それを見るのもまた、楽しい。

井脇さんの近年の舞台から受けた感動を今ここにすぐに列挙することはできないのだけれど、井脇さんにも、ギエムにも、「舞台に立ち続けることによってダンサーは変わっていく」という同じ感想を持った。

今回のギエムのボレロを私は見ていないが、見た人はあれこれ言っていた。

すでに、以前のブームのファン層の熱狂が冷めつつあるギエム。
舞台に立ち続けることによって彼女が得たものが、今の、彼女についての鎮静の時代の、今回の舞台には出ていたことだろうと思った。

ブーム渦中でない、鎮静の中での、ひたひたとした感動。

それは、以前の「ギエム神話」の熱狂とは全く別次元の、一人の舞台の踊り手が地道に愚直に舞台に立ち続けることによって得たもの、その成果を披露し、判る人はわかる、という類いの感動ではないかと、知人の話から想像した。

もうバレエの世界は、ギエム神話からは解放されていいんじゃないだろうか。

かつてギエムでバレエファンになった顔見知りは、数年前、ギエムもさすがに老けたといっていた。熱狂の時に愛してくれるファンと、その後の円熟の時期に認めてくれる人というのは、必ずしも同じでなくてもいいのだと思った。

芸術に求めるものは、それぞれ違うのだから。

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