懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

山岸涼子バレエ漫画「ヴィリ」

2008-01-17 01:16:34 | Weblog
読んでみて、内容にはちょっとがっかり。

「マンガ」として読めば、構成とか、プロから見ればよく出来ているのだろうけれ

ど。

とにかく、「恋愛」と言うものを根本的に理解していない。

これは、山岸涼子さんの心の世界の問題なのか、或いは現実のプリマ業界にもこう

いう人はいるのかどうか知らないけど。

大きな娘のいる主人公が、全くつきあってもいないパトロンの社長がプロポーズし

てくれるんじゃないかと、一方的な思い込みを抱く。

それは愛でもなんでもない。

ただの未熟だ。いい歳した大人の女性の発想としてはお粗末過ぎる。

バレエ「ジゼル」はいわずと知れた愛についての物語であり、そこに登場する「ヴ

ィリ」を、こういう未熟な女性の話で使われるのは抵抗感がある。

「ヴィリ」では、「愛とは許すことなのだと」とか言うせりふがオーバーに出てき

て疲れるが、(ヴィヴィアナ・デュランテのインタビュー内容だが、大仰にいうほ

どのことか)愛があれば、許すなんてことは基本であって、状況次第でごく「当た

り前」のことだ。バレエ雑誌のつまらんおしゃべりを見ていると、『ジゼルが、裏切

った(?)恋人のアルブレヒトを許すのは、よくわからない』とか、昔の貴族の差

別意識がどうとか、と言う話になるけれど、現代においては、それはただの逃げ

だ。

ゆーたらなんやけど、許せなかったら別れるなり、棄てればいいのが恋。

逆に言えば、何か不都合があって、許せなかったら、それはそれだけの愛でしかな

いのだ。「不実な恋人を許すジゼルの気持ちが解らない」という人は、それ以上深

く人を愛したことがないだけじゃないのかな。

「愛しているから、許さない」こともたまにはある。

でも、それはかなり例外的なことだ。

実の所、ジゼルにおいては、許すとか許さないとかよりは別の所に、話のキーはあ

ると思うのだけれど。

許すとか許さないとかって、いささか傲岸に感じもする。

そしてまた、ジゼルが許したからといって、おいそれとは救われないアルブレヒト

の心もあると思う。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-09-16 23:11:40
うーん。それは貴方の恋愛観でありバレエ解釈であって山岸涼子さんの恋愛観がどうということではないと思う。

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