懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

天皇賞

2006-10-29 23:24:32 | Weblog
えっと、まず「豊ワイド総流し」に関する補記です。

OLさんが買っていたのは、GIレースだけ。

武豊馬券でなくても、「軸安定3着ヒモ荒れ、ヒモ絞れず」のケース、多忙で予想

考える甲斐性ないときなどに、応用きくと思いますです、ハイ~。

「豊ワイド総流し」は競馬初心者向けプラン。

対して「この頃2着男・横典で中、高配当を狙う」なんてなプラン出せたら、競馬

慣れした人ですね~。

今日の混戦秋天も、面白かった。フィギュアスケートよりずっと。

この頃バレエ公演多すぎて、競馬場に行けなくなった私。

上位6着まで皆勝たせたい位の秋天だった。

強い牝馬が好きなので、秋天の顔・ダンスインザムード今年もが見せ場を作ったこ

とを、称えたい私。6着なんて甘い?

こんな私を尻目に、通り道でおじさんたちが真剣に「秋天反省会」をやっていた。

「やっぱ、スイープトウショウの馬体重10数キロ増はさあ・・・」

競馬場へいってれば、きっと私も大同小異の会話を・・・。

天気予想外れて

さて、あなたの馬券予想は当たり?はずれ?

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武豊ワイド総流し

2006-10-22 23:59:11 | Weblog
昔の話。

競馬を知らないOLさん。知っているのは騎手の武豊の名だけ。馬名も知らない。

それで、職場の同僚にいつも馬券を買ってもらっていた。指定はいつも「武豊ワイ

ド総流し」。豊の乗る馬を軸に流すだけ。それで、1年でもちろんプラス収支。

2倍くらいだったか?詳しくは忘れたが。豊の馬がサンデーの仔でトライアルで負

けて本番に勝つダービー馬だったころのことだから、こんなやりかたでも配当付き

やすかったのかもしれないが。

今日の菊花賞、豊ワイド総流しならちょっと収益性あったかも、と考えてしまう自分。

メイショウサムソン、3冠ならず。

アドマイヤメインおお逃げはスリリング。


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嫌われ松子の一生

2006-10-20 00:52:28 | Weblog
第二回に出てきた、ヒロインの同棲相手の、書けなくなった作家役の萩原聖人が、ちょっとよかった。

自分では原稿を書けない自分を、だめな奴だと思ってるらしい。

が、どうしてなかなか、根はわりとまともな人に見えた。

今風の人でなく、少し昔風の人に見えた。

本気でものを書くとは、きっと大変なことだ。

この人物はもう自分がだめだとわかってるように見えた。

だめな人間どころか、プライドがあるから自分にめげている。

自棄になっても恋人を思いやる優しさも、まだある。

誇りのある人間が少なくなってきている今日日には、こんなキャラでも見ていて妙にほっとしてしまうのだった。

作家が書けないのは深刻なことだ。

もっと酷い破綻もいくらでもありえるのに、彼が人生最後の時を、恋人が自分とい

たらだめになると、彼女の身を想って線路に立ち自殺したのなら、最後に人として

の純粋な気持ちが胸の中にあった分、まだまだ充分救いのある死だと思った。

今まで一度もいいと思ったことのない、というかあまり印象に残らない俳優さんだ

が、ヒロインの話が暗くて疲れるだけに、今日は妙に好感を持った。

演じている俳優の生き方、人生が、こんな風な自然体のやさぐれ男の演技を可能に

したんじゃないのかな。

ディープインパクト、悪い薬を飲んだのね。





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ルジマートフ「アダージェット」

2006-10-19 00:21:29 | バレエ
15日に行った、インペリアルバレエの公演で、久しぶりにルジマートフのソロ、マーラー曲「アダージェット」を観ました。

いや、良かったです。とても。
1階席前列だと、冒頭の、ルジマートフが舞台床に横たわっているシーンが見えないので、偶然ですが、上の階のチケットをとっていて大正解。

バレエの書き込みや批評、宣伝文句には「素晴らしい」等の絶賛の文句をよく観ますが、私自身は、ああいうのは嫌いで、めったに手放しで「素晴らしい」とだけは言いません。まして、私はルジマートフのファンでも何でもありません。

そんな私が、しみじみと味わい深く「今日の踊りには感じ入った」と思える、良い独舞でした。おっかけのファンが感動する以上に部外者の私を感動させたことは、ルジマートフにとっては名誉なことではないかとも思いました。

ルジマートフのひとつ、ひとつの動きに心がこもっていて、また、動きの一部がマンネリもなく、時にはっとするほど新鮮なこともあり、一瞬一瞬にルジマートフの心の声をきく思いでした。
まさに魂の独舞です。


前列には、熱い思いでルジマートフを見つめる長いファンの方々もお見えのようで、これだけのモダンバレエを踊れる機会を得、精進を重ねてきたルジマートフも、好きなダンサーの良い踊り、円熟期の自己表現を見ることが出来るファンたちも、幸せだと思いました。

もちろんルジマートフの努力と精進の結果でもありますが。
才能はあっても、これほどの自己表現の機会を得ることは稀有なことだと思います。

また、真摯な踊りの中で年齢の割りに衰えぬ肉体、進化する表現力を見ながら、ルジマートフは舞踊家として、まじめなひとなんだなあ~と感心しました。もちろん、非常に優秀な先生がついていることもポイントなのでしょうけれど。

今年の2月、同じ光藍社の公演で、ルジマートフの別のソロを見たとき、「踊れていない」と思いました。舞踏家・笠井叡に私淑しているそうで、その成果をみせるための踊りのはずが、ワガノワ・メソッドで育ったルジマートフに、異化をベースとしてると思う舞踏系の笠井の考え方は伝わっていないように、私には思えました。(これは笠井氏に聞いてみないとわからないけれど)

踊りはルジマートフの懸命さが空回りしていたけれど、ルジマートフ自身が「私は笠井先生のいうことを理解できていなかったと思う」と発言しているのを知り、私は「ああ、わかっているのなら、あがいてみるのもいいんじゃないかな、」と思っていました。

ところが別の演目、この「アダージェット」において、ルジマートフが笠井叡に私淑した成果が出ているように私は感じたのです。ルジマートフはこの演目をたぶんずいぶん前から踊っていると思うけど、昔と感じが違う、別のバレエを見ているようでもありました。

 き
「生のまま」みたいなところがとてもよかったです。

公演の最後は、大変の観客がスタンディングオベーションでしたが、私が感想を拾ったところでは、見た人の意見は、「シェヘラザード」も「アダージェット」も賛否両論で、全くばらばらでした。

とりわけ、ルジマートフの「アダージェット」は、モーリス・ベジャール振り付け「アダージェット」の真似である、というような意味合いでの非難、そして、このルジマートフのソロよりも、ベジャールダンサー、ジル・ロマンの「アダージェット」の方が、ずっといい、という意見も聞いたのですが。

うううう・・・。
ジル・ロマン。ジル・ロマンねえ・・・。

私はベジャール振り付けのモダンバレエはジルよりも前の時代に染まり、ジルは・・・。

あれが本領なのかどうかわかりませんが、今夏世界バレエフェスティバルでの、ジル・ロマン・・。
私が見た日のロマンには、あまりいい印象を持たなかったのです。演目も、昔成功したものだったし、もしかしたら多少マンネリとか、あったのか??

ロマンのねばっこい、疑うことを知らぬ過剰な自意識、ナルシズム。年をとることを忘れたような少年性といったものに、私の見たいものとは違うなと思ったものです。

お祭りはお祭りなので、あれが本領ではないのかもしれませんが。
また、ベジャールバレエは、今ジュリアン・ファブランあたりがが面白いのかもしれません。

しょせんは、舞台はそれぞれの観客が、個々のダンサーの表現と「出会えたか、出会えなかったか」に過ぎません。

私は、通りすがりの客として、15日のルジマートフの表現には出会えたのだ、そしてとりあえず、8月のジル・ロマンの表現には出会えなかったのだ、と、

はっきりしているのはそれだけです。




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ルジマトフ、ザハロワ&インペリアルバレエ「シェヘラザード」

2006-10-17 01:18:28 | バレエ
10月15日、新宿文化センター公演。

インペリアルバレエ芸術監督、ゲジミナス・タランダの演出力により、光藍社公演の中では、公演のカラー、コンセプトのはっきりした、集中して楽しめる公演になっていた。前半からかっとばして、魅せてくれる公演で興奮したが。時間の都合でラストの演目「シェヘラザード」について、とりあえず書いておく。

「シェヘラザード」
音楽:N.リムスキー=コルサコフ
振付:M.フォーキン
美術・衣装デザイン:L.バクスト

キャスト
王妃(王の愛妾)ゾベイダ:スヴェトラーナ・ザハロワ
金の奴隷(ゾベイダの浮気相手)ファルフ・ルジマトフ
シャリアール王:ゲジミナス・タランダ

他インペリアル・ロシア・バレエ団


アラビアンナイトの中の話らしい。タイトルのシェヘラザードは出てこない。

この話は、前も同じような企画で、ゾベイダをマハリナで金の奴隷をルジマトフ、王を同じタランダで見ている。その時は、タランダの愛の表現の強さ以外は、スターが定番の演技をした「普通」の絵巻物だった。

ところが今回の舞台は違った。

ザハロワの解釈?タランダの演出が変わった?

詳しくは調べてはいないが。

ドラマが、ずっと細やかになって面白くなっていた。

以前のマハリナ・ルジマトフのは、水戸黄門みたいに、定まった「お話」をただ楽しむものだった。今回のザハロワの演技はずっと構築的で「考えさせる」ないようになっていた。

あら筋はハーレムの王の留守に愛妾(王妃)が金の奴隷と浮気をし、それが王にバレて奴隷もろとも王に切り殺される、(厳密に言うと王の弟が王妃の不貞に気づき、ハメたらしい)そんな内容だった。

いや、数年前に見たマハリナ・ルジマトフ、インペリアルバレエの「シェヘラザード」では、ゾベイダと金の奴隷が饗宴して盛り上がってると、突然王がそこへなだれ込んできて、あっけなく奴隷は切り殺され、記憶違いかもしれないがゾベイダも王にあっさり切り殺されていた、というのが私の記憶だ。

(今回、最後にゾベイダは自害している。前回も自害だったとしても、ずっと印象が薄かった。)

なんといっても、ラストの修羅場シーン、見せる事見せる事。前回よりずっと長く引っ張ったことは間違いない。前半のシャリアール王の芝居も、作品の意味を考えて前回より細かい設定を見せていたと思う。

インペリアルバレエ団は、前回と大幅にメンバーが入れ替わった。

このバレエ団は、ハーレムの雰囲気を出すのが秀逸だ。アラビアの王の後宮の女たちの、しどけない雰囲気を、どのバレエ団より映画より、自然に、こんなにリアルでいいのかな~と思うくらい女たちが妾っぽさを出していた。絶えず緩やかに蠢くアームス。半分寝そべった感じ。愛妾たち特有の目線。

そんな中に王宮の第1花たる、ザハロワのゾベイダが登場する。

彼女は他の女たちとどこか違う。しどけないしぐさの中にも、官能性とは別の、囲われた女の倦怠感のような、どこか酔ってはいない様子を覗かせる。

タランダ扮する王が、彼女にネックレスを与える。
少し嬉しそうに媚態を見せて受け取るゾベイダ。
タランダはいかにも絶対者たる王が「与えて」いる感じを見せる。ゾベイダと王は、当然ながら対等な存在ではない。

そして王は、他の寵姫たち(パンフ上は女奴隷)にも、ほとんど同じようにネックレスを与える。彼の表情は権力者らしくクールだ。

愛は、それぞれに分け与えられる。首飾りと同じように。他の寵姫たちはそれをあたりまえのように受け取る。

ゾベイダだけが少し違う気がする。
彼女は現状に満足していないのだ。金の奴隷と愛欲の饗宴に没入していくのはそのために見えた。金の奴隷と会うために、賄賂として見張り役に高価なネックレス(王の贈り物)を惜しげもなくくれてやるしぐさのそっけなさ。「こんなもの!」と投げ捨てているようにさえ見えた。

最後まで見て、ザハロワのゾベイダが何がほしいのかが、わかった。
他の女たちと同じものなど、いらない。
他の女たちにも分け与える愛など、いらない。
私だけを愛してほしい。
私だけを愛してくれる人が、欲しい。

みだらな大饗宴のさなか、突然王が帰還し、ゾベイダの不貞が明らかになる。
奴隷は断罪されるが、ゾベイダは一瞬、お得意の可憐な媚態を見せて王にとりすがる。
「ごめんなさい、あなた。私寂しかったのよ」かな?
「本当はあなたに私だけを愛して欲しかったの」かな?
或いはただの謝罪?ザハロワが何を思って芝居したかしらないが、この媚態で王を軟化させることは可能であるかに思われた。

ところが・・・。
一瞬のすきをついてゾベイダは一転して鋭い目を見せて、どうやら王の懐中の短刀を取った、らしい。(見損ねました。あの短刀どこからとったのか)
王を刺す気だったのか?
あっけなく王にかわされ、王はその刃をゾベイダの方へ向けさせた。

王が切り殺すのではなく、王はゾベイダに自害を促すのだ。このあたりから、タランダはとても怖かった。

追い詰められたゾベイダは、絶対者の王に逆らうこともできず短剣を腹に付き立て、自害する。

それまで無表情に近く思われた王の全身から、ゾベイダへの愛と悲しみがここでにじみ出た。

王妃ゾベイダは、本当は真実の愛を求めていたのではあるまいか、とは私がザハロワの表現を見て思ったことだから、彼女の解釈と同じかどうかはわからない。
(それとも金の奴隷に操をたてていたのだろうか?)或いは王を憎み解放を望んでいただけなのかもしれないが。

タランダはほとんど動かず、表情もあまり動かさず、権力者そのものに見えた。
王にとって、愛をわけあたえるのも、女たちが自分とは対等でないのも、きっとあたりまえのこと。この王は王妃よりずっと年齢を重ねていて複雑な人物のように見えた。若い王妃に愛だけを求められても、それは無理なのかも。絶対者に服従する女しか必要としていないと思える。自分の望む女のままで、愛を注げる寵姫が、彼の立場には合うだろうと思える、そんな男性だった。

王も、王妃も、それぞれに孤独だった。
そして、すれ違いながら、孤独な心で愛を求めていたのではあるまいか?と。

ラストの王妃の死の前から、なぜか涙が出た。

タランダもザハロワも、それぞれの愛の世界をもっているから、こういう表現が可能になったのだと思う。

ルジマトフは丁寧な踊りに、いつもの官能性でザハロワの身体を包む踊りだった。スターの貫禄をみせつけたが、内容的には、物語の真の主人公はザハロワとタランダの王に思えた。

シェヘラザードで泣くなんて。

ただ水戸黄門のように予定調和の舞台を見せる、スター性で押す舞台よりも、こういう脳髄を刺激するような舞台を見たいと、いつも思っている。




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芸術のような拳闘

2006-10-14 00:45:48 | Weblog
***突然ボクシングネタへワープです。

ま、競馬に続き寺山修二つながりということで。***

「蝶が舞い、蜂が刺す」とは、カシアス・クレイことモハメド・アリが自分のボクシングを形容しての言葉だったと思う。私は彼のボクシングを見たことがないので、彼のボクシングがそんなに華麗だったのか、或いはほら吹きクレイの異名通り誇張に過ぎないのかは知らない。

ただ、”チャコフ・ユーリ”の愛称でかつてのボクシングファンに親しまれたユーリ・アルバチャコフのボクシングの動きの美しさには息を呑んだ。あれは、何年前のことだったろう。ボクシングへの認識も、変わった。

それは美を表現するためのものでなく、勝つために磨きぬかれた技ゆえに、それをあっさり「美しい」「芸術のようだ」と形容していいのか憚られた。

極限まで鍛え抜かれた体だけが繰り出せる無駄のない機敏な動き。不謹慎ながら極上のモダンバレエのようだと心が呟いた。

オリンピックでも競馬でも、めったにお目にかかれない、剣の切っ先に立ったような研ぎ澄まされた美しさは、勝負にかけるユーリの気迫とともに、長く心に残った。


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新国立劇場「ライモンダ」Vol.1

2006-10-11 01:10:14 | バレエ
芸術の秋。

バレエ、シーズン開幕。東京バレエ団「白鳥の湖」、新国立劇場「ライモンダ」が今シーズンのバレエ始めのバレエファンの方も多いことでしょう。
そんな流れに引きずられ、「ライモンダ」今昔の話題を選んでしまいました。

非国民と言って下さい。

外国人ゲストの日に税金劇場・新国立劇場の「ライモンダ」を見ました。
凡人ですから美貌の人気プリマ、スヴェトラーナ・ザハロワの日です。
特に彼女の大ファンではないのですが。

今をときめく人気プリマを見ながら、しばし、忘れじのわが姫、アッラ・ミハリチェンコの踊ったかつてのボリショイバレエ来日公演「ライモンダ」の振り付け、演出と比較してしまいました。
ただ一度の公演が脳裏に刻まれることもあるのだと。

新国立劇場、牧阿佐美改訂版「ライモンダ」の良さ、総合芸術としての魅力は2年前の初演時より今回の方が良く伝わりました。
特に美術、音楽、照明、コールドの動きの融合を見て、やっとやりたいことが分かった気持ちです。
ボリショイバレエのグリゴローヴィッチ版はもっと哲学的な内容ですが、
牧版は、これはこれで上質のエンターティーメントになっているとはじめて肯定的な感想を持ちました。
照明は前より工夫した、なんてことはあるのかな?

前回は、監督の趣味は少女マンガみたいだと思ったし、観客の見方はトレンディドラマみたいで白けたんだけど。

ところで2年前のキャッチコピーは、「誰からも愛されたい、愛するのは一人」
今回は「あなたしか見えない愛するのは一人」だったかな。

まさにあつらえたように、私の見た日の敵役は、2年前が英国人2枚目ロバート・テューズリー。
そして今回は、嗚呼、かつて日本バレエ界期待の王子役にして別人のように・・ややおりになられました森田健太郎さん!
美人の姫にただひたすらキラわれる役どころを容姿ともに説得力をもって好演。

前回はいい男二人にライモンダ姫がいいよられる、という設定だったらしい。

いや、森田さん、「こうもり」ではダンディーでしたが、今回はなかなか笑かして
くれました。なかなか差別的なお話でした。善玉の足長白人種騎士より、かわいそうな異邦人の短足敵役を応援してしまったよ。




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馬敗れて草原あり

2006-10-09 00:14:00 | Weblog
社台の馬は応援しないとか、サンデーの仔はどうのとか、以前は高尚なことを言っていた知人までが、「ディ-プ敗戦ショック」メールをおくってよこした。
もう、次の週のレースなのに。

時に、だれか「懐かしの競馬」ってブログやらないかな。
懐かしのハイセイコー、懐かしのステイゴールド、懐かしのテンポイント、懐かしのメジロライアン、懐かしくないけど強いシンザン、懐かしのアグネスタキオン、懐かしのオグリキャップ、懐かしのトーカイテイオー、強いけど美人のヒシアマゾン、懐かしのマチカメワラウカド、懐かしのフサイチコンコルド、天皇賞が懐かしいエアグルーヴ、懐かしのタイキシャトル、懐かしのサイレンススズカ、白いけどクロフネ、懐かしい!?田原セイキ(変換の字が出ない)・・・順番に意味無し。めちゃくちゃな羅列だな。抜けてる馬の名がわんさか。



バレエ開幕週だ。



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懐かしの競馬!?

2006-10-02 23:20:01 | Weblog
ディープ凱旋門賞挑戦3着の記事を見ていたら、”ナリタブライアン以上の大衆への浸透力”としてディープの功績を称えたものがあった。

”ナリタ以上”!?

ここ10数年来日本競馬界は未曾有の豊作で名馬や面白い馬が続出してる。ディープはその最高峰の実力馬。
なのだけど。

また、NHKの凱旋門賞放映はディープ現象の印象を決定づけたタイムリーな企画だったことは疑いない。

ただ、勝つこと、強いことと、感動させることは、またちょっと違うという気がした。

個々の競馬ファンそれぞれに思い出の名馬がいると思うが、私の場合は、あえて忘れられない名馬を1頭あげれば「ナリタブライアン」と言いそうな気がする。

そんなに詳しいわけじゃない。ただ、敬愛する寺山修二の愛した世界でありながら、私にはなかなか入れなかった競馬の世界へ誘ってくれた忘れえぬ1頭だった。

ディープが英雄なら、ナリタブライアンは、悲劇の王者、かな。

王者の気概を遺憾なく発揮し、勝たねばならぬ時の勝つことへの集中力、執念(そういうものが馬にあるのかどうか詳しく知らないが)そんなものを強く感じさせた。

そんなに競馬に詳しいわけじゃないからとても大雑把な話なのだけど。

競馬にもバレエにも他のパフォーマンスにも、「感動させる」キーになるものがそれぞれあるんじゃないか。それは何なのかは、まだ自分には分からないのだけど。

結論が出てから書くタイプと書きながら考えるタイプがあるなら、私は書きながら考えるタイプなのだろう。

ディープの敗因さぐり記事を見ながら、ふとそんなことを思った。

競馬ファンの方、タイトル負けの内容ですいませんっ。






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ディープ!呆然

2006-10-02 00:53:26 | Weblog
ボウゼン・・・。

抜け出したとき勝ったと思ったよ。

なんで・・・。

3着ってエルコンドルパサーより下か~。凡人的感想。

ロンシャン晴れても日本は

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