懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

思い入れの初演、ブルメイステル版、「白鳥の湖」

2016-02-05 14:33:23 | バレエ
東京バレエ団の、斎藤芸術監督の意気込みが嬉しい、「白鳥の湖」。

本日初日。

自分は、時間的に全幕全部見るのが難しそうなので、責任のある感想は書けないと思う。けれど。

ブルメイステル版の「白鳥の湖」は、好きだし、素敵な舞台になることを期待しています。

斎藤女史の、NBSのインタビューの一部は、納得で。

自分も昔、聞きかじりで知ってた話が出てきて。

批評とかで読んだことはないけど、ブルメイステルの白鳥の編曲、チャイコの原版に戻したような話。

大昔、私も初めてこの舞台見た頃、曲聴いて見て、「ほんとにその通りだ、曲の使い方としては、こっちの方が王道!!」って思ってた。


あの、世界中で上演されてる多くの白鳥の湖(雑に言うと、元のはセルゲイエフ版あたりが源流かしら)の、黒鳥の場の、PDDとか、最後のグランフェッテに至る音楽の流れ。

すごく変だと思ってた。運動会の曲みたいだったり。(でも今は、時の流れで、ダンサーが一生懸命踊れば、それでも名舞台もあったし、慣れてしまったけど。)

年月が移る中で、多少一部を変えたのも、経緯は少し見てた。


今のもいいけど、昔のも良かった。昔の3幕の、たぶん今のとちょっと振付がかわったような気もする分も、家の中の古い映像探せば、あるかもだけど。探す甲斐性がない。変わってしまったより前のものも、多少執着があって、長く、あれはよかったな~とは、おもってた。


ただ、新しい息吹も必要で。「今」の東京バレエ団のダンサーが踊るなら、必ず、新しい命を吹き込む部分も、必要になってくると思う。

伝統と、感性。

私が昔のダンチェンコも好きな人間だから、あえて、今のダンサーさん達に、臆することなく、生き生きと自分の踊りを踊ってください、といいたい。

応援したかった舞台だったけど、最後に、ダンチェでなくボリショイのファンだったはずの赤尾氏の文が出てて、がっかり。

私に限らず、ダンチェンコは長い日本公演史の中で、多くのファンを獲得していたバレエ団。現地のファンも。私の知り合いの一人は、金持ち向けバレエ団(笑)の、ボリショイをあんまり好きじゃなかったみたい。ダンチェの方が、昔は入りやすくて、親しみがあったみたい。
ボリショイはボリショイ、ダンチェはダンチェ。どっちかにしてほしい。

特に、ダンチェは、独自ファンもいて、・・・。

コメンテーターのあり方として。

かつては、ダンチェなんか目もくれずに、ボリショイの、気に入りか、例の、フィーリン事件に登場したスミルノワとか、特定のダンサーの話しかしてなかった氏が、こんな所でコメント出してくるのは。ムムム。

自分的には、ボリショイは、ボリショイで、良さは認める、けど。アカデミズムとか、芸術性、音楽性(そもそも演奏が!!良い時は凄かった。)毀誉褒貶の巨匠:グリゴロの築いた、かつての哲学性、前衛みたいな表現世界には、やっぱり、金持ち向けバレエ団と言われても、それでも私でも、参っちゃうのものは感じる。けれど、一方、ダンチェは「やっぱ、好き」「ひいきにしたい」ってのが、あるので。

かつて、目もくれなかった、ボリ一辺倒にしか見えんかった氏が、なんでいまさらダンチェに口出し???、って、古参バレエファンの違和感は、ある。


批評の書き手も、新しい人でいってほしい。

割と若手だった人で、自腹なのか、比較的自由にものを言ってる批評家もいた。(批評家って言うのが、そもそも食べて行けるような職業では、なくって、本業は別にあるとか、だろうし、私は素人の感想なら、「舞踊ライター」で十分だと思ってる。そういう人の方が、ピンポイントで詳しいし、思い入れの一生懸命さもある。)

(かつてのダンチェに詳しかった人たちは、もう、こういう所でコメント出すようなことはないんだろうな、と思って。残念。)

批評ならば、以前、薄井憲二氏や、昔の批評家が、ダンチェ日本公演に書いてた評が、最も適切だったと思う。その掘り起しでも、今の一部の書き手よりは、ましな内容になるんだけど。

ブルメイステル版については、近年、ストーリーの整合性という初心者向け解説ばかりが出るけど、この版は、音楽の使い方、幻想性、劇の作り方、(照明効果とか、舞踊以外も入れて、全体で見せる所とか)が、あくまでクラシックバレエが主役、という風情のバレエ団の見せ方とは、一線を画してた。総合芸術として、本当によくできている。

薄井氏は、ブルメイステル版の「ステップの流れが新鮮」と書いた。

そういう、ストーリ性以外の、バレエの根本についての箇所を、見る「目」も大事。

今の書き手、コメントする人たちが、ほとんど見てなくて、残念を通り越して、分かってないな~って苦々しさ。

書く人が見る目がないと、読む系観客が、文にひきづられて、舞台の複雑な良さを味わい尽くさない害が出て来る。

観客を育てるのも、劇場芸術にとって大切なことだから、いらない批評とか、切ってほしい。

3幕の悪魔舞踊団の盛上がりばかり言われるけど、クレイジーな高揚の後の、「沈静」の4幕前半!あれが、あれが、い~~んんです、良かったんです。

あのシーンの息をのむような幻想性、白鳥さんたちの、無垢な静謐な、可愛らしさと言ったら!!!!

(一方、三浦氏がダンマガで斎藤女史との対談で、一生懸命、ブル版の良くなさを語ってたけど、(ま、なんていうのか、可愛らしく持論をしゃべっておられましたが。一つの意見としては見るけど、ふうん、というしかない。)

ちゃんと上演できてたら、むしろ、セルゲイエフ版の最終幕(黒鳥の場の後)の、あほくさい振付演出とは、段違いに群舞の構成とか、場の幻想性、あったのを自分は目撃してる。(てか、セルゲイエフ版の4幕って、ムムム・・・。あんなフォーメーション、良いって思う人、いるのか???)
(でも、あんなセルゲイエフ版でも、良いダンサーが踊れば見え方がましになる。ダンサーの構築力で、うっかり感動した時も、ゼロではなかったが・・・。)

(果てしなく脱線すると、セルゲイエフ版というと、こちらもやっぱり、最後が悲劇が正しいか、ハッピーエンドか、って言う、バレエ初心者議論コースになっちゃって、以前その件で、コメントじゃないけど、拙ブログに示唆頂いたこともあった。そういう件とは別に、コールドのフォーメーション、どう組み合わせて躍らせるかって、振付演出家の、腕の見せ所だから、「素人でもこんなのは思いつく」と思う振付よりも、「よくこんな振付思いついた!」、と思う方が、見てて美味。

セルゲイエフ版の話とかは、別でやるべきだったか・・。とにかく、以前のダンチェの、4幕って、えかった~~!!なのに、誰も言わないのよね。)


批評家の人。
よく言われたけど、公演に毎日来るわけでも、ないし。名舞台をいっぱいみてるわけでも、ないし。だから、仕方ない部分もある。けど、「あんま内容のレベルが高くない批評は、いらない!!!」と思う。

(脱線。誰かさんは、よくあんなつまんない「椿姫」ノイマイヤー版(ショパンもなんだかな~~~)に、酔えるとか、ま、ごく主観的独断感想としては、あったりする。ノイマイヤー・・、って以上でも以下でもない振付家、って感じかな。(三浦氏は、大昔、誰も言ってない良いことを言ったことも、一回位はあったと記憶してる。舞踊評論を本気でやる気が、いつのころからか、失せたのか。舞踊芸術界自体が、今、がっつり批評したいって世界ではない、とも思うが。)

あのノイマイヤー版「椿姫」は、ないよ。「椿姫」って、ほんとはもっと、いい感じの純愛物語で、「王道」の演出で、自分はいいと思う。ノイマイヤーは、ひねりすぎ。せっかくの椿姫が勿体ない。

三浦氏がノイマイヤーびいきらしいので、最近見た、演出にがっかりしたノイマイヤー版についても、ついでに書いちゃった。とりあえず、あれは恋愛劇としては、王道ではない。何で誰も言わないのかな、私がノイマイヤー版「椿」への批判を読んでないだけ?。

振付が、ショパンに負けてる気もしなくもなかった。あれが良く見えたら、それはダンサーの力。実地の恋愛に燃えてる人が見たい物語では、ないと思う。昔感動した舞台も、今そのダンサーで、ネット画像を見たら、芝居がわざとらしくて引いた。こんなもんか?(ごめん、あれが好きな方は、スルーを。)

ブルメイステル版上演に話を戻すと、そして、前回ダンチェ日本公演、人も入れ替わり、前述の3幕のあとの、4幕の静寂と幻想性が、消えて、逆に今までそこまでではなかった、2幕の全体が、妙に良くって、今までの日本公演にはみたことない感じに、盛上がってた。(そこが、「今の演出家、今のダンサー」「舞台はそれぞれ個別の魅惑、別の良さ」ってこと、なのでしょう。)

公演は、命を吹き込む踊り手と、スタッフの力あってこそ!!と、何度も思い知らされてきた。やる人がやること、ちゃんとやらないと、舞台って、死ぬ。

『白鳥の湖』で面白かった版は、他にもあるけれど、ダンチェンコのブルメイステル版は、「また見たい!」と、最も多く思わせてくれた、名演出の一つ。

でも、その成果は「今」の人たちの力による。

グッドラック!

(NBSのインタビューで、90年代、日本でTV放送された時の、3幕のキャラクターダンスで好演した、元ダンチェのダンサーさんのコメントが入ってて、かなり嬉しかった。読み応えあるインタビューだった。)

同じ版とはいっても、何人ものダンサーで見たけど、その時その時の、異なるキャストで、それぞれ違う良さがあったブルメイステル版。思い出すと、さまざまは色彩の感動があった版だと、一つ一つ記憶がよみがえってきた。

例えば、海の見えるホールで見た「白鳥の湖」の時、幕間や、終演後、海を見ていると、ジークフリートが佇む、湖のほとりに居るような気分になったり、とか。

そんな風に思わせてくれたのは、第一キャストでもなかった、その日の主演ダンサーや、演奏その他の力だったと、そう思ってる。

(散漫文ご容赦)


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