懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

深田恭子のドロンジョ様

2008-03-29 00:21:08 | Weblog
花見気分で、他愛ない話題です・・。

フカキョンが、アニメ「ヤッターマン」の悪女「ドロンジョ様」を演るのだそうで。

こんなキャストを思いつく、男の人の頭に感心した。

キューティーハニーに比べても、悪女のドロンジョ様は、アイドル系が演るイメージじゃない。

てか、あの格好(アニメではそんなに際どくない)を、フカキョンに実写でさせちゃうって。(実写でやると際どくなる)

男の人の、素朴な願望が画になったような映画、って感じ。

どんな風になるのかちょっと見てみたいかも。
アニメの実写版でのコスプレ的なりきり状態、というと、「エースをねらえ!」のお蝶夫人役の松本りおの「縦ロール」が、真っ先に思い出される。

でも、ドロンジョ様は、いつも失敗してる、おとぼけキャラなんだけどね~。
アニメ&実写界で珍しい、陽性のお笑い系悪役。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TVドラマ「海峡」

2008-03-28 01:40:10 | Weblog
家事をしながら、なにげにつけたテレビのチャンネルで、出たドラマが
これだった。全部を見たわけじゃ、ないのだけど。

実の所、私らは、戦争とその後の市民の生活状況に詳しいわけじゃないから、
むちゃくちゃな戦後の混乱の、当事者にとっての理不尽さの具体的な話は、
例えフィクションの娯楽のドラマでも、知識としては、「知らなかった~」と思うことは、少なくない。

朝鮮人の中でも、「戦前は日本国籍、戦後は外国人」と言う扱いの人の立場を、
ここまで判ってなかった、とか、外で生まれ育った日本人引揚者の立場、国外で財を成した人の身ぐるみ剥がされる立場(これは、負けたらこんなもんかとは思うけど)・・。

でも、第二回を見ていて、曲折の果てに、祖国より日本人の恋人を選び、母と別れる息子のシーンをみていたら・・。

互いを想い別離の熱い抱擁を交わす母子。

日本と朝鮮の立場よりも、息子の愛した日本人の恋人の立場を案じ、息子に別れを告げ、幸せを願う母。母より恋人を選んだわけでもなく、母の勧めに従い、母と恋人とを愛しながら、母と別れ行く息子。

不謹慎だけど、この人たちは、愛が深く、その意味ではそれなりに充分幸せなのではないかと思ってしまった。

人によっては、愛より立場、建前や形式、風習を重んじる者も居る。
国家や周囲の目よりも、息子の愛した人の立場を思いやれる母のあり方。
逆の立場を取る母親も、世間的には色々いるだろうから。

その後、日本に帰国した主人公たちのドラマ。
密航者で朝鮮人の夫と日本人の妻として生きる、若い夫婦の困難を見ていても、
時に同じ思いをした。

二人の立場が理不尽なものなのは、いうまでもないのだが。

困難が、却って愛を深くするのか・・??

戦前、日本人だった夫は、結局「戦後は外国人」として逮捕、さらに裁判もなく
本国へ強制送還。理不尽の極みだが。

二人のつつましい結婚式での幸せ。
引き裂かれた状況で、去っていく「海峡」を渡る船に向かい夫の名を呼ぶ、妻、
その声を船中で聞く夫。

これだけ愛し合えるのは、それなりの幸せは、あるのでは・・、と。

(愛し合って平穏無事が、一番良いけれど。)

こんな風に思ってしまうのは、この頃、この種の幸せから遠い人々もまた、少なくないからだと思う。せちがらい事件報道も多い。数年前だったら、「こんなに愛せるとは、幸せなことだ」とは、思わなかったと思う。

(「せちがらい事件が多い」のと、「せちがらい事件報道が多い」のは違う。せちがらい事件報道が多いのは、不幸な人も少なくないんだと思う。報道しても、視聴率が上がらなければ、件数と時間は減ると思うので。本当に満ち足りて幸せな人間は、人の不幸の報道には過剰な関心は、もつまい。)

よくわからない殺人事件の、大々的な報道があった後なので、そんな感想になってしまった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界フィギュア「男子フリー」

2008-03-24 02:54:57 | Weblog
特に思いいれのある選手ってわけじゃないけど、ジュベールが負けてしまった、くやしい。

別にフィギュアスケートに詳しいわけじゃないので、単なる個人的趣味だが、1位の選手より、ジュベールに勝って欲しかった。

1位の選手の「ショートプログラム」を見た時、とてもTV栄えのする「イケメン」なんだけど、やってることがどこかつまらなく、フイギュアもつまらなくなったと思った。技術がまあまあの、「顔のいい男」がもてはやされるのは、バレエ界での、フリーデマン・フォーゲルへの、批評家のやりすぎな高評価以来、食傷ぎみな自分。

1位のハンサムさんを好きな方、ごめんなさい。私にフィギュアスケートの専門的知識はないので、単なる個人の嗜好の披瀝だす。

ジュベールと、もう一人、元世界王者のランビエールの身体の使い方は、バレエに例えると、ワガノワメソッドに近い気がした。全身でひとつながりの曲線を描く。

対して優勝した男子の選手のは、例えばロイヤルメソッドとか。
頭と腕と脚と銅が、それぞれ分離して見える。

採点方法にくせがあるらしい。
それで、あの選手(名を失念)が勝ったんだろうけど、4回転ないじゃないかとか、つっこみどころありあり。内容的には、ショートプログラムからして、ジュベールの方がずっとよかった、と個人的素人考えでは思っている。

ついでに、勝てそうにはなかったけど、ランビエール選手の、スパニッシュ風の踊りは、玄人はだしで、踊りのうまかった昔のメダリスト、ペトレンコを思い出した。

日本の高橋大輔選手の、ショートプログラムの曲、ありゃなんじゃ???だった。

おおっぴらには、「白鳥の湖」のロックポップバージョンとかで、”これで白鳥の湖がまた親しまれれば、良い”なんて言ったとしても、心の底では「なんだこりゃ~~?」と、小ばかにしている自分があるのだった。

ま~、白鳥なら、昔のウルマノフあたりがやるのが無難だったかと。

女子だけど、オクサーナ・バイウルの「黒鳥」での滑りは、フィギュアスケーターによる、史上最高の「白鳥の湖」だったろう。超えるものはあるまい。

高橋選手はクラシックが好きなのか、フリーでもチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」を選んでいた。選んだ曲は良かったんだけど・・。
これも、昔のメダリストのイリヤ・クーリックが、ベストフィットでこの曲に乗って滑っていたな~。

勝った選手を褒めた荒川静香さんもまた、勝った選手同様、必ずしも最高の技術を見せて勝ったわけじゃなく、周りを見て1つ難度を落とし、ノーミスで優勝したのを思い出した。

個人的には、伊藤みどり選手の「銀メダル」のフリーの演技の時の「根性」の方が感動したのを思い出した。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK視点論点「桜論」水原紫苑

2008-03-21 00:08:54 | Weblog
本日放映分が、歌人・水原紫苑の「桜論」。

NHK教育TVの「視点論点」で、こういう教養モノっぽいのをやるとは知らなかった。めっちゃ面白かった。

この頃の、他の教養モノより中身が濃いというか、時間が短いのか、フルスピードでかっとばして在原業平の昔から、近代、現代作家の桜の歌までを紹介。その語り口のかっ飛ばし方と、使う言葉の的確さが心地よい。

聞き漏らすと、肝心の所が抜けるので、食いついて聞く感じ。

業平の歌に見る「宇宙」。いにしえの歌人の歌に、宇宙を見る、この歌人の歌と宇宙観に聞き入るのが愉しい。この論の良し悪しは、時間のある時に考えればいい、忙しい語りと、私も時間がないために、そんな気になった。

小野小町の歌「花の色はうつりにけりないたづらに・・・・」の一般的な見方から、少し入り込んで、「花」と「女」は違うと言う話、花は移ろうのが自然だが、歳を重ねた女の身は、花より重たい、・・・。

そんな踏み込んだ講釈を聞くと、逆に小町の歌の一見しての「軽み」の秀逸さに感じ入る。元々、いい歌とは、一見軽く流れやリズムがあり、その裏にちらり深みが入っていることが要求されるんだろうけど、歌人でも研究者でもない私ら素人は、洒脱な軽みの勝った歌にまで、普段「その奥」を感じてはいない気がする。

短歌のサークルにまで行ったりはしないから、こういうTVでこのように語れる語り手は貴重だと思った。

そして長大な「源氏物語」の中で「桜」の出てくる場面は、運命を狂わす恋の話の2場という示唆。
源氏と朧月夜の「花の宴」。そして源氏の正妻・女三宮を柏木が垣間見る場面、「野分け」。
平安時代の桜へのイメージは、どこか運命を狂わせる妖しさ、暗さ、現実の破綻に至るエロス、といったものがあるのかもという主旨の示唆が興味深い。

紫式部の考え方や好みが私には合わない所があって、私的には、源氏物語にも苦手意識があった。けれど、こうして聞くと、この2場の選び方、展開、男女関係に普遍的な要素がてんこもりで、式部にもこういう広さがあったのかと、ちょっと見直した。

次の西行の時代、そして江戸時代の桜にまつわる歌の解析と、その時代性の話から、これが、近代になって「桜」の象徴するものが変わった所まで語られていた。

恋、エロスといったものから、国家的なものへと。

言われてみればそうなのだけど、TVの時間枠の制約の中で、歌人の生きてきた濃密な教養が、却っていい方向に出たような、急ぎ足の語りと、非タレント的な誠実な作風が、新鮮な魅力の、教養もの番組だった。

10年くらい前か、短歌界は、大衆的な歌い手が出て、自分には魅力がなくなったと思っていた。で、全然見なくなってしまったのだけれど、また別の路線の新しい人が出てきていると今日知った。

最近見たNHK教育番組の中で、一番面白かった気がする。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラブホ街の映画館ユーロスペースと「牡牛座」

2008-03-06 00:38:53 | Weblog
円山町に行き、カップル2組とすれ違う。二人の女の子が超カワイイ。そして、幸せそうな顔をしている。青春だなあ~。ほのぼの。

この、明るいトーンの建物の多いラブホテル街に映画館がある。妙なとりあわせだ。ナンパをやりすごし、映画館に入る。

せんだっての映画館「シネマライズX」よりは、ユーロスペースの方が中は「映画館らしい」つくりだった。椅子も良い方。

客層は、年配が多いが20代女性も見かけた。席は埋まってる方。

映画「牡牛座ーレーニンの肖像」ソクーロフ監督。

素晴らしかった!無理して行って良かった!

とにかく、ものすごく巧い人が作ってる映画。

内容以前に、もう、映画を作る技術の水準の高さに圧倒された。
俳優も、とても巧い。

始まってから長い間、上に薄い膜がかかったような映像の質感が、ずっと気になっていた。どうやったらあんな風に撮れるのだろう。自然も人も室内の机も、全ての映像が、一見、自然ながら品があって格調高く見える。

パンフによると、この映画のために軍関係の人に頼んで、特注レンズを作ってもらったのだという。どうりで。同じ質感の映像は見たことがない。(似たのはあるけど)

文章で書けることでなく、「映像で全てを語る」手法は、「ザ・映画」と思わせた。
万人受けする娯楽映画ではないが、映画通(含文芸映画)を持って任じる人は、絶対行くべき映画だと思う。
レンズにこだわるカメラ好きの人にも、一見の価値アリ?

自分は映画マニアじゃないけど、中身よりまず、映画作りの巧さに感嘆させられながら、ごく私的には思ったより眠くならずに見た。

ボキャ貧で、具体的な感動が書けない。

実用的な映画ではない、つまり「スカッとして次の生活の活力にしたい」なんて効用なら「パッチギ!」の方が遥かに上だ。けど、しばし日常の時間を遮蔽して、純粋に映画を見るための時間が、あってもいいと思った。

もっと顕在化して「映像美」「映像詩」や、一見しての派手な才気煥発さを意識する映画は、他にいくらもあるだろう。

一見自然で、何の変哲もないかのような室内や自然の光景の中に、監督が語りたいことを、さりげなく自然に、観客の心に近づけていく作為が潜む。

キスの巧い男は、間合いを取るのが巧い。

この映画の「リアルもどき」な映像は、例えていうならキスの巧い男のように、違和感なく観客に近づいていく。

「その技術力は凄い!」と思うけど、どうやったら、こういう風に映画が作れるのか全くわからない。そういう意味で、久々に極めて例外的な水準の高い「プロの仕事」を見た。この作品の生みの親、レンフィルム所長の芸術的教養に拍手!でした。

7日16時が最終上映らしい。興味ある人は行って正解!

(って強気すぎ?)

P.S.年譜によれば、レーニンは牡牛座ではなく牡羊座生まれらしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「スパイ・ゾルゲ」と篠田正浩監督

2008-03-03 00:41:43 | Weblog
篠田監督はおおらかで、女性に心の広い愛を持っていて、そのことにたまに感心している。

「スパイ・ゾルゲ」にも、この監督の女性観が反映され、微笑ましいものがあった。

本当は、村上隆の言うような、異邦人の計り知れない孤独が、この祖国の危機を救う情報を命がけで手に入れるスパイにはあったはず。ゾルゲが女性を引き付けるのは、彼が良い男だったからといえば、そうも言える。

けれど本当は、彼が、ブラックホールのような特大の孤独を抱えた男だったからこそ、そのブラックホールが女性たちを惹きつけたのだ、と思う。

篠田監督の映画はおおらかで、その辺の理解は見る側で補足しないと、映画だけでは、そういう面はあまり判らない。

製作側の苦労は多々あろうが、この映画は、一般的にいえば、大成功とは言いがたい。映画に疾走感のひとつもない。けれど、この映画を見てほのぼのするのは、ひとえに、おおらかな篠田監督の、人徳、徳性によるものと思っている。

映画では、ゾルゲは、祖国に置いてきた妻に愛され、インテリ女性とも大人のお付き合いがあって、スパイ先の、ドイツ軍の偉いさんの妻とも関係する。このドイツ軍人はゾルゲと男の友情の関係。しかも、奥さんに飽きていて、夫婦生活が苦痛なため、日本の常識とは違った反応をする。

二人の婚外男女関係を知ったダンナは、ゾルゲが奥さんの相手をしてくれたおかげで、「妻の機嫌が良くなり、感謝している」とかなんとかゾルゲに言って、男の友情は破綻どころかむしろ強まるのだった・・・。これは、映画らしく人を喰った展開で、ぬっとぼけかたが、なかなか良かった。(何割かの夫婦は、案外そんな風に思ってるものなんだろうか????)

葉月リオナの演じたゾルゲの「日本の女友達」は、実在の人物は、めっちゃいい女だったと思う。葉月が演じて、「だいなし」だったが、監督が使いたかったのだから、それに免じて想像力で補って見た。

彼女はカフェで働く普通の女性で、インテリではないが、ゾルゲの孤独をしばし癒す。「私、友達がいません」。素朴なスパイの心情吐露。
「じゃあ、私が友達になってあげる」女の子の一言で、二人は結びつく。

映画はまろやかで、この二人の関係性も友人関係か男女関係か、明示はないし、私は史実を知らない。私は、男女関係だと思っているが。

複数の女性と関わる、ゾルゲという男が、いつも女性への尊敬心のある、魅力的な男に映っている。ひとりひとりときちんと向き合える男性に見える。篠田監督の女性観の投影もあろうが、ブラックホールを抱えたこのスパイは、出会ったそれぞれの女性の前で、愛を得るに足る魅力を湛えた男性だったのだろうと思う。

換言すれば、「特大のブラックホールを胸に抱えている」男というのが、そもそも、展開によっては、魅力的とも言えるか。欠落は愛を産む。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーロスペース「牡牛座ーレーニンの肖像」今週で終わり

2008-03-02 14:23:47 | Weblog
金曜で上映終了。最終上映時間に遅い時間帯がないと今更気づく。

もう、仕事さぼるしか方法がない。

金曜までに、そんな気分になるかどうかは成り行き次第だ・・・。

やっぱり「ベルリンで賞取った」若松孝二監督の連合赤軍ものは、思ったとおりの巷の反応になっているらしい。行かない選択をして正解だった。(結局ベルリン出賞とったからって、それがなんぼのもんじゃ、ということだった)

第一、タイトルが「実録・・・」って俗っぽすぎる。(山口組の映画のタイトルみたい)団塊の世代の懐メロ気分と、新世代の傍観者批評家気分と、暴力シーン好き映画ファンには楽しめそうだ。歯医者の治療にびびる、「暴力シーン映像ダメ人間」の私には、不向きだ。内容も、私の既知の範囲のもの。見た人の感想を知ると、映画作った人たちに対し、こういう作品を扱うには、もっと上のレベルの哲学があっていいんじゃないかと思う。

対して、ソクーロフ「牡牛座ーレーニンの肖像」は、実の所、史実的にも私の知らない部分もあり、内容的にも興味あるに加え、映画の手法も「実録・連合赤軍事件」とは真逆。

権力の中枢にいて、やがて権力闘争に敗れ、軟禁状態で、痴呆症と意識のはっきりした時と両方ある時期ののレーニンと、スターリン他を、なるべく政治臭から一歩はなれた位置から、淡々と追って、監督のテーマを明示する。

こっちの方が自分には、「見るべき映画」だった。

ついでに「バレエリュス、踊る喜び、生きる喜び」よりも。

バレエリュスを見た時、ユーロスペースに行って「牡牛座」を見るか、バレエ映画を見るかで駅前で迷ったのだ。結果、バレエリュスは、見ても見なくても良かったレベル。(確かDVDもあったし)それにしても、あの「映画館」の「コンクリート打ちっぱなし」状態は、一興だった。

ソクーロフ監督のは、「ヒットラー」や「ヒロヒト」を描いた前作も見てないし、(多少眠くても、映画館が寒くても)今回重い腰を上げて見ておけば良かった。仕事のために遊びを回避するのは、つらいものがある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする