懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

今日は、演劇界の話題で。

2016-05-13 01:25:14 | Weblog
蜷川幸雄が亡くなって、思ったこと。

・コメントは、藤原竜也で聞きたい。

・清水邦夫って、どうしてるのかな?

(超若い頃、、「君は、真情あふるる軽率な君は、」とかってセリフの言葉わざに、持ってかれたのは、私ひとりではあるまい。

清水邦夫の世界を好きだった時もあったけど、既に自分は大人になって、過去になった。)

そういえば、ウィキペディアの「身毒丸」かなんかで検索したら、

「万有引力」旗揚げについて、「天井桟敷のほとんどの団員が参加した」って書いてあるけど、違うっしょ!!
誤:「ほとんど」⇒訂正「一部の団員が参加」。(誰か訂正してくれ!!)

私、当時、桟敷の重症ファンで、万有の旗揚げも行ったけど。

78年だっっけ、桟敷の「身毒丸」公演のキャストでポスターとかに名のある、主演クラスの新高恵子と若松武は、参加してないよ!!!

(私は若松氏を舞台で見るの、好きでした。セリフに詩情を感じさせられるとか、透明感を出せた。彼の劇団の旗揚げ、今度閉館だかのパルコ劇場だったと記憶。万有とは異質でした。その後は、TVドラマで見たけど。)

若松が聞いたら、これは怒るんじゃない?

(万有に参加してたのは、俳優では根本豊とかだった。)

私はガチファンの観客だったから言うけど、2つの劇集団は、異なる趣きの劇集団であることは間違いない!

桟敷は桟敷、万有は万有!!(芸術家というのは、それぞれが違うもの。一緒くたにするような言い方は、双方に失礼だと思う。)

万有は、桟敷とは方向性も違うものを感じたし、桟敷ファンの私らは常連にはならなかった一方、別の新しい観客層を、掘り起こして行ったよね。ダンスとかもあったし。それはそれで、いいことなんじゃない?
(※桟敷=演劇実験室「天井桟敷」)

桟敷は良い舞台色々あったけど、晴海の街をさまよいながら公演地を探した、「奴婢訓」の衝撃は、・・・ボキャ貧のまま語ったら、寺山ファンを名乗れなくなるので、やめよう・・。私的には、バレエ界のグリ版「白鳥の湖」悲劇版と同じ位、脳裏に長く残る、既存価値変換の舞台でしたね。素晴らしいって、言ったらボキャ貧で、そういっていいのか躊躇する。

万有は、旗揚げ公演は「引力だー!」って叫んでたのしか覚えてない(ゴメン)。内容は、天皇の制度とか、解説してるような知的な要素はきっとあったんだろうと思うけど、自分にはよく伝わってなかった。(ゴメン)

その後、パルテノン多摩で上演された舞台、公演地の使い方、空間の使い方が面白く。というか、パルテノン多摩自体、面白い立地条件のホール、公園で、駅前からの道からして、独特に劇場に繋がってる、興味深いホールの一つ。

☆彡2つの劇集団の違いが端的に分りやすかったのが、グローブ座だったかどっかで上演された公演。ここで観た、万有の、確か瀬名さんだったか(お名前失念)、かつて桟敷で新高恵子の役をやってアリアを歌った女優さん。歌唱がぐぐっとプロっぽくて、演劇とは別に、音楽、声楽をちゃんと学んだ人のように思った。すごく本格的に聴こえた。演出のJ.A.シーザーは、そもそも音楽の人だから、ああ、こういう起用になるのね、と合点がいった。


でも、天井桟敷の新高さんは「他のどこにもいないような」歌い方をした。あの地獄のアリアのリアリティは、舞台クレイジーな私は、忘れてはいけない。ほんとうに地獄から来た人みたいだった。他には、この世のどこにもいないような。
彼女の歌唱を聴くだけで、子供だった当時の私は、目から勝手に涙が出た。

万有の主演女優は、どこか、既存の声楽家っぽい勉強をして、それを踏襲して歌ってるっぽい歌声。朗々と響く。
でも、桟敷の新高さんは、オリジナリティ最強!誰かが教えるような、誰かに教えられるような歌唱法じゃない。・・・・「歌」単体を聞いてるんじゃなくって、表現そのもの。彼女がなぜそこにいて、何をしているのか、丸ごと伝わってくる歌唱!…本当の「演技」って、ああいうものなんだ!って思った。

いかん、熱くならないうちに自粛。タイトル「新高恵子賛」ではないからね、今日は。

新高さんと、瀬名さん(だったか)。二人の歌唱の違いは、まさに桟敷と万有の違いだった。あ、私?
瀬名さんは、客観的に「歌うまいなあ~」って感心。でも、新高さんは、心持ってかれるっていうか、人生にも、世界にも、もっともっと私の知らないことがあるんだと、目を見開かれるような歌唱・演技。

(新高恵子と若松武の二人は、寺山修司が演劇でやりたいこと、その考え方を、特に、よく伝えてる俳優だったと、1観客の主観感想として思う。新高さんが、万有にも行かず、「寺山さんの死後に、彼以外の演出で寺山の作品に出演する気は、ありません」と新聞紙上だかで毅然と発言してた、その考え方こそ、自分的には一番納得。新高さんは、その後のイベントでも、「寺山の女優」であり続けていて、行き方を貫いてくれて、桟敷や寺山の1ファンとして、本当に有難かった。)

ついでに燐光群まで検索しちゃったよ。坂手洋二はまだ元気みたいね、(たぶん)。だいぶ前にNHKに出てたの見たけど。燐光群、だいぶ見てないけど、また、そのうちいくことあるかな?

ありゃ、蜷川の話がとんじゃった。いいおじさんだったね。合掌。




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