想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

支援物資プラス、スイーツ

2011-03-22 20:16:19 | Weblog

福島県南部の西郷村には約1000人が避難している。
多くは福島原発の近くから逃れてきた人たちだ。
津波で家を失くし、原発の放射能汚染という二重苦
に遭遇した最も不幸な被災者たちだ。

我がふるごとの学び舎、旧事本紀研究会の修養道場から車で
15分くらいのところにある「太陽の国」にはあの浪江町から
障害者の方60数人が避難されたと聞いた。

旧事本紀研究会が募った支援物資の第一便たいした量では
ないけれどこれから届けたいと連絡すると、ありがたい、
玄関で待ってますからという返事。
カメ先生にお供したうさこはある意味ジモッティなんだけど
「太陽の国」へ選挙投票以外で行くのは初めてであった。




何が一番ありがたいか、なんでも、と言われる中でも介護用
(大人用)紙おむつが今回は一番不足しているという話であった。

森にずっといるうさこを気遣って差し入れて下さったスイーツ、
手つかずであったのでうさこはそれも持って行った。
好物の銘柄をわざわざ下さった気持ちだけでじゅうぶんで。

しかし大人数だから皆にいきわたるには足りないことが申し訳
なかったけど、職員の方にそこんとこよろしくでいくしかない。
医薬品や毛布や衛生用品などのダンボールを搬入し終わった後、
そお~っとお菓子が入った手提げ袋を差し出した。
すると予想以上に喜んでくださり、安堵した。

おにぎりは主食で必需品目で災害用支援物資として割り当ても
あろうけど、甘いものは贅沢品である。
こんなときにはなかなかありつけないのではないか。
そう思って一粒のスイーツ力を知るうさことしては、ここは
是非にと思ったのであった。

今現在、普通の暮らしを維持できている人にとっては贅沢でも
ないような飴玉やクッキーやグミや、チョコ菓子なんかだけど。
ひとつぶの甘みが脳にキューっと届いたとき、悲惨な記憶や今も
続く不安、不自由さからほんのちょっとだけ、逃れることが
できるんじゃなかろうか。

太陽の国の事務局の穂積さんは電話と同じく実際にお会いしても
柔らかくやさしそうな人であった。
職員の皆さんは我がことのように腰低く挨拶されるのであった。
第二便、届いたらまたきますと約束して森へ帰った。

迅速な支援物資寄付のご協力ありがとうございました。






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