スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

日本神々の不思議(1)

2014年02月12日 | 雑感
日本神々の不思議(1)~(3)と結構長くなってしまいそうです。

日本人が海外で、外国人に”あなたの宗教は?”と聞かれたら"BUDDHIST"と答える人が多いと聞きます。
たぶん、なにかの宗教をもっていないことは外国人にとっては考えられないのかもしれませんね。

神道は英語で”SHINTOISM SHINTO”と言うのだそうですが、そう答える人はあまりいないのではなでしょうか。

多くの人がそうあるように、本地垂迹・神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を知らず知らずのうちに日本人のDNAとして刷り込まれているのかもしれません。

神仏習合どころか、意味も理由も考えずにDNAのおもむくまま ”ごちゃまぜの行為” をしている日本人。
鷹揚というか、いい加減というか、、、私もその一人なのですが、、。

でもある学者から言わせれば、このいい加減さが再評価されているのだそうですよ。

哲学・民族・宗教学者である梅原猛氏がその著書『人類哲学序説』で次のように語っている。

日本文化の原理は《草木国土悉皆成仏》という天台本覚思想にあり、人間がすべての動植物より優位であるという西洋哲学では、今後の世界は成り立っていかない、、、というのです。

確かに世界は一神教同士での争い・民族同士での争いが蔓延しており、いい加減になんでも受け入れてきた多神教の出る幕がない状況に至っております。 

古代ケルトの神々・ギリシャの神々・ヒンドゥーの神々・日本神道の神々なども表に出てこれなく、深く静かに遠慮深く眠っているようでもあります。

梅原氏が言うように、日本人のもつこの思想(?)にもっと自信をもってもいいのではないでしょうか。

なんてこじつけ、正当化してみました。


さて、じゃいったい八百万の神々、日本の神道といわれるこの宗教・文化・原理というか不思議なものを自分なりに探ってみたいと思います。 日本神々の不思議(2)へ。

日本神々の不思議(2)

2014年02月12日 | 雑感
伊勢神宮は昨年(2013年)出雲大社と共に《遷宮の年》ということで話題になりました。

『なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる』
 あの西行法師が伊勢神宮にお参りした時の歌だそうです。

日本に総元締・神社本庁傘下の神社は8万社ほどあるという。


神社系統で最も多いのが八幡信仰に関わる神社(7817社)で、第2位がこの伊勢信仰(4425社)。

続いて天神信仰(3953社)、稲荷信仰(2970社)と続くそうです。

その八幡も天神も稲荷も、もとは渡来の神とのこと。

それに八幡も天神も稲荷どれも記紀(古事記・日本書記)には登場せず、伊勢信仰の天照大御神(アマテラスオオミカミ)とは決定的な差があるといわれる。

じゃ伊勢信仰の天照大御神のルーツはいうと、、勿論いろんな説があり、記紀への解釈も未だ定まっていないのが現実ですが、坂本政道著『ベールを脱いだ日本古代史Ⅱ』によるとこのように記されておりました。

  2世紀後半、邪馬台国連合が形成され卑弥呼が女王となり、大和の(まきむく)に都が造られ三輪山で
  アマテル(天照大神~アマテラスオオカミ)が祀られた。

  卑弥呼の死後、トヨが跡を継いだが晩年連合が分裂・弱体化となり、神武(崇神天皇)が北九州より東征。
  疫病・飢餓が流行し、アマテルから今度は”大物主神”を祀るようにと神託が降りた。

  崇神天皇はトヨと多くの巫女を殺し、霊を封印するため箸墓古墳を造ったといわれる。

  アマテルは祟り神として各地を転々とし、最後にこの伊勢の地に祀られた。

  天武天皇は即位後、祟り神であったアマテルを復活すべく一案を講じる。

  これが、女王卑弥呼(女神)を対象にしたアマテラス(天照大御神)神話であり、
  祀る場として伊勢神宮が造営(内宮)され、トヨの御神体・豊受大御神を(外宮)で祀ったという。


     

以上がルーツですが、アマテラス(天照大御神)は八百万の神々の代表でもあるが、勿論創られた神。

記紀(古事記・日本書記)は天武天皇の命で書かれた勝者による”限りない創作”というのが定説です。

この天武天皇、、実はこの方も渡来人というではないですか。

日本の歴史に関わる人物には、なかなか《日本人》がでてこないというこの不思議。

次の日本神々の不思議(3)ではこのへんをもう少し。

日本神々の不思議(3)

2014年02月12日 | 雑感
この時代、天武系と天智系。 実は新羅系と百済系渡来人の勢力争いでした。

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した《乙巳(いっし)の変》も、新羅を中心とした全方面外交を貫く入鹿を生かしておいては、百済を救援できないとする勢力が企てたといわれる。

古代史に詳しい歴史作家・関 裕二氏は中臣鎌足に関しこのように語っております。

 『中臣鎌足は百済からの亡命した皇室王子・余 豊璋(よほうしょう)で、この豊璋が来日と同時に
  忽然と日本書記の中に中臣鎌足が姿を現し、白村江の戦いの直前、本国に召還(帰国)するに及び
  なぜか中臣鎌足も同時に日本の歴史から消えている』
、、、という。

大海人皇子(天武天皇)と大友皇子(天智の子)との争い、大海人皇子が勝利し、天武の時代がここから始まるのですが、この天武天皇も、、、不思議な謎を秘めた人物。

日本書記では《新羅の大使・金多遂とその従者37人》と記されている。
蘇我入鹿の子と考える人までおりその出生は謎めいているものの、明らかに渡来人。

歴代の古代天皇も持統(天武の妻)・文武・聖武・孝謙・淳仁・称徳くらいまでが天武系の天皇。
光仁・桓武、、、と天智系天皇が、、この流れが現在まで続いているともいわれます。

日本書記なども天武天皇の命で編纂開始されたのですが、日本書記の完成が西暦720年。天武天皇が崩御(686年)から34年も月日が経っており、完成時は天武の反勢力の意図が色濃く反映されているとのこと。

天武の為ではなく、天武の取巻き蘇我や物部(二代豪族)を抹殺するというのが定説。

日本書記は『日本の正史』といわれるが、実は時の勢いある渡来人体制の賜物だったのですね。

ちなみに日本神話にでてくるスサノオ(須佐之男)も、古文書「富士文書」に『諱(いみな)は太加王、朝鮮新羅王の四男なり』と記されおり、渡来人というではないですか。 関裕二『古代史の謎入門』より。

日本人どこにいるの?  日本ってなんなの?、、、そう感じざるをえません。