スノーマン見聞録

ジャンルも内容も気の向くまま~“素浪人”スノーマンの見聞録

懐かしの東京散歩 (パートⅠ)

2013年12月03日 | 雑感
数年前、東京に単身で住んでいた頃の撮りためた写真をながめておりました。

昔を懐かしんでいては、、、そろそろだめかな、とは思いつつ少しだけ載せてみました。


≪ さくらと花火 ≫

            

東京の桜、、いいですね。                       これは江戸川河川敷での花火です。
皇居千鳥ヶ淵や隅田川沿いなど東京のいたるところに      墨田川の花火なぞは人混みで大変でした。
咲き誇るソメイヨシノは見事でした。                  やはり花火は江戸の華。

桜の花にも花火にも、幽玄としかいいようのない美しさがありますね。

≪ 相撲稽古見学 ≫

           

時津風部屋の朝稽古を見学。凄い迫力でした。 部屋には双葉山の写真が。写真・稽古は豊ノ島と時天空。
親方のすぐとなりの特等席でした。    なにせ、タニマチで年間2億円ほどの寄付をしてましたので(笑)
 
親方が若いもんに ”ただあたればいいってもんじゃない! 次になにするか考えてあたらないと!”
、、、って指導してました。  ははあ、なるほど、、、って自分に言われてるような気がしたものです。


この部屋はその後暴力事件にて一躍有名に。  結構みんな真面目に稽古していたんですがねえ?

≪ 有名人の墓 ≫

           
                           (この時ばかりは敬意を表して写真は撮らず。インターネットから借用)

物好きにもほどが、、有名人の墓廻りまでしたことが。 

左写真は
南千住回向院・ねずみ小僧次郎吉の墓です。 法名「源達信士」とあり、台座に「子ツミ小僧」と彫ってある。
ここには吉田松陰や橋本左内のお墓もありました。  ここは、江戸の小塚原処刑場の跡地だったところ。

右写真は
豊島区駒込にある染井霊園敷地内・本妙寺にある遠山金四郎のお墓。
すぐそばには剣豪・千葉周作のお墓も。
染井霊園敷地には高村光太郎・智恵子や二葉亭四迷、芥川龍之介なども眠っていた。

遠山金四郎のお墓の前には、なぜかここにだけ浄財の箱が、、だれが置いたのか、鍵までかかっているではないか。
ん~!!  桜吹雪の金さんも草葉の陰で、、、。

あと、芭蕉を追って奥の細道の一部(千住から日光迄)を5日間かけて歩いたり、神楽坂界隈の雰囲気が好きで通ったり、とにかくじっとしておりませんでした。
そうそう映画も、、飯田橋駅近くに年間パスポート(1万円)で観ることができる映画館がありました。世界各国の洋画を中心に上映されていた、もう40年にもなる名画座です。パスポートを購入し、休日にはよく通ったものです。

≪名画座・ギンレイホール案内≫クリックしてみて下さい

俺はなにしてたんだろう。  いまでも不思議に思う東京での日々でした。



日本文化不思議考 3

2013年12月03日 | 雑感
世の中不思議満開。  もちろん自然界は断トツですが、人間界も凄い。

イスラム世界での女性は顔身体を覆い、”婚約する迄は恋人なぞとんでもない”などもしかり。

異文化・異言語・異民族・異宗教・異国・等々、、驚きの連続です。

私たちが当然と思っていることも、時の経過による変質か、いや捏造か、いやはやこれも沢山あるのです。

仏事に関することを少し。

年忌・お彼岸・仏壇・位牌などがありますが、、、。


七回忌、十三回忌、、驚くなかれ五十回忌までも。 年齢別《年忌法要早見表》などもあるそうですよ。
  
ご存じの通り、仏教はインド発祥。

インドでは四十九日まで。中国に入り百か日・一周忌・三周忌までしかなかったという。

七回忌以降はすべて日本に入ってから作られたとのこと。

そもそも釈迦の時代、「読経によって施しにあずかる」 ことを禁止していたようである。
 
ちなみに釈迦(仏陀)は死後のことについて、あるも無いも言わなかった(無記)そうです。

中世においては、習俗として受け入れられてきたが、やがて年忌は仏説とすることが困難となり、廃止すれば時の寺院経済に破綻をきたすことになる。
  
江戸時代この矛盾を覆うため、神道家・永野采女と僧 ・潮音道海が『先代旧事紀大成経』なる偽経までつくり、その立場を有利にと努めたという。

時の幕府により”世を惑わす”として禁書とされ、逮捕者が出るまでに至ったとのことですが、その後も静かに浸透していったようです。                

「年忌法要なるものが、釈尊の末弟の誤った、しかも架空の方便から生れた妄念の集録に過ぎない」                                    とまでいわれる人もいる。 藤井真水著『仏陀の再現』より

釈尊は書は生涯なにも残さなかったのだから、その後作られた経典は99%偽経と論ずる人も。

もっとも、仏教の偽経について五木寛行氏は著書『神の発見』の中でこう話しております、、、。

お経の成立過程を見ると、ときに偽経と真経の差ってあるんだろうかと思ったりもしますが」  、、、と。

お盆・盂蘭盆会・お彼岸なども中国製。 仏壇は天武天皇が家々に設置を勧め、平安時代の貴族が競って住まいを寺院化したものといわれます。
  
仏壇の設置を強制したのは江戸幕府とのこと。それまでは、一般的なものではなかったようです。

位牌は儒教の祠堂の影響が大で、禅宗の渡来により日本に渡ってきたものとのこと。

  
ところで、不思議なのは『戒名』、、これは生前、本来仏教者が精進すべく、導師より戒を受ける際にいただく法名なのですから故人が、生前知りもしない『戒名』を読みあげられても、、、。

「インドでも中国でも死者に戒名を与えるという習慣が成立しなかったのは、仏教が葬送儀礼と密接な関係を結ぶことがなかったからであろう」、、、という。 島田裕巳著『戒名』より


日本人はどうして、、、ん~不思議だ。 考えすぎですかねえ。

みなさんはどう思われますか。勿論形にするもしないもこころの問題で、とやかく言うことではないのですが。