いま、≪釣りバカ日誌≫ スーさんこと・三國連太郎の著作 『白い道』(全三巻)を読み始めたところです。
先日、対談集を読みブログにしてみましたが、どうも下の言葉が気になり探ってみようという悪いクセが ・・・。
宇都宮直子(ノンフィクションライター)曰く ≪ 別れの何が悲しいのですか ≫ と三國連太郎は言ったという。
三國連太郎の壮絶な生きざまは知る人ぞ知る。
本当に言ったか否かは今になっては分かりませんが、それにしても ≪ 別れの何が悲しいのですか ≫
という常識はずれのこの凄い言葉。 気になりませんか?
この 『白い道』 という本は、法然・親鸞とその時代を描いた文庫本・全三巻(上・中・下)
1000ページにもわたる大河小説。 もちろん三國さん主演で映画化もされたようです。
何があったのか、インドやパキスタン・アフガニスタン放浪の旅、一念発起猛勉強をし書き上げたという。
こんな冒頭からはじまる・・・・・・・ 。
『 永治元年(1141年)、鳥羽上皇が信証について出家して法皇となり、崇徳天皇がわずか三歳
の近衛にて譲位して上皇になった。 また、臨済宗の開祖栄西が備中に生れている。
その同じ年の春、美作国久米群稲岡庄では、小盆地を囲むなだらかな丘陵の斜面から、
空一面狭しとばかり暗澹と染める、鉄を精錬するための蹈鞴(たたら)の黒煙が噴き出ていた。
それはあたかも、生れた時から死という宿命をにないつづける人間が、光明と影の錯綜のなかに
慄然と噴きあげる滅びの煙のように見えた。 ・・・・・・・ 』
文章の巧みさもさることながら、当ブログ法然の哀しみ でも横領使であった法然の父・時国が
殺されたことを紹介しましたが、法然の出自・秦氏・渡来人との関係や時代背景についても
古文書なども引用し詳細に描かれている。
まるで修行僧の迫力・筆力の如く。 まだ読み始めですが感心しきり、驚きの連続です。
先日、対談集を読みブログにしてみましたが、どうも下の言葉が気になり探ってみようという悪いクセが ・・・。
宇都宮直子(ノンフィクションライター)曰く ≪ 別れの何が悲しいのですか ≫ と三國連太郎は言ったという。
三國連太郎の壮絶な生きざまは知る人ぞ知る。
本当に言ったか否かは今になっては分かりませんが、それにしても ≪ 別れの何が悲しいのですか ≫
という常識はずれのこの凄い言葉。 気になりませんか?
この 『白い道』 という本は、法然・親鸞とその時代を描いた文庫本・全三巻(上・中・下)
1000ページにもわたる大河小説。 もちろん三國さん主演で映画化もされたようです。
何があったのか、インドやパキスタン・アフガニスタン放浪の旅、一念発起猛勉強をし書き上げたという。
こんな冒頭からはじまる・・・・・・・ 。
『 永治元年(1141年)、鳥羽上皇が信証について出家して法皇となり、崇徳天皇がわずか三歳
の近衛にて譲位して上皇になった。 また、臨済宗の開祖栄西が備中に生れている。
その同じ年の春、美作国久米群稲岡庄では、小盆地を囲むなだらかな丘陵の斜面から、
空一面狭しとばかり暗澹と染める、鉄を精錬するための蹈鞴(たたら)の黒煙が噴き出ていた。
それはあたかも、生れた時から死という宿命をにないつづける人間が、光明と影の錯綜のなかに
慄然と噴きあげる滅びの煙のように見えた。 ・・・・・・・ 』
文章の巧みさもさることながら、当ブログ法然の哀しみ でも横領使であった法然の父・時国が
殺されたことを紹介しましたが、法然の出自・秦氏・渡来人との関係や時代背景についても
古文書なども引用し詳細に描かれている。
まるで修行僧の迫力・筆力の如く。 まだ読み始めですが感心しきり、驚きの連続です。