日本では平和らしき装いをしているが、世の中は未だに戦争も貧困も永遠と留まるを知らないのが現実だ。
自分には何も出来ないまでも、それらに無関心でいてはいけない、、といつもそう思うのだが。
先日北海道新聞の《各自各論》というコラムに三浦瑠璃さんという人が「積極的平和を考える」と題しての
記事掲載があった。 国際政治学者・若干34歳の若き女性だ。
東京大学農学部卒で国際政治学を学び法学博士でもある。
現在は日本学術振興会特別研究員として、政治・安保・平和を語る論客として脚光を浴びている。
安倍政権の《積極的平和》主義を評価する一方、その危うさと懸念を中国・韓国や欧米など国際外交の中で
彼女なりの論を展開し、コラムの末尾を締めくくっていた。
『 世界には、目を覆いたくなるような圧政や人道的悲劇が存在し、中には武力を持ってしか防ぎようが
ないことがある。だからと言って、いまの日本社会には、そこでの平和のために犠牲を払う準備はない。
戦後の安保論議を主導してきた一国平和主義を否定したいからと言って、準備も覚悟もできていない。
積極的平和主義に踏み出すことには危うさが伴うと言わざるを得ないのではないか。』
まったくその通りとその論評に頷くと共に、凄い女性論客もいたものだという今更の驚きを感じた。
早速インターネットや著書を調べてみた。
≪山猫日記≫というタイトルの三浦瑠璃さんのブログがあった。
面白いことに、今般憲法9条とそれを守ってきた日本国民がノーベル平和賞受賞を逃したことが話題になって
いたことに関し、受賞スピーチなるもの(案)を掲載していた。 下記をクリックしてみて下さい。
憲法9条ノーベル平和賞受賞スピーチ(案)
彼女の書いた『シビリアンの戦争』という本をも読んでみた。
シビリアンの戦争とは、シビリアン(市民・官僚・政治家等)の側が、戦争に消極的な軍を攻撃的な戦争に
追い込むという、従来の認識とは逆の現象が存在する、いわゆるデモクラシーによる戦争だ。
シビリアンコントロールという言葉がある。 シビリアン側が攻撃的な軍をコントロールするデモクラシー的な考え方がある限り、
戦争は抑制出来る。、、、との考え方に疑問を投げかけるている。
アメリカのイラク戦争しかり、イギリスのクリミア戦争・フォークランド戦争、イスラエルのレバノン戦争などを例に挙げ論理を展開。
イスラエルの世論は国防軍の反対とは対照的に、圧倒的多数で開戦を支持し、従来平和主義の路線を崩さな
かったほとんどの左派論客も開戦に加わったという。
イラク戦争でも、ブッシュ・チェイニー等のシビリアンが、開戦に反対する軍をよそに戦争を遂行したのは記憶に新しい。
アメリカ軍が消極的であったことは、大手のメディアからも取り上げられ、政府実務者・ジャーナリスト等には認識され
ていたと一般にも知られていたところ。
分析力も鋭く、論理も一貫しており感心して読み続けていたのですが、こんなことも主張する。
『戦争抑止には、国民の相当数がその当事者として軍隊的な体験を積むべきだ、と。それがあればこそ、
人々は実感を持って平和を主張できる!右傾化、軍事化を憂慮する人々の最も嫌う徴兵制に近い体制
こそが、実は最も平和維持に有効では』
徴兵制に近い体制・体験を主張しているのである。 これには実は私も驚いたひとりだ。
実感をもってイメージすることに組みするか否かは議論の分かれるところである。
戦争がゲーム化されてきている今日、世界の軍隊が装甲車や無人機、兵器の操作に熟練したゲーマーと呼ばれる
戦争ゲームの達人の募集を検討している、といった嘘とも誠ともつかぬ情報がインターネットで流れていた。
手術ゲームで医療技術を磨かんとするまでは許せるが、、、どんな時代になってゆくのか不安がよぎる。
ネオコン勢力(政治に最も近い知識人・実務者の総称)や武器商人を含めたシビリアンによる戦争。
軍人による戦争から、ボタンひとつで殺す殺される戦争へと
いま多くに信奉されている民主主義が一役買わなければよいが。
自分には何も出来ないまでも、それらに無関心でいてはいけない、、といつもそう思うのだが。
先日北海道新聞の《各自各論》というコラムに三浦瑠璃さんという人が「積極的平和を考える」と題しての
記事掲載があった。 国際政治学者・若干34歳の若き女性だ。
東京大学農学部卒で国際政治学を学び法学博士でもある。
現在は日本学術振興会特別研究員として、政治・安保・平和を語る論客として脚光を浴びている。
安倍政権の《積極的平和》主義を評価する一方、その危うさと懸念を中国・韓国や欧米など国際外交の中で
彼女なりの論を展開し、コラムの末尾を締めくくっていた。
『 世界には、目を覆いたくなるような圧政や人道的悲劇が存在し、中には武力を持ってしか防ぎようが
ないことがある。だからと言って、いまの日本社会には、そこでの平和のために犠牲を払う準備はない。
戦後の安保論議を主導してきた一国平和主義を否定したいからと言って、準備も覚悟もできていない。
積極的平和主義に踏み出すことには危うさが伴うと言わざるを得ないのではないか。』
まったくその通りとその論評に頷くと共に、凄い女性論客もいたものだという今更の驚きを感じた。
早速インターネットや著書を調べてみた。
≪山猫日記≫というタイトルの三浦瑠璃さんのブログがあった。
面白いことに、今般憲法9条とそれを守ってきた日本国民がノーベル平和賞受賞を逃したことが話題になって
いたことに関し、受賞スピーチなるもの(案)を掲載していた。 下記をクリックしてみて下さい。
憲法9条ノーベル平和賞受賞スピーチ(案)
彼女の書いた『シビリアンの戦争』という本をも読んでみた。
シビリアンの戦争とは、シビリアン(市民・官僚・政治家等)の側が、戦争に消極的な軍を攻撃的な戦争に
追い込むという、従来の認識とは逆の現象が存在する、いわゆるデモクラシーによる戦争だ。
シビリアンコントロールという言葉がある。 シビリアン側が攻撃的な軍をコントロールするデモクラシー的な考え方がある限り、
戦争は抑制出来る。、、、との考え方に疑問を投げかけるている。
アメリカのイラク戦争しかり、イギリスのクリミア戦争・フォークランド戦争、イスラエルのレバノン戦争などを例に挙げ論理を展開。
イスラエルの世論は国防軍の反対とは対照的に、圧倒的多数で開戦を支持し、従来平和主義の路線を崩さな
かったほとんどの左派論客も開戦に加わったという。
イラク戦争でも、ブッシュ・チェイニー等のシビリアンが、開戦に反対する軍をよそに戦争を遂行したのは記憶に新しい。
アメリカ軍が消極的であったことは、大手のメディアからも取り上げられ、政府実務者・ジャーナリスト等には認識され
ていたと一般にも知られていたところ。
分析力も鋭く、論理も一貫しており感心して読み続けていたのですが、こんなことも主張する。
『戦争抑止には、国民の相当数がその当事者として軍隊的な体験を積むべきだ、と。それがあればこそ、
人々は実感を持って平和を主張できる!右傾化、軍事化を憂慮する人々の最も嫌う徴兵制に近い体制
こそが、実は最も平和維持に有効では』
徴兵制に近い体制・体験を主張しているのである。 これには実は私も驚いたひとりだ。
実感をもってイメージすることに組みするか否かは議論の分かれるところである。
戦争がゲーム化されてきている今日、世界の軍隊が装甲車や無人機、兵器の操作に熟練したゲーマーと呼ばれる
戦争ゲームの達人の募集を検討している、といった嘘とも誠ともつかぬ情報がインターネットで流れていた。
手術ゲームで医療技術を磨かんとするまでは許せるが、、、どんな時代になってゆくのか不安がよぎる。
ネオコン勢力(政治に最も近い知識人・実務者の総称)や武器商人を含めたシビリアンによる戦争。
軍人による戦争から、ボタンひとつで殺す殺される戦争へと
いま多くに信奉されている民主主義が一役買わなければよいが。